epilogue《目で囲まれた世界》

 2017年1月7日。

 君が息を引き取ってから、11日が経った。君の命日が正月に近かったため、葬儀屋や火葬場が休みになってしまった。だから、今日通夜が行われる事となった。

「本日は息子のためにご参列いただきまして、ありがとうございます――」

 君の父親が挨拶をする。それを私は、黙って聞く。心の中には、罪悪感と歓喜が満ち溢れている。矛盾した感情だが、それ以外の感情は無い。ほぼ同じくらいの量だが、少しでも歓喜が上を行ってしまうと、笑みが零れそうになってしまう。丁度半分に保つ事はとても困難だった。

「本日は誠にありがとうございました」

 一同が礼をする。感情の事を考え続けていたので、礼を忘れそうになって、遅れて礼をする。

 隣に座る母が、私の表情に気付いて体を突付く。

「何してんの。ちゃんと集中しなさいよ」

 場内のアナウンスと母の言葉が重なる。母の言葉からして私の顔には、笑みがあったらしい。きっと罪悪感よりも歓喜が大きくなったのだろう。しかし、自覚は無い。母に指摘されるまで気付いていなかったのだから。

 アナウンスが切れると、次々と人が立ち上がった。驚いたが、それよりも歓喜の思いが強かった。

 ついに抑えきれなくなって、口を隠す。手の下には笑みが隠れている。これが母に見つかったら、怒鳴られるに違いない。必死に隠すが、今度は声が出そうだ。

 周りの目には私が泣いているように見えているだろうが、涙は溢れて来ない。自分で殺しておきながら悲しむなど、してはいけないと思った。

 しかし、それも一分程しか持たなかった。

「っ……!」

 笑っていたはずの目が、雫を垂らしている。なぜなのか、分からない。

 私の心には、罪悪感と歓喜しか無かったはず。それは嘘だったのか。自分の心理が分からない。私は悲しいのか、君が居なくて寂しいのか。――分からない。

 私も周りの人と同じように椅子から立ち上がる。向かった先は、出口ではなく、君が入っている棺桶。ふらつく足取りで君に辿り着く。

 大きな振動が私の体を襲う度に、涙が一粒ずつ床に落ちる。そして、落ちる度に新しい涙が溢れる。

「やっぱり私は駄目な人間だね……。君が居ないと、何も、出来ないよ……!」

 棺桶にしがみ付いて君に話し掛ける。しかし、君は目を瞑つむったまま、何も届かない。

本当に君は、私の手が届かない場所へ行ったのか。

 それが確信に変わったのは、君の火葬まで終わった翌日だった。



「毎日来てくれてありがとう」

 私は君に線香をあげて、君の父親から礼を言われる。その度に私の罪悪感は蘇るのだ。

「いえ、友達でしたから」

 演技で私は、寂しそうで泣きそうな顔をする。君の遺影を見ていると、君の父親が手招きをしているのが見えた。そちらへ向かうと、お茶が用意されていた。

 机の近くに腰を下ろすと、君の父親が口を開いた。きっと君の思い出話だろう。

「あいつはずっと、君の話をしていたんだ。他の話なんて、滅多にしなかったなぁ」

 少し目に涙を溜めながら、彼は呟いた。その目は君と同じ、純粋で透き通っていた。やっぱり親子だな、と思った。

 彼の言葉を聞いたまま、私は黙り込んだ。私から話をすれば、彼だけではなく私まで泣いてしまうと分かっていたから。

「君の話をするあいつは、すごく楽しそうだった。暗い顔一つ、しなかったよ。見ていても楽しさが伝わって来て。でも、ね……」

 歯切れの悪い彼の言葉に、俯いていた私は顔をふっと上げた。目が合った彼は、無理矢理に微笑んだ。

「どうしたんですか……?」

 話の続きが気になって、私が声を掛ける。すると、今度は彼が俯いて、話し始めた。その顔に笑みはもう無かった。

「どこか寂しそうだったんだ。辛さを笑顔で消そうとしてるかのように、私には見えてね。話を聞きながら笑顔を保ったけど、内心は見ていてとても耐えられなかった」

 眉間に皺を寄せながら、彼は語った。まるで、君の全てが書かれている書物を読んでいるかのように。静かに、ゆっくりと君について、語り明かしていく。

「あいつに聞こうと思ってきっかけを作ったけど、結局は聞けずに……ね。こうなっちゃった訳だけど。やっぱり悲しくないと言ったら嘘になるかな。でも、なんだか分からない気持ちが心の中を彷徨ってるんだ。よく分からない感情が」

「それ、分かります。私の心にもよく分からない気持ちが入ってるんです」

 彼の言葉に私は共感した。よく分からない感情がある事は事実。嘘偽りは無い。しかし、どこか彼の気持ちとは違うような気がして来た。

 彼が心に隠しているのは、君を失ってしまった事による喪失感。私の心にあるのは、歓喜と罪悪感が混ざり合った物、だと思う。同じようで別の物であった。

 よく理解出来ない感情であったが、私には分かる。彼が胸に秘めている、その感情が。なのに、自分の感情は上手く表現する事が出来なかった。

 胸に手を当てて、私はそのまま言葉を続ける。

「あの人を失ったからなのか、感情までも失ったような感じがするんです。心にぽっかりと大きな穴が開いてしまったかのような。不思議と寂しいとは感じないんです。ただ、喪失感だけが、私を襲ってくるような……。そんな感じがするんです」

 私の言葉に彼はうんうんと頷いてくれた。身振り手振りで伝えたが、深いところまで伝わっただろうか。私の感情全てが彼には理解出来るだろうか。

 最終的に私は胸に手を当てたまま、そこにあった服を掴んだ。皺が一気に出来上がる。それでも、私の感情は揺るがなかった。

 私の手をじっと見ていた彼は、はっと何かを思い出したかのようにビクっと体を震えさせた。それを視界の端で捉えた私も、体を震えさせた。

 そして、彼は私の度肝を抜く発言をした。

「もしかして……君があいつを……?」

 言葉の先に何が続くのか、私は推理をしてしまった。そして、答えが出てしまった。

 彼はきっと、『君があいつを殺したのか』と聞いたのだろう。そして、そう考えてしまった自分が恐ろしくなって、急に席を立った。

「っ、ごめんなさい……!」

 私はそれだけを言い残し、外へ飛び出た。外の空気はとても冷えていて、長居は出来ない程だった。

玄関からは誰も出て来ない。てっきり彼が追い駆けて来るのかと予想したが、違ったらしい。

 まさか彼に勘付かれるとは、思っていなかった。それも手を見られて。

 私の右手には、洗っても取れない君の血痕があった。数日間、放置してしまった事が原因なのか、未だに取れていない。どれだけ石鹸を使い、どれだけ擦っても取れてはくれない。これは君の呪いなのだろうか。深く考え続けても答えは出ないと思い、私は諦めた。

 彼の家の中からは、ガラスが割れるような甲高い音が鳴り響いていた。きっと私が君を殺したと分かって、彼が暴走を始めたのだろう。そこに私が入って行ったとしても、怒りが増してしまうはず。下手な行動は出来ない。

 そのまま君の家を離れようとすると、目の前から一人の男性が歩いて来た。顔は………君によく似ていた。

 一瞬、男性の顔を見て怯んだ私を彼は、見てしまったのだろう。こちらへ向かって来る。それを避けて私は横を素通りする。が、彼に腕を掴まれて行く先を行けなくなった。

「何? 俺に何か用だったりする?」

 身長が高く、金髪だった。そう、まさに君が死にかけた日に出会った、男性のよう。名前は――魔界の美王。

 それが確信に変わったのは、彼の口から出た言葉だった。

「あれ? もしかして俺達、会った事ある?」

 返事は出来なかった。彼から、君についてを聞かれるのでは、と恐怖心に駆られたからである。死んでしまった事は知っているだろう。私が君を殺してしまった事は? 彼が知っている範囲が分からない。

 相変わらず彼の表情からは、感情が読めない。目を見ればだいたいの人の感情は分かるのに、彼だけは分からなかった。

「き、気のせいじゃないですか……? 私、先を急ぐので」

 私は震える声で、脚を踏み出した。が、より一層彼に強く腕を掴まれた。その途端、私の体は硬直した。

 もう駄目だ。私は君の最期を彼に話さなければならない。

 追い詰められた私の背中には、冷や汗がびっしりと張り付いていた。その汗は額にも浮かび上がっている。顔も血の気が引いているのが自分でもよく分かる。固まった体はどんどん冷えていく。外気の温度よりも冷たくなっていく。

 そして、ついに私の口から自分でも予想すらしていなかった言葉が飛び出た。

『ごめんなさい! 私があの人を殺したんです! 本当にごめんなさい!』

 私は、突然彼に向かって謝罪をした。極限まで瞑った目からは涙が滲み出ている。そんな目を開けて彼の表情を見てみると、片目だけから涙が零れた。まるで私の涙を代わりに流しているかのよう。

 〝能力〟を纏った私の謝罪の言葉は、彼の心にすっと入って行ったかのように、彼は数秒間泣き続けた。

 そして、その後。優しくなった彼の言葉が私の心に届いた。

「君は素直だ。自分が悪いと思ったら、今のように謝れる。一瞬だけ、俺は君が羨ましいと思った。……そんなに強く謝らないで」

 彼は話しながら私に一歩、近付いた。目が合った矢先に、私の口は開く事を禁じられた。

 熱い抱擁を受け、私は再び体を硬直させた。そして冷えていた体が、じんじんと温まるのを感じた。動きが遅くなった心臓も、目的を見つけたかのように速さを増して行った。

 私の口は彼の口によって塞がれた。まるで、あの夜を再現しているかのようだった。そして、やり直しをしているように感じられた。

「この世には、しなくてはならない事がある。だから、君の行動も意味のある物だったんだよ。反省する事はあるかもしれないけど、そこまで自分を追い詰める事は無いんだよ」

 男性の言葉が心に吸い込まれて行く。目に滲んでいた涙も、冷気を纏った風で乾いていった。彼の涙もそれで乾いていた。

 私はずるいと思った。キスをしてからの笑みは、人間としてずるいのではないかと思った。私はその笑みに全てを預けてしまいそうになる。体も、心さえも。

「でも、私は罪深い人間です。赦されるはずもない人間なんです。こんなのはもう世界に生きていたって、どうしようもないでしょう?」

 考えても無い言葉が私の口から漏れた。再び私の目には涙が溜まり始めている。それを彼は左手で簡単に拭ってみせた。

「目線の先に彼が居なかったとしても、俺が居るから。泣いたりしないで」

 今度は笑みではなく、真剣な眼差し。君のような純粋で、素直で、透き通った瞳が私の目を捉えていた。そこから私は視線を逸らす事が出来なかった。逸らしてしまったら、それこそ敗北者のような気がしてならなかった。

 今の言葉はどのような意味合いなのだろう。そして、私の眼前に立つ彼の正体は何だろう。

 新たな疑問が頭を埋めて行く。聞くにも聞けない状況が続く。彼の瞳は未だ、私の目を見つめたまま。敗北者にならないためには、自分から抜け出すしかない。

「私、あなたとじゃなくても生きて行けます。泣いたりしても、死ぬ訳じゃないですよね? だったら、私は独りで生きて行きます。あの人の分も、しっかりと。……それから」

 私が言葉を切ると、彼は私の顔を覗き込んだ。より一層、顔が近くなり、私は油断の隙を見せてしまった。それに気付きながらも彼は微笑んだ。

「何?」

「えと……」

 聞けるはずの状況で、私は次の言葉が出なくなった。どうやって言葉を選べば、彼を傷付けずに済むだろうか、と咄嗟に考えてしまった。心の片隅で私は彼を必要としているのだろうか。その場で自問自答が繰り返される。

 空気を呼んで、彼は私の言葉を待っていてくれる。が、それにも限度があるらしい。すぐに、彼は後ろを向いて一歩ずつ私から離れて行く。

「あっ……、あなたは! ――誰、なんですか?」

 思わず強い口調になった私の言葉に、彼は足を止めた。答えてくれるのだろうか。

 不意に彼が振り返り、私と目が合った。緊張感が体中を駆け巡る。鼓動も速度を増し、無意識に表情が硬くなる。

 数秒の間が空き、彼の口が開く。

「――さぁね」

 呆気にとられた。自分の正体を明かさずに去って行くなど、無礼すぎるのではないか。それに加え、名前を言わず口付をするなどあまりにも失礼すぎる。私はまだ、彼が本当にあの夜会った魔界の美王なのかも分からない。

 私が彼を睨むと、次の言葉が届いた。

「でも、あいつの兄弟だって事は確かだと思うよ」

 言い残し、彼は歩を進め始めた。どんどん小さくなるその姿は、本当に君を見ているかのようだった。



 後に、君に兄弟が居たという事が分かった。それも、魔界の美王と名乗っていた男だ。姿は似ていなかったが、雰囲気や口調が時々、似る事があった。その度に私は、彼に君を重ねてしまった。

 全ての謎は解けないままだが、その鍵を握るのは生きている私と、この世界には存在しない君だけ。私と君が繋がったからこそ、生まれた謎なのだ。

 私は死んでしまうまで、君を殺したという事実を隠しながら生きて行く。そのためには、君を忘れずいつまでも〝能力〟を保って行かなければならない。


 私が君に伝えたかった事。それは。

『私を――して』

 それだけだった。

 目線の先に君が居なかったとしても、私はそれだけを願う。

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目線の先 千ヶ谷結城 @Summer_Snow_

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