現れた都市伝説


*****


「なぁ、咲耶。さっきのアレ、冗談だよな?」


 車もロクに通らない舗装路を歩きながら、問いかけてみる。

 首なしライダーが通る、なんて……冗談にしてもバカらしすぎる。


「……冗談だったら良かったよね。でも本当なんだよ、杏矢くん。この村に今日、首なしライダーが現れるんだ」


 立ち止まり、こちらをきっと見つめた眼差しは、薄暗くなりかけた中で見ても嘘を言っていないのは分かる。

 分かるからこそ……戸惑うしかなかった。


「まだ何も聴こえてないな。首なしライダーなら沢子か柳が倒してくれると思うけど……」

「だから、咲耶。説明してくれって!」

「……それは、どっちの?」

「え?」

「首なしライダーは何か、って? それとも、何故そんなのが出るか、って事?」


 前者の答えなら、聞くまでもない。

 それはありふれた都市伝説で……今となってはもう、信じる者などいない冗談話にまで成り下がっている。

 ある日、深夜にまで走り回る暴走族に業を煮やした近隣住民がワイヤーを張って走行を妨害しようとした。

 だがそのワイヤーは車体ではなく、運転手の首の高さに張られていて――――“そう”なってからもしばらく、首のない持ち主を乗せたまま、しばらくバイクは走ったと。

 よく聞く内容では、これだ。

 だがそんなもの、真面目に語る奴なんていない。

 信じるにも今となってはチープすぎるし、あまりに荒唐無稽だ。

 小学生が盛り上がるのにはちょうどいいのだろうけど、実際そんな話を今語れば、生暖かい眼で見られて終わる。

 なのに――――咲耶は、そう言った。

 話として怪談を信じているふうではない。

 催し物の告知を聞いたように、張り紙されたイベントのように。

 そうあるのが当然で、変更などない、というように……咲耶は今ここまで、俺を連れてきた。


「まぁ、信じられないよね。むしろ杏矢くん。なぜ信じないの?」

「なぜ、って……そんなもん、いるはず無いからに決まってるだろ」

「どうして、いるはず無いって?」

「……バカバカしいからだよ。首なしライダーなんか見た事無いからだ」

「キミが“見た事が無い”から、“存在しない”のかい?」

「もういい、からかうなよ。いいかげんに長い」

「ボクは見た事があるんだよ」


 何だか、こいつ……妙に押しが強いな。

 今日、というか今に限って、この事に関してはどうしても譲らないようだ。

 そうすると咲耶の主張通り、首なしライダーは存在していてこの村にやってくる。

 その暴走を見るのは初めてではない、と。

 ここをまず認めないと……話はきっと、前に進まない。


「どうして……そんなものが、この村に出るんだ」

「それはね――――この村が、神居村だからさ」


 そこで、役場の方角から走ってきたと思しき軽トラが、俺達の横で止まった。

 顔を出したのは、昨日寄り合い所で見かけたおじさんの誰かだったが……名前は思い出せないか、もしくはそもそも聞いてない。

 肩越しに見えた助手席にはバットが置いてあり、荷台には麻縄と有刺鉄線が積まれている。

 畑仕事に行く風でもなく、草野球の練習に行くようにも見えない。

 もしかして――――さっきまで話していたあれを探しているのか?


「おう、りょうちゃん。いたか?」

「いや、まだ見てませんよ。他ではどうでした?」

「いんや、見てねぇってよ。危ねぇからさっさとやりてぇよ。明日っから学校始まんだろうが」

「そうですね。ボク達はともかく……。今回は、どういうタイプでしょうね」

「何だろうなぁ。前回のはアレだったな、アメリカンチョッパーってぇのか? あんなんどうやったら首飛んで死ぬんだよ、なぁ?」


 と、ここで――――俺に話が振られたのだと、気付く。


「はぁ……あの、首なしライダーの話ですか?」

「おー、そうだよ。こないだ出てきたのはデカいのに乗っててよ。ハーレーっつぅの? 腕、こーんなして乗るヤツよ」


 言って、おじさんは運転席で思いっきり両手を上に突き上げてあの特徴的なグリップの高さを真似る。

 ふんぞり返って、腕を頭より高く上げてグリップを握る独特の運転姿勢の。

 街で見かけるたびに、腕が疲れないのかと思わずにはいられなかったあれだ。


「それは……特徴的、すね」

「初めて見たぞあんなの。いい単車乗ってやがったな、あの野郎」


 首なしライダーの種類の話なんか振られても、返せる訳がない。

 そんな事よりも……このおじさんと咲耶の話しぶりが、気になる。

 まるで色めき立つでもなくて、ただ淡々とこの事態を受け入れている。

 寒気がする、という事も無い。

 あまりに馴染みがあるかのようで、不自然さを覚える事すらもできない。


「ともかく、俺はもうちょい外回りすっからよ。気ィつけな、怜ちゃんと……えっと、キョウ……何とかくん」

「杏矢です」

「あ、そうか。悪いなぁ、昨日ベロベロに酔ってたから……それじゃな、お二人さんよ」


 そしておじさんは軽トラの窓も閉めずに、さっさとアクセルを踏んで行ってしまった。


「まぁ、とりあえず杏矢くん。今ボクが何か説明してもさ、飲み込めないだろ?」

「……だと思う」

「とりあえず役場近くまで戻ろうか。実物を見られれば手っ取り早いんだけどね……」



*****


 役場の近く、村の中心部まで戻ってくる間にも何人かの人とすれ違った。

 手に手に武器を取り、ある人はクギの突き出たベニヤ板をトラックの荷台から下ろして、交差点にまで敷き詰めていた。

 もうすっかり日は暮れているのに、妙に人が多い。

 しかし、みんな気乗りがしている風ではない。

 まるで無理やりやらされている残業を、ブチブチと文句をこぼしながらそれでも片付けるような……たぶん、そんな感じだと思う。

 やりたくないのに、やらなきゃ帰れない。

 そんな、感じだった。


「あ、沢子さわこがいる」

「え? あ……本当だ」


 そんなゴタゴタした空気の中に、昨日会った二メートルの同級生、八塩沢子やしお さわこがいた。

 といっても、まだ学校で顔を合わせた事が無いから――――いやそれは咲耶も柳も同じだが、“同級生”という感じは一つもしない。

 彼女は今日も“八塩酒店”の前掛けをつけて、所在なさげにぼうっと立っていた。

 立っているだけでも……やはり、目立つ。


「そういえば杏矢くんは、沢子と会ったの?」

「ああ、昨日。俺がトイレに出た時に。……怖がられたかもしれない」

「怖がるような事したの?」

「いや、何も……」

「沢子は人見知りだからね。慣れるまでちょっとかかるんだよ。おーい、沢子」


 咲耶が呼びかけながら近寄ると、垂れた前髪で相変わらず視線が読めない顔をこちらへ向け、微かに身震いしたのが分かった。


「あ、り、怜ちゃんと、七支……くん」

「大丈夫、噛まないよ杏矢くんは。おとなしくしていればね」

「噛むか!」

「ひっ……!」


 さすがに八塩さんも、本気にはしない……と思いたい。

 表情が見えないから想像するしかない。


「まいっちゃうよね。明日から学校なのにまさかこんなになるなんて。昨日だって村崎のお婆ちゃんが……。二日連続だよ、まったく」

「村崎? ……確か、放送してたよな? あれは……」

「うん。『村崎のお婆ちゃん』で、ピンと来ないかな?」


 村崎の、お婆ちゃん。

 ムラサキの、お婆ちゃん。

 ムラサキの……オバアチャン。

 ――――――まさか。


「紫ババァか!?」

「当たり」


 昨日の放送で流れたのは、まさかのそれだ。

 あれも――――この村でだけ通じる符丁だった?


「駅前のバス亭よりちょっと行った場所で柳が見つけたんだってさ。ナタ持ってたからちょっと手こずったらしいよ」


 じゃあ、もしも俺があの時村へ向かって歩かずにバス亭にいたら……出くわしていた可能性があった?


 想像してしまった。

 俺が待ち合い所で座っていたら……戸口に立つ、ナタを手にした鬼の形相の老婆。

 それが、なぜか……嫌な汗が出てきてしまうほど、鮮明だった。

 見た事などないはずの紫ババァの異形が、ありありと浮かんできたのだ。

 その手に持つものにしたたらせた、殺意も。


「……あの、大丈夫? ですか……? 七支くん」


 少しだけ近くなった距離で、細く消え入りそうな八塩さんの声がした。

 たぶん、俺の顔は青ざめていたんだろう。

 膝から下にも、感覚が無い。

 崩れ落ちていないのが自分で不思議だ。


「ちょっと……クラっとしただけ」

「でも、すごい顔……ですよ? 少し休んだほうが」

「本当に大丈夫だから。ちょっと……事態が……」


 深呼吸を何度も繰り返して、少しずつ気分は落ち着いてくる。

 慌てて息をしたら、たぶん過呼吸を起こしてしまうと思った。

 会わずに済んだのだから、大丈夫。

 大丈夫だから、今ここにいる。

 何度も何度も心の中で反復して、ようやく、声と脚の震えも止まった。


「……それにしてもさ、まだ見つからないなんてね。本当に出るの? 今日」


 通りのあちらこちらで大人たちが顔を突き合わせて相談しているが、まだ何も進展は無い様子だ。

 見れば交差点にはタイヤ破裂を誘う罠が敷き詰められ、警告の看板も出されている。

 ……もしかすると、首なしライダーを生んだワイヤーのエピソードは、この村が出所でどころなんじゃないのか?

 そんな事すら、考えた。


「ボク達は別の場所で張らないか? ここに固まってても仕方ないしさ。分散した方が効率がいい」


 咲耶の提案に、八塩さんが頷いて同意した。


「……なぁ、気になってたんだけど柳はどこにいるんだ」

「柳くんは確か……村の北側にいますよ」

「なるほど、分かった。ボク達はもう少し村の内側を歩いてみる」

「私はもう少しここに残るね、怜ちゃん。様子を見てから追いかけるから」

「分かった。さぁ、行こうか杏矢くん。もう日が暮れかけているし、これ以上時間をかけたくない」

「……よし、行こう」

「もう疑ってないのかい?」

「新入りをかつぐ為にここまでやるなんて思えない。まだ信じきれてはないけどさ」



*****


 図らずも、案内の続きのようになった。

 日が暮れた村内は暗くて、増して今は点いている街灯もまちまちで、見通しの効かない路地が多い。

 改めて歩くと、この村はますます不思議な場所だ。

 タバコ屋にはピンク色の電話がまだあり、ときには茅葺かやぶきの屋根も見る。

 村の男手は出払っているのか、今のところ誰とも出くわさない。


「なぁ。村内見回って……心当たりあるのか?」

「うん、まあね。多くの首なしライダーは舗装道路、それも見通しの良い所に出るんだ。考えてみてよ。キミならどういう場所を走りたい?」

「そりゃ……いい景色で信号も無い場所だ。おかしくないだろ」

「そう。恐らくそういうタイプには、習性として残っているんだ。……だけど、そもそも首なしライダーは暴走族がルーツと言われている。人の迷惑顧みず町中を爆走するのも、決しておかしな話じゃないんだよ」


 確かにそれは、理に適う。

 スポーツタイブやハーレーに乗ってるようなライダーは、信号に捕まるようなトロい走りは嫌うだろう。

 できるだけ信号の無い、好き放題かっ飛ばせる果てなき道を好むに決まってる。

 だが、暴走族は違う。

 ひと昔前は命知らずの特攻隊長バカが交差点のド真ん中に停車して車の流れを止め、それから本隊が延々と信号無視で暴走する。

 次の交差点でもまたそれを繰り返し、一晩中続いたという。

 そして恐らく、首なしライダーはそういう時代に生まれた都市伝説だ。

 だとすれば……咲耶の勘は、当たっている。


「でもまぁ、だいたいの場合は国道に出るんだ。彼らだって、好きで町中を飛ばしていた訳でもないだろう。どうせ走るなら、走りやすい場所へ行くさ」

「……ところでそいつらって……その、“霊”なのか?」


 “習性”というのは妙な表現だと思った。

 そういう道を好むのは、生前の記憶だとかそういう表現が適しているのではないか、と。

 幽霊のようなスピリチュアルな存在に対する言葉ではなく、むしろ、害獣へ対して使うような言葉だ。


「……いや、厳密には違うのかな。バイクは危険な乗り物だけれども……首だけがなくなってしまうような器用な事故が、そう頻繁に起きると思う?」

「だとしたら……」

「そう、か。……彼らは……」


 前を行く咲耶が、顎に手を添えて考え込みながら歩く。

 ――――その時、エンジンをふかす音が、真横の路地から響き渡った。

 それは強烈な破裂音にも似て、鼓膜を著しく震わせ――――いや、空気の振動として肌にも波を打たせた。

 思わず、手が伸び……彼女のカーディガン、その背中を掴んで思い切り引き寄せた。


「うわっ!」

「っぐ……!」


 勢いあまって、通り過ぎたばかりのポストに背中を打ち付け、前からは咲耶の背に押されて、空気が一気に肺から逃げた。

 直後、路地から塊が飛び出してきて――――猛烈なブレーキ音を響かせて、数十メートル先で止まった。

 その時、完全に日が暮れたのを感知した街灯が、明滅を繰り返しながら点灯した。

 照らされたのは、無灯火の国産バイク、前面のカウルを違法改造した族車ぞくしゃ仕様。

 搭乗者は、真っ白い特攻服に身を包んだ、レトロチックな暴走族構成員。

 だが、そこには――――リーゼントにしたり鉢巻を巻いたりするための、重要な器官が乗っていない。


 首が、なかった。




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