閑話百景:同期の語らい
「ユリア、すまない。今少し時間はあるか?」
ルームメイト――ヴィルヘルミナが申し訳なさげに自分たちの部屋をのぞきこんできたのは、ある休日の午後だった。
「はあい、大丈夫よヴィルヘルミナちゃん」
小銃を整備していた手を休め、ユリアは席を立つ。
ユリアにとって銃に触れる機会はなににも代えがたい時間だったが、ヴィルヘルミナが困っているなら仕方がない。また後でね、と軽く手を振り扉へ向かう。
ユリアの方が10cmほど背が高いため――もっとも、たいていの女性相手なら負けることはないのだが――自然、ヴィルヘルミナがこちらを見上げる格好になる。いつになくばつの悪い表情だ。
「どうしたの、そんな困った顔しちゃって。ワタシお役にたてるかしら〜」
「いや、すまない。そう重要なことでもないんだが……」
肩を落として首を振るヴィルヘルミナ。
妙に言いにくそうだが、彼女がこうした顔をする事態ならだいたい予想がついた。十数分前に部屋を出たときに持っていたものを思えばなおのことだ。
そしてため息まじりにこぼれてきたのは、やはり予想通りの事情だった。
「レコードが、聴きたくてな。悪いが少し助けてくれないか」
部下や上官の前では決して見せないであろう、ヴィルヘルミナの弱りきった表情。
それがなんとも可愛らしくて、ユリアは笑みも隠せないまま返していた。
「うふふ〜、お安い御用ですとも。お姉さんに任せてね」
* * *
第四分隊長ヴィルヘルミナと第三分隊長ユリアは、たったふたりの第一期隊員だ。
もちろん最初からふたりだったわけではない。第一期――丸9年前に入隊した隊員はもともと20人ほどおり、女同士で力を合わせて日々訓練に明け暮れていた。
しかし独身を義務づけられる息苦しさ、予想以上の軍事訓練の厳しさ、そしてどれだけ努力しようと見下され、隊にいればいるほど社会復帰に支障が出る現実。それらに押しつぶされて、年を経るごとに第一期以下、小隊員は姿を消していった。
3年の任期が2度終わったころに残っていた第一期はもうヴィルヘルミナとユリアだけで、それからずっと互いが唯一の同期組だ。今やルームメイトでもあるから気心もそこそこ知れている。
だからそう、ユリアにとってはこれも、面倒ごとというよりは同期ならではの交流だと喜ばしくすら思う。
「あらあ……大変大変」
二人以外には誰もいない談話室。蓄音機をいじる手を止め、ユリアは首を傾げる。
後ろから覗きこむヴィルヘルミナがやや慌てた声をあげた。
「や、やはり私が何かしてしまったのか? 少し力を入れすぎたとは思ったんだが……」
「いいえ〜、ヴィルヘルミナちゃんは悪くないわ。ちょっとゼンマイが切れただけみたい」
これ、と
渦巻き状になったそれは半ばで途切れており、ゼンマイとしての役目を果たせる状態ではなかった。
ヴィルヘルミナがほっとした顔になる。
意外と手先が不器用な彼女は、どうも機械に対する苦手意識が強いらしい。そんなに神経質になることもないのにと思いながら補足する。
「クランクを巻いても巻いても動かなかったでしょう? こういうことがたまにあるのよ、もう交換しないといけないわ」
切れたゼンマイを検分する。あまり長く使われていた形跡もないから、交換されてからせいぜい1-2年といったところだろう。あまりいい品ではないな、というのがユリアの見立てだった。
「焼きも甘いし前の交換の時に適当なのを使っちゃったのかしらね。本当なら純正部品が欲しいんだけど時間もかかるし駐屯地に取り寄せっていうのも難しいでしょうし、やっぱり街の部品屋さんで買ってくるのが一番早いかしら。良さそうなところが何軒かあるの、紹介しなきゃ。
あっ、駐屯地でもドラムマガジン用のやつとかいい感じに削っちゃえば案外いけるかもしれないわ、軍用なんだから下手なものより全然丈夫だし……」
「いや、ありがとうユリア。頼むからやめてくれ」
ユリアの言葉を遮るように首を振るヴィルヘルミナ。話したいことはまだまだあったのに、こういう時彼女はせっかちなところがある。
「修理が必要なら、今日のうちに私が持っていこう。壊したのは私のようなものだし」
「そんなに気にしないでいいのよヴィルヘルミナちゃん。お金も時間もかかるでしょうし、ワタシに任せてくれれば」
「お前にこれ以上面倒をかけるのも……などと、言って聞く奴でもないなお前は」
ヴィルヘルミナが肩を落とす。どこか諦めを帯びつつも、噛んで言い含めるようにユリアへ指を突きつけた。
「ひとつだけ約束しろ。部品はきちんと買ってくるから、お前もきちんと無難に修理してくれ。いいな」
「はいはい。もうヴィルヘルミナちゃんってば、心配性なんだから〜」
「心配されないような行動をしてから言ってくれ……」
そう深く息をつくヴィルヘルミナは、まるでしっかり者の姉のようだ。ユリアの方がいくつか歳上なのだから、もう少し甘えてくれてもいいのに。
蓄音機の機種を書いたメモと切れたゼンマイを手渡していると、テーブルに置かれたレコードが目につく。
ヴィルヘルミナが部屋を出たときに持っていたものだ。そのジャケットに描かれているのは、豊かに波打つ金髪の――
「ヴィルヘルミナちゃん、またシャル・ハイネンのレコード?」
「うん? ああ、そうだな」
「素敵よね、彼女。みんな好きなんだから、もっと誰かいるときに流してもいいのに」
「私がレコードを回していて止められる人間なんて、お前か小隊長たちくらいだろう。団欒の時間くらい部下の我儘は邪魔しないでやりたい。それに……」
と小さく漏れた続きはどこにも繋がらず消えていく。メモとゼンマイを受け取る手がほんの少しぎこちなくなったのが分かった。
「それに?」
「いや。レコードひとつ聞くにも手間取る姿など、部下や上官の前では見せられないからな。お前くらいで十分だよ」
「そう? いいじゃない、とっても可愛いんだもの〜」
そう言うと、ヴィルヘルミナは露骨にげんなりした顔になる。
「格好いい」とは言われ慣れているらしいが、「可愛い」はどうにも信じられないようだ。
とはいえ、不思議なことは他にある。
(ヴィルヘルミナちゃんが何かにこだわるなんて、なんだか珍しいのよね……)
女優シャル・ハイネン――現在は名誉将校夫人のシャルロッテ・ケストナー。
有名人といえば有名人だが、ヴィルヘルミナがそうしたものに執心するのはなかなか意外だ。
レコードの一枚二枚くらいならば気にも留めないのだが、さすがに映画のリバイバル上映に足しげく通っているとなるとただのファンではすまないように思う。シャルロッテの載った切り抜きをノートに集めているのも見た覚えがあった。それでいて、シャルロッテ以外の芸能人に興味を持っている様子もない。
なんにせよヴィルヘルミナがシャルロッテ・ケストナー個人に執着を抱いているのは確かで、その理由はユリアにもよく分からなかった。
(まあ、人には人の事情があるものね)
ユリアにも大事なものや人に言っていないことなど山ほどある。そこを深く追及しようとは思わないし、ヴィルヘルミナが可愛い同期であることに変わりはない。
しかしそれとは別にして、やはり彼女のことをもっと知りたいと思うのだ。
「ねえヴィルヘルミナちゃん。やっぱりワタシも付いていっていいかしら〜?」
「は? 急にどうした。詳しくはないが、機械の部品くらい私でも注文できるぞ」
「久しぶりにヴィルヘルミナちゃんとお出かけしたくなっちゃったのよ〜、ダメ?」
「ダメではないが……」
とは言いつつも何やら気にかかることがあるらしい。階上を見上げるような視線で、その理由はなんとなく察せた。
「一度部屋に戻って片付けてこい。小銃をあのままというわけにもいかないだろう」
「ああ、そうね〜。じゃあちょっと行ってきます。ここで待っててね?」
「一緒に行くよ。私もこれを仕舞わないとな」
言って、ヴィルヘルミナがレコードを手に取る。それにゆったりと頷いて、共に談話室の扉をくぐる。
ユリアにとっての一番はヴィルヘルミナではないし、ヴィルヘルミナにとってもきっと違う。
けれどヴィルヘルミナからのぞんざいな扱いや頼るような素振りは、たぶんユリアくらいにしか見せないものだ。ならばそれに応えたい。
(だってワタシたち、たったふたりの同期だものね)
自分にしか弱味を見せない子を助けてあげたい。
対等だからこそ適度な距離感で互いを知って、支えあえる関係でいたい。
これもひとつの特別なのかなと、そんなことを思いながら連れ立って歩く廊下は、いつになく明るく見えた。
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