その願いを叶えに
十年ぶりにそう呼ぶと、咲耶は少しだけ顔を綻ばせ、すぐにぎゅっと閉じ込めて恥ずかしそうな表情を作った。
それは黒歴史を
俺は――――もしかすると、無神経だったかもしれない。
だが、思い出した事を証明するためには、彼女をこう呼んでみせるしかなかったのだ。
「……何で、思い出したの?」
「きっかけは細々とあった。……始まりは、俺がこの村へ来る事をなぜあんなに早く承諾したか、だ」
自治体のサイトも長く更新してないようなこの村。
怪しいとか思っても普通は『移り住もう』なんて考えない。
爺ちゃんの遺書に、俺に選択を委ねる文言があったけど……強制力が無かったってのも今思うと臭い。
俺に一度選択権をやる事で、この村について自発的に調べ、考えるように仕向けたとしか思えなかった。
もしも強制だったら、爺ちゃんの言う事でもさすがにぶんむくれて、ふてくされてここに来る事になってただろう。
それでも何か疑念は生じただろうが、もう少し遅れてしまうのは間違いない。
「そこで、至ったのは最近だけど……俺はもともと、この村に何か関係していたんじゃないか、って思った。後は、だんだんと違和感を見つけてきて……最終的には、俺、行ったんだ」
「行った? ……どこに?」
「
名前を出すと――――咲耶は、びくりと震えた。
その拍子に竹ぼうきを取り落とし、白砂利の上で音を立てる。
心なしか、咲耶は青ざめていた。
「咲耶?」
「うん、大丈夫。ちょっと……びっくりしちゃった、だけだから」
自分で『大丈夫だ』って言う奴が、本当に大丈夫だった事なんて、ない。
俺ぐらいしか生きていなくても、そんな答えには辿りつける。
落ちた竹ぼうきを拾って渡そうとすると……実際、目の前なのに咲耶は俺が軽く声をかけるまで気付かなかったのだから。
「杏矢くん。……お茶に、しようか」
*****
「……始まりは、ボクが杏矢くんの家で……あの本を見つけた事、だったよね」
一角にある縁台に座り、俺と咲耶はあの時の事を話し始めた。
その間には気泡を閉じ込めたグラスが二つと、麦茶入りのポットが一つ、漆塗りの盆に置かれていた。
もうすっかりと日は高くて、ここから見ると、白砂利のひとつひとつがキラキラと輝いているようだった。
「ボクはあの時、はしゃいでしまったんだ。こんなに不思議なこの村で、それでも聞いたことの無かったお話。なのに……あの本だと、『日本一有名な怪談』って扱われててさ」
多分、あの本は俺の両親が村外から持ち込んできた荷物に紛れていたものだ。
今となっては分からない事だが、そう考えて辻褄を合わせるしかない。
だが、この“花子さん”の言い伝えを知ってから疑問が芽生えていた。
昨日から今朝までではゴチャゴチャと情報過多の脳ミソを処理するのが精いっぱいで、結局柳には訊けなかった事だ。
「なんで……俺達に、子供に、教えていなかったんだ? “花子さん”を呼ぶとこうなる事」
「それはね。子供に“これをやっちゃいけませんよ”って言ったところで誰もきかない。面白がってやるのがふつうさ。だから、“花子さん”の話を、話題すら出さない。そういうテレビもまず見せない。どうしてもとなれば、送電を止めさせて……停電した事にさせちゃえばいいんだから。で、ある程度大きくなって……小五か、中一か、この村の事を理解し、落ち着いてきた頃に“花子さん”の話を、事の顛末も含めて聞かせる。流石に、被害にあって……いなく、なってしまった人たちの名前は出さないけれど」
それだけ一気に言い終えて、咲耶は麦茶を一口飲んだ。
ほとんど口をつけるだけ、のようで――――置いたグラスを見ても、水位はほぼ変わっていない。
「で……あの日、起きた、事だよね?」
咲耶が言葉につまる回数が、多すぎる。
予定にないアドリブを振られた不慣れな役者のような。
――――親に叱られ、反省点と今の気持ちを口にするよう強いられた小さな子供、のような。
「……キョーヤ……くん、のお父さんとお母さんが、いなくなってしまった……あと。ボクは、花子さんに、お願いしたんだ。必死で。……必死で、ね」
「“願い”……? なんて」
ぱくぱくと酸素を求めるように唇を動かし、その次を告げようとする。
嵐のような、心臓を内側から締め付けるような罪悪感と戦って、それでも言葉を紡ごうとするとそんな動きになるのだ。
俺は、黙って……指すら動かさず、視線は向けず、彼女の言葉を待った。
「キョーヤくんのかわりに……ボクを、連れていって」
何か言おうとしても言葉が、出なかった。
その内容に。
そして――――内容と矛盾した、今とに。
「かわり、って……だってお前、今いるじゃないか!」
「うん……。そうだね」
「じゃ、なんで――――」
「――――『でも……お願いします。オトナに、なるまで……待って、ください』」
「え……」
「そして“花子さん”は、訊いた。『オトナになるの、いつ? それまで、このむらから出ていかないで』」
「咲耶? お前……」
「『……じゅうねん。じゅうねん待ってください。じゅうななさい、なったら……』」
あの事件が起きたのは、十年前。
つまり――――――!
「ボクは、今年の夏でいなくなってしまうんだ」
またも吹き抜けた風が、遠い絵馬掛けを揺らし――――ドクロの笑い声のようにけたけたと鳴った。
いや、その風で結んだ絵馬がいくつか緩み、落ちて割れる音がした。
その風は、俺の胸にまで――――大穴を穿って逃げた。
「ボクの誕生日、七月の二十日なんだ。……終業式の日」
だから、それで……柳も、八塩さんも。
この話を知っていたから、夏休みの話などできなかった。
夏休みの予定の話なんて――――できなかった。
「お前、この事……あの二人以外に話したのか?」
「……いや。誰にも言えてないよ。……二人に話したのは、一年前かな。ボクは……お別れのつもりで。それを聞いた柳は、酷く怒った様子で廃校に行ってくれたんだ。ついていった沢子曰く……あんなに怒っていた柳を見た事はなかった。怖かった、って」
「…………結果は?」
「花子さんを呼ぶ儀式、何回もしたんだ。でも、出てこなかった。……『出て来い、出て来やがれ』って……何回も怒鳴ったんだって」
あの柳が……怒る姿は想像できない。
いつも何かを達観して全てを受け入れているような、悟りかけているようなあの男が。
「たぶん、今の目標はボクだけなんだ。ボクを連れて行くまで……花子さんは、誰の呼びかけにも応えない。結果だけ見れば、うまく封じ込められたのかもね」
叩き伏せて解決しようにも、姿を見せようとしないのなら打つ手はない。
いない相手を殴り倒す事など、できない。
そんな感想よりも――――ひたすら、ひたすら胸に走る鈍痛が苦しかった。
息が吸えない。
まさか、彼女が……咲耶が、俺の、“身代わり守り”だったなんて。
俺はどうして、あの時、引きずってでも咲耶を連れて帰らなかった。
なぜあんな安い挑発に乗った。
それは、きっと子供だったからだ。
あまりにもガキだった。
いつも子ども扱いして連れ回す咲耶を、見返してやりたかった。
今思えば――――そんな事でしかなかったのに。
その時……背中に、暖かさを感じた。
上下する手の感触だ。
こんなふうにしてもらったのはいつだったか……もう、覚えていない。
「……だいじょうぶ? キョーヤくん」
何、言ってんだよ。
大丈夫じゃないのは――――お前の方じゃないか。
なのに、なんで……俺の背中をさすって、そんな事を訊けるんだ。
いったい、お前はどんな顔をしているんだ。
俺は――――とても、怖くて見られない。
「な、ぁ。……どうして、黙ってたんだ。どうして、会った時……『初めまして』なんて、言ったんだ。この村であんな事をしでかした俺を、何故みんな暖かく迎えて……くれたんだ」
どのツラを下げて戻ってきた、なんて視線は一度も向けられた事が無い。
みんなが優しくて……居心地はよかった。
背中をさすってくれながら、咲耶はゆっくりと続ける。
「……あの時を知ってる皆で決めたんだ。キョーヤくんを、知らなかった事にして迎えよう。この村にいなかった事にして……新しい仲間として迎えよう、って」
「…………」
「キミのお爺ちゃん。昔の事になるけど……この村に住んでいて、村会役員でもあったんだって。数年前に取り決めがあったらしいけど……ボクは、その時については知らない」
「え……」
爺ちゃんの死んだ数日後に訪れた
思えば――――あの女は、いったい何者なんだ。
だが、そんな何度も抱いた疑問よりもまず先に。
「ボクは……本当は、キミとは話しちゃいけないはずだった。でも、この小さな村ではそうはいかない。だから……何度も何度も、言いきかせられた。キョーヤくんは、あの時の事を何も覚えていない。だから、初対面として接するように。……『初めまして』から始めるように、って」
咲耶は、全てをリセットされた。
全てを封じ込めた俺に合わせるために。
今思えば、再会のときのあの微笑みは……何が、混じっていた?
とてもじゃないが、今は思い出せない、考えたくない。
「そして俺は、夏休みになる前にこの村からいなくなった」
「……うん」
神居村で送るはずだった夏休みは、取り上げられた。
俺も、咲耶も。
あの時で、“夏”は止まってしまったんだ。
そして……咲耶はこの止まってしまった夏ですら、もう送れない。
「……キョーヤくん、だいじょうぶ?」
うるさい。
大丈夫じゃないくせに――――そんな事、訊くな!
「――――キョーヤくん、ありがとう」
言うな。
頼むから……言わないでくれ。
「キミとまた会えて、よかった。すごく……楽しかったよ」
――――その時、だ。
――――ポケットの中に黙って話を聞いていた、“幽霊”が……震えた。
――――そうだ。どうして。
――――どうして、考えつかなかった?
「咲耶。誕生日になる前に一度だけ俺に付き合ってくれ」
「?」
「……お前、行きたい所は」
「え? ……あ、そうだ。村の北側の渓流にね、蛍がいるんだ。そこ、見に――――」
「違う。この村の外で、だ」
咲耶はさすっていた左手を離し……ゆっくりと身体の横におろして、考え込む。
左手にはいつものミサンガが白衣の袖から、覗く。
たぶん、俺の今訊ねた事は――――そのミサンガの、答えだ。
「……うみ。海が……見たい。海……行き、たい」
咲耶の声に……
十年間の願いが――――堰を切ったように。
「ボク、……キミ、と……! う、海……見に、行きたっ……!」
妙な気持ちがする。
隣で、咲耶がこんなにも泣いているのに……清々しい気分だ。
きっと、うまくいく。
咲耶が“願った”のだから……必ず、叶う。
叶えてやらなきゃ、ならない。
「そっか。……じゃ、“花子さん”との約束はキャンセルだな。いや」
咲耶の嗚咽が、しばし止まる。
この村のやり方を、あの伝説に教えてやらなきゃならない。
教えてやれるのは、きっと……当時者の俺と、咲耶だけだ。
「――――踏み倒しにいくぞ。その、約束」
壊れて、止まってしまったあの神居村の夏を、再び巻き直そう。
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