1-13スナイパーさんとスポッターさんによる最適解

 首都ライヒスケルンは、前世紀に大規模な区画整理がなされた景観都市である。


 約60年前の軍事革命クーデターによる軍国成立後、情勢がある程度落ち着いてきたころ計画されたのがそれだ。帝政時代の混乱を象徴する無秩序な街並みの整備と、人口集中に伴って拡大するスラムの一掃。その結果、かつての帝都はエーレンフェルト軍国の首都として生まれ変わった。

 飛行機で見れば綺麗な幾何学模様になるのだろうか。通りに沿って並ぶアパートメントは街区ごとでほぼ均等な高さになっており、屋根もそろって赤瓦だ。オフィス街や官僚街はそこまで厳密な指定を受けてはいないようだが、そのぶん壮麗な建築をしていることが多かった。


 もっとも、裏町やスラム街については軍国としての歴史を重ねるにつれふたたび形成されてしまったのだが……概観すると、この都市の道の通りは非常に分かりやすい。俯瞰であればなおさらだ。


 つまるところ、教会塔の通信兵から信号を受け取る自分──ナターリエ・バルヒェットにとって、その異変は立ちどころに知れた。


「えーっと……赤、発煙確認。フリーデン通りシュトラーセのほうに向かってる、だって。アネットちゃん」


 双眼鏡で塔の頂点付近を観察しメッセージを読み取る。

 日光を利用した発光信号ヘリオグラフは、訓練以外ろくに有線だの無線だのを貸してもらえない弱小小隊が散開する際の命綱だ。軍用車を借りる自分たちは機動力に優れているため、こうした命令も優先的に回ってくる。絶えず注意しておく必要があった。

 しかしふと疑問が頭をもたげ、運転席の相方に問いかける。


「あれ? でもあっちって、第三分隊の向かったほうじゃなかったっけ」

「さあね。なんにせよ色は第四分隊うちのみたいだし、少なくともうちの誰かが助けてほしがってるのは確かでしょ」


 ハンドルを握るのは少女──ともすれば10代前半にすら思えるかもしれない、小柄な娘だった。


 むろん運転を担当しているだけあって成人はしているのだが、140cmあるかないかの身の丈とリスのような童顔が相まってとても20代には思えない。着込む野戦服にも、子どものごっこ遊びにしては物々しすぎるという違和感しかなかった。

 しかし表情はいたってニュートラル、口調も淡々と落ち着いている。ガチャガチャとギアを切り替える仕草も手馴れたものだ。


「飛ばすわよ、ナターリエ。舌噛まないようにしてなさい」


 少女の皮を被った女──アネット・テールマンがそう警告した瞬間、ルーフのない車内に吹きこむ風が急激に厳しくなった。


 人通りの少ない道路を法定速度ぎりぎりで駆け、教会塔からの信号を頼りに目標を追う。もともとそう遠くない場所にいたためか、ものの数分で閑散とした裏町に出て、目標近くに辿り着いた。

 角を曲がる。長い通りに出る。ちょうどトラックが向かいからものすごい勢いで駆けこんでくるところだった。後部からもくもくと赤い煙を吐き出している。


「いた。あのトラックかしらね。こっち来る、速いわよ」

「大丈夫、間に合わせるよ。アネットちゃん、車お願い」


 トラックを見た瞬間にどう対処すべきかは判断できた。運転席からの発煙ではないあたり仲間の誰かの運転ではない。

 とすれば不届き者の運転する車両であり、下手をすれば保護対象が捕えられている可能性もある。どんな手を使ってでも止めなければならなかった。


「了解、お願いされたわ」


 皆まで言う間もなくアネットは頷き、すかさずUターンし車の背面を目標に向ける。助手席から後部座席に飛び移りながら、ナターリエは膝に置いていた愛銃を握っていた。


 軍国式ライフル第3世代。大戦期に生まれた旧式の小銃だが、性能については折り紙付きだ。


(速い……けど、まっすぐ近づいてるならなんとかなるはず…!)


 後部座席の背部、小さな荷台にもなっている平面に肘を乗せて構える。彼我の差は約700m。スコープをのぞき、アネットの伝える風向きと温湿度から、500m先で設定した照準調整ゼロインを微修正。

 残り650m、600mと加速度的に距離が縮まるにつれて無心が思考を制する。凪いだ観察眼が機を呼び寄せる。


 今だ。その直感の訪れた瞬間にトリガーを引いていた。


「──ふっ!」


 飛び出していく銃弾。それが目標に吸いこまれていくのを確認する前にボルトを引き、排莢と装填を終える。もう一度引き金を引いて、ふたたびの反動を受け入れた。

 狙いは過たない。運転手は怯えてこそいるが依然健在、代わりに右前のタイヤがべこりと凹み、走行に耐えうる安定性は失われた。


(やった!)


 これで逃亡は不可能。あとは引っ捕らえるだけだ。


 ……だが、タイヤを撃ち抜いただけで巨大な車体がぴたりと止まるはずもなく。


「あのね、アネットちゃん。これってまさかこのままだと……」

「どっかその辺突っ込むでしょうね」


 さらりと言うアネット。冷めた視線の先には、バランスを崩してなお逃走を諦めようとはしない運転手を抱えて暴走する、殺人的な質量があった。


「まずいよそれは! と、止めなくちゃ……」

「まあどっかの店に大穴開く程度だろうし、別にいいんじゃない」

「減給だし始末書だしお休み返上だよ!?」

「仕方ないわね」


 即答。またギアを切り替えUターンし、目の色を鋭く変えて告げる。


「ナターリエ、ライフル外に置いときなさいよ。それから、こっち来なさい」


 こうした「やる気」になったアネットの言葉には有無を言わせない響きがある。時間の猶予がないこともあり、アネットと同じくライフルを道端に投げ置く。

 そして腰を上げた彼女の代わりに運転席につくと、なぜか膝の間にふたたびアネットが座りこんだ。


「えーと……アネットちゃん?」

「さて、働くわよ」


 ドアを開け放つとそのままアクセルを深く踏み、急発進する軍用車。振り落とされそうになって思わずアネットの細い腰にしがみつく。アネットはといえばそんなナターリエに構うことなくアクセルを踏みこみ、踏みこみ続けて、緩めない。

 え、と顔から血の気が引いたときには遅かった。


「ちょっ、待って待って待って!?」


 叫んだところで止まらない。ブレーキなどもはや意味もなかった。直線上にはやはり速度を殺さずにいる鉄の塊。このままだとどうなるかなど、もう考えるまでもない。


 車間距離が50mを切る。互いに馬鹿みたいな速さで間を埋めていく。風とエンジン音が耳もとでうるさく鳴って、どんどん思考が磨耗して、トラックの影が軍用車のボンネットに差し掛かって。

 ……ああ、これは駄目だ。


「〜〜もう、アネットちゃんの無茶ああああぁっ!!」


 本能の警告に従い、アネットを抱え上げ開いたドアから飛び出した。


 石畳の歩道ともろにぶつかる衝撃。鉄と鉄の衝突する破砕音。一瞬にして爆発的な感覚の奔流が過ぎ去っても、呆然とする余裕も痛みに蹲る余裕もない。慌てて腕のなかのアネットを見下ろす。


「アネットちゃん無事!? 怪我は!?」

「……思ったより痛いわね。やっぱり労働なんてろくなもんじゃないわ」


 と、珍しく苦痛の色がにじむ声のわりにはそう目立つ外傷もない。手の甲についた擦り傷が痛々しいが、丈夫な野戦服やナターリエの受け身のおかげか、爆走車から飛び出したとは思えないほどの五体満足だった。

 ふー、と安堵の息をつく。自分も死ぬほど痛いとはいえ怪我らしい怪我もなさそうだ。あとで打ち身でもないか見ておこう。そう胸を撫でおろして立ちあがって、自分たちが何をしたのか思い出した。


「…………あ」


 車道のど真ん中に転がるのはかつてのトラックと軍用車、あるいは巨大な鉄屑。ぶつかった反動でか数メートルほど離れてこそいたが、どこからどう見ても正面衝突したことは明らかだった。

 何が悲惨かと問われればぐにゃりと潰れた互いの助手席だろう。座席の位置が高いトラックは下部が抉られた程度で済んでいるが、ナターリエたちの軍用車にいたってはフロントガラスから座席シートまでが滅茶苦茶に圧壊している。


 助手席同士をぶつけるのは自分たちの安全確保と運転手の生け捕りのためにアネットが意図してやったのだろうが、ほんの1分前まで自分が座っていた席がああなってしまうとぞっとするものがある。未だ噴き上がる発煙の赤も惨劇らしさを強調しており、まあ控えめに見て、大事故だった。


(これは……うん……)


 無事鎮圧は完了したとはいえこれでいいのだろうか。泡を吹いて気絶している運転手に同情してしまう。

 一方のアネットはといえば、平然とした顔で野戦服の塵を払い落として背伸びなどしていた。昔からとはいえあまりに神経が太すぎる。


「ほら、市民は無事でしょ。私たちも軍人の鑑よね、我が身を賭して市街の平和を守るだなんて。さ、行くわよナターリエ」

「……アネットちゃん」


 これ絶対始末書ものだよ――と言おうとして、考え直してやめた。もっと正しい言い方がある。

 自分たちの作った事故現場を遠巻きに眺めながら、ナターリエはひとり、静かに澄みわたる青空を仰いだ。


「これ、始末書で済むといいよね……」

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