一章・1


 あまりにも暇を持て余してフローリングであみだくじなんかしていると、ふとここ最近日付を確認していないことを思い出した。リビングにある傷だらけの柱に留めてあった新品のカレンダーを最後に見たのは確か七月の終わりだった気がするが、それからどれくらい経過したか腹時計で測るなんて器用な真似俺にはできない。


 携帯で確認しようにも俺の愛用機は夏休み入りにとある馬鹿に破壊されてしまい現在絶賛修理中である。つまり、ここから身体を動かさずに今日が一体何月何日なのかを知る手段として残されているのはあとテレビ位なのだが、リモコンをたぐり寄せてスイッチを押してみると、


 「・・・」


 ここ一週間ほどエロ小説に現を抜かしろくに電源を付けていないことにお怒りなのか、そもそもこのテレビに感情があったことの方が驚きだが、特に応答はない。普通に電池切れか、そう思って電池ボックスの中の単四電池を回したりガチャガチャやったりしてから再びスイッチを押す。


 「・・・」


 ダメだ。こうすれば電池が最後の力を振り絞って働いてくれるとか聞いたものだから、電池までブラックな労働を強いられる世の中を憂鬱に思ったものだが、どうやらそれは間違いだったようなので後腐れなく役目を全うした単四電池も浮かばれるというものだった。


 もはやただの黒い箱と化したリモコンを放り投げ、最終手段を講ずるべく重い腰をあげると、全身に鈍痛が走った。元からあまり運動しないところに休みが来てさらに体が固まり、少し動いただけでも体中の関節が悲鳴で合唱会を始めるのだ。まるで全身の骨がさび付いてしまったように動かない。それでもかろうじて立ち上がることはできたので、鉛のような体を引きずってのろのろと移動を始める。


 去年、親戚一同で開いた忘年会で隠し芸としてやった見様見真似のロボットダンス、あれ今の感じでやったらかなりうまくいくと思う。親父が俺に隠し芸大会のことを伝え忘れて、仕方なく当日即興でやったにしては成功した方だったが、従兄弟達がアカペラ合唱、おじが大道芸、妹が舞子の猿真似なんかを準備万端で披露しているところにぶっつけ本番タンクトップとトランクス一丁で乗り込むのは無理があった。


 幸い酒の入った年寄りどもには目に映るものすべてが滑稽に映るらしく、爆笑の内に俺への辱めは終了したのだが・・・それにしても妹はなぜ事前に事態を把握していたにも関わらず俺に教えてくれなかったのか。一般的な兄妹がどうなのかは知らないが少なくとも俺たちは友好同盟を結んでいたはずだ。俺が当時聖夜の孤独を噛み締めている間自分だけ洒落た着物を着てひらひら舞子さんの真似事なぞに没頭していたのだろうか。ひどい話だ。


 廊下とリビングをつなぐ扉を開けると、リビングの二階と吹き抜けになった空間に爽やかな日差しが降り注いでいる。天井にはめられた小窓からは群青色の空が顔をのぞかせ、いかにも夏らしい様相だ。


 ほとんど引きこもりの生活を送る俺も、こう季節感のある風景を見せられてしまうとらしくもなく外へ遊びに行きたくなってしまう。そういって実際に外出したことは一度としてないところが引きこもりの引きこもりたるゆえんでもあるのだが、とにかく季節というのはどうやら人の心を動かす魔力を持っているらしく、それを利用した精神病治療も研究されているとかいう話で、未来の俺のために一刻も早い開発が望まれているのである。


 お行儀よく椅子に座り、優雅にその長い黒髪を透きながら朝の二ュースに悪態をついていた妹が俺を発見する。


 「・・・おはよう。相変わらず死にかけてるわね」

 「ああ・・・そろそろ心身ともに昇天しそうだよ」


 いつもなら開幕挑発でもかましてやるのだが、今日はちょっと面倒なのでやめた。


 「あんたいつも部屋にこもって何してるの?」

 「・・・言いたくない」

 「どうせくだらない暇つぶしでしょ」


 元はと言えばこいつが俺の携帯を破壊したからいじるもんが無くなった訳で、俺が退屈に耐えかねてフローリングであみだくじをしなくてはならないほど追い詰められたのも全部こいつの責任なのだ。修理代は払うらしいが、だからと言って俺の愛用機の無念が消えるわけではない。いつか必ず敵は取るつもりだ。


 「・・・そうだ、私今から遊びに行ってくるので。留守番お願いします」

 「それはまた急だな。言われなくても家には居るが・・・こんなクソ暑い中何処に行こうってんだ」

 「クソ暑い中行くとこなんてプールしかないでしょ?」

 「一人で?」

 「まさか、そんなわけない。・・・友達と、よ」

 「・・・」


 ・・・果たして妹に一緒に遊びに行けるような友達がいただろうか。

 まあこいつは兄の俺からしても誇らしいくらいに、頭の出来はいいんだが・・・人付き合いとなるとどうも、言ってしまえば超がつくほど奥手である。最近も懇意にしている人がいるとかいう噂は全く聞かないし、そんな妹が誰かと遊びに行くというのは何ともあやしい話である・・・が。


 「へ・・・へぇー、いいんじゃないか。楽しんで来いよ」


 俺にはこいつの気持ちが痛いほど分かる。

 そう、この兄あっての妹なのである。友達を作れない苦しみも、見栄を張って友達と遊んでくると言ってしまう虚栄心も、その後の後悔も・・・全部経験済みである。ならば兄として、ここは妹の嘘を掘り返さず聞かなかったことにしてやるのが、真の愛情というものだ。


 とにかく、気を遣ってるのがバレないようにうまく軌道修正しよう。


 「やっぱり夏になったら一度は冷たい水を浴びたいもんな」

 「うん」

 「俺も行きたいけど、今年は冷水シャワーで我慢するよ」

 「うん」

 「どこのプールに行くんだ?少し狭いけどやっぱり近場の――」

 「疑ってるでしょ。私に友達なんかいる訳ないって」


 あーあ、バレバレだよ。

 やめてくれ頼むから、兄の気遣いを無駄にしないでくれ。


 「・・・疑うんなら、連れてきてあげる」


 ・・・何だって?


 「いつがいい?一度あんたにも会って欲しかったのよ」

 「ちょっと待て、なんでそうなる。俺とお前の友達が会って何になるんだ。そもそも、俺は別に疑ってなんか」

 「そういうのいいから。私はあんたとは違うって、証明したいだけ。いいでしょ?あんたがはいって言わなくても勝手に連れてくるから。絶対に会ってもらうから」


 ここまで妹が必死になって詰め寄ってきたことなんて今まで無かった。俺が記憶する中で妹が一番必死だったのは俺が勝手に妹の部屋に入ろうとしたときだった(無論原因は妹にある。俺のお気に入りのボールペンを借りたまま一向に返さなかったことへの強硬手段だった)が、その際に吐かれた罵詈雑言も今の妹の前ではかすんでしまう。


 それしても今の言いようだと、友達ができたというのが俺に見栄を張るための嘘だったという説は完全に崩れ去る。


 「・・・わかったよ」


 こいつに友達?ありえない。

 そう思いながらも、俺はうなずいた。実際に連れてくるとなればその存在は疑いようもないし、本来妹に初めての友達ができたというのは喜ぶべきことなのだ。それが高1の夏でしかも突然だというのが引っかかるだけあって、こいつを疑うのは筋が違う。


 「いつでも連れてこい。ただ、いつ来るか事前に俺に言っとけよ」


 こっちにも心の準備がある。


 「はいはい・・・じゃあ、行ってくる」


 机に置いてあるバッグを取り、こちらを見ないまま玄関に向かう妹に行ってらっしゃいと言いかけて、俺が今日苦労して起きてきた目的を思い出した。


 「そうだ、ちなみに、今日って――」

 「そういえばあんた、課題は終わらせたの?」

 「――いや、全く」

 「はあ・・・知ってた。夏休み最終日くらい、ゆっくり過ごしたかったんだけどな。帰ってきたら手伝ってあげるから、やれるとこまでやっときなさい。いいわね」


 固まった俺を無視して、妹が出ていく。


 今日が最終日?


 本当にそうなら、俺の夏休みは一体どこへ行ってしまったんだ?


 惰眠を貪り、エロ小説に心と体を動かし、フローリングと見つめ合ったあの日々が、俺の夏休みだったのか?


 ああ神様、と思わず声が漏れる。分かってる、自業自得なのは。ただ、懺悔することくらい許してくれ。俺の人生の中でここまで充実してなかった夏休みは記憶に無いのだ。何というか、もう後悔と自責の念でいっぱいになったまま、自室に高く積まれた課題の処理に取り掛かった。

 

 結局課題は妹が手伝ってくれても終わらなかったし、徹夜でさらに死にそうになったが、一応今のところ皆勤であるからして、翌日の俺の登校はつつがなく行われたのである。

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