気づけ。私。

小鳥遊時宿

第1話

野坂産婦人科にて

一人の三十代半ばの男性が慌ただしく産婦人科病院にかけつけた。

彼は駆け走って受付窓口まで行く。

「田中大介です。うちの嫁は大丈夫なんですか!?」

「そっそんなに窓口を叩かないでください!」

「あ、ごめんなさい!で、紀子は!?」

「田中様ですね、お待ちしておりました。一応本人確認をさせていただきます」

大介はサッと運転免許証を出した。

「はい。本人確認がすみました。二階の七号室に奥様がおりますのであちらの階段からお向かいください」

「あ、ありがとうございます」

大介は思いっきり走って紀子の部屋へ向かった。

部屋の前まで行くと気持ちを落ち着かせるため、大介は深呼吸をした。

「はぁ、これから父になるんだなぁ……顔ビシッと決めて母になる紀子に最高の笑顔で安心させよう」

大介は病室の扉横に設置された鏡で自分の顔を何度も確認した。

笑顔を確認していると誰かが大介の肩を叩く。とっさに振り向くとそこには紀子がいた。

「え?あっ!紀子……こんなとこにいて大丈夫なのか?」

目を見開いて驚く大介に紀子は笑顔を向ける。

「バカね。ただトイレに行ってただけよ。でも大ちゃんほんっとにいい人だね〜。

何回も鏡と笑顔で向き合ってたから、なかなか話しかけれなかったのよ」

「見てたのか…恥ずかしい……」

「でも、とてもあなたの笑顔で安心できたわ。さっ部屋に入ってちょうだい」

「じゃっじゃあ開けるね……」


大介が部屋に入ると、まばゆい光が彼の目に射した。

それも目を開けられないほどだった。

数秒して目を開くと辺りが暗くなった。

病室の奥から医者が大介に近づいてきた。

「大介さん……奥様と貴方のご要望通りの結果となりました」

「え?どういう事だ?紀子……」

大介は後ろを振り返ったが先程までいた紀子の姿はなかった。

「あの、紀子の出産はいつですか?」

「大介さん、よく聞いてください。大介さんの娘さんは今安静にしていれば今後状態が良くなります。しかし、奥様の方は娘さんを産むだけで精一杯でしたのでお亡くなりになりました。悔しい気持ちはわかりますが、この二択は避けられないんです 」

「ちょっと……混乱するだけで話がわからないんですけど……」

そう言って紀子が眠るベッドまでゆっくりと歩み寄った。

「紀子、大丈夫……だよな?返事してくれよ。眠ってるだけだよな?」

「大介さん、誠に我々も悔しい気持ちでいっぱいです……」

「い、いや。さっきまで……話したのに」

「もともと奥様にはお産関係の持病がございました。それにより奥様の体に問題が生じ、奥様かお子さんを選ぶ立場になってしまったんです……」

「……え?ドッキリとかなんかだろ?おい……不謹慎だぞこんなの……」

大介は泣き崩れ、声をあげる 。

「紀子ぉ…………」


「……パパ、泣いてるの?痛いとこある?」

ハッと目が覚めた。

思い出したくない夢だったなぁ。

そういえばあれから五年。目の前の麻耶はもう五歳だ。

麻耶は布団で大介の涙を拭いた。

「これで大丈夫!」

「起こしてごめんね」

そして大介は微笑み、麻耶に話しかける。

「ねぇ、麻耶。麻耶が産まれる前にママが何回も言ってたことがあるんだ」

「なーに?」

「ちょっとドジだけど思いやりのあるあなたと、おっとりな性格で静か〜な私。こんな私たちの子供の未来が楽しみ……だね。って」

「へぇー。とっても嬉しい!」


未だ麻耶には紀子はもうこの世にいないとは伝えていない。いずれ母の死を知ることになるだろうが、その時は今ではない。まだ早いと、大介は考えていた。

「よしっパパはもう泣かないから寝なさい」

「はーい。おやすみ」

「おやすみ……」


それから八年経ち、大介は母の死について麻耶に伝えたが、

「十歳くらいの時に古いパパのメモ帳みちゃったから、そんなこととっくの昔に知ってるわよ」

と、言われた。これには仰天したが、麻耶は悲しみに明け暮れず強く逞しく生きているんだと痛感した。そして、麻耶は自分の命を大切にすると誓った。


麻耶が高校二年生になって二ヶ月が経った。毎日が楽しい日々だと大介に伝えていた。だが、現実は違う……

雨の多い季節。家から出るとジメジメとした生暖かい風が麻耶に吹きかける。

「パパ、行ってきます」

「おう、行ってらっしゃい」

麻耶の通う高校は家から歩いて5分の距離だった。玄関から出ると登校中の野坂高校の生徒がちらほら見える。

その中の1人が麻耶に気づき、こちらに向かって走ってきた。

「おー!麻耶おはよう!」


「もう達海。近いよ……恋仲だと思われるからやめて」

そうは言うものの麻耶の内面は心底嬉しいく感じている。達海が唯一の友人かつ幼馴染であるからだ。

「何言ってんの?お前こないだメールで送ってきたやつを縦読みしたら、だ・い・す・きってなったから俺のこと好きなんだろ?」

「そんなのたまたまよ。勝手に深読みしすぎ!」

「なーんだ。まぁいいや。早く行こうよ」

「……うん」

そして、美男子である達海と一緒に登校している麻耶だが、一部の女子から妬まれていた。

二人は学校に到着した。

それからそれぞれのクラスに分かれ教室に入る。

麻耶が教室に入ると自分の机が汚されているのを見た。そして複数の女子が麻耶を囲む。

「田中さんおはよう。机のデザインを新作にしたからじっくりと眺めてね? 」

「私たちのの合作だから大切にしてね」

麻耶を囲んでいた女子たちはクスクスと笑い始める。そしてクラスにいる他の生徒は見て見ぬ振りをする。

いつものこと。いつものこと。と、麻耶は自分を元気付けてから席についた。

今日は七時間だ。四時間目まで頑張って、残りの三時間は保健室に居よう。麻耶の内面は悲しくて泣いているが顔だけは無表情のまま保った。

それはどんなに辛いことか……

麻耶は虐めを受けていると達海に話したことはない。本当のことを言ってしまえば、楽だろうが、どうしてもできない。もし言ったら虐めがさらに酷くなると麻耶は思っているからだ。


昼になってトイレで弁当を食べていると急に異臭が漂って来た。

麻耶は気になって扉を開けるとポリバケツが目の前に置いてあった。シュワシュワと音を立てているのが分かる。

それが何かわからない麻耶は恐怖におののいた。

「最悪……。そんなに死んでほしいなら堂々と死ね!って言いなさいよ!どーせ私が死ねばあんたらは警察沙汰になって迷惑して後悔するんだから!」

麻耶が叫び終わると隣の個室が開いた。

「うわぁ。臭かったぁ。ふぅー!これは傑作だわ。笑わせてくれてありがと〜」

「ふざけないでよ!」

「えっ?なになに。いきなりキレちゃってキモいんですけど。あのさ、いつも達海と歩いてるけど、あれ何なの?自慢?あんたのが釣り合うわけないでしょ」

「もうやだ……」

麻耶は三人の女子に高一の秋頃から虐められ始めた。

虐めの内容は髪を切られたり、文房具を捨てられたりしたが、一番酷い虐めは暴行である。それも一日に一回は必ず受ける。幸い痣は出来なかったが、逆に言えば、父や先生に虐めが認知されないため、麻耶の状況は酷くなっていく一方だ。


麻耶は泣きながらトイレから出た。

我慢し続ける日常はとても苦しかったが、ここを卒業すれば後は楽と思っていた。

しかし麻耶は今までの虐めを思い返すとこれ以上耐えられない気がしてきた。

そして麻耶はもう我慢は無理だと思っているが、この辛さを誰にも訴えることが出来ないことが、さらに麻耶の気持ちを追い詰めた。

廊下の端にある非常階段を開けて、屋上まで階段を登って行く。

屋上まで登ると麻耶は気が楽に感じてきた。

今から起こることはただの一瞬に過ぎることであり、すぐに何事もなくなると思ったのである。

フェンス超えると目の前には楽園が見える、気がした。

そして少し目を閉じて深呼吸をした。

これから起こることはすぐに忘れ去られるものだと頭で繰り返していると、階段から急ぎ足で登ってくるのが聞こえた。麻耶はその音に驚き、後ろを振り返ると達海がいた。

「おい!何してんだ!」

「もういいの。私みんなの期待通りいなくなるから』

「俺は麻耶にいなくなってほしくない!」

「どうせ死ぬなら私、産まれてこなきゃよかった」

「そんなこと言うな!あ、そうだ。麻耶が産まれる時のこと、麻耶の父さんから聞いたぞ」

「どうしてそんなに止めるの!私はここにいない方がいいの……」

達海は息を大きく吸い怒り口調で言葉を放った。

「バカヤロウ!どうしてお前は気づかないんだ。お前の母さんは自分の命を選ばずお前を選んだんだ!それなのに命あるお前が死んだらどうする。そんなことなんかお前の母さんは望んでない!もうここが嫌ならおれと一緒に転校しよう。……だから、死ぬなんて考えるな!!」

「達海……私が虐められてるの知ってたんだ……。やっぱり死にたくないよ……お母さんの勇気を無駄にしたくない……」

「ごめんな。もっと早く気づいていれば……」

達海は安全のため麻耶を塀の外側から内側へ来るように言った。

そして達海側に来た麻耶は泣き崩れた。

「もし麻耶が母親に会うなら幸せになってから会いなよ。それも誰よりも幸せになって」

「うん。ありがとう……。私、大事なことを忘れていた……」


その後すぐに達海は学校に虐めがあることを告発し、麻耶を虐めていた三人とけじめをつけた。

そして麻耶は遠くの学校へ転校することになるが、達海とは離れ離れになる。

というように麻耶は思っていたが、一人ぼっちになる麻耶を心配した達海は同じ高校に編入した。


それから二人付き合い始めた。麻耶は前の学校で見出せなかった自分を今の学校でさらけ出すことができ、沢山の友人に恵まれた。

皆からは麻耶と達海の幸せな関係を羨まれるほどになった。


ある日麻耶が母のお墓参りに来た時、偽りのない笑顔でこう言った。

「お母さん、産んでくれてありがとう。今、とても幸せです!」

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気づけ。私。 小鳥遊時宿 @Jijuku

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