チープな打ち上げ花火は夏のうたかた


「つまり――――屋上なんだよ、キョーヤ君」


 そんな唐突な言葉を聞かされて理解が追い付かなかったのは、さすがに俺のせいじゃないはずだ。

 茹だるような八月初週の日曜日、神居神宮の一角にある縁台に座って、少しばかりの付け焼刃のような涼をとらせてもらっていたところだった。

 というのも、特にやる事もない日曜日の昼過ぎ何気なく散歩していたらやなぎと偶然出くわし、暇をしてるだろう咲耶さくやの顔でも見に行こう、という話になったのだ。


 ともあれ、今は――――何故か、屋上の話にいきなり切り替わったようだった。


「……屋上がどうかしたのか、咲耶」

「本殿の瓦でも落ちたか? じゃあ俺が見てやる。ハシゴ出せ。お前も手伝うか?」

「ああ、いいよ。ヘルメットあるか」

「あるぞ。腰の高さ以上で作業する時は必ずヘルメット着用。基本だな」

「二人とも、そういう話じゃないんだってば!」

 咲耶は並んで座る俺達二人の前に立ち、白衣と緋袴を楚々として着こなす巫女姿の袖を振りたくり熱弁を振るう。

 境内は緑に囲まれているだけあって多少は涼しいが、それでも気温は三十度に迫る。

 咲耶の不思議なほど日焼けしない白い肌には汗が浮いて、もみ上げの髪は汗に濡れてよじれているのが見えた。

 隣で柳が適当に相槌しながらしゃくしゃくとかじる、咲耶が切ってくれた西瓜の音を聞きながら、俺はどうにか話を拾ってやる事にした。


「壊れたんじゃないなら、何だよ。屋上が何?」

「ボクの家の話じゃないんだよ。キミの話だ」

「俺……? まどろっこしいな。話が全然見えねぇ」

「つまり。……キミが通ってた学校の話だよ。屋上、あったんだろ?」

「屋上……。ああ、あった。それで?」

「行った事あるよね? どうだった?」


 ようやく、話題の輪郭がぼんやりと見えてきた。

 咲耶はたぶん、俺のいた学校について訊きたかったんだろう。

 だがしかし、咲耶には申し訳ない答えになるが屋上……といっても、生徒の立ち入りは禁止されていたし、今はほとんどの学校でまず間違いなくそのはずだ。

 俺が、言葉を選びながらそう告げてやると――――。


「えっ……? でも、いろいろ漫画とかだと……」

「あぁ、定番だけどさ。……あれはフィクション。小中高、ずっと屋上は立ち入り禁止だったよ。屋上自体はあったけど」

「……そっか」


 咲耶はまた、分かりやすく落胆した表情を見せる。

 通っていた学校のみならず、どこもかしこも――――屋上への立ち入りが自由だったという話は聞かない。

 たまに、屋上に相当する部分に運動場やプールがある学校の話は聞いた事があるが、それは咲耶の求めていたロマンとは違うだろう。

 あくまで、何もない屋上。

 誰も管理しないおざなりな施錠、柵に囲まれた殺風景なコンクリート打ちっぱなしの光景、そこに鎮座する威圧的な貯水槽。

 そこには昼休みや放課後を過ごし、あるいは授業中にサボりに来る生徒の姿があって、寝転べば広い、視界一面の“空”が独り占めできる。

 聴こえてくるのは校庭を走る連中の掛け声とホイッスル、吹奏楽部の練習の音、飛行機やヘリコプターのエンジン音、沿線を走る電車の警笛音も。


 ――――そんな“外”の都市ならではの情緒を、俺に懸けてたんだろうな。


「しょげてんじゃねェよ、リョウ。分かるだろ、“屋上”ネタの怪談の多さ。お決まりの“実は昔自殺した生徒の霊が今もさまよい……”ってな。そんなに多発した訳じゃねェだろうが、飛び降り自殺、非行防止の観点でそうなってんだよ日本中で」

「ん……厳しいなぁ、柳。……うん、まぁ……。でもなー……やっぱり、屋上って大事だよ……」


 柳の言わなくてもいいような冷淡な補足は、的を射ていた。

 定番の“学校の怪談”に、屋上の存在は欠かせない。

 やれ、いじめを苦に自殺した女子生徒だの、屋上に出たらドアノブが壊れて戻れなくなったまま夏休みに入ってしまい酷暑の中で衰弱死しただの、イチかバチかで飛び降りて失敗しただの、その他もろもろの屋上の怖い話はいくらでもある。

 そうして生まれた“伝説”は、いつしかこの村へ流れ流れてきて――――ここ、神居村かむおりむらで、とどめを刺されて無へ帰る。


「……そんな訳だ、ごめんな咲耶。期待に沿えない。っていうか屋上ならここにも……」

「ないよ。知ってるだろ?ボク達の校舎は木造二階。屋根はあるけど上がれる屋上はないし、角度は急だ。上がって一休みなんてできないよ、怖くてさ」

「あー……そうだった」


 咲耶の言ったとおり、俺達の学校に屋上はない。廃校かと疑うようなぼろぼろの木造校舎二階建て、しかしそれでも持て余すような広さ――――いや、生徒の少なさだ。


「……俺ァそろそろ戻んぞ、スイカ、ごちそうさん」

「え、もう行くのか……?」

「あァ。寄り合い所から温水器の修理依頼が来てんだ。この時期なんだし必要ねェとも思うけど……頼まれちゃ、しょうがねェ。それじゃな」

「うん、頑張ってね、柳。バイバイ」


 そして、柳が鳥居をくぐっていなくなると――――とりあえず俺は、間をごまかすように、少しぬるくなった西瓜を一切れ取り、齧る。

 最初の一口はじゅわっと甘く、溶けるように口中へ果汁となって果肉が消えていく。

 甘い水分が口内を潤わせて満たし、喋っていて乾いた喉を癒してくれる。

 まだ柔らかい白い種も黒い種も構わず飲み込み、食べ進めるうちに甘さが消えていく無情な夏の風物詩は、あっという間に消えた。

 気付けば、俺と柳の前に立っていた咲耶の姿はない。

しかし――――


「ちぇ。……柳め。いくらなんでもボクの浪漫ろまんを砕いてくれすぎじゃないか?」


 俺の左側に……ほとんど隙間なくいつの間にか、咲耶が腰を下ろしていた。

 背を丸めて頬杖をつき、境内の玉砂利を力無く見つめているせいで細く華奢な体格がなお強調されるようで、いやそれより――――とにかく、近い。

 白檀びゃくだんの香がほんのりと漂うのに加えて、うなだれている真っ白いうなじがほとんど目の前に差し出されている格好だ。

 もう一度言うが――――――


「咲耶……近いって」

「ん。だったらキミもうちょっとそっち寄って。座る場所分けてよ」

「……いいよ、これで」

「そう?」

「俺が詰めたらお前も詰めてくるんだろ」

「うん、きっとそうするかな」

「小学生かよ……」

「小学生だよ」


 そんな切り返しをしていたずらっぽく笑うのに、咲耶はそのまま動かず、“屋上”というものへの憧れを未練がましく語る。

 屋上でランチタイムをしてみたかったとか、授業をさぼって昼寝をしてみたかったとか、そこで友達と雑談してみたかった、とか――――正直言って、俺もしたくなかったと言えば嘘になる。


 咲耶の夢は今壊れたが、もともと叶わないような夢だった。

 でもそれは、きっと――――この間叶ったそれに比べれば、取るに足らない、他愛無い憧憬かもしれない。


 咲耶はこの間、“海”を見た。


 俺は今でも、思い出せた。

 初めて波に触れ、足を細かい砂が洗う感覚へ身を任せる咲耶の、泣きそうな――――そして、じわりと長くかけて開く朝顔の花のような微笑みを。

 世界の果てから吹く海風を受けてたなびく、髪を。




*****


 その次の日、夕方――――になっても、まだこの里山の村の気温は下がらない。

 ただ陽射しが無いだけでまだまだ日中の暑気は残り、これから冷えてくるとはいっても、この空の紫色が消えて、暗くなってからの事だろう。

 それまでの間は耐えなきゃならない。

 冷えた時に備えてとりあえず持ってきた薄物のパーカーは今は脱いで腰に巻いている。

 こんな着方をしたのは数年ぶりだが、手荷物にはしたくない。

 そうまでしてやってきたのは、この村の夏の風物詩のひとつ――――商店会の縁日、そして、“花火”だ。


「へぇ。……結構集まるんだな」


 秋ごろに“紅葉祭り”の会場になるらしい、道の駅から先に少し向かった開けた空き地がその会場だった。

 神居神宮で催されたものよりは少し規模は小さいが――――それだけに、密度の高い活気が感じ取れた。

 どの道、村の住人はここへ集まる。


 一塊ひとかたまりに寄り集まる屋台の熱気は、まだ消えきっていない暑気を付けたすように立ち上る。

 神宮の祭りで会った綿飴屋台のおじさんは相変わらず綿飴を巻いている。

 焼きそばを鉄板いっぱいに広げて焼くおばさんもいれば、キュウリの一本漬けや大量の氷に突っ込んだビールやラムネ、缶ジュースを売る人もいた。

 もちろん射的やくじ引き、型抜き、そして神宮では見られなかった金魚すくいといったゲームもある。

 だけど、そのどれよりも今、目を引いたのは。


「すみません、りんご飴。……ふたつください」

「はいよ、りょうちゃん。好きなの取りな」

「はい。……じゃ、これと……これ」


 入ってすぐの並びにある屋台で見つけた、りんご飴を買う咲耶の姿だ。

 今日は、制服姿でも、カジュアルで涼しげな目のやり場に困る私服でも、まして巫女衣装でもない。

 咲耶は俺の視線になんとなく気付いたのか、こちらを振り向き――――虹を見つけたような笑顔で片手でひらひらと手を振った。


「こんばんは、キョーヤ君。まだ暑いね」

「お、う……。咲耶、そのカッコ、って……」


 合流して、咲耶からりんご飴をひとつ受け取ろうとするが、一度、手がスカ・・る。

 というのも、その服装は――――いつか、咲耶が買ったと言ってはいたが、見られなかったものだ。


 淡い水色に、鈴蘭すずらんの模様を染め抜いた浴衣だった。

 そこかしこを走り回る子供達とも違って、しゃんと伸ばした背筋が楚々としたシルエットを浮かび上がらせる、きれいな着こなしだ。

 藍色の締め帯もよく似合っていて、背中側に差している団扇うちわがアクセサリー代わりに映えていた。

 咲耶の後ろに見えるいくつもの屋台の灯で、ゆったりとした袖に細い二の腕が透ける。

 ヘアスタイルも合わせたのか、前髪に分け目を作って交差した銀の髪留めが落ち着いた輝きを放つ。


「……似合う?」

「…………うん」


 つい見惚れた俺の視線に気付いたのか、恥ずかしそうに顔を伏せて、ただ一言、咲耶は訊ねた。

 俺から先に言えなかった事を悔い、恥じて――――そのまま数十秒して、花火大会の開始時刻を告げるアナウンスがされてようやく、歩き出せた。


 ――――――それからの事は、あまり覚えていない。

 屋台を一緒に周り、色々したと思うのに……とりあえず咲耶から手渡されたりんご飴の甘さと、酸っぱさ以外には何もだ。

 途中で八塩さんとあいさつを交わしたような気がする。

 途中で村の小学生にヒザ裏を蹴っ飛ばされたような気もする。

 柳とすれ違った気もしたし、見知った顔……といってもこの村はだいたいみんな顔見知りだが、ともかく誰かと話した、ような気もする。


 それぐらい――――咲耶の浴衣姿は、強烈だった。

 きれいすぎて、似合いすぎて、一緒に歩く俺が、違う意味で恥ずかしくなってしまうぐらい――――きれい、だったから。


 どれだけの時間が経ったのか分からないまま、気付けば――――俺は、咲耶と小川のほとりへ座っていた。

 縁日会場の灯からはやや離れているが、人混みにあたって疲れたのか、ちらほらと休んでいる夫婦や、歩きつかれた子供の姿もいくらかある。

 腰を下ろせば少し神経は収まって、あらためて……咲耶の姿を見る余裕も生まれた。


「ふぅ。……疲れたねぇ、キョーヤ君」

「あ……ゴメン、咲耶。俺、気が利かなくて……」

「ははっ、分かってたさ。キミ、意外と口下手だもん。びっくりした?」

「……少しな」


 団扇でぱたぱたと扇ぎながら、咲耶は火照った体を覚まそうとしていた。

 かすかにその骨から薫る古びた竹の匂いが鼻腔をくすぐり、青草と小川を流れる水の匂いに混じり、夏の匂いに変わっていく。

 ――――きっと、この村で過ごした昔の思い出が、またひとつ息を吹き返したんだ。


「……緊張してたんだよ、ボク。キミに、見せたら……どう、なるのかな、って」

「…………うん。俺も、緊張して……。びっくりしたんだ。……きれい、だった、から」

「あ、はははっ……ゴメン、今……こっち、見ないでね」

「え……怒ってるのか?」

「ち、違う違うっ……! 頼むから、もう少し、こっち……向かないで……! わぁっ!?」


 顔を慌てて会場側へ背ける咲耶の、赤面する顔が――――空に咲いた光の花に照らされて驚愕しているのが、はっきりと見えた。


 ――――どん、どん、ぱぱっ……ひゅるる――――と、夜空にいくつもの花が咲く。

 会場の外れから立て続けに上がる、チープな打ち上げ花火は“向こう”で見た花火大会の大きさには及ばない。

 市販品の花火を並べて打ち上げているようで、タイミングもてんてバラバラなのに……だから、胸に迫るものがあった。

 まだ恥ずかしそうに顔を背けたままの咲耶も、いつしか吸い寄せられるように、小さな花が寄り合うようにつたなく咲く様を、見守っていた。


 地面近くからドラゴン花火が噴き上がり、ロケット花火がその隙間から飛び上がる。

 安っぽくて、懐かしくて、慎ましくて、涙ぐましくて、それでもきれいな“夏の花”が色とりどりに咲くのを、俺と咲耶はずっと見ていた。


 ――――肩に、咲耶の暖かさと、おずおずと預けてくる頼りない体重を感じた。

 ――――それはまるで、夏の夢。

 ――――うたかたに消えてしまうはずだった咲耶の、確かな温もりだ。


 咲耶は、今ここにいる。

 俺も、ここにいる。

 神居村の夏は、ここにある。

 あの日の夏へ、帰ってきた。


 一夜の夏の花は、やがて全て散り終えた。

 でも、また訪れる。


 明日も、また。


 明日も――――神居村の。



 咲耶と過ごす、夏だから。







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