1-14伍長エーリカは懸念する
そんなこんなで、人的被害がないという意味では無事な形でケストナー夫人捜索作戦は終了した。
引っ捕えられた容疑者3人は憲兵警察に引き渡され、取り調べが行われる予定だという。一方の小隊はといえば、ケストナー夫人が保護された直後に第三分隊が護衛を引き継ぎ、通常通りの警備体制をとっている。第一、第二分隊もスケジュール通りに休息を取るなり準備を整えるなりしているはずだ。
……だが、捜索作戦で良くも悪くも大立ち回りを演じた第四分隊について言えば、それで済むはずもなく。
「……ねーさま、ご無事であろうか」
F1号宿舎談話室の一席に座り、エーリカはテーブルに伏せてため息をついた。
小隊長のところへ事情聴取に呼ばれたヴィルヘルミナのことがどうしても頭から離れない。本当に報告やことの次第を聞くだけならいいのだが、結果的に正解だったとはいえ裁量を逸脱して第三分隊の割り当て区域に飛び出したことは、お叱りを受けてもおかしくない命令違反だった。下手をすればなんらかの処分もありえる。
(どうしよう……どうしよう)
その一語がぐるぐる頭を回る。だからだろう、かつかつ闊歩する聞き慣れた足音に、エーリカは直前まで気がつかなかった。
「あらあらエーリカ、分隊長がいないから腑抜けになってるのかしら! 上官ひとりいないだけでそのザマだなんて、先が思いやられるわ」
頭上から降ってきた声に、反射的にげんなりした気持ちが湧いた。
振り仰げばしっかりと手入れされた黒いボブカットが目につく。ふふん、と得意げに見下ろす眼は、いい獲物を見つけたと言わんばかりにエーリカを捉えていた。
グレーテル・アードラー伍長。エーリカの同僚にして──あまり認めたくはないのだが──この第四分隊の副分隊長、要するにナンバー2だった。
「とかなんとか言っておきつつ、ご自分もエーリカ伍長がいるといないとじゃ見るからに気合の違うグレーテル伍長なのでしたぁ。どっとはらぁい」
「でもでもグレーテル伍長! そういうとこすっごく凡人ぽくて可愛いですよ~! 見習いたいです!」
そうグレーテルの出鼻を叩き折ったのは、間延びしたゆるい口調とやたらテンションの高い声音のコントラストだ。傲岸の皮は一気に剥がれ、「そそそそんなことないわよあんたらは黙ってなさい! あと副分隊長って呼べ!」などとかろうじて威厳を保とうとしているがすでに遅い。
遠巻きに眺めるぶんには可愛げがなくもないが、グレーテルもその取り巻きなのか茶化し役なのか分からない二人組も、目の前でコントを展開されると揃って邪魔だ。
「相変わらずおまえたちの漫才は騒がしいものであるな。エーリカのいないところでやってくれ」
「ほっときなさいよ!」
エーリカにも矛先が向いた。相も変わらず聞き流すということができないたちらしい。いちいち反応して疲れないのだろうか。
ぎゃんぎゃん喚くグレーテルはなんとか二人を追い払い、エーリカの伏せているテーブルの向かいに腰かけた。そのまま懐から煙草を引き出し、一本くわえて火をつける。
「煙草はやめろ。煙くさい……」
「我慢しなさいよ新米。煙草くらいやらないとあいつらと付き合ってらんないわ」
ふーっと一度だけ長い煙を吐いて毒づく。小学生のような髪型のわりにこういうところは無駄に大人らしく荒んでいる。とんとん、と灰皿の縁で煙草を叩くと、視線だけがエーリカの方を向いた。
「……それで? 分隊長が隣にいなくて寂しい子犬さん? いつまで無様を晒してるつもりかしら。仮にも下士官のくせに分隊の面目潰すような顔ができるんだから、さすがひよっこは違うわね」
「待機時間であろう、放っておいてくれ。おまえの相手をする気分じゃない」
いつもなら買い言葉のひとつでも返してやるところだが、半人前なのは事実なだけに反論できない。なにしろ一兵卒としての経験すらないのだ。ひよっことグレーテルが皮肉るのもむべなるかなと言ったところで、エーリカを本心から下士官扱いする人間などほとんどいなかった。
というか反論する気力がない。グレーテルの存在でいくらか気は紛れるものの、未だヴィルヘルミナのことが心配でならなかった。それを察したのか、グレーテルもつまらなさげに紫煙をくゆらせながら言う。
「分隊長のことなら大丈夫でしょ。いくら独断専行っていっても目的は一応達したわけだし、そう重い処罰にはならないわ。
ま、いっそ降格にでもなってくれれば好都合なんだけどね。そうなれば次の分隊長は私になるかもだし? 私の昇進も決まったようなものじゃない」
「……相変わらず低俗な考えであるな。ねーさまにはとても聞かせられたものじゃないぞ」
「安心しなさいよ、言わないから。上官に嫌われるなんて頭悪いことするわけないでしょ」
にぃと性格の悪そうな笑みを浮かべる。こんな表情、ヴィルヘルミナたち上官には見せたこともないのだろう。
しかし実際問題、こんなことを嘯くわりにはヴィルヘルミナを蹴落とすなど卑怯な真似はしないのだ。あくまで上に媚びて昇進を早めようとする程度に過ぎない。そんな一応の倫理感はあるからか、エーリカも彼女に嫌悪を抱くまでには至っていなかった。せいぜい気に食わないと思うくらいだ。
とはいえ、すべてにおいて思うところが違うかと言えばそうでもない。
「まあ私も驚いたけどね。分隊長があんな焦るの、はじめて見たもの」
この点に関しては二人揃っておなじ感想であり、そのこと自体、エーリカにとっては想定外だった。
「はじめて? あの独断専行がか? まさか、これまで一度もなかったことなのか」
「そうよ。珍しいこともあったものよね。そりゃあこれまで窮地なんて少なかったけど、それでもずっと冷静に対処してきたのに。タマラの言ってたことと関係あるのかしら」
「タマラが?」
いつも気の弱いあの一等兵の名だ。怯えた彼女の言葉を翻訳するのは、主にグレーテルの役目だった。
「女の悲鳴がどうとかいう話であったが……他になにか言っていたのか?」
「分隊長、苛立ってるみたいって」
苛立ってる分隊長なんて見たことないっていうのに。そう続けるグレーテルは分隊でもヴィルヘルミナに次ぐ古株で――多少癪だが――彼女が言うなら間違ってはいないのだろう。
実際エーリカも、ヴィルヘルミナの喝を入れる現場や軽く呆れる表情は見たことがあるものの、苛立ちだなんて陰険な感情はわずかも見出したことはなかった。
ならばつまり、今回は彼女にとって事情が違ったということで……
「……シャルロッテ・ケストナー」
今回の保護対象。国民の良妻にして賢母。そして昨日、ヴィルヘルミナと足を運んだ映画でヒロインを演じていた女優。
あの女がヴィルヘルミナの何かを変えたというのなら。
彼女はヴィルヘルミナにとって、いったいどういう存在なのだろう。
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