1-6特別措置小隊の女たち①
そしてからりと晴れあがった月曜日。昨日の自由を名残惜しく思いながら、皆々仕事に戻って社会が回る一日目。
ヴィルヘルミナのやるべきこともいつも通りだった。休みを挟んだ部下の身体を、午前中しごき倒してもとに戻す。
週明けのウォーミングアップは一切の手加減をしないことに決めているので、昼休憩に入るまでには一部を除いてひいひい言っていた。午後は射撃訓練が終わり次第救護訓練に入り、とにかく集中力を取り戻させる予定となっている。いつもと変わらぬ月曜日のスケジュールだ。
つい先ほど、昼食を食べていた時までは。
「あらあ、ヴィルヘルミナちゃん。朝ぶりね、元気?」
妙に舌の回りが遅い、飴玉でも転がしていそうな声に振り向いた。
強くなってきた陽を背に近づいてくるのはにこにこ微笑みを浮かべる女だ。うなじのあたりで縛った長い髪がゆらゆら踊っている。全体のゆるやかな仕草と相まって、一見したところでは迷いこんできた主婦かなにかにしか思えないだろう――首から上だけを見ればの話だが。
とにかくでかい。ヴィルヘルミナも大概背は高い方だが、彼女に比べればさすがに霞んだ。なにせ185cm以上あるという。並みの男では敵わないし多くは引く。ついでに言えば胸についても規格外で、並の女は戦う前に剣を折った。
それがポケットだらけの上着とフィールドグレーのカーゴパンツといった武骨な野戦服を着てゆったり歩いているのだから、傍目には威圧感と違和感の塊だ。
(これだけ目立ってもどこ吹く風なのだから、本当に肝が太いというかなんというか……)
そんな内心も知らず、女は相変わらずの柔らかな笑みを浮かべてヴィルヘルミナの傍までやってくる。微妙に距離感が近いのは仕方ない。この女はそういうことを気にするタイプではないし、なにより……
「まだ昼だ。数時間でそうそう体調が悪くなってたまるか。お前の無理矢理改造の失敗作でもあるまいに、ユリア」
第三分隊長、ユリア・ズュースキント軍曹。
ヴィルヘルミナのたった一人の同期にしてルームメイトなのだから、これくらいの距離でこれくらいの軽口は叩けるのだった。
「あ、その銃どうかしら? 使ってくれた? 使い心地どう、ちょっと引き金軽くなってなかった? もし面倒ならもうセーフティトリガーごと取っちゃうけど」
ヴィルヘルミナの腰の拳銃を一瞥し、どこか爛々と垂れ目を輝かせながら言う。さらりととんでもないことを畳み掛けてきたがいつものことだ。
「よくないしいらない。暴発されてもたまらないし、というかそこまでいくと法に触れるんじゃないのか。やるなよ絶対」
思わずため息が出る。ちなみに冗談などではない。こうしたことを本気でやりかねないのがユリアという女なので、そのたび諭してセーブをかける必要があった。さぞ彼女の部下は大変だろう。
とはいえ、実際困ることがあれば助かることも多かった。ホルスターに収まった銃を叩いて苦笑する。
「引き金の件については問題ないな。重すぎず軽すぎずちょうどいい。相変わらずいい腕をしているよ、お前は。真面目にやれば」
「うふふ~、嬉しいこと言ってくれるのね。だからヴィルヘルミナちゃん好きよ」
含めた皮肉には気づいた様子のないユリアだが、合図もしていないのに歩きだすタイミングはまったく同時だった。進む方向もまるきり同じ。50メートルほど先、駐屯地の隅も隅にたたずむ2個中隊用兵舎だ。
白コンクリートで塗りこめられた壁には3階分の窓が無表情に並び、灰色のスレート屋根が切妻造で蓋をしている。この駐屯地で群をなす兵舎はすべてこれと同じ建築をしていた。ここに特異な点があるとするならひとつだろう。この兵舎が兵舎エリアからずいぶん離れてぽつりと一軒、侘しく突っ立っていることだ。
国首親衛軍宿舎F1号棟。この駐屯地、いや国内でもたったひとつの女子兵舎。ヴィルヘルミナやユリアら、同じ隊の仲間が起居をともにしている場だった。
そして同時に、小隊長をはじめとした幹部たちが事務仕事を片づける、執務室をそなえた建物でもある。
「ヴィルヘルミナちゃんもお呼び出し?」
「ああ。昼食の際、トラウリヒ曹長に聞かされた」
「ワタシはハルト曹長から。小隊長がお声掛けしてくれないなんて、珍しいわねえ」
扉を開け、ともに敷居を越えながらそうだなと頷く。とにかく隊員との交流を好く上官なので、こうしたことを人伝いにすることは少なかった。
いや、ほぼないと言っていい。せいぜい彼女が遠方に出張しているときくらいのものだろう。駐屯地と本部を忙しく駆け回る日々でも部下と話す機会だけは逃さない、そんな気質の隊長だ。
昼食にしても駐屯地にいればどこかしらの分隊で食べている。だというのに、今日に限って一体なぜ。
(……嫌な予感がする)
少なくともただの面談では終わりそうにない。あの小隊長でさえ悠長に構えてはいられない、そんな事情が見え隠れしている。
とはいえ確証もないただの邪推だ。無人の廊下に靴音を鳴らし、当たり障りのない返事をする。
「まあ、呼び出されたからにはそれなりの用件だろうしお忙しいのだろう。昨日の日曜になにか動いていて、そちらの処理を急がなければいけないだとかな。いつも余裕のあるお方だが、今日に限ってはご多忙な姿が見れるかもしれない。貴重だぞ」
「どうかしら~? もしかすると、また木陰で居眠りしてるのかも」
「……」
本来は諌めるべきなのだろうが、そうであった方が安堵できるという思いもあって何も言えない。そもそも当の小隊長にも前科がある。しかも何度となく。
そんな上官だ、心配したところで取り越し苦労に終わるかもしれないな――。そう自らに言い聞かせ、妙に騒ぐ胸を押さえる。目的地はすぐそこだ。
1階最奥にある扉には、小隊長室と刻まれたシンプルなプレートが打ち付けられている。半歩ほど先にいたヴィルヘルミナがノックし、中の待ち人へと呼びかけた。
「ヴィルヘルミナ・シュテルンブルク軍曹、ならびにユリア・ズュースキント軍曹、参りました」
返事はない。もう一度ノックし来訪を告げる。それを5度ほど繰り返したところで、ヴィルヘルミナは背後の同期に問いかけた。
「どう思う、ユリア」
「うーん、やっぱり外でお昼寝かしらあ」
とユリアはおっとり微笑んでいるのだが、笑っていい事態ではない。場合によっては小隊長を探して駆けずり回ることになる。
とはいえ、ずっとこのままでいるわけにもいかなかった。
「……失礼いたします」
ドアノブを回し、押し開ける。鍵はかかっていなかった。
小隊長室のドアはその責務に反して薄く軽い。中も執務室とは名ばかりで、他の部屋と同じく質素で殺風景だった。元は真っ白だったであろう壁紙は半ば黄ばんでいるし、床に至っては板張りもそのままだ。
執務室らしい点といえば、窓を背にして執務机がどしんと居座っていることくらいだろうか。かっちりした木製の机は唯一威厳らしいものであり、差しこむ陽できらきら飴色に光ったりしている。この空間にその立派さはかえって浮いていた。
そして案の定というかなんというか、執務机には誰の姿もなく。
「……」
「あらあらあ。これだとお外で宝さがしになりそうね」
「簡単に言わないでくれ……」
嘆息。どこか不穏な予感はあっけなく思考から吹き飛び、小隊長の不在にばかり頭が痛んだ。
よくあることとはいえ、肩に力を入れていただけに空振り感も強い。執務机の前でただ佇む。
「とりあえず、しばらく待とう。曹長のお二人がいないのも気になる」
「ワタシたちを呼んだのもお二人だものねえ。先に小隊長探しに出られてるのかしら」
「かもな。その場合、入れ違いになるとかえって手間だ。最悪置き手紙をしてから探しに出よう」
小隊長にしても用を足しに出ているだけかもしれないし、捜索は五分かそこら待ってからだ。腕組みして苦言を呈すぐらいしかできない。
「まったく、小隊長にも困ったものだ」
「そうかしら? こういうご自由なところ、おおらかでいいじゃない」
「まあおおらかなお人なのは認めるが……自由で言えばお前も相当だぞ」
「ふふっ、ヴィルヘルミナちゃんに褒められると照れちゃうわねえ」
「褒めてない」
またため息。やはりこの女も自由だ。
ユリアは長い背で伸びをし、邪気のない顔で笑う。
「だってヴィルヘルミナちゃんだって自由に男の人の格好してるし、第四分隊の子たちも自由にやってて楽しそうだもの。ああいうの、ワタシは素敵ねって思うわ」
「……ううん」
自分のことを例に出されると、さすがに返す言葉がない。
ヴィルヘルミナの男装癖は一般的な趣味ではないし、部下たちもとにかくクセが強い。それを自由と呼ぶのならそうなのだろう。とはいえ、あまり簡単なものでもないのだが。
「素敵だと言ってもらえるのは光栄だが、実際大変だよ。仕方ないとはいえ男の格好は変に目立つ。部下だってお前が数人いるようなものだぞ。それだけにやり甲斐があるといえばそうだが、まったく、自由とは難しい」
言って頭を巡るのは部下たちのしでかした問題の数々だ。頻度こそ散発的とはいえ、そのひとつひとつがやけにパンチが効いていた。こぼす言葉もいやに愚痴っぽくなっていく。
「皆実力は申し分ないが、いかんせん言動がな。この間も喧嘩賭博騒動があったし、あの軍用犬一斉脱走事件だって元を辿ればうちのせいだろう。私の監督不足も一因だが、もう少しこう……おいユリア、聞いてるのか?」
そうユリアを窺うと、彼女は静かに扉を見つめていた。笑みを深めてぽつりと呟く。
「……来たわ」
何が、と問う暇もなかった。ノックもなく薄い扉が開き、左右で重さの違う独特の足音が床を鳴らす。その姿を捉えるまでもなく、ふたりは踵をそろえて敬礼していた。
つんと漂ってくるのは官給品の安い煙草の匂いだ。短くなったそれを口端にくわえ、注目を一身に浴びる当人は綽々と気安い笑みを浮かべている。30代後半と見えるその女性はまるで酒場に一杯やりにきたような自然体で、しかし異様さに満ちていた。
まず視線を奪われずにはいられないのが右眼を覆う黒い眼帯、そして左手に握られた赤塗の杖だろう。重心はやや左に傾いており、これは右脚が義肢で補われているからだとヴィルヘルミナは知っていた。黒い軍服をまとい、物々しいサーベル状の軍刀が腰に吊り下がっている。そんな要素の数々が、あふれる生気の中で息づく死を思わせた。
ふたりの敬礼の前を闊歩して、杖をついているとは思えない軽やかさで執務机まで向かう。そして革張りの椅子に深く腰かけ、心地よさそうにひと息ついた。
「ふう、お疲れさん貴様たち。遅れて悪いが揃ってるな、重畳重畳。さて」
小隊長――ツェツィーリア・ライヒナーム上級曹長。
ここに集った2人を、彼女らに率いられる部下たちを、従え導く剛毅なる上官。
アルミの灰皿に煙草を押しつけ、椅子の肘かけに頬杖をつく。肩口で切り落とした藤色の髪がさらりと揺れる。その隙間から血のように赤い左眼がのぞき、誘うような試すような蠱惑の色を見せていた。
どうやら機嫌は上々らしい。吊り上げられた唇が開き、なお口端の笑みを深めていく。
「
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