あの夏の続き
*****
俺は――――しばしの間、神居神宮の敷地内で時間を潰した。
その時に足を向けてみたくなったのは、この神宮の摂末社のひとつ。
楼門を出て少しだけ離れた場所に、それはある。
そこは、俺も一度だけ見に来た事があった。
この村へフラフラと流れ着き、あるいは発生し、倒され……もう、この村にすら現れなくなった怪異を祀り、慰めるために
小さな造りの社で、俺の背丈と同じぐらいしかない。
まず……“メリーさん”が出てこなくなった。
正式に退治が報告されたのは一年前、倒した村民の名は
八塩さんの報告を最後に、もう“メリーさん”は現れていないらしい。
通算出現回数およそ百回弱、それでもう打ち止めだった。
永遠に生きるものなし、死を想え。
それが在る命に対して向けられた警句ならば、彼女らへ向けられる警句は、こっちか。
「……人のうわさも、七十五日」
実在するのかしないのかは、関係ない。
重要なのは皆がそれを信じて、怖がってしまった事。
恐怖だけが寄り集まり合い、やがて忘れられて――――その存在に対して向けられた念が形をなして、溶け残ってしまった。
それらが着ぐるみのように口裂け女となり、首なしライダーとなり、この村へ引き寄せられるようにやってきて、消え去る事を選んだ。
少なくとも、俺はそう考えている。
その本質は、恐怖。
それも忘れられ、錆びついてしまった、“使用済みの恐怖”。
着ぐるみであれば適切に廃棄、焼却されただろう。
依り代を持つものであれば供養、御祓いの後に焚き上げてもらえただろう。
なのに……存在が無いから、そうしてもらえない。
だから、彼らはもう一度――――あの時と同じ姿をして、叩き伏せられに来るのだろう。
まるで、死期を悟って墓場を目指すゾウのように。
「お待たせ、キョーヤくん。何見てたの?」
「いや。……もしかしたら、な」
咲耶は着替えてきた。
あの似合っているようで似合っていなくて、でも……少しだけ似合っていた巫女装束から。
いつも学校でよく見る袖まくりのシャツ姿に、短く折り返したスカート。
しかし、今日は……上に紺色のサマーセーターを着ている。
「もしかしたら、どうしたの?」
「もしかしたら……“あいつ”もきっと、そうだったのかもな」
トイレの花子さんも、例外では無かったのかもしれない。
メリーさんも口裂け女もその他も、頼まれなくても押しかけてくる類のモノだ。
対して花子さんはとことん受け身、呼ばれなければ現れない。
この村では三回しか起こらなかったのではなく――――たったの三回しか、見てもらえなかったのだ。
訪れる者もなく、先に消えた伝説達のもとにも、いけない。
忘れ去られる事もなく、あの古びたトイレの中でいつまでも、待つ。
「……ボクね。誕生日のたびに、夢に花子さんが出てきたんだ。それで一言だけ。いつも、一言だけ言うんだ。『まだ?』……って」
「……どの意味なんだろうな」
「ボクは、何となく分かっていたよ。ボクが花子さんに連れていかれるのが、だけじゃない。……まだ自分は、ここにいなければいけないのか、って。そう言ってるように思ったんだ。きっと……花子さんは、寂しいんだ。だから、一緒に遊んでくれる人がいつもほしくて。なのにいつの間にか、そういうタブーになってしまっていたんだ」
きっと、奴も……寂しかったんだ。
だからこそ、俺と咲耶は今からもう一度、あいつに会いに行かなきゃならない。
あいつを、還らせてやらなければいけない。
存在するはずのなかったものが還る場所へと。
*****
そして、俺はまた咲耶と一緒に取って返した。
この村へ来てから運動量は増えたが、濃い藪の中を一日に一往復半、というのは想像以上にキツい。
とはいえ昨日から柳と一緒に歩いた道だからだいぶ歩きやすくなっていたのも間違いない。
もうカーディガンは草の切れ端を大量に巻き込んで、まるで何かの番組で見た狙撃兵のカムフラージュみたいな
せめて……これだけでも脱いで来るんだった。
そうして――――俺は藪を抜けるとすぐにそいつを脱いで、適当に腰に巻いた。
「着いたな」
朝から、六時間経つか経たないかという頃。
俺は早くも、三度めとなる神居村の廃校前に立った。
当然ながら……何も変わってなんか、いない。
すぐ後ろを振り向くと、ちょうど、咲耶が出てくるところだった。
彼女のサマーセーターにもすっかりと同じ
「……もう。おろしたてなんだよ、これ」
そう言って、服に着いたゴミを払う仕草は……十年前の咲耶には見られなかったものだ。
草がついても、泥が
もしかして祭りの時の綿飴屋のおじさんが言っていた、こいつにヘビをけしかけられて泣いていたガキ、って……俺の事だったりしないのか?
思わずじっと見つめていると、咲耶が視線に気付いて俺を見返してくる。
「……キョーヤくん、大きくなったね」
「俺?」
「うん。ボクよりも……頭一つ。ほら」
咲耶が自分の頭のてっぺんに掌を当て、その高さを変えずに俺の肩口へ当ててきた。
そういえば……確かに、あの時は咲耶、いや“リョウ姉”の方が背が高かった。
小学生にはよくある事だったが、それも正直、当時は面白くなかった事の気がする。
あの時にずいぶんとエラぶっていたのはそのせいもあるんだろうな、きっと。
互いに息を整えると、俺と咲耶はどちらともなく並んで、忌まわしい廃校の玄関へ向けて立った。
「咲耶。どうしても訊いておきたい事がある。俺がもしも思い出さなかったら……どうしたんだ。そのまま、……いなくなってしまうつもりだったのか?」
咲耶からは、返事は無い。
息の詰まったような、唾を飲み下すような音と決まりの悪い沈黙があるだけ。
「…………会って三ヶ月だから、いなくなっても平気だなんて思うのか。俺が……哀しくないと、思ったのか。会えなくなるのが、辛くないと……思ったのか?」
「……ごめん」
震えた声を誤魔化せただろうか。
俺が咲耶の事を思い出せなかったとして……それでもきっと、咲耶がいなくなれば、どんなに辛い のか。
俺は……そんな辛くてたまらない、有り得たかもしれない未来を想うと、思わず……彼女の右手をとった。
指先の触れた瞬間は、ぴくりと震えたのを感じる。
でもすぐに咲耶もゆっくりと握り返してくれた。
その手は午後の林道をかき分けてきたとは思えないほど、汗をかいていない。
むしろ……冷たい。
歩き出すと、咲耶が一泊遅れてついて来た。
そのたびにつないでいる手には少しずつ力が込められて、汗の滲み出るのも感じた。
空き教室の前を横切ると、不思議な視線を感じた。
廊下の壊れた柱時計に差し掛かると、小さな忍び笑いが聴こえた。
そのたびに咲耶は小さく身体を震わせ、ことさらに俺の手を強く握った。
俺はもう、何も怖くはなかった。
この村の日々が、俺の中の何かを
それを強くなった、と呼ぶのは――――少しだけ、抵抗がある。
ポケットの中で握り締めた“
いや――――いつにも増して、重い。
ポケットを突き破る事は無いのに、まるで、
灼けつくように柄が熱を持ち、それもまた、俺を勇気づけてくれる“力”になった。
長い廊下の果てに、とうとう辿りついた。
記憶にあるのと何も変わらない、古びて水気すらなくなったトイレだ。
今からやるのは、あの時の十年越しの続きだ。
あの時してやれなかった事を、“花子さん”に。
あの時守れなかった“咲耶”を、今度こそ。
――――――あの時立ち向かえなかった“俺”は、今度こそ。
――――――あの時と同じく、ノックを、三回。
――――――そして、呼びかけた。
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