閑話百景:とある日曜日の駐屯地にて②
猥談という名の談笑を突如遮った音に、酒保食堂中の目が集まる。
いくつもの視線の先では厳つい髭面の男が不機嫌そうに顔をしかめているところで、その手のジョッキを荒っぽく置いたところらしかった。隣の伍長がわずか怯えた声をあげる。
「そ、曹長……」
「貴様ら、いい加減にしろ」
ぴしゃりと声で殴るように言い捨てる。周囲の勢いが急速に衰え、緊張に場が凍った。
「ロクでもない話で騒ぎすぎだ。女の品評会のようなことをよくもまあ平然と……」
ビールを一気にあおり、またテーブルに叩きつけるように置く曹長。
そして憤懣やるせないといった様子で首を振り、こわごわと竦んだ部下たちに向かって口を開けた。
「女は女の身で、女同士で抱き合う!!! それが一番尊い!!! なぜ分からんのだ!!!」
唾を飛ばして告げられたその言葉を、新兵はまるで理解できなかった。
いや、新兵だけではない。まわりの上官たちも目を点にしている。
無言の疑問符が食堂中に満ちたころ、曹長――よくよく見てみれば相当酒が回っているらしい――は仕方ないとでも言いたげに傍らの上等兵を指差した。
「貴様、見本を見せてやれ!」
「はっ曹長! 自分は第四分隊長と第三分隊長の同室組が王道と愚考します!! 男勝りの第四と包容力のある第三が共にいる様はまるで夫婦、オシドリの仲であります!!」
椅子を倒して立ち上がった上等兵が声高らかに宣言する。相変わらずまったく意味が分からない。
「小耳に挟んだ話では第四分隊長は機械が大の苦手らしく、ラジオを聞くにもレコードを回すにも第三分隊長の手を借りなければノイズだらけになるそうです! あの第四が第三にだけは頼る光景、壁になって見守りたく思います!」
「よし合格だ、その話は後で詳しく聞かせてもらおう! 次、貴様!!」
「はっ!」
少し離れたテーブルにいた伍長階級の男が起立する。
「自分は第四分隊長に懸想するエーリカ嬢と、彼女に横恋慕するグレーテル嬢の一方通行の連なりが非常に強く胸を打ちます!
エーリカ嬢に好きな女性がいることを知っているがため素直になれないグレーテル嬢の不器用さ……しかし最後にはハッピーエンドを所望します!!」
「よし、貴様は早く筆を持て。そしてその話を書き上げて読ませろ! 次は貴様だ!」
筆とは何だ、話を書き上げるとはどういうことだ。そんな疑問を一切挟ませないまま、曹長はこちらを指差す。
新兵――ではなく、その輪から少し外れた場所にいる一等兵だ。
確か、少女にしか見えない女に話しかけて狙撃手に睨まれたと言っていた……
「じ、自分でありますか?! いや、自分はそういった類は……」
「嘘だな。貴様は俺たちと同じ眼をしている。女と女の関係性を求める眼だ」
断言。酔いの割にはしっかりとした足取りで一等兵のもとに赴き、曹長は瓶のビールをなみなみとジョッキに注ぐ。
そしてぽん、と勇気づけるように肩を叩いた。
「さあ飲め。そして己を解放しろ。俺たちは、同じものを愛する、真の戦友だ!!」
その言葉に一等兵はしばし逡巡し……ぐっと勢い任せにビールをあおった。
こぼれたビールがあごからのどを伝い、豪快に襟元を濡らしていく。
立ち上がって空のジョッキを机に叩きつけると、彼は酔いのためか羞恥のためか、真っ赤に染まった顔で叫んだ。
「告白いたします! 自分はナターリエ上等兵とアネット一等兵の幼馴染組に惹かれております!
正直アネット一等兵に話しかけてナターリエ上等兵に敵意のこもった眼差しで睨まれたとき、その、最高でした! あの二人はガチです!!」
「よく言った! やはり貴様と俺たちの魂は同じだ!! だが……」
ばんばんと背中を叩きながら謎の賞賛をする曹長。しかしふと声のトーンを静かなものにすると、何かを見極めるように一等兵の瞳をのぞきこんだ。
「対象に直接接触するのは褒められた行為ではないな。
「はッ! ありがとうございます!!」
そんな軍規聞いたこともない、と言える雰囲気ではなかった。理屈のまったく分からない熱気が充満し、異様な「圧」が酒保中を支配している。
一刻も早くこの場を離れなければ何かが終わる。
その予感が胸を打つのを自覚しながらも、新兵は金縛りに遭ったように、あるいは魅入られたかのように、一歩も動くことができなかった。
「さて貴様ら、ここまでの雄姿を見せられて、もはやご立派なものが生えてるだの女モドキがどうこうだの言うまいな?」
硬直した部下たちを一瞥し、鋭い声で問いかける。
皆勢いに呑まれ、応じられる者は誰もいない。
そんな光景を見渡して、曹長は歯を剥き出しにして笑い……どこからか取り出した酒瓶を5つほど、乱暴にテーブルへ広げた。
「いい度胸だ、貴様ら全員この場で再教育してやる! 飲め!! そして俺たちの魂の叫びを聞け!!」
意味不明の気迫を撒き散らしながら部下という部下に酒を注ぐ曹長。本来上官にやらせる真似ではないものの、今その役を引き受けるほど豪胆な人間はいなかった。
曹長が、女に対して自分たちとは違うものを見ているらしい人種が、徐々に近づいてくる。
あちらの下士官集団に一気飲みをさせ、そちらの新兵の集まりへ懇々となにかを語り、次はこちらだ。
この身に迫る価値観の危機に、新兵はやはり動けないまま――
* * *
そして新兵は、自らの叫びで目を覚ました。
「う、うわあああぁっ!??!……はあ、はあ……?」
肩で息をしながら周囲を見回す。アルコール臭の満ちた酒保食堂で、真っ赤な顔の男たちがそこかしこで寝息を立てている。
どうやら深酒しすぎて全員寝落ちてしまったらしい。
上官たちより先に起きることができたのは、早朝の雑用にも慣れた新兵のサガだろうか……と思いつつ時計を見れば、そろそろいい時間だ。
「うわっ、やっば……」
休日とはいえ、風呂や就寝の刻限は絶対だ。そもそも酒保の閉鎖時間も近い。
急いで上官たちを起こさないと、と立ち上がって手の中の違和感に気づく。かさりとした感触。
どうやら寝ている間に紙でも握っていたらしい。
伝票なにかだろうかとくしゃくしゃになったそれを広げると、殴り書きの文章が綴られていた。
『女と女の世界は無限』
ちょっとよく分からない。
誰かが適当なメモでも置いていたのだろうか。しかし走り書きとはいえどう見ても自分の筆跡だ。
どういう状況でこんなことを……と思い出そうとすれば、酩酊特有のぐらついた頭痛が思考を奪う。
まるで記憶がない。が、ただこれだけの実感があった。
「女と女、か……」
なんだかひどく、広い世界へ踏み出す夢を見ていた気がする。
上官たちを起こすという雑用中の雑用に駆り出されながらも、新兵の胸には、なぜか奇妙な満足感が横たわっていた。
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