2-20第四分隊の休息

「さて、マルガ・アイヒホルン一等兵。何か申し開きがあるなら言ってみろ」


 宿舎前の点呼広場の一角。仁王立ちしたヴィルヘルミナの言葉が、重く刺々しく夜に響いた。


「いやーあ……ありませんです、ハイ」


 雲間からは月の光が射しこんで、その姿を容赦なく照らしあげる。マルガ・アイヒホルンこと、哀れかつ自業自得な今回の犠牲者を。

 視線を泳がせつつ気まずげに頬を掻く彼女は、目前のヴィルヘルミナから逃れようとするかのようでも、全てを諦めたようでもある。


「ならば、なぜこうした場が設けられているかも理解できているな?」


 動くなと尻をひっ叩かれて背筋を正されるマルガ。ひゃん、と情けない声を出してようやくまともな直立姿勢になるのだが、そもそもとして怒ったヴィルヘルミナの前で背を丸められる時点で度胸がありすぎる。

 そしてマルガの目線を捕らえたヴィルヘルミナは極めて淡々と、それでいて抗いようのない威圧を放ちながら、ゆっくりと問いかけを放つ。


「余計な真似はするなと、私は確かに言ったはずだ。お前の仕事はグレーテルへの伝令だけだとも。実際にお前がしたことを言ってみろ」

「伝令、と、大暴れであります」

「なぜそんなことをした」

「ええと、あた……自分が屋敷出たあたりで火炎瓶が降ってきたんで。ホラ、先制攻撃はダメって仰せだったじゃないですか。でも攻撃されかけたんならそりゃもう正当防衛でしょ……なんて、自分は思うわけであります」

「それはお前が判断することではない」


 ぴしゃりと切り捨てるヴィルヘルミナ。しかしふと眉を寄せると自省するかのよう、小さく首を振って嘆息した。


「いや。率直に言えば、火炎瓶は立派なあちらからの先制攻撃だし、防衛は当然のことだ。私もお前の立場であれば同じ判断をせいとうぼうえいしたかもしれない」

「おっ」

「ただし、お前がわざわざ火炎瓶の中身を浴びたり、身長の倍近くもある柵を越えて外に出たりしなければの話だ。マルガお前、それのどこが自衛行動なのか私に説明してみせろ」


 一瞬華やいだマルガの表情が、また気まずげに苦笑で曇る。今にも視線を逸らしそうになっているが、やはりヴィルヘルミナの眼光には勝てないらしい。真正面から真正直な答えを返していた。


「ええーと……その、ハイ、すみません。ついノリで」

「ノリ?」

「ええ、はい。火炎瓶なんてシャバでのカチコミ以来でテンション上がっちゃって、ついですね、あはは」

「そうか、ついか。ははは」


 ヴィルヘルミナが乾いた笑いをもらす。マルガもつられたようにぎこちない笑い声を吐き出し続けた。和やかさの欠片もない微笑の二重奏。


 そしてヴィルヘルミナはぷつりと笑みを切り――目は最初から笑っていなかったが――一瞬にして変じた形相は鬼のそれであった。


「ノリやついで命令を無視するのか貴様は!! しばらく個人行動はないものと思え!!」


 鳴りわたる怒号。青ざめた顔色を隠せないマルガ。まだまだ叱責ははじまったばかりなのだと、彼女らの怒気と絶望感が告げていた。


 そんな現場を遠巻きに見守りつつ、エーリカはグレーテルと同時に同情の息をつく。


「あーあ……マルガもやってしまったな。ねーさま、相当お怒りではないか」

「出たわね、貴様モード。まあ当然でしょ。あんだけ好き勝手やってたんだもの、今日は長いわよ」


 談話室からの所感は無情だ。開け放した窓からは叱咤の続きがはっきりと届いているが、ことさら気を揉んでいる者はひとりもいない。じりじりと電灯の瞬くなか、思い思いに過ごしている。


 第三分隊への警護引き継ぎと小隊長への報告も終え、無事兵舎に帰還した第四分隊は計9名。労いののち休養と待機を命ぜられ解散(むろんマルガを除いて)となったものの、全員がこの談話室に留まっていた。

 理由は様々なのだろうが、この叱責が少なからず影響しているのは確かなはずだ。ところどころ煤けたソファに座るナターリエも、小銃点検の手を休めて苦笑する。


「あはは……でも、私たちも上から見ててびっくりしました。まさかあんなことするなんて思いませんから。ずっとハラハラしっぱなしだったんですよ」

「マルガは相変わらず突拍子がないわよね。合わせるこっちが苦労するわ」

「それ、アネットちゃんだけは言っちゃいけなくない……?」


 エーリカとしても心底同意だ。昨日ナターリエを巻きこんで軍用車を大破させた張本人が言っていいセリフではない。本来なら相棒にもたれてぱらぱら雑誌をめくる以前にやるべきことがある。


「でもでもマルガさん、本当面白かったんですよ~! 燃料かぶった時とかすごかったですもん、あたしもまたやってみたいなあ~!」

「まあまあイルちゃん、ナイスですねえ。今度たくさんオリーブ油買ってきて秘跡ごっことかしましょうかあ。それからぬるぬるマットレスで一発しっぽり」

「あんたら本当ふざけないでよ? 絶対やめろ」


 相変わらず問題発言しかしない部下たちに釘を刺すグレーテルだが、果たして効果のほどは怪しい。基本的に思いつきで行動する二人組だから、有言不実行も不言実行もままある。

 ちなみに副分隊の最後のひとり、臆病者のタマラは部屋の隅で膝を抱えて小さくなっている。人の多いところは苦手だが、誰もいない自室はもっと怖いらしい。難儀なものだ。


 この面々をなんとかまとめている一点では、グレーテルの頑張りも認めざるを得ない――そんなことを思っていると、またいっそうヒートアップしたヴィルヘルミナの叱責が届いてきた。


「第一貴様、今朝の私の話を聞いていなかったのか! 私の言ったことを復唱してみろ!」

「ええと……「責は私が負ってやる」でしたっけ」

「その後!」

「……「無茶はするな」って、はい、仰ってましたね」


 しおしおとポニーテールまで縮こまるマルガ。自分に都合のいいところだけを抜き出した先の返答は、せめてもの悪あがきだったのだろう。その見苦しい姿にヴィルヘルミナの怒号がまた爆発する。


「そこまで覚えていてなぜあんなことをするんだ貴様は!!」

「いや、でもほら、「するにしても無事でいろ」ってお達しでしたし、あたしご覧の通りピンピンしてますし。だからまあ」

「でももだからもあるか馬鹿者が! 一歩間違えれば大火傷を負っていた自覚がないのか!!」


 これにはさすがのマルガも返す言葉がないらしい。苦笑の影だけを残して口ごもる。


「だいたい貴様は自分も周りも気にしなさすぎる! ある程度の危険はスパイスくらいにしか思っていないのだろうが、その後無事かどうかはこの際結果論でしかない! たとえ無傷で終わっても貴様が余計なリスクを負えば負うほど仲間に心労をかけるんだ! くれぐれも肝に銘じておけ!」


 諌めのかたちを取ってこそいるものの、ヴィルヘルミナの言葉の核にあるものはひとつだろう。要するに「あまり危ない真似をして心配させるな」ということだ。

 軍人らしい振る舞いのなかに、父のような厳格さと母のような情の深さが共存している。だからこそエーリカや部下の多くも彼女を慕っているのだし、マルガをはじめとした問題児たちも一応はここに馴染めているのだった。


 そういう意味では、ベクトルこそ違えどやはり問題のある連中をまとめあげているグレーテルが副分隊長リーダーなのも道理なのかもしれない。そう隣のグレーテルに目をやっていると、視線に気づいたグレーテルは小さく身をこわばらせ、訝しげに問うてくる。


「な、何よ。やる気?」

「何をだ……別に大したことではない、おまえは混ざらないのかと思っただけだ。グレーテルおまえ、陰湿に叱り飛ばすのは大好きであろう」

「ああら、ずいぶん悪意のある言い方。叱れるだけの威厳がないのがそんなに悔しいのかしら。階級だけ不相応に高いと大変ね、あー可哀想」

「そういうところが陰湿だと言うのだ」


 それに威厳はおまえにもないぞ、と続けるとうっと言葉を詰まらせる。どうやら薄々自覚はあったらしい。黒いボブカットの髪を払い、言い訳じみた調子で窓の外を見やる。


「うっさいわね。単純に薮蛇つつきたくないだけよ。上官が叱ってるとこに横槍入れて得なことなんてそうそうないもの」


 エーリカも点呼広場のほうに目を戻す。まだまだ叱咤の勢いはおさまらず、しばらく終わりが見えそうにない。

 確かに、あの中に混ざれと言われてもエーリカだって正直困る。愚問だったかとちょっぴり自省したところで、グレーテルの唇に嫌らしい笑みが一瞬走ったのを、エーリカは見逃さなかった。


「ま。でも今回に限っては、黙って見てるだけってのもアレよね」


 ふと思いついたように言い残すと、グレーテルは席を立って談話室の出口へ向かう。「グレーテル伍長どこ行くんですかあ」という部下の問いかけには「副分隊長って呼べ!」と叱り飛ばしただけで答えず、そのまま部屋を出ていった。


 そして1分もすると、折り目正しく敬礼するグレーテルが窓の外に現れる。


「分隊長! 大変素晴らしいご訓戒中のところ申し訳ございませんが、少々よろしいでしょうか。マルガのことにつき、2、3、補足したいことがございます」

「む。なんだグレーテル。言ってみろ」

「恐縮です」


 グレーテルの敬礼には一切の乱れがなく、こうして見る分には立派な下士官の一例だ。ハキハキとまっすぐに、しかし礼節を疎かにせず上官へ進言する。


「恐れながら。今回の件については、マルガの行動が一概に悪いとも言い切れないのではと」

「つまり?」

「マルガが参戦して場を乱さなければ、状況判断を間違えた私はあのまま暴徒を押さえつけることはできなかったかもしれません。もしかすると、突破を許してしまっていたかも」


 グレーテルの放ったその言葉で、談話室にざわめきが走った。


 平然としているのは副分隊の三名くらいだ。ナターリエは小銃の部品を取り落とし、アネットは雑誌から顔を上げる。その衝撃はエーリカにしても例外ではなく、耳を疑って思考を止めることしかできない。


「あの副分隊長が自分から非を打ち上げるなんて……そんなまさか……」

「珍しいを通り越していっそのこと不気味ね。覚悟しときなさいナターリエ、明日は世界滅亡だわ」


 本人がいないことをいいことにだいぶ失礼な発言が飛びかっているが、要するにそのくらいにはありえないのだ。グレーテルのずる賢さは部下たちの間でも知れわたっている。

 そんな談話室の動揺など知る由もなく、窓の外のグレーテルは沈痛の色さえ浮かべて具申を続けていく。


「マルガが独断で動いたことはむろん兵士として問題ですが、そもそもの発端はこの私、グレーテル・アードラーの現場判断が甘かったことにあります。差し出がましい真似であることは重々承知しております。しかし、どうかこの一件、ご寛大な処置をお願い申し上げます」

「ふ、副分隊長お~~!」


 ほとんど半泣きのマルガがグレーテルに賞賛の眼差しを送る。ヴィルヘルミナの前でなければ抱きつかんばかりの勢いだ。感謝の念を放ち、きゃいきゃいと諸手を上げている。


「ありがとうございます副分隊長! 態度以外はいっこも強そうなとこないし正直今までそんな興味なかったんすけど、まさかこんなところで上官み出してくれるなんて! サイコーですマジリスペクトっす、よっ軍国一!」


「まあ、マルガが火炎瓶の中身をひっ被ったことに作戦上の意図がまるで見えなかったことも、分隊長からの指令を伝えるのが遅かったことも、挙句戦闘中に兵の風紀を疑われる発言を繰り返していたのも確かですが、それもきっと私の不徳が一因です。どうかご温情をかけてやってください」

「副分隊長おっ!?」


 まさかの後ろからのひと突きに声を裏返らせるマルガだが、まあ全て事実だろうし自業自得だ。グレーテルのことだから確実に私怨込みだろうが。

 というか、だんだんグレーテルの魂胆が読めてきた。ヴィルヘルミナが相好を和らげてグレーテルの肩を叩いたとき、その推測は確信に変わる。


「なるほど、心得た。その具申は尊重しよう。

 だがグレーテル、あまり自分を責めるな。衛兵隊が動かなかったのはお前の責任ではない、この経験を次に活かせ」

「あ……は、はいっ! もったいないお言葉、ありがとうございます!」


 暗く沈んだ顔から一転、心動かされた様子で表情を綻ばせるグレーテル。いかにも身をさいなむ自責から解放されたという感じだ。小さく目の端を拭ってすらいる。

 そしてまた一礼し、足取り軽く去っていく。しばらくして談話室の扉を開けたグレーテルの顔に浮かんでいたのは安堵でも涙でもなく、ただただ得意げでいけ好かないいつもの笑みだった。


「この狐め」

「ふふん、アードラーって呼んでちょうだい」


 ふざけたことを言ってまたエーリカの隣に腰かける。先までのしおらしさは欠片も残っていない。


 つまりはそういうことで、本心からの反省でもなんでもないのだ。外部の悪意によって生じたミスを自分の非だとあえて全面的に認め、潔さをアピールする。ヴィルヘルミナの気性を考えてもあの状況からグレーテルを責める可能性は低い。

 いつもの媚となんら変わりない印象操作だ。やはりこの女は性格が悪い。


「ま、これでマルガの奴への借りも返したしね。これで心置きなく見物できるわ」


 煙草に火をつけながら、外からは見えない死角に椅子を移動させるグレーテル。借りを返すという観念は一応あるのかと思ったが、だからといってその低俗さが帳消しになるわけでもない。あまりにもお約束すぎる展開にナターリエが苦笑する。


「あはは……そういうことだったんですね。いつもの副分隊長でほっとしました」

「どういう意味よナターリエ」

「えっ!? いえ、その……あはは」


 ごまかし笑い。そんな相棒に追い打ちをかけるかのよう、隣のアネットが小さな頭を振り仰いでさらりと言った。


「ナターリエ、正直に言えば? 副分隊長もお人が悪いですねって」

「な、ちょ、アネットちゃん!?」


 あわあわとアネットの口をふさぐナターリエだが、時すでに遅しというものだ。紫煙を吐いたグレーテルが不愉快そうに眉をひそめ、きつい視線をソファの二人組へ向ける。


「アネットあんた、何が言いたいの?」

「いえ別に。てっきり、この件の裏を伝えてお説教をやめにさせるのかと思ったので」


 ナターリエの手を剥がして当然のように告げられたその言葉を、しかしエーリカは理解できなかった。


(裏? いったい何のことだ……?)


 そう思ったのはエーリカだけではないらしく、アネットを止めたはずのナターリエでさえ不可解そうに疑問符を浮かべていた。一方で分かる者には分かる話のようで、ベアテがゆるい口調でふらふらと追従する。


「あ。もしかしてえ、アネットさんも気づいてたんですかあ。神のご加護がありますねえ」

「まあ薄々。さっき新聞流し読みしてて思いついただけよ」

「ええ~?? そんなことしなくても分かりますよ〜! あたしもベアテさんもすぐ気づきましたし! ね〜タマラさん!」


 ベアテとのあやとりの手を休めもせず、屈託のない笑顔を見せるイルムガルト。言い方が微妙に鼻につくが、当人に一切の悪気がないのがむしろ厄介だ。


「え、あ……ご、ごめんなさ、その、わたし……す、すみません、ごめんなさい……!!」


 タマラに至ってはこの有様で、そもそもまともな受け答えにすらなっていなかった。そんな難あり部下たちの様子を一瞥し、グレーテルは深くため息をつく。


「あーもう。知ってるし気づいてたわよ、当然でしょ。マルガの奴へのお説教そのものを止めてあげる義理はないのよ。ていうか、分隊長にももう伝えてあるし」

「なるほどそういう。納得納得です」


 無表情のままに頷いて雑誌に目を戻すアネット。この流れに置いていかれた身としてはたまったものではない。同じく話についていけなかったらしいナターリエと視線を合わせ、同じタイミングで首を傾げる。


「ええーっと……エーリカ伍長、分かります?」

「さっぱりである」


 そのやり取りを耳にして、グレーテルがふふんと鼻を鳴らす。バカにされているようで歯痒い気持ちが湧くが、おそらく実際バカにされている。


「おほん。じゃあ、不肖の同僚と部下たちのためにひとつ講義といきましょうか。耳かっぽじって聞きなさいな」

「ひゅうひゅう。さあすがグレーテル伍長。サイコーですマジリスペクトです、よっ軍国一い」

「あんたそれ本当にやめろ。あと副分隊長って呼べ」


 どこかで聞いた賛辞を丸々引っ張ってきたベアテの茶々に、グレーテルが不機嫌そのもので応じる。ともあれ煙草をまた一度吸いこんで、グレーテルはゆっくりと紫煙と言葉を吐き出した。


「まず第一。あのフリッツとかいうクソガキが押しかけてきた理由はなに? はいエーリカ」

「え、エーリカが答えるのか?」

「そうよ、あんたも直接聞いたから知ってるでしょ。それとも健忘症なのかしら、兵士の採用条件は心身ともに健康であることのはずだけど?」

「いちいちうるさいのだおまえは……」


 毎度毎度人を煽らなければ会話ができないのかとは思うものの、話に必要な前振りなのは本当だろう。昼の出来事を思い起こし、ぽつりぽつりと並べる。


「父親の仇討ちであろう? 昨日のケストナー夫人襲撃事件の犯人のひとりがあの少年の父親で、憲兵警察に捕まったがゆえ、釈放のための抗議に出ようとしたのだ」

「そうね、意外とそれらしいまとめじゃない」


 グレーテルも珍しく文句ひとつ挟まず頷く。短くなったタバコを窓際の灰皿に押しつけて、新しく引き出した一本でエーリカを指した。


「で、ここで問題。どうしてあのガキんちょはそれを知ったの?」

「は? どういう意味だ」

「よく考えてみなさいよバーカ。昨日の件、報道されたのってどこまでだった?」


 グレーテルの問いかけとともにアネットが読んでいた雑誌を置き、「エーリカ伍長、これ」と今日の新聞を見せてくる。一面ではケストナー夫妻脅迫事件と夫人の襲撃事件が大々的に報じられ、好奇心を煽る言葉がひたすらに踊っていた。

 エーリカも午前中に読んだものだ。しかし、よくよく思えばその内容は――


「一般的な報道範囲じゃ、あの時点で犯人の身元なんて分かんないのよ。せいぜいがポモルスカ人だと思われるってことくらいね。いくら父親が帰ってこなかったからって、この件と結びつけて仕事仲間巻きこんで暴走するにも無理があるでしょ」

「しかし、報道で知ったとは限らないであろう。本人が計画を先に話したのかもしれないし、憲兵警察が家族に知らせたのかもしれない」

「バカ。家族に話すなら先手打って夜逃げくらいさせてるわよ、どう転んだって無事で済むわけないんだから。あの仲間連中に教えてたにしても、そもそも昨日の事件に一緒に出てこない時点でおかしいじゃない」


 そこそこ筋の通った論が立て板に水のように流れてくる。口調は相も変わらず小憎たらしいが、こういうところは素直に年季を感じさせた。


「それにあの秘密主義の憲警がご親切に連絡してくれるとでも? まあするにしろしないにしろ、犯人の血縁なら監視くらいさせんのよ。ならあんな組織的抗議自体起こるわけないし、つまり憲兵どももしばらくは身元を知らなかったってこと」


 少なくとも、あのガキや仲間たちが抗議を計画して家を繰り出すより先にはね。そこまでの解説を聞き終えて、エーリカの頭のなかでまた状況理解が組みかえられていく。


 ぼんやりとした大枠だけの塊から、整然と並べられた回路へと。そこにぽっかりと生まれた穴をエーリカはようやく認識して、こぼれ落ちたのは疑問だった。


「ならば……あの少年、どうやって父親のことを知ったのだ?」

「だからそれを聞いてるんだっつの。はいじゃあ次、ナターリエ」

「え、ええっと……どうぞ、お手柔らかにお願いしますね?」


 曖昧に微笑んで頬を掻くナターリエ。少なからず萎縮されていることは分かったらしく、グレーテルもわずか語気を和らげる。


「別に意地悪しようってんじゃないのよ、再確認したいだけ。あの暴徒らが暴走したきっかけの銃声、どこから聞こえたか分かる?」

「なに? おまえ、あれはイルムガルトの仕業だと言ってなかったか?」

「私も最初はそう思ってたんだけどね……」


 言って、ちらりと一瞥するのは騒がしい最年少娘の方だ。イルムガルトも話は一応聞いていたらしく、指と毛糸でひどく複雑な形を作りあげながら唇を尖らせる。


「違いますよ~! あたしもグレーテル伍長のとこ向かってたらまた鉄砲の音聞こえてびっくりしたんですよ~、グレーテル伍長だけ何回も撃っててずるいな~って!」

「まあこいつの言い分はともかく。実際持ち弾も減ってなかったし、本当に違うみたいなのよね。ってことは誰なのか……」


 と、またナターリエの方に目をやる。ナターリエは心底心苦しそうに肩を縮め、深々と頭を下げた。


「申し訳ありません、分からないです。あの銃声のとき上から色々探したんですけど、私もアネットちゃんも見つけられなくて。教会塔の人からも見えなかったみたいですし……少なくとも、音の方向からして抗議の人たちやイルちゃんじゃないのは確かです」

「つまり、私たちに見つからないよう最悪のタイミングで銃声を放ち、連中を扇動した人間がいる」


 ここでようやく新しい煙草に火をつけ、グレーテルは深く息を吸う。煙とともに向けられた問いは確認というよりも、ほぼ答えあわせの色を帯びていた。


「ついでにつけ加えると、あいつら言ってたわ。クソガキが屋敷に連れ込まれたことを『聞いた』って。いったい誰に聞かされたのかしらね?

 さてエーリカ。ここまで聞けば、さすがにどういうことか分かる?」

「……誰かがあの少年たちに情報を与えて唆し、裏で操っていたというのか?」

「可ってとこね、まあ合格にしてあげる」


 ここに辿りつくまで長すぎだけど、とでも言いたげな答えだが、今は不思議と腹が立たない。灰皿に灰を落としながらの補足が続く。


「どういうつもりか知らないけど、どっかの誰かに連中当て馬にされたのよ。ことによると昨日の誘拐騒ぎ自体、そいつの手引きの可能性だって高い。思ってたより厄介そうよ、この任務」


 気がつけば、談話室に残った第四分隊の誰もがグレーテルの話に聞き入っていた。沈黙の中でまた電灯がじじ、と震え、窓から入ってきた羽虫の止まり木になる。


 これから先も、似たようなことが起こらないとは限らない――言外にそう告げるグレーテルに各々が思い思いの表情を浮かべたところで、外の訓戒がようやく佳境を迎えた。


「まあ実際うまく立ち回ったのは確かだし、グレーテルの進言もある。ナターリエやアネットと同じく任務完了まで仕置は保留にしておく。

 だが二度はないということを忘れるな……いや、忘れないよう喝を入れてやる。歯を食いしばれ!」

「えっちょっ、あたし軍用車ぶっ壊したりしてないのに!?」

「やかましい! 栄光は闘争にありエーレ・ミット・カンプフ、復唱!」

「栄光は、っづうー!??!? いっっったたたこれ割れてます、頭蓋骨割れたあ……!!」


 窓の向こうに目を戻すと、地に転がったマルガが脳天を押さえてのたうち回っている。その傍らでヴィルヘルミナが深く嘆息した。悶える部下を呆れ半分の顔で見下ろしつつも、結局は膝をついてマルガへ手を差し伸べる。


 まったくマルガは仕方がないのだな、と思わず笑みが浮かんでしまう。

 まだ長いタバコをもみ消したグレーテルも「自業自得よ」と続く。

 ナターリエは控えめに苦笑し、アネットは雑誌の一ページを後ろのナターリエに見せ、ベアテは神への祈りを唱えながらイルムガルトと巨大なあやとりの網を運び、グレーテルの頭から一気に被せた。


 怒れるグレーテルを筆頭にして、先までの静けさが嘘のように場が湧きかえる。何も悪くないはずのタマラがごめんなさいごめんなさいと謝る。ヴィルヘルミナがマルガの首根っこを引っ張ったまま談話室の戸を開け、訝しげに目を眇めた。それに慌てて敬礼をしながら、エーリカは密かな安堵も同時に噛みしめている。


 ――何があろうと、この光景だけは変わらない。


 その確信がある限り、どんな危難を見ようとも、きっとエーリカは恐れずにいられるのだ。

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