episode8《目線状の君へ》

 二一一六年十二月二十六日。

 私が〝能力〟で君をベンチから立ち上がらせてから、微妙な間が空く。相変わらず、私の体は動かないまま。原因はもう分かっているのに、解決策が分からない。

 君の事は忘れて自分の体に意識を届かせるが、それでも動かず。どうしたら私の体は、動くようになる? 頭を悩ませても、延々と続くばかり。解決など、間違ってもしない。

 原因は君。しかし、君のせいではない。私が悪いのだ。君に意識を届けすぎて、自分の体に気が回らなくなっただけ。そうだ、原因は君で悪いのは私。

 脳内は動くのに、体だけが動かない。悔しい気持ちになって、表情を変えようとするも動かず。これでは近くの人に、私の意思を伝える事すら不可能になる。

 数分待っても、私が声を掛けない事が不思議だと思ったのか、君は振り返った。それを私は目だけで追った。そして、私の体が固まった姿を見て君は、目を見開いた。私には分かった。君が今、私の姿から何を感じ取ったのか。もしかしたら、計画の内容までもが分かってしまったのかもしれない。背中に冷や汗を掻き始める。

 計画を実行する事で頭がいっぱいになった私は、自分勝手に右手の指が動いている事に気が付いた。そして、肝心な事を思い出す。

 私は計画を実行しようとしていたんだ。こんな所で躊躇っていてはいけない。

 自分に言い聞かせ、ゆっくりと体を動かそうと試みる。すると、先程の出来事が嘘だったかのように、いとも簡単に体が動く。

 自分の手を信じられない形相で私は見つめた。本当に信じられなかった。思った通りに体が動かない事はとても不自由な事なんだと、今身をもって体験した。

 汗を掻いた背中が乾き始める。冷えるが、計画を実行する事よりは我慢出来る事だ。

 深呼吸を何回か繰り返していると、君が口を開いた。本当は黙って計画を完成させる予定だったが、私の体が動かなくなる事は想定外だった。

「大丈夫? 辛そうだけど……、もう家に帰った方が――」

「大丈夫っ! 話の続きをするね」

 君の言葉を遮って私は、話し始めた。体が固まったなんていう過去が無いように。

 心配をしてくれる事はありがたいが、計画を実行したい、完成させたいという思いが私の中では強すぎて、それ故に強がりをしてしまった。実際、私の体はもうくたくただった。疲れ果てて、今すぐにでもベッドに倒れ込みたい気分だ。しかし、それも君を――せるのであれば、我慢が可能だった。

 私は君の肩に手を置いて、目を見つめた。純粋で透き通った瞳。君の瞳を見ていると、私の心の中にある邪心が消えてしまいそうだった。不意に私は、視線を君の目から首に移した。

 邪心は、君のような目でさえも打ち勝てないのか。ただのイメージでは邪心が強いが、私の邪心では脆もろく弱い。美しい目から逃れるしか自分を保つ術が無い。悔しい。ただただ真っ直ぐ素直に生きているだけの君に負け、邪心を抱いてしまった自分が悔しい。

 罪に問われる事よりも、君の瞳に負けてしまう事の方が怖かった。

 色々な事を考えている内に、私の心臓は心拍の数を増やしていた。もう覚悟が出来た。君を失う覚悟が。君が居ない世界を生きる覚悟が。君が届かない場所に行ってしまう覚悟が。

 もう一度、私は君の目を見つめた。そして、君の強心に勝てる言葉を選ぶ。

「私は失わなくちゃならない。大切で、大切ではない者を。ごめんね、赦して……」

 腰からサバイバルナイフを取り出す。しゃきんという重く軽い音がその場に響いた。君はナイフを見た瞬間に、そのままの表情を固まらせた。しかし、逃げる様子は無い。やはりもう分かっていたのだ。それとも、初めて知ってその運命を受け止めるのか。そんな二択で私は迷う。

 公園に差し込んで来る優しい日光が、私が持っているナイフを照らした。反射をすると、近くにあった自動販売機に当たる。そこで私は改めて実感した。あぁ、私はナイフを持って君を――そうとしているのだ、と。

 覚悟は出来たはずなのに、手が酷く震えている。今にもナイフを地面に落としてしまいそうだ。

 自分に落ち着けと言い聞かせるたびに、君から貰った言葉が蘇る。

『僕とやらない!?』

『授業中ずっと僕の事、見てたでしょ?』

『駄目だと分かっていても、やってみなければ分からない』

『君は、僕に何をしようと思ってるの?』

『僕には量れないよ、絶対に。でも、君なら出来るんじゃない?』

『罪っていうのは、罪を犯した人しか分からないんじゃないかな』

 思い出すと、思わず笑ってしまう言葉もあった。しかし、それも全て君の一部。そして、私が愛した君の全てなのだ。

 記憶を振り返っていると、無意識に目に涙が溜まっていた。泣きたい訳では無いのに、どんどん押し寄せ、ついに私の頬を伝った。

 君は何も言わずに、ただ私を見つめていた。私の、突然の涙にも驚かず。

「やっぱり君はそうだったんだね。なんとなく分かってたけど、僕は君が大切だから言い出せなかった。……君の為なら、自分を犠牲にしてもいいと思ったから」

 すぐに君は格好付けて、キレイ事ばかりを言う。私と初めて出会った時からずっと、そうやって一緒に過ごしてきた。

 大切だからこそ言えない事、大切だからこそ言える事。たくさんあるけど、私には重い物だった。弱くて脆い心を持った人間だから。君のように強く優しい心ではないから。

 君にはもう計画の内容全てが分かっている。これから私が君を。


 殺す事も。


 全てを受け止め、君はそこに立っているのだ。そして私は今から、決して傷が付かない美しい心にナイフを刺す。負けてしまっても構わない。勝っても負けても、私に罪がある事に変わりは無いのだから。

 私も君も、何も言わずに時だけが過ぎて行く。風が優しく吹き、時が止まるような錯覚を感じさせる。

 右手に握られたナイフは今も震えたまま、カチャカチャと音を立てている。鳴り止ませるには君を殺し、手放すしか方法は無いだろう。

 しんと静まり返った公園に鈴のような、しかし意志がこもった声が響いた。私は、伏せていた顔をはっと上げる。

「いいよ、僕は。君がやりたいようにして。殺したいなら、殺して構わない」

 笑顔で君は呟くように言った。本当は手が震えてしまう程、怖がっているのに。強がりばかりして。まるで、鏡に映った自分を見ているようだ。

 君が大切だと思う度に、計画の実行を躊躇ってしまう。なぜ、私は君を殺そうと決めたのか。自分の行動ですら信じられず、追い込んでしまう。

 私が苦しんだ時、辛くなった時は必ず君が手を差し伸べてくれた。しかし、君の言葉に甘えて今、殺してしまえば君どころかその救いの手までも失ってしまう。

 私が悩んでいると、再び君が口を開いた。

「伝えたい事がいっぱいあるけど、一番伝えたいのは――」

 一度、言葉を切り、目を閉じ、開く。


「さよなら」


 笑顔になる反面、君の目からは雫が一滴、二滴と落下する。やはり君は強い。心も体も全てが。そんな君の涙が見るに耐えなくなって、私は一歩近付く。そして、君への鈍痛。

 君の白いシャツには、赤い液体が染み始めている。表情は苦痛そのものに。唇を噛み、そこからも赤い液体が滲み出す。

 ドサッという重たい音と共に、君が地面に倒れる。私は、現実を見まいと目を瞑った。君の顔は涙でくしゃくしゃで、私の心を傷付ける物だった。

 長い月日を経て計画を実行したというのに、結末は無残で残酷な物だった。自分がしたくてやったのに、誰よりも悲しく哀しい。

 君が伝えたい事を四文字で片付ける事が、私には信じられなかった。一番伝えたい事は別れなのかもしれないが、もっと……。もっと大切な事が……!!

「私も! 君に伝えたい事が本当はいっぱいあるの。君の命が尽きてしまう前に、全部言うから聞いてて」

 私は自分勝手な会話で、言葉を次々に口から出した。君の表情は、今も苦痛に満ちている。

「私と出会ってくれてありがとう。いっぱい迷惑掛けてごめんね。一緒に行った所、全部楽しかったよ。君と過ごした日々は宝物だよ」

 どばっと言ったが、まだまだ言いたい事はたくさんある。君は目を瞑ってしまいそうになる。息を吸い込んで、また言葉を繰り返す。

「君からの言葉全部が嬉しかったよ。喧嘩もしたけど仲直りが出来てよかった。――あとは……」

 言いたい事があったはずなのに、私の頭の中は二つの事だけでいっぱいになっていた。君はもう目を閉じた。しかし、息は途絶えていない。

「ごめんね……。ありがとう……。ごめん、ね……あり、がとう……」

 何度も同じ言葉を繰り返してしまう。そして、君のように顔を涙でくしゃくしゃにしている。一番大切な事を言っていない。私はこれだけを君に伝えたかった。

「私はね、君が……。――好きだった」

 しかしもう遅い。君の息は細くなる一方で、私は君に言葉を送り続ける。遅くなった告白も届いているかは分からない。

 数秒の間が空いても君からの返事は無い。最期の別れだと思っても涙は溢れないのに、君が好きだと思うと涙が溢れる。

 嗚咽が絶え間無く出る喉で、私は一生懸命に息をした。しかし、自分ではちゃんと息が吸えて吐けているのかが分からない。きっとこれが過呼吸という物だろう。

 もう動かないはずの君の手が、私の脚を捉えた。君の手には血液が隙間無く付いていた。その手で掴まれたので、私のズボンの裾は赤い指の跡が付いた。

 君は震えている口を開いた。目はもう瞑っていて、どこを見ているのか分からなかったが、何かを訴えようとしている事は分かった。それだけは私も理解しようと思い、顔を君の口に近付けた。

「ぼ、くも……ね。きみ、が、すきだ、った……よ。でも……」

 苦しそうに君は話した。私の脚にあった君の手をぎゅっと握る。その手は微弱な力しか無く、痙攣を繰り返していた。時折、大きな動きをするが、それも意志を伝えようとしているのだと思った。

 君は言葉を一旦切ってから、続きを話し始めた。

「もう、むりだ、ね……。きみ、の、きも、ちは……かえられ、ない、もんね……」

 決して大きくはない声を君は発し続けた。心臓の動きも弱まっているはず。なのに、君は私に話し掛ける。

 いつまで君は強いままなの? 死に際までそんな気持ちでいられるなんて、強すぎる。やっぱり君は、私の憧れなんだ。

 君の言葉を聞いた私は、より一層強く手を握った。今にもぎゅう、と音が鳴りそうな程に。


 そして、君は一度だけ微笑み、息を引き取った。




 私の眼前には君。地面に倒れている君が居る。左腹にはサバイバルナイフが刺さったままだ。そろそろ君の血液も固まり始めるだろう。

 君が息を引き取ってから一時間近く経過するが、人一人この公園の前を通らない。私にとっては都合のいい事だが、君にとっては都合が悪い事だろう。発見されない事は、そのまま放置される事とほぼ同じなのだから。

 倒れている君を見て、私は迷っていた。このままでは、君が本当の孤独になってしまう。一人ではない独りに。しかし、私がここに居れば、近所の住民に犯人だと言われ警察行きだろう。年齢も14歳をとうに過ぎているので、罪に問われてしまう。殺人をした事に変わりは無いが、容易く刑務所に入るなど御免だ。

 私の中にある選択肢は二つ。君を助けるか、見捨てるか。

 助けてもいいが、事情聴取が面倒……。では、ない。私には〝能力〟がある。〝能力〟さえ使ってしまえば、こちらのものだ。しかし、助けたらここまでした意味が無くなってしまう。

 見捨てたら、その場面を見かけた人が通報をしてしまう。しかし、それも〝能力〟でどうにかなる問題だ。

 結局は、全て〝能力〟で賄えるのだ。ついでに、自慢ではないが、私には幼い頃に身に付いた演技力もある。それらを駆使すれば、刑務所に入らなくて済む。

 自分の結末が整理出来たところで、私は空を見上げていた視線を君に戻す。さぁ、どうする。

「君はこの後、どうなりたい?」

 私は君自身に聞く事にした。しかし、当然ながら君は応えない。分かっていたが、私が君の結末を決める事は、いけないような気がしたのだ。

 君の背に手を当てる。ひんやりした背中には、重い糧が取れたかのように清々しく見えた。

 私は自分が着ていたダウンジャケットを君の上半身に掛けた。それもナイフが見えないように。

 ダウンジャケットは女性がくれた物だ。風を通さず、温かい。

 脱いだ瞬間に冷えた風が、私の体を撫でて行った。女性の家を出た時は、春一番のような温かい風だったのに、と自分の心中で不満を言う。

 君にダウンジャケットを掛けた私は立ち上がる。そして、一言呟く。

「最期まで迷惑を掛けたね。もう、強がったりしないで、ゆっくり休んで」

 君を殺した張本人である私は、姿を見て微笑んだ。君の最期であったように。

 君を殺せて嬉しい訳ではない。計画が実行出来て嬉しいのだ。長い月日を経てここまで来た。その事を考えていると、右目からだけ涙が落ちた。涙の到着点は君の頬。まるで、君が泣いているかのような状態になった。偶然それが視界に入ると、ぼろぼろと涙が落ちて行った。そして、その全てが君の頬に当たった。

「ごめんね……。ごめんね……!」

 急に君を殺してしまった罪悪感が訪れた。本当は嬉しいはずなのに。計画が実行出来て嬉しいはずなの、に……。

 私の目から流れる涙は涸れる事を知らないかのように、どんどん溢れた。拭っても拭っても、流れる。服の袖では拭いきれない程の水量が、目からぼたぼたと落ちていく。

 君が私の目線上から消えるなど、想像すらしていなかった。学校に行けば会える。そのはずだったのに、今日でそんな概念が崩される。

 君の眼前に居る事が耐え切れなくなって、私は公園から姿を消した。そして、君の姿を見たのは、2016年12月26日が最期。その日が君の命日である。

 私の目線上に君はもう居ない。

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