ぽんとく
安良巻祐介
ぽんとく、ぽんとく、ぽんとく、ぽんとく。
それは何かと聞いたらば、辛いとき、苦しい時に唱える言葉だという。
だらだらと長たらしいわけでもなく、小難しい字でもない、えらく剽軽な響きだな、と素直な印象を述べれば、ジロリ、と厭な眸で睨まれる。
聞けば、気付けの掛け声というわけでもなく、九字や念仏の類いでも、ああめんでもない、新式の科学の後ろ楯した発声運動でもない。
それならば何なのだとその正体を尋ねてみても、答えらしい答えは返らず、ただ恨めしげに虚空を睨むばかりである。
埒が開かぬからとりあえず効能をば聞かせてくれろと、腰落ちつけて言ってみる。一体何の由来があるかは置いて、その四文字を唱うれば、たちどころに病は癒え傷は失せ、悩みは晴れて快哉なりやと。
そう問うに、しかし、否。
苦しき時に唱えても、苦はむしろいやますばかり、痛みはさらに酷くなり、悲しみもまた深くなるという。
そんな馬鹿な話はない。無意味無明な文言も、利益あればこそ信心しようというもの。唱えても何もならぬなら、かえって唱えるが損ではないか。
ところがそう言うと、損だの得だのではない、唱えるのだと色を変える。
曰く、辛苦の中で唱え続けていると、やがて視界の端に人の形のようなものが見えてくる。
何やら小坊主に似た体であるが、目鼻はない。餅のような顔に口と福耳だけがある。
ぽんとくぽんとくと唱えていると、それがだんだんと形をはっきりさせてきて、少しずつこちらへと近づいてくる。
その頃になるともはや生活は地獄である。身体精魂削り果て、日々渇き腐るばかりの肉と屎の塊となり、一心不乱に四文字を唱えるだけの生が繰り返されている。
それが――その坊主様のものに良いらしい。
やがてすぐそばにその坊主が座して、白くふやけたそれの唱えている言葉が――それが何なのかはわからぬそうであるが――聞こえるようになると、そこへ至ってようやく死ねるのだという。
逆に言えばそれまでは死なぬと保証されているのですよぽんとくぽんとくと、その、山中で出会った男だか女だか藁の山だか萎びた大茸だかわからない形の者はこう結んだ。
ぽんとく 安良巻祐介 @aramaki88
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