廃校舎ですべきただひとつのこと
*****
伸び放題の草に覆われた廃墟は、もう既に死んでいるように思えた。
同じ木造の古びた校舎であっても、神居高校とはまるで違う。
命を感じない。
何かが営まれている生命力、とでも言えばいいのか……とにかく、それがない。
土に還りかけた死体のような薄気味悪さが、全身を包むのが分かる。
戸が倒れてメチャメチャにガラスが割れた玄関をくぐって、中に入る。
強いカビ臭さにも臭気が鼻を突いて、思わず顔が苦くなる。
「……突然だが、ナナ。お前、十三階段の話ぐらいは知ってるな?」
「はぁ?」
履き替えもせずに玄関を上がる抵抗感をこらえていると、そんな問いが飛んできた。
もとより上履きなどないが、それでも学校へ土足で上がるのは少し妙だ。
だが柳はそれを気にもせずさっさと上がって正面階段へ向かい、俺はそれを追いかけた。
藪の中を歩くための、底がギザギザに尖った登山靴がぎしぎしと床板を踏み慣らし、その後を俺は追う。
「深夜に上がると学校の階段の数は十三段になり、魔界へ繋がる。よく聞くだろ?」
「それが何だよ」
もう、すでにめっきりと聞かなくなった、「学校の七不思議」だ。
付け足すほどのものもなく、どこで聞いてもだいたい同じ。
全国区で常連の、没個性な怪談だ。
「こいつには、トリックがある。……建築物の階段はおよそ十三段前後でひと区切り。人体工学的、設計的にもそれが一番ちょうどいいんだ」
「……慌てて登ったり、その怪談を知っていて数えて登ったりすると……」
「もとから十三段だったとしてもそれを恐がる。二か四だったとしても、慌てれば数え間違える。心理的な落とし穴でしかない」
「まぁ十三段は数えやすいし、分かりやすく不吉なのもあるのか」
話しながら歩く間にも、柳の歩くペースは落ちない。
例えば、学校に忘れ物をして……夕暮れに取りに戻らねばならなくなった時。
教室に続くその階段はもう、薄暗く夕日に染まっている。
踊り場に貼られた鏡は、恐ろしいだろう。
そんな時に限って、思い出してしまうものだ。
魔の十三階段。
廊下に鞠をつく少女。
動く人体模型。
そんな――――ありきたりな学校の怪談を。
「要は、数えなきゃいい。気にしなきゃいい。だが……それで気にせず済むようなモンでもねぇ。ガキどもの怪談は随分と几帳面に出来てやがんだよ」
ぼやく柳はどこか自嘲的で、まるで幼いころ、そうして勝手に怯えた自分をせせら笑っているようにも見えた。
「……そしてガキどもの怪談にはもう一つ、特徴がある。それは……“死”へのイメージの貧弱さだ」
「どういう事だ?」
「学校の七不思議、思い出してみろ。走る人体模型、踊る骨格、動くホルマリン漬けのカエル、音楽室で鳴る“月光”、十三階段。どれも平和なモンだ」
「でも、中には……物騒なのもあるだろ?」
「ああ。血を抜かれて殺される、血まみれにされて殺される、脚を取られる、そんなのがな。……でも、随分とカワイイだろ。どう血を抜かれるんだ? どう血まみれにされるんだ? 脚を取られる、ってどういう風に? “
確かに、そうだ。
学校の怪談には、あまりハッキリとした血生臭さはない。
どちらかといえば、コミカルな部類に入るものが多い。
標本のカエルが動き回ったとして、それが何だ?
無人の音楽室からピアノが聴こえたとしてそれが何だ、見に行かなければいい。
「歩いて疲れたろ。少し座ろうや」
柳は、そう言って、一階にあった手近な教室……の跡を顎で指し示す。
戸などとっくに無くなったそこへ、こいつはほんの少しの躊躇いすらなく踏み入った。
確かに、俺も普段使い慣れない筋肉を使って、太腿が変な引きつり方をしかけているのが分かる。
さっさとここにある何かを突き止めてしまいたいが……疲労は、そうは言ってない。
そうしたほうが賢明だと自分でも感じ、柳について教室に入る。
クラスの表示板は、暗さと経年の劣化で読み取れなかった。
だが……入ると、学年だけは分かった。
何脚かだけ残った机と椅子は、昔のものだけあって……金属部品はなく、木製。
直線だけで構成されたような、ガタガタに尖ったもの。
その低さから見て恐らくは、“一年生”のものだ。
「適当に座れよ、ナナ。もっとも……こんな小せェ椅子、座れねェな。たとえボロくなかったとしてもな」
柳は教室の前方、教壇前の床の上に片膝を立ててどっかりと座る。
利き手側に愛用のスコップを置き、背負ってきていたデイバッグを床に下ろし、中をまさぐりつつ促す。
俺は、なんとなく……壁を背にして、教壇の上に腰を下ろした。
ライトは、消さない。
「いいだろ、そのライト? 何かをブン殴ったぐらいじゃ壊れねェぜ。やんねーぞ」
そう言って、柳はバッグから取り出したマグボトルから水を含むと、ふたを閉じて俺に投げ渡した。
暗闇の中、よそ見しながらだというのに――――おそろしく正確に、俺の懐を目がけて。
ともあれ、ありがたく口をつけると……妙にぬるい水が喉元まで下りてきた。
しかし水分には違いなく、今こんな場所で贅沢を言えるはずもない。
「……何だ、ここは」
一息つくと、違和感の正体が分かった。
ここは、確かに経年で劣化してはいるが――――それでも綺麗すぎる。
長年放置された廃墟というなら、植物の浸食がもっとあってもいいはずだ。
床板が、成長した草木に持ち上げられていてもいいはずだ。
窓から
朽ち果てた内装に反して、外部からの力がまったく加わっていない。
放置されたのは十年程度じゃ効かないハズ……なのに、だ。
「さっきの話の続きだ。死のイメージなんてものは、ガキにはない。だがそれでも、ガキどもは“小学校”で初めて、違う世界を意識する」
こいつは……この異常な空間を何とも思っていないように、続けた。
こんな場所で聞くにはあまりにゾッとしないような内容なのに、俺の心はずいぶんと落ち着いていた。
きっと……柳の、何かに倦んだような口調からくる、安心感かもしれない。
そうでないのなら、あまりにこの村に慣れすぎて、ちょっとやそっとでは驚けない、怖がれなくなってしまったからか。
「……腹を開かれたカエルの標本。白く洗われたガイコツの模型。筋肉と内臓の人体模型。美術室に保管された獣の剥製。音楽室にいくつも飾られた、とっくに死んだ音楽家の
柳の独白はなおも続く。
その全てが、俺と同年代とは思えないほどの真理を突いているように聞こえた。
語っている内容は――――
「
「説教じゃあねェさ。小学校に上がる以前じゃ、身内の葬式なんてそうない。ペットだってそうは死なねェ、たかだか六年だからな、入学までは」
確かに……“小学校”には、命や死の概念があまりに多い。
人間に初めて行われる義務教育の場は、命について考えさせられる事があまりに多いのだ。
今並べたような事だけじゃない。
国語の授業では、様々な話で命を、生き様を、死を学ぶ。
理科では生命の不思議を学び、社会科や歴史の授業では生きて死んだ者達と、その為した功績を学ぶ。
プチトマトの鉢植えを育てて食べたり、どこかの学校ではみんなで育てた豚や鶏を食べる、彼ら曰くの“情操教育”まであるとか聞いた。
図書室に行けば名作の医者もの漫画、戦争の悲惨さをうたった漫画が並んでいる。
そして皆が、そこからトラウマを仕入れるのだ。
「そんな、死と、別世界の存在を匂わされる場がここなのさ。“学校の七不思議”が生まれちまうのも、無理ない。幼稚園も保育園も、親に連れてこられて親と一緒に帰る場所さ。ともすれば、初めて“恐怖”とひとり出会う場所。小学校ってのは特別な空間なのさ」
「話が長いな、柳。お前らしくない」
「……本題はここからさ。……この村で、十年前。あるタブーに触れたガキが二人いた」
その時――――空気が、変わった。
「この村には何でも出る。学校の七不思議はバリエーションも含めて全て網羅する。その中にはひとつだけ、絶対に近づいてはならないものがある」
「……それは、何だ?」
それはきっと――――確信の正体だ。
「今そいつを信じるガキがいるかどうかは知らねェ。だが確かに存在していて、日本中のガキを騒がし、知らないヤツなんかいないはずなんだ。……そいつの、居場所は」
――――ぽろん。
「……チッ、うるせぇな。ハシャいでんじゃねぇぞ、クソが」
上階から、ピアノの音が今確かに聴こえた。
一音だけだが……間違いない。
それきり、何も。
柳の方に目をやると、その後ろに、何かがいた。
よくは見えない。
大まかな人型の何かだが――――闇の中で蠢くそれは判然としない。
ぐねぐねと形を変えるそれは、俺がライトを手に取るよりも前に――――喋った。
「あぎょうさん。さぎょうご。……いかに」
「っ!」
まるで……水中で溺れながら話したような声だった。
そんなものが真後ろから投げかけられたのに、柳は振り向きすらしない。
こいつは――――“あぎょうさん”だ。
学校に出没する問答の怪異、その中でも著名な部類。
俺も、見るのは……初めて。
なのに。
「ナナ。お前に一つだけ教えてやるよ。この手のヤツに共通する解答をな」
溜め息をこれ見よがしに深くついて、腰も上げずに、柳はそいつを背負ったまま呟く。
そして――――振り向かないまま、右の
直撃したそれは恐ろしく鈍い音を響かせて、教室の廃墟を震わせる。
食らった“あぎょうさん”は大きく吹き飛び、教室後方で倒れ、少ししてから消えた。
「“問答無用”だ。構ってほしがるヤツに付き合う必要はねェ。……で、何の話だったかな。ああそうだ、タブーに触れた話だったな」
何事も無かったように柳は続けた。
「……場所は、ここ。神居尋常小学校跡地。ここに迷い込んで、呼んではいけないものを呼んでしまったガキが二人いたんだ」
後ろから立ち上る、“あぎょうさん”の消える青白い発光現象を背負って、なおも続ける。
この村の住民の慣れ具合から比べても――――こいつの態度は異常に思えた。
「不届きなガキの名は、
告げられた――――二つの、名前。
続けて、柳は告げた。
「――――――呼びかけた、この村唯一の禁忌。そいつの名前は」
聞きたくない。
聞きたくない。
聞きたくない。
聞きたくない。
俺は、きっと――――聞いた瞬間に、何かがはじけ飛んでしまう。
グラグラガタガタと噴きこぼれそうなフタの存在を、感じ取ってしまった。
「――――――“トイレの花子さん”だ」
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