閑話百景:とある日曜日の駐屯地にて①

※茶番回です


 その夜、国首親衛軍 首都近郊第二補助駐屯地の一角は酒に湧いていた。


「野郎ども、腹から声出せー! 乾杯プロージット!!」


 その何度目かも分からない音頭に、衰えるどころかどんどん盛り上がっていくだみ声の山が続く。

 そして荒っぽくグラスを突きあわせる音が重なり、再びわいわいとした活気が溢れていった。


 とある日曜日の夜、酒保食堂は満員御礼の騒ぎだった。

 朝からしとしと続く雨で外出が億劫になった人間が多いのがまずひとつ、そして駐屯地内で飲酒が許されているのは土日のここだけであることがまずひとつ。

 そしてどこから出回った話か、上等なビールを新しく仕入れたという噂が併さり、今のむさ苦しい人口密度を生んでいた。


 この窓際の一席にしても同じで、筋骨たくましい男たちが寄り集まっては笑って酒を仰いでいる。


「ありゃ、もう飲み終えちまった。ったく、いい酒もこの勢いじゃ味わえねえな」

「そりゃ大変だ。おーい新兵! 伍長どのが酒が足りんとよ、もう三杯持ってこい!」

「バーカお前、そのうち何杯かっぱらっていく気だよ」


 どっ、と酔っ払い特有の盛り上がりが場を飾り、その勢いがまたアルコールを呼ぶ。


 あちらこちらで雑用に呼ばれていた新兵もビールを運ぶと同時に引きずりこまれ、今度は上官の酒くさい息を肴にジンジャーエールを仰ぐこととなった。


「おう新兵、もう訓練には慣れたか?」

「おーいヴルストもう一皿! マスタード多めでよろしく!」

「実家の犬がもう俺のことを忘れちまって……帰ってもギャンギャン吠えるんすよ、次の休暇どんな顔して帰れば……」

「あのロクでなし軍曹め、俺を目の敵にしてやがる。一回朝礼に遅刻した程度でいつまでもグチグチとよ……」


 世間話、追加注文、相談に愚痴にどこからともなく響く笑い声。

 ここまでくると会話の坩堝といってよい。自分に向けられた声を聞き取るだけでも一苦労だ。


 だが男の酔っ払いが持ち出す話題と言えば、結局はここに尽きるものだ。


「あー! しっかし、こう男しかいないと息が詰まるな。女、女が抱きてえー……」


 ふと漏れたという様子の、決して大きくはない言葉。

 しかしこの騒ぎの中でも不思議とよく通り、あたり一帯の何人かが声の主に視線を移す。そして口々に語りだし、話がその方向に流れていった。


「女かー……しばらくご無沙汰だよなあ」

「ここ最近娼婦の取り締まりも厳しくなったしな。迂闊に脱法娼婦に引っかかって処分にでもなったら目も当てられんし」

「俺なんて最近彼女に浮気されて……会えなくて寂しいからって、そりゃこっちは徴兵で来てるんだからしょうがないじゃないですかあ……」


 上官たちのしみじみとした諦めや嘆きの声に居心地悪く縮こまる新兵。

 徴兵されたばかりの彼にはいまいち実感が湧かない。控えめに手を挙げて発言を求める。


「あの、出会いとかはないのでありますか? ここだと都心にも近いですし、週末に通っていればあるいは……」

「あっはっは、新兵は考えることが青臭くていいねえ」


 隣の伍長がばんばんと背を叩いてくる。そしてビールを仰ぎながら出来の悪い生徒を諭すように言った。


「そりゃないわけじゃあないがな、基本そういった類は給仕の娘相手か、ヒトメボレしてもらえるような奴らの特権だ。そして給仕の女は競争率が高い。止めろとまでは言わんが望み薄だぞ」

「ではその、駐屯地内はいかがでありますか? たまに事務の女性も来ますし……それにほら、ここだと女性の部隊もありますし。特別なんとか小隊、でしたっけ。彼女らとの交流はないのですか?」


 別だん、新兵もなにか期待しての発言ではない。外がダメなら身内側と思っただけだ。

 国内唯一の女性戦闘部隊がこの駐屯地にあるということ自体、言いながら思い出していた。


 しかし新兵がその名を口にすると、周囲の上官らは思いのほか苦い顔をして首をふった。


「特別措置小隊の女か、あれはなあ……」

「女じゃないでしょうよあんなの。妻にしても料理のひとつもできるか怪しい」

「まあ一晩の遊びで抱くにしても、なんだかなあ……」


 あまり気の乗らないような声が多い。

 が、どうやら無関心というわけでもないらしく、そのまま話題が逸れる様子はなかった。口々に小隊のメンバーらしき人間が挙げられていく。


「小隊長はあれ、論外だろう。あんなキズモノ、勃つ気もしない」

「第一と第二の分隊長はもうとうがたってるしな。第二はそこそこ若作りしてるが、それにしたってなあ」

「第三はどうだ? 確かほら、ユリアとかいう」


 ぱちん、とひとりが指を鳴らして言う。何を示しているのか、胸の前で山を描くようなジェスチャーもしていた。


「第一や第二に比べりゃ若いし、なにより胸がでかい。他はともかく、あれだけで抱ける気がするぞ」

「他ってお前……あの身長も含めてか? お前より高いぞあの女」


 それを聞いた新兵は思わず目を剥いた。

 ユリアの名を挙げた男はたしかに高身長でこそないものの、確実に平均値はある。そのユリアとかいう女、いったいどれだけ上背があるのだ。


 新兵が驚愕している間にも、上官たちの猥談は続いていく。


「やっぱり抱くなら、小柄で大人しい娘だろ。ほらええと……なんて言ったか、小さい女がいただろ」

「あーいたな、なんかローティーンみたいな女」

「お前、それもそれでどうなんだよ……」


 俺に娘ができたら絶対にお前には会わせない、という声にうんうんといくつもの追従が続く。

 その輪を一歩外れた場所から、小さく同情するようなため息が飛びこんできた。


「お前がロリコンかどうかはともかく、あいつはやめとけ。一回話す機会があったんだがな、愛想がまるでないぞ。それに一緒にいる女が怖いし」

「一緒にいる女?」

「ナターリエとかいう……ほら、一回ここの狙撃大会でトップ持ってったヤツだよ。あいつ、アネットが男と話すとすごい眼で睨んでくんの。抱きでもしてみろ、夜道に狙撃されかねないぞ」

「そりゃお前、お前の体臭がお気に召さなかっただけだろ。気をつけろよ、臭いだけで獣と勘違いされて撃たれるぞ」


 違えねえ、と大きな笑いがいくつかあがった。


 そのままやれあの女は可愛げがなくて駄目だだの、この女は話しかける前に泣いて逃げるだの、その女は簡単にヤらせてくれるが枯れようが何だろうが容赦なしだの、事実なのか尾鰭なのか分からない話がばらばらと挙がっていく。

 まともに小隊のメンバーを見たこともない新兵には誰が誰やら見当もつかない。


「そういや去年だったか、貴族のご令嬢が入隊したって話題にならなかったか? シュロスブルクだったか、有名なとこの」

「あー、なったなった。高嶺の花ってやつだが、兵士にまで落ちてくりゃ逆玉もアリだな」

「でも相当気が強いって聞いたぞ。同僚といつも言い争ってるって話だし」

「いやあ、でも最近は落ち着いてるらしいぞ。直属の分隊長に犬みたいに懐いてるってよ。確かアレだ、第四の」


 誰かが酒焼けした声で言うと、ああ、と諦めのような相槌が連鎖した。


「第四かー……」

「アレもなあ、なかなかないよな」

「同性愛趣味の奴くらいだろ、あんなのとヤレるの。女のつもりで抱ける気がしねえよ。私服でも男の格好なんだぜ、女を捨ててやがる」


 ずいぶんな言われようだが、話の通りならば確かに男としてそそる点はないであろう。隣でせっせとビールを摂取していた伍長が久々に口を開く。


「まあ何にしろ、兵士になろうって女にロクなのはいねえだろ。気をつけとこうぜ、女かと思って脱がせたら、下にはご立派なのがあるかもしれない」

「それで女モドキ同士よろしくやってたりするんですかねえ?」


 太いソーセージを股間にやった下品な冗談に、どっと場が沸きかえった。

 腹を抱えて笑っている者までいる。ジョークそのものよりもそんな盛り上がりの方に引かれて、新兵もからから笑い声を出していた。


 どん、とひときわ大きな音が全てを断ち切ったのは、その頃合いだった。

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