2-21小隊長ツェツィーリアの会談①

 特別措置小隊長、ツェツィーリア・ライヒナーム。


 この名は衛兵隊のいち大隊副官にあたる彼にとって、不愉快だという以上に忌々しいものだった。


栄光は闘争にありエーレ・ミット・カンプフ、シュルツ中佐殿。このようなお忙しいときにお時間をいただけたこと、大変ありがたく思います」

「互いに忙しいことには変わりないだろう。社交辞令は好かん。ライヒナーム上級曹長、貴様はいったい何用でここに来た」


 敬礼とともに部屋へ踏み入ってきた姿に、執務机のシュルツはふんと鼻を鳴らす。無精髭の奥の口元は無愛想に結ばれていたが、ツェツィーリアは気にするようでもない。隻眼の顔で少女のように小首を傾げて微笑んでみせる。


「大したことではない……と言ってしまうと語弊がありますね。すぐ終わるお話です。中佐殿にお手数はおかけしません」

「社交辞令は好かんと言ったはずだが。率直にものを言え」

「では遠慮なく。今回の件で、我が隊は中佐殿のお眼鏡に叶いましたでしょうか?」


 シュルツの濃い眉がぴくりと寄る。それに笑みを薄めるでも深めるでもなく、ツェツィーリアは朗々と言葉を続けていた。


「本日午後に発生した、ケストナー邸におけるデモからの暴動未遂事件……我が隊で無事鎮圧することができましたが、衛兵隊は当初鎮圧に積極的ではなかったと報告を受けております」

「ほう」


 ここではじめてシュルツの表情が動いた。冷笑。女ごときが何を言うのかと、呆れを通り越して興味すら覚えている。


「それは今回の警備を仕切った我々への抗議のつもりか? ずいぶん思い切ったことをするものだな、ライヒナーム」

「ああ、また誤解を生む言い方になってしまいましたね。どうも明瞭簡潔にお話することは不得手でして……申し訳ありません」


 苦笑して殊勝に頭を下げるのだが、どの口が言ったものか。彼女ほど歯に衣着せず話す女を自分は知らない。

 そもそもとして、弱小小隊の下士官――それも女――が申請を出したその日に佐官へ直談判など、本来ありえないはずなのだ。通常通り処理されること自体まずなく、たいていは優先順位が低いと後回しにされるし、時にはなかったことにもなる。事実、ツェツィーリア以外からの申請はすべてこうして扱われているはずだ。


 しかしツェツィーリア・ライヒナーム……軍国創設にも大きく関わった将校一族の息女にして現財務長官の娘が相手ともなれば、話は違うものにならざるを得なかった。


「単刀直入に申し上げますと、今回の衛兵隊の動きには現場の部下たちも困っていたようです」


 にこやかな笑みで真正面から切りこんでくる。物腰こそ丁寧だがへりくだったところはまるでなく、女性であることを思えば慇懃無礼ですらあった。片方しかない視線は真っ直ぐにシュルツを見据えている。


「我々は本来保護対象であるケストナー夫人のそばに控えている身にもかかわらず、衛兵隊あなたがたの要請で約半分が周辺警備に回されたと聞きますから。結果的にですが、それを遠因として暴徒鎮圧に直面するかたちにもなりましたし」

「なるほど。それに謝罪を求めたいと?」

「まさか。深いご忠心をお持ちの中佐殿のことです、何か故あってのことでしょう。私はそれを知りたいだけです」

「その考えとやらを貴様に聞かせる意味は?」


 情け容赦なくあしらうシュルツと、一歩も引かないツェツィーリア。彼女はその応酬を楽しんですらいるように微笑みを絶やさないが、こちらとしては苛立ちが深まっていくだけだ。

 たかが女のくせに何を大物ぶっているのか。目障りにも程がある。だからこそ、自分はこの一件で彼女たちも――


「お気を悪くされるのも当然のことです。私自身は小さな部隊の長に過ぎませんから。なればこそ、この場が実現できているのは私のみの力ではありません」


 ツェツィーリアが肩をすくめる。バックの存在を匂わせる言葉に、執務机を挟んだシュルツはその眼をひときわ鋭く眇めた。


「皆様ご不安なのですよ、中佐殿。堅牢たる衛兵隊が、ここ一番で女の部隊を矢面に立たせた……何の心変わりかと不思議がるのも当然でしょう。

 それに伝言ゲームは案外恐ろしいものですからね。放っておけば話がどう転がるかは分かりません。それを防ぐためには、シンプルに筋立てを広める当事者が必要でしょう?」

「……成る程、伝書鳩を買って出たか。殊勝なものだなライヒナーム」

「光栄です」


 シュルツの皮肉にもさらりと返し、ツェツィーリアは軽く礼をする。言動こそ丁寧そのものだが、勝者の余裕というやつに違いなかった。ますますもって度し難い。


 シュルツの負けだ。ここで拒否すれば、「衛兵隊が情報を出し惜しんだ」事実が残る。外部で余計な流言を呼ばないためには、被害に遭った当事者、特別措置小隊を通じての情報発信がもっとも効果的――ツェツィーリアはそう言っているのだ。

 シュルツはふっとまぶたを伏せると、椅子に寄りかかり嘆息する。


「まあいい、いずれ分かることだ。その殊勝さに報いようとも。今回の件についてだが……」


 と口を開きはするものの、与えられる情報はそう多くはないはずだ。せいぜい目下調査中といったところだろうし、その先に辿りつくこともない。

 当然だ。手回しはとっくに済んでいる。引き金が小憎たらしい軍人気取りの女というのが業腹だが、しょせん彼女も踊らされているだけだ。これで計画は完遂される。


 の計画の肝はこの一瞬にこそあったのだ……と、勝利を確信した矢先、


 ぐるり、


 そう、シュルツの視線がこちらを射抜いた。


「全て貴様の越権行為だ。そうだろう、リヒター中尉?」


 シュルツ――傍らの大隊長から向けられた追及に、大隊副官リヒターは息が詰まったのを自覚した。


 口内が一瞬にして乾いていく。軋みそうな声をなんとか平静に押し戻し、リヒターは悪い冗談を聞いたような苦笑を作った。


「な、にを仰るのですか、シュルツ中佐。私はただあなたのお言葉に従って……」

「本日まではそうだったな。私も残念だ、野心的で将来有望な副官がこんな真似をしでかすとは」


 シュルツが懐から四つ折りの紙を取り出す。それが無骨な手に開かれていくのに合わせて、リヒターの頭は高速で回転していた。


「先ほど押収した。貴様が本日担当の部隊に通達した指令書だ。一枚目は私が指示し、認めた通りの文面だが……二枚目にはどうも覚えがないな」

「そんなはずは……中佐は確かにお命じになられたではありませんか! ご署名もいただいております!」


 抗弁しながらも内心ほくそ笑む。二枚目の内容は特別措置小隊の配置、ならびに有事の際の対応についてだ。露見すればこの件についてのシュルツの関与は疑いようがなくなる。にもかかわらずシュルツはこれを隠匿しなかった……馬鹿めと勝利の確信がまた胸を占める。


 むろんシュルツの言が真実だ。しかしそれを証明することはできない。署名は筆跡からインクまで、すべてを精巧に偽造している。シュルツの潔白を証すことなど不可能、そのはずだった。


「ほう。では、これも私の命令か」


 言って、シュルツはもう一枚の紙を懐から摘まみあげる。


「貴様が第一中隊長に渡していた秘密文書だ。『この任務達成の暁には、我々は貴官のご子息の治療を「全力で支援」する』――ずいぶんと人道的だな、リヒター中尉?」

「……ッ!?」


 今度こそ呼吸が止まる。馬鹿なと、その思いだけが頭に木霊する。


 大隊下の部隊のほとんどには根回しをしていた。もともと自分たちの派閥に寄っている人間も多かったし、リヒターたちが弱みを握るなり甘言で釣るなりして、部隊長らは骨抜きにされていたのだ。その彼等に渡し、即時処分するよう指示していたものが手に入るはずがない。シュルツが先手を打ち、自分の手先を忍ばせていない限り。


(まさか――)


 シュルツはリヒターの動きを読んでいた。


 リヒターらが自分たちの勢力を衛兵隊内に広めようとしていたことも、大隊長である彼が責任を取るのをリヒターが狙っていたことまで、すべて。


「と、真相は斯くもつまらない身内の恥だ。私も今知ったところでな、あまり傍証も揃っていないことを言いたくなかった」


 シュルツが何食わぬ顔で首を振る。敗北感に打ちのめされたままのリヒターを放置し、またツェツィーリアの方を向いた。


「彼奴の処分は追って公表する。世話をかけたな」

「とんでもございません。貴重なお話、大変助かりました。このことは一言一句違えず皆様にお伝えいたします。しかし……」


 目の前で繰り広げられた修羅場にも動じず、にこにこと微笑みつづけていたツェツィーリア。その瞳がほんの僅か剣呑な色を帯びたのは、笑みがもう一段深まった瞬間だった。


「ひとつ疑問がございまして。警護開始から事件発生まで1日ほどありましたか……その間、なぜこの状況を捨て置かれたのでしょう」


 それは、的確にシュルツの話の間隙を突く問いだった。

 むろんシュルツもこのくらいでは狼狽えない。ふんと息をつき、至極当然のごとく応じる。


「有事の際の対処はともあれ、現場での配置については部下の裁量を認めている。

特別措置小隊きさまらの扱いは妙だと思ったが、まさかこんなくだらん謀に使われているとは思わんよ」

「それでも有事のことを考えればお分かりのはずです――周辺警備となると、特別措置小隊の接敵可能性は巡回要員に次いで高い。放置という対応は、それを良しとされたということでは?」


 ツェツィーリアの返答にも容赦がない。今の彼女は、明確にシュルツのアキレス腱を突いていた。

 表向きこそ今知った風を装っているが、状況をみる限り明らかにシュルツは前もってリヒターの動きを知っていたし、むしろ誘発させていた。特別措置小隊の放置もその一環だろう。しかしそれを明言することなどできない……証拠もないとはいえ、この点に拘泥されては面倒なのだ。


 場に緊張感が張りつめる。どちらも顔色ひとつ変えないままで、しかし無言の圧を強めていく。先に沈黙を破ったのは、鈴の音のような笑い声をあげたツェツィーリアの方だった。


「いえ、誤解をなさらないでください。身のほどを弁えず追及しようというのではないのです。ただ少々嬉しくなってしまいまして」

「嬉しい?」


 シュルツが怪訝そうに眉をひそめる。これまでで一番大きな表情の変化だった。

 一方のツェツィーリアは笑みを変えない。涼やかささえ垣間見せ、一語一語を噛みしめるように語りかける。


「実に喜ばしいことですよ。中佐殿は、いえ衛兵隊の皆様方は、。つまりはそういうことですから」


 でしょう? と小首を傾げる何気ない仕草に、リヒターはぞっと背筋が粟立った。


 この女の狙いは初めからこれだ。特別措置小隊の配置をそのままにしたことへ「衛兵隊が小隊を戦力として認めた」という理由をこじつけ、シュルツが否定できないのをいいことに既成事実とする。今回の内情を聞き出すことさえ、ここへ着地するための前座でしかない。


 何なんだ、こいつは――今後の自分の処遇さえ忘れて絶句するリヒターとは対照的に、シュルツは落ち着いたものだ。もともと小隊に思うところがないシュルツには、落とし所として妥当らしい。


「まあ、好きに受け取れ。こちらとしても、これ以上警備でいざこざが起こるのは本意ではない」

「ありがとうございます……ああ、あまりお時間を取ってしまうのも申し訳ないですね。そろそろお暇した方が?」

「用が済んだのならば好きにしろ」


 一礼してくるりと回れ右し、杖をつきながら出口まで進んでいくツェツィーリア。そして扉を開ける直前、軽く敬礼をして振りかえった瞳には、無邪気なほどの親しみが満ちていた。


「それでは、栄光は闘争にありエーレ・ミット・カンプフ。明日からの警備でも共に励みましょうね、衛兵隊の皆様方」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る