歓迎会、2mの同級生女子


*****


 咲耶が先導してくれて、村の寄り合い所を目指して歩く。

 日が落ちてしまうと、もう春の暖気はどこかへ散ってしまった。

 ワイシャツにブレザー、その上にマフラーをきつく巻いても暑くはない。

 先を行く彼女の方はブラウスに厚手のカーディガンのボタンを留めただけで、寒そうにしている素振りはない。


 村の中心地に近くなると、流石に畑ばかりという事はなく道は舗装されているし、隣家まで歩いて三十分みたいな事もない。

 寄り合い所までは徒歩十五分だという。

「近い」と言えるか怪しい距離だけど、電車を降りて歩いた距離を思えば、その言い方で間違ってない。

 この村の移動距離に慣れるためには、とりあえず自転車がいる。

 差し当たっては、学校が始まる前に……なんとか調達したい。


「そうだ、杏矢くん。明日は時間あるかな?」

「俺? ……あるというか、何からやればいいのか分かんないんだ。とりあえず、役所にいくつか届出したりなんだり……」

「……役所?」


 俺は、何も変な事を言わなかったはずだ。

 なのに咲耶の足が止まり、表情が曇り、形の良い眉が寄せられた。



「…………あ、もしかして役場やくばのこと?」

「役場……」

「それならちょうどいいね。明日は村の中を案内するよ。村の人たちの紹介も兼ねてさ。いいかな?」

「いや、そんな……悪い」

「悪くなんてないよ。ボクもまだ春休みで暇だしさ」

「それじゃ、お願いしていいか?」


 申し出をありがたく受けると、咲耶がこっちを向かずに、鼻の奥で軽やかな笑いを漏らしたのが聴こえる。

 彼女は――――何だか、掴みどころが見つからない。

 見つからないのに、彼女と話していると妙に心地いいんだ。

 それはまるで森の中で深く息を吸う時のように、芝生の上で流れる雲を目で追う時のように。

 何も焦る事などないのだ、と言われているようだった。


「……あ、ホラ。見えたよ杏矢くん。あそこ」


 咲耶が後ろ手に組んでいた手をほどいて指さした先、正面の方向に建物が見えた。

 見た目は少し古めの、三角屋根の公民館のようだった。

 玄関の金属製引き戸の横には“神居村寄合所”と書かれた看板がある。

 そして――――玄関先に出されためくり台には、“七支杏哉君歓迎会”と、無駄に豪快な字体で書かれてしまっている。

 “矢”の字は間違っているうえに、十数メートルもまだあるのにプレッシャーが酷い。

 酒瓶を引っ提げて入っていく爺さん方、風呂敷包みの重箱を持って入るおばちゃん方、合間を走り回る子供、玄関先で立ち話に花を咲かせるお婆ちゃん達。

 その活気は、どこか懐かしくて……つい、立ち止まってしまった。

 いつかの集まりがこうだったのかもしれない。

 いつかの見た夢がこうだったのかもしれない。

 鼻から抜ける空気は、辺りから立ち上る冷えた青臭さで香った。


「何してるの、行くよ?」


 咲耶に背を押され、寄り合い所へと近づく。

 一人のおばちゃんが俺の姿を認めると、二人、四人、八人、と、視線が俺に寄せられた。

 戸口近くに行くと、恰幅かっぷくの良い、妙に強く巻いたパーマのおばちゃんが喋りかけてきた。


「あれまぁ、アンタが杏矢君かい?」

「あ、はい。初めまして。俺……」

「そんなん後でいいから! ホラ入った入った、寒かったろ、りょうちゃんも入んな」


 失敗パーマのおばちゃんに言われるがまま、寄り合い所の戸をくぐる。

 玄関からは靴を脱いで上がるようになっていて、入って右側に靴箱が置かれている。

 埋まり方を見ると、三十~四十ほどはもう来ているようだ。

 靴箱に仕舞ってから奥へ進むと、そこはまさしく、宴会場だ。

 広さはおよそ三十~四十畳ほどの座敷で、奥にはちょっとしたステージが見えた。

 入ってすぐの左手は炊事場へ繋がっているようで、食器やグラスを盆に載せて、せわしなく女手が出入りしていた。

 三列に並んだテーブルの上にはグラスや瓶ビール、皿と割り箸が等間隔でまとめて置かれている。

 だけど――――既に開けて飲んでしまっている人たちも、数人ほど散見される。

 そんな人たちが通りがかった中年のおばちゃんに引っぱたかれ、きつく説教もされている。

 更には炊事場の反対側にも、障子がある。

 そこからはジャラジャラと何かを混ぜ合わせる音、妙に熱のこもった声、そして。


「ロン、ダブ東ホンイツドラドラ!」

「おい、カズさんあんたトんだんでね?」

「もう一局だ!」

「もうそろそろ始まっちまうでねぇの。後にすべ。とりあえず払いな、カズさん」


 どうにもヤクザな、麻雀のやり取り。

 こういう場を表現する言葉を一つだけ探すなら。

 ――――カオスだ。



 *****


 話は、あの冬の日、“翠”と名乗る女が現れた日にまで遡る。

 俺はじっくりと、爺ちゃんの遺書を読んだ。

 そして、俺は――――検索ワードを打ち込んだ。

“神居村”の名を。


 確かに引っかかった。

 神居村という名の村は確かにあった。

 だが、それきりで……何一つとして、ない。

 自治体の公式サイトには写真が一枚もなかった。

 古くさい前時代的なWebサイトに文章がつらつらと羅列されているだけで、どういう場所なのか、どういう行事が執り行われているのか、何一つ見えなかったのだ。

 更に調べてみれば、村名と人口、それから面積と所在地。

 それだけしか得られなかった。

 人口はおよそ千百人、世帯数は四百四十程度。

 面積は百四十平方キロメートルほど。

 どんな文化があるのか、名産は何なのか、どういう祭事が行われるのか調べても出てこない。

 人数と世帯を見れば限界集落げんかいしゅうらくに指定されていてもおかしくない。

 何もかもが不明瞭すぎて、警戒心が全然下がらない。

 書類の上にしか存在しない架空の自治体なんじゃないかとも思い、でなければカルト宗教のコミューン、という線まで考えた。

 ただ――――遺書にはハッキリと、神居村へ俺を移住させたい旨が爺ちゃんの字で書かれていた。

 堅苦しい書式でしかも巧すぎて読みづらい字だが、確かに爺ちゃんの字で、だ。


 ただそれは何が何でも絶対に行使されるべきものではない、というのがお手伝いの浮谷さんにも見てもらったうえでの見解だった。

 あくまで爺ちゃんの希望で留まる書き方だったし、最終的な意思決定権は俺にあると。

 それは翠さんもそう言っていたから、信じていいんだと思う。


 翌日は学校に行った。

 ひとまず今は期末試験をクリアして進級する事が最優先。

 これから何をしてどうするとしても、今やるべきはとりあえず、学校に行く事。

 そして浮谷さんに訊いてみても、何も答えは無かった。

 神居村の名を聞いたのは、俺と話した時が初めてだったらしい。


 翌々日、約束通り――――翠さんは訪れた。

 そして、俺はこの村へ行く事にする、と答えた。


 あの口も態度も堅い爺ちゃんの言葉と、何の情報も拾えやしない村の謎が、どうしても気にかかったのだ。



*****


 ――――――そして今、俺はここにいる。


 最初の自己紹介と乾杯を終えてしまうと、もう俺は意識から外れてしまった。

 あちらこちらでビールのグラスを打ち合う音が聴こえて、酔っ払いの歌ががなり立てられ、思い思いの雑談を楽しんでいるようだった。

 注がれた烏龍茶を一口飲み、取り皿の上の唐揚げを一つ口へ運ぶ。

 咲耶は姿を見ない。

 炊事場から何度か出入りするのを見てから、ずっとだ。

 さっきまでは柳もうるさそうに酔っぱらいをかわしていたが、今は……。


「……やっぱりお前、ダシにされたな。この村の酔っ払いどもの」


 俺の左で、注がずに瓶のままの烏龍茶を一口で半分ほど干してそう言った。

 横に一度二度とはいえ話した事のあるこの男がいてくれるのは、少しだけ、このアウェイではありがたかった。

 しかし右側から見ると垂れた髪が邪魔で、表情すらも見えはしない。


「飲む理由を探してばっかりなんだよ、この村のジジィ連中は。見ろよ、あっちのおっかさん方も呆れてんだろ」

「いや、……まぁ、ありがたいよ。注目されるのはあんまり好きじゃなくてさ」

「気が合うな。そういやお前、学校が始まるのはいつか知ってんのか?」

「ああ……明後日だろ?」

「知ってんならいい。……本当、頼むぜナナ」

「は……? 頼む、って何……」

「よう、神奈かんなさんのトコの。楽しんでるかね?」

「ぼちぼちだよ、ヒロトさん。この後、つんだろ? 飲み過ぎじゃねーのか?」

「酔ってねーよ、バカヤロウ。カズさんも燃えてるしよ、今夜は帰らねぇぞ」

「そんなんだからカミさんにブン殴られんじゃねェのか? まぁ、好きにしときゃいいよ」


 不意に対面を通りがかった灰髪のおじさんが、言って去った。

 声からして、さっき麻雀に興じていたメンバーの誰かだというのは分かった。


「……神奈、って?」

「俺だよ。やなぎは下の名前。フルネームは神奈柳かんな やなぎ


 そんなの、分かるわけないだろう。

 柳、とだけ言えばそりゃ苗字と間違えるだろう。


「……トイレ、どこだ?」

「玄関出て、そのまま左側から裏回った離れだ。行きゃ分かる」

「分かった。それじゃ……」


 立ち上がり、玄関を目指した。

 烏龍茶ばかり何杯も飲んだものだから、どうも近くなる。

 適当に選んだ健康サンダルをつっかけて出ると、つい夜の寒さに身震いした。

 ……失敗した、せめて席で脱いだ上着だけでも羽織るんだった。

 舗装地の面積が少ないという事は、昼間の蓄熱がない、という事で……日が落ちれば一気に冷えるのだ。

 これは、場を壊さない程度に早く帰った方がいい。

 そういう流れに誰かが持っていってくれることを期待して、俺は裏のトイレへ回り、ひとまず用を足した。


 そして玄関先へ戻ると、寄り合い所についた時の、パーマのおばさんが壁にもたれて煙草たばこに火をつけた所だった。


「おや、杏矢くん。トイレ行ってたのかい。不便で悪いねぇ、離れにあるだなんてさ」

「ええ……寒い時期はこたえますね」


 と、言ってしまってから俺は気付く。

 このおばさん、前掛けの下は半袖のTシャツ姿だ。

 寒そうな素振りなど欠片も見せず、紫炎を燻らせている。


「んだね。あーもう、さっきから火ぃ使いっぱなしで暑くてねぇ。一服せんとやってらんねわ」

「……あの、おばさん」

「ん」

「俺の、爺ちゃんって……この村と何か繋がりがあったんですか?」

「あーあー、その事? あんね……杏矢くんの爺ちゃん、治彦さんね。この村に……」


 いよいよ、核心を突けるかと思った、その時。


「いんや、それよりも! たった今、沢子さわこちゃんがちょうど着いたのよ!」

「はっ……? ちょっと待って、爺ちゃんの話……」

「そんなんあとで誰かに聞きなって! 沢子ちゃんとアンタ、挨拶しときな!」

「だから、沢子ちゃん、って……誰の事ですか!」


 おばさんは話をごまかした訳でもなく、本当に唐突に話題を変えた。

 恐らくこれは、天然だと思う。

 でも……驚く気になれないのは、こういう見た目のおばさんは、そういう喋りのクセがある、という偏見による。

 チャカチャカと話題をザッピングさせる落ち着きの無さ、だ。


「ほら、ちょうど沢子ちゃん来たわよ」


 そう言われて、おばちゃんのもたれた壁の奥、玄関の戸を見る。


 なんだ、この影は。

 戸を見上げる限りに続いていて、引き戸の擦りガラスのみならず、その上部にある採光用のガラスにまで映っている。

 そこから覗けたのは、真っ黒い髪だ。

 ややあって、カラカラと控えめな音を立てて戸が開き、敷居をまたいで、ぬっ、とその正体が現れた。


 襟付きのシャツに七分丈のデニムを穿いて、“八塩酒店”と書かれた前掛けをした、確実に――――身長が二メートルはある女だ。

 腰まで伸びた黒髪は艶やかで少しの乱れもクセもない。

 加えて前髪も口元を隠すほどに伸びて、顔はほとんど見えなかった。

 身長さえ除けば、彼女の姿は……どうも、デジャヴを掻き立てる。


「お疲れさん、沢子ちゃん! ほら、この子よ、この子! 新入りの七支くん!」


 呼び止められ、こちらを向いた二メートル女が大きく身を震わせ、反対側に後ずさり――――ごずんっ、と大きく鈍い音が響き渡り、寄り合い所ののきが震え、埃が舞い落ちた。


「きゃっ! い、いったい……!」


 軒に頭をぶつけた彼女が上げたのは、意外にも高くて、か細くて……何というか、とても可愛い声だった。

 背丈だけじゃなく、声も高いのか。


「ご、ごめんなさいごめんなさい! 軒、壊れてないかな……?」

「そんなビクビクしてちゃダメよ、沢子ちゃん」


 驚かせてしまったうしろめたさも無いのか、おばさんは“沢子ちゃん”に言って、ケラケラと笑い飛ばす。

 当のこの子は、頭の痛みも忘れて、ぶつけてしまった軒の方を心配しているようだ。

 そんな場所に頭をぶつける事ができる、なんて事は予想外だった。


「あ、あの……初めまして、俺……」

「あ、う……!」

「?」


 進み出て、自己紹介をしようとすると更に彼女は後ずさった。


「沢子ちゃん、初対面に弱いのよ。でもすっごくいい子なのよー。今日だって、家のお手伝いでお酒配達してくれたのよ?」

「い、いえいえそんな……。は、初め……まし、て。わたし、八塩やしお……沢子さわこ、です」

「……七支杏矢ななつか きょうやです。よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いし、みゃっ……そ、それじゃまた! 学校で!」


 噛んだのを誤魔化したのか、それとも……嫌われてしまったのか。

 八塩さんは、脱兎のごとくというのが相応しいように、さっさと駆けていってしまった。


「……あの俺、嫌われましたか?」

「いやいや、そんな事ないわ。沢子ちゃん名前まで言えたんだから、アンタとは仲良うしたいなと思っとるんよ、うん」

「はぁ、そういうもんですか」

「んで、ここ居たら風邪ひくわ。あたしはもう一本吸ってから戻るから、アンタ先に入りや」

「はい、ではお先。ところで……これ、いつまで続くんですかね」

「朝までに決まってるじゃないの」

「えっ!?」

「でもまぁ、安心しぃ。適当に帰すタイミング作っちゃるから。何、おっかさんに怒鳴られちゃこん村のロクデナシも震え上がるわ。もう少し腹にモノ入れとき」


 そう言われて、玄関の戸をくぐって靴を脱ぐ。

 だが――――俺はその時、異様なものを見た。


「ビール……ケース?」


 玄関を開けてすぐ、寄り合い所へ繋がる場所へ、ケース入りの瓶ビールがある。

 だがその数は、三列に分かれて十五箱も積みあがっている。

 その容量は一箱あたり二十本入りだ。

 それ自体は別に珍しいものじゃない。

 だが――――――有り得ない。


 俺が玄関を出て、トイレを済ませて戻るまで三分強。

 その間に運び込まれたのは違いない。

 だが、扉を行き来したのは八塩さんだけだし、台車も何も彼女は持っていなかったし車も無い。

 一箱当たり三十キロ近いビールケース、それを十五箱、三分の間に玄関へ入れた。


 そんな事が――――できるはずなんて、ない。





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