三菱 一
彼のパフォーマンスを見ているのは辛い。
戦い方を知らなかった頃の私を思い出させるから。
彼の距離のコントロールはグチャグチャで、立ち位置が何を意味するか理解していない。
ガードも常に下がっていて、前手の使い方も下手くそ。
当たるはずのない距離、タイミングで時折繰り出すパンチは腰が入ってなく、重さを持ち合わせていない。
要するに、自分のウエイトのシフトが下手で体重が乗っていないのだ。
つまりは、エネルギー効率が極端に悪い。
「まずはジャブからといっている、考えなくて良いから左から出せ!!」
見かねた私は再度、声を張ってしまった。
「あいっ」
相手に詰められマウスピースを半分口から吐き、後ずさりしながらトムは声を返した。
それはもはや言葉と言える代物ではなかったが。
「お前は口を利くな」
私は冷たく返す。
ファイトの最中、トレーナーの指示に声で返すなど以ての外だからだ。
一ラウンドの終わりを告げる電子音がなり、トムはコーナーに帰ってきた。
鼻からポタポタと血が流れていた。
息はあがりきっていて、早まった心臓の鼓動が私にまで響いてきそうだ。
無理もない、畑が違いすぎる。
スプリントとボクシング、何のつながりもない。
私はコーナーに戻ってきたトムの口に人差し指と親指を突っ込み、無遠慮にマウスピースを引っこ抜いた。
トムの呼吸は幾分か楽になり、目は若干だが体力回復の兆候を見せた。
素人にとって、マウスピースをつけて動くということは想像以上に辛いものなのだ。
続いて私はヘッドギアも同じように、無感情に外した。
体温が上がり紅潮したトムの顔面は汗と鼻血と荒い呼吸とで、太古の原人を思わせた。
私はリングロープを緩めてやり、トムをリングから開放した。
トムは滑り込むようにリング外へと転げた。
そして両手を大にして仰向けになり、目を瞑り無心で呼吸と心臓を落ち着かせようと努めていた。
「どうだった?」
私はたずねた。
だが、どうだったも糞もない、トムは三分間サンドバックにされただけだっだ。
「リカさん、何も出来ない。俺は言われたことやろうとしたけど、何もできなかった」
心拍数も下がってきたトムが、つい先程起こった三分間の出来事を簡潔にまとめた。
トムの言っていることは支局当たり前のこと、ボクシングとはそういうものなのだ。
初めから自由に動けるようなスポーツではない。
トムは代々木でのプレワークアウトで醜態を晒した。
2ヶ月前の5・27、他選手が国や企業の威信をかけてトレーニングに励む中、
彼だけは違った。
元々、トムが既に終わっている選手と言う事実は、スポーツに疎い一般人の間でも周知の事実であった。
無論、そのようなトムに対して投資していたスポンサー企業は、彼の消費期限が等に過ぎていることなど百も承知であった。
だが、日本重機はトムとのスポンサー契約解除に踏み出せずにいた。
トムとの関係をスムーズに終わらせる為には、世間への何かしらのプロパガンダ的アプローチが必要だった。
皮肉なことに、日本重機が誇る当時の驚異的な技術革新はその後の日本重機を社会の期待でがんじがらめにした。自社が開発したハードウェアは他企業の追随を許さなかった。
商品の被験者であっただけの、何一つ特別なものを持っていなかったトムに対し、強力な力を与えてしまった。
一介の試験的存在であったトムは、数年前の世界陸上100mで世界のトップどころに食いついた。
国民は日本重機製のテクノロジーをまとった凡夫なトムが、世界に噛み付く姿に熱狂した。
トムの姿は国民に、昨今の列島が抱えるマイノリティがもたらす、大陸へのコンプレックスからの開放を期待させた。
小さな島の、敗戦国である我々にもまだ、未来は存在する可能性を破棄していないのではないかと。
日本の西には一昔前より領土を拡大し、更なる超大国になろうとするアジア最大の国家、中華人民共和国を主体とする共栄圏が創られようとしていた。
それは遠くない昔に、日本が欧米列強への打開策として掲げていた、大東亜共栄圏の構想に似ていた。
実際に今起こっているそれもまた、遥か東の、もう一つの超大国、アメリカ合衆国との覇権争いの軋轢により生じた思想だった。
そのような政治的にも、地理的にも板挟みである日本にはアメリカ軍の基地が多く造られていて、さながら前哨基地の様相を呈していた。
今の日本は、国防面は愚かそれに伴う訪日外国人に経済面も侵されていて、
供給過多の訪日外国人は、今では日本の総人口の約半数にも膨らんでいた。
彼らは元々少数派だったが、その分結束力は強く、コミュニティに不都合が生じると無作為にえらんだ少数の日本国民を糾弾した。
日本企業は外国人依存の経済や癒着、人種、思想の違いによる理不尽な不買い運動などに苦しんでいた。
経済面における理不尽な妨害がはびこっていたのだ。
日本重機も、例に漏れずそんな理不尽な妨害の被害を受けた企業だった。
事件のきっかけは世界パラリン陸上の男子100m決勝だった。
トムがアメリカ資本主義を代表するテスラモーターズのハードにOSグーグルフラッシュ4.2スニッカーズを搭載したアメリカ人(元はジャマイカ系移民だが)ボーネックスに肉薄した時だった。
体格や歩幅、ボーネックスに明白に劣るトムの異常なパフォーマンスをアメリカは国を挙げて疑った。
良識のある人々や少数の識者を覗いて、大半のアメリカ国民もそれに続いた。
噂のレベルは大小様々で、日本重機製の義足は核エネルギーを使っていて、あいつが走り回る度に待機中に放射能をばらまいて居るんだというものから、彼は人の心臓を動力の源にしている(こういうたぐいのものは体外が経済的に乏しい国や、第三世界が大半であった)等の眉唾な代物まであった。
日本重機への不信感は世界レベルに広がり、株価の下落はこれ以上許されるものではなくなっていた。
日本企業への信頼の低下は日本国そのものにもダメージを与えた。
列強諸国は日本重機に対する技術情報の提供、開示の圧力を更に強めた。
それに伴う国内世論の要求に抗うことは出来ず、日本重機はやむなくテクノロジー情報の開示を受け入れることとなった。
その結果、技術は気密性を失い世界に流布することになる。
そして、技術は世界にシンギュラリティをもたらした。
この世界には基本となる電磁気力、重力、弱い力、強い力が存在する。
日本重機はこの中の一つ、電磁気力を操る技術を開発した。
この時初めて人類は4つの力の内の一つを獲得した。
電磁気力は今までの電力のみを主体とするエネルギーの変換効率を大幅に上回り、当時主流だった技術を過去の産物に追いやった。
新技術をこぞって取り入れ、人は文明を一つ昇華させる事に成功した。
日本人の誇りだった技術は無情にも犯されてしまったが、凡夫なトムがテスラ・グーグル率いるボーネックスを相手にみせた日本企業の底力を国民は忘れることが出来なかった。
例え技術が独裁的なものでなくなったとしても、トムが肉体的にもテクノロジーとの適合性でも他のアスリートに劣っていたとしても。
日本重機率いる小さなスプリンター、トムは己が自国で肩身の狭い思いをする、日本国民に取っての希望のアイコンだった。
日本重機にとって、この大きな希望を背負う「不良債権」を無情に切る事は、企業イメージ的にポジティブなことではなかった。
トムとのスポンサー契約を解除するということは、今現在の何も生み出さない債権の経費より更に支出を食うことになるのだ。
だが事態は日本重機に好転反応をみせた。
トムが肉体的にだけでなく、精神的にも凡夫だったおかげで。
ブランドの維持と実益に頭を抱えていた日本重機取締役、「三菱 一」はこの契機を逃すような男ではない。
一代で日本一の時価総額を有する組織を作るということは、生半可なものではない。
三菱が歩いてきた道は、全てが明瞭に説明できるような事象ばかりではなかった。
三菱自身、何故今の地位を維持していられるか解せぬ部分が多くあった。
この男の人生の系譜は余りに波乱と軌跡が混ざり合っていた。
この男は生業とする科学とは対極に位置する、非科学的なスピリチュアルな五十年を生きていた。
三菱は世論の猛烈なバッシングに対して、都内にある自社ビルで記者会見を開き、代表自ら深々と陳謝した。
弱気者ならばその場で卒倒したであろう、殺伐とした雰囲気と焚かれるフラッシュの数々。
メディアたちの創る空間の全てが、三菱の一挙手一投足に非難の理由を見言い出そうとしていて、まるで生肉に飢えたハイエナの様だった。
だが、孤高の百獣の王である三菱は例え満身創痍でも、腹を空かせたハイエナの群れにとっては油断のならぬ相手であった。
三菱は生存の為の選択を見誤らなかった。
長い時間垂れていた頭をあげ、トムに変わり三菱はメディアを通して国民に詫た。
三菱の過度すぎず、良い塩梅を保った謝罪会見は彼の株、更には日本重機の株価も回復させ、上昇させた。
三菱は魅了したのだった。
日本一に上り詰める道程で、数多の人間にそうしたように。
数あるメディアを通して世界を虜にした。
まず大小や媒体を問わず、そのメディアの編集者達が魅了されていた。
テレビやネットメディア、youtuberやブロガー等の情報発信者は三菱に宗教信者のごとく盲信した。
以来、彼らは日々発信を続けた。
彼はスティーブ・ジョブズの再来だ!
三菱 一は日本のロックフェラーかロスチャイルドに成るだろう!
彼なら、テスラ・モーターズに変わって人類を火星に連れていける!
このような言葉がメディアから常時世間に垂れ流され、大衆も新しい信者と化していった。
三菱はやってのけた。
人生で幾度となく降り注いだ危機。
それ等の時と同じように、冷静に処置をした。
生まれながらの、恐らくは天性のカリスマ性と強運を持ってして。
そして手土産に、トムとのスポンサー契約の解消を日本重機に持ち帰った。
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