the brown bomber

1938年6月22日 アメリカ合衆国ニューヨーク州ヤンキースタジアム


俺の相手はシュメリングだった。

どうやら今回は、いつもとは勝手が違うらしい。

馬鹿な観客共は、第二次世界対戦前哨戦なんて勝手に騒いでいやがる。

この国の人間は糞そのものだ。

散々俺を罵倒しやがった。

俺が初めてタイトルホルダーになった時もそうだ。

奴らの罵りの声は止む所か更にでかくなった。

インチキだ、八百長だ、黒人は野蛮で汚い。

黒人をボクシングから引き離せ。

言いたい放題だったのが今はシュメリングをぶちのめせだと?

「ナチス・ドイツに爆撃を!」だと?

この国の糞どもは、本当に都合が良すぎるぜ。

ルーズベルトの糞も調子のいい野郎だ。

ホワイトハウスに黒人の俺を呼び出したあいつは、

「ナチスドイツに勝つには!ヒットラーに勝つには!君の筋肉が必要なんだ!!」

と来やがった。


ヤツの動きは全てが大げさで、俺にも周りの報道陣にもベラベラとうるさかった。

ゲットー育ちの俺にとっては表情の全てが欺瞞に満ちていて、胡散臭かったのを覚えてるぜ。

ヤツのくだらねぇ演説じみた糞トークのせいで、いつものタイトルマッチが只の殴り合いって理由にはいかなくなっちまった。

世間が興奮しきっちまったからだ。

こいつの宣伝の上手さときたら、ドイツのヒトラーさんとやらにも引けをとらないんじゃねぇかと思うぜ。

しかしルーズベルト、俺は合衆国の頭がこんな俗物だとは考えたこともなかったよ。


俺にはアメリカもドイツも関係なかったし、興味もなかった。

俺の考えはこうだ。

戦争でも、休戦でも勝手にしてくれ。

世界が豊かになろうが貧乏になろうが、場所を問わず俺たちぁ奴隷のままだ。


だが、国同士のゴタゴタは知らんがシュメリングの野郎だけは許せねぇ。

ヤツは唯一、ブラウン・ボマーの俺をナックアウトしやがった。

そのせいで世界は勘違いしやがった。

シュメリングの野郎が人類最強だと。

この現実だけは許せねえ。


許す訳にはいかねえから、俺は今日、ヤツを叩きのめす。


アメリカが俺を利用するように、俺もアメリカを、世界を利用してやるぜ。

糞どもは今日、俺がこの惑星で最強の男だと思い出すんだ。


俺は二年前の1936年、ヤツにやられた。


12回で意識を刈り取られた俺は控室に運ばれた。

黒人だった俺には病院なんて白人様たちの行く、上等な場所には近寄らせても貰えなかった。

ヘビー級チャンピオンだった、この俺でもだ!


目を覚ました俺は、自分が負けたことを理解するのにたいして時間がかからなかった。

起きた場所が出ていったはずの控室で、観客共の野次が聞こえなかったからだ。

控室には俺の取り巻きと、年老いたニガーの清掃員がいた。


年寄りの掃除屋は磨くには既に手遅れなほどに汚いフロアを、これまたドブのような匂いを放つモップで掃いていた。

俺は取り巻き共の強張り切った面が妙に面白く思えて、吹き出しちまった。

たぶん奴らは、まさか俺を素手で殴り倒せる人間がこの世に存在するなんて、夢にも思わなかったんだろうよ。

こいつらの面が引きつりきってるもんだから、思わず俺は尋ねちまった。

糞のプロモーターはドイツから宇宙人を連れてきやがった!

俺は人間以外と戦うとは聞いてなかったぜ!

畜生!嵌められた!ってな。


俺があまりにケタケタ笑いながら、くだらねえ事をいうもんだから、どいつもこいつも俺が気が触れたんじゃないかと思ってオロオロしてやがった。

これがまた笑わせやがるんだ。


モップのジジイも流石に異常を感じ取ったらしく、掃く手を止めて俺をボケっと見てた。

俺はこれ以上笑えないってとこまで笑うと、遂に自分が最強の座から引きずり降ろされた事の実感が湧いた。

気づいたら、勝手に笑いはやんでいた。

うるさいと思っていた控室は、どうやら俺の笑い声だけが反響していただけらしく、いきなり静かになった。


俺の笑いが止むと、ジジイはまたモップを動かしはじめた。


俺は最強のジョー・ルイスを倒したシュメリングの事を考えた。

頭ん中には、悔しさも、ましてや憎しもなかった。

むしろ俺はやつも不幸な事に、最強の運命の元に産まれちまったんだろうと同情していた。

恐らくガキの頃から触れるもの全てが脆く、周りの人間は弱すぎて常に取扱い注意だったろう。


最強も、楽じゃない。

俺は自分から絡むことはなかったが、難癖つけられた時は大抵、最悪だった。

チンピラの数が少なかったら手加減もできる。

だが連中が10人以上いて、どいつもこいつも懐にキラつかせてるもんを持っていたら、俺も手加減は出来ねぇ。

叩きのめしちまうしかないだろうよ。

そんな時、あいつらは犬の糞のように弱すぎたから、俺はいつも世間でいう過剰防衛ってやつになるんだ。

罰が悪かったのは、俺が黒人だったってことだ。

糞どもをしばき回したあと、ムショに連れて行かれた俺は白人警官共にこっぴどくやられた。

今でも生きてるのが不思議なくらいに。


そんな不死身で強すぎる俺をシュメリングは殴り倒し、ドイツに帰って行きやがった。

俺の住むアメリカには、そんなヤツいなかったのによ。


ドイツに勝ったブラウン・ボンバーの俺も、歳には勝てないらしい。


66になった俺は今じゃホテルのロビーで成金共に、「ヘイ!ジョー!アリと戦ったらどうだ?勝てるか?」と調子づかれ、「当たり前だろう!俺は褐色の爆撃機だぜ!」と返す日々。


稼いだ金の全てが恐慌で飛んだ俺が、こんな糞みてえなカジノのホテルの賃金でも、街のニガーらしからぬ生活が出来ているのはシュメリングがいたからだ。

俺の破産をどこからか聞きつけたヤツは使いをよこし、俺に金をよこした。

今となっちゃあ、何故ヤツが俺に金をよこしたのかはわからない。

鉄仮面だったヤツも、俺がやつを見るように、同じ超人である俺を見ていたのだろうか。

孤独なヤツは、俺に何かを感じたのだろうか。

まあ、ヤツが死んじまった今、そんな事は考えるだけ無駄ってもんだが。


当時、復讐に燃える俺に1ラウンドで3度も殴り倒され、ナックアウトされたヤツは、俺をやったときのようにそそくさと帰って行った。

勝っても負けても、常にぶれないやつだった。


俺とあいつは肌の色は違ったが、互いに課された運命は一緒だった。

一戦目、あいつは只、仕事の為に海をわたってきて俺と殴りあった。

それは俺も同じだった。

だが二戦目、ヤツはドイツの命運を委ねられ、空を渡ってきて俺と殴り合った。


二回目のヤツは弱かった。


当時の俺にとってあの時のシュメリングは弱過ぎた。

まるで街で10、20歳のガキに集られている男のように貧弱だった。

超人じゃなくなっていたヤツは、復讐に燃える超人の俺に、文字通り公開処刑にされた。


肉体的にも精神的にも強かったヤツは、すっかり牙を抜かれちまっていた。

別人になっちまい、キャンバスに転がるヤツを見ながら俺は、白い肌も楽じゃねえんだなと思った。

それと同時に、強すぎたこの男をここまで弱くした社会にゾッとした。

俺の中で恐怖が過ぎ去ると、それは不愉快になり、怒りに変わって、憤怒になった。


俺は金を持ってきた使いにシュメリングの近況を聞いた。

使いがいうにはヤツは引退後、清涼飲料水の事業を起こして一儲けしたらしい。

事業が成功した事で経済的には豊かになったが、俺に負けたことに関する右翼からの非難は死ぬまで続いたという。


俺に負けたシュメリング。

あの時代だ。

帰国したヤツの待遇は容易に予想できた。

母国の非難は、想像を絶するものだっただろう。

俺たちは生まれる時代を間違えちまった。

俺もシュメリングも、時代が悪かった。


強すぎた俺たちは社会に煽られるがまま、

引っ張り出され、殴り合わされた。

俺たちの人生は常に、糞どもの都合の中にあった。


今、老いた俺は糞みたいなこの国で、糞のような死を遂げようとしている。


The Brown Bomber。


褐色の爆撃機。


俺は死ぬが、俺の屈辱は怒りとして、ここアメリカに置いていく。


いつの日かこの俺を継ぐに値する新たなるボマーが現れた時、この憤怒の全てをそいつに注ぐ為に。

そして、俺は爆撃する、この世の全てを。


約束するぜ、マックス。


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進化は必要の中に tom @lima128

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