episode7《縛られた目線》

 2016年12月26日。

 カーテンの隙間から差し込む日光で私は目を覚ました。昨夜、女性と話をしたまま眠ってしまったようだ。

 部屋の冷えた空気が、私の体を撫でていく。体を震えさせながら私は、我慢して布団を剥いだ。裸足だったため、床の冷たさが足から伝わってくる。急いで、女性が居るであろう部屋へと向かう。

 ガチャリとドアを開けると、キッチンに立つ女性が視界に入った。目が合った私達は同じタイミングで微笑み合った。

「おはよう。少し寒かったけど、よく眠れた?」

 ザクザクと何かを刻むような音を立てながら、女性は私に問い掛けた。私はソファを目指して一直線だった進路を、女性が居る方向にずらした。そして、より一層笑みを深めた。

「大丈夫です。寒かったのは、さっきだけですから」

 女性の目の前に立つと、昨夜の記憶が蘇った。

 私は話の途中で眠ってしまったのだろうか。記憶が曖昧でよく思い出せない。女性の顔を見つめても思い出せないだろう、と自分で分かっていても視線を逸らせる事が出来なかった。

 私の視線に気付いたのか、女性は顔を上げた。とぼけたような表情をしていたが、それも三秒程で崩れた。

「もう少し待ってて。すぐに朝ごはんを作るから」

 言葉を発した途端、女性は慌しく動き始めた。それを感じ取って、私は再びソファを目指して歩き始めた。

 ソファに座ると、部屋の扉がゆっくり開いた。目を凝らすと、入って来たのは君だった。頭には寝癖があり、目を擦っているその姿は昨夜の君よりも哀れだった。呆れた時にするような溜め息を吐くと、君からの不満が飛んで来た。

「何だよ。その溜め息は、僕に向けてなのか?」

 君はソファではなく、ストーブを目指してこちらに歩いて来た。君がストーブの前に居座わると、女性が朝食を持って来た。全ての料理から湯気が立ち上っていた。

 メニューは、トースト、コンソメスープ、いちご、ココアだった。

 女性が持って来る飲み物は必ずココアだった。それしか無いのかと疑問に思ったが、なぜか質問をする気にはなれなかった。そもそも質問をしたところで、「駄目?」と逆に聞かれてしまう事が予想される。どちらにしても、私の立場が下になる事に変わりは無い。

 自分の考えにぐったりしながら食事を開始すると、君はもう食べ終わっていた。その光景に驚きを隠せなかった。まだ、五分も経っていないはずだ。なのに、君の皿が空っぽなのは何かのマジックが起こったからなのだろうか。

 荒れかけた呼吸を整えて自分の食事を続ける。君の皿は気に留めない事にした。



 時刻はもう午前十時にまで達していた。しっかり休憩もした。食事も貰った。もうここに居る理由も無いので、私は全ての荷物を持って立ち上がった。私の動作と女性の目線がぴったりと一致して、同時に上へ上がった。下から眺めて来る女性の顔は何だが新鮮に感じられた。

 女性から一歩離れて、私は君にも合図を出した。そして、君も立ち上がると、私は口を開いた。

「お世話になりました。もう、自宅へ帰ります」

 私の言葉に続いて君も首を縦に振っている。無断外泊をしてしまった君は、帰ったら親に叱られてしまうだろう。全ての責任は私にある。これから一緒に謝るつもりだ。

「もう帰るの? ……そうね。もう帰らないと、親に何か言われるもんね。入り口まで送るわ」

 女性も私の言葉に納得をして、自室へ向かって行った。

 戻って来ると、冬用のアウターを着ていた。そんな遠くまで送ってもらうつもりは無いが、そこは我慢して移動をする。

 玄関へ向かう廊下で君から耳に囁かれた。驚いたが、すぐに耳を貸した。

「僕から話があるんだけど……。帰る前に公園に寄ってもいい……?」

 後ろからだったが、足は止めずに君の誘いを受けた。自分で帰ると言いながら、寄り道をするなど女性に聞かれたら文句を言われるに違いない。親のような性格にうんざりする事は目に見えているので、静かに君の対応をする。

 玄関の扉を開けると、春一番のような温かい風が頬を撫でた。昨日の冷気は嘘のようだった。一応、私はカーディガンを来て外へ足を出した。12月とは思えない気温だ。

 女性の家はマンションだったようで、エレベーターが真正面にあった。そして、丁度この階で止まっていたので、急いでボタンを押す。

「じゃあ、気をつけて。あんたはお母さんによろしく伝えてね」

 女性の最後の言葉に肯いて、私と君はエレベーターの扉が閉まるまで手を振り続けた。

 数分で一階まで降りると、すぐ近所の公園に向かった。



 君の話が始めるまでには結構な時間があった。公園内にある自動販売機で温かい飲み物を買って、半分程飲んだところで君は少しずつ話し始めた。その内容は飲み物とは反対に、冷えた話だった。

「君は、僕に何をしようと思ってるの? 予想なんて出来ないと思うけど、知りたいよ」

 私の計画が君にばれた。というか、見透かされている。そう思った途端、君の目を見つめていた視線を他に移した。私に不利な感情を君は抱くかもしれないが、それでも計画の内容を話すにはいかない。例え、自分を犠牲にしたとしても。

 温かい飲み物の缶を凹みそうなまでに握り、君の反応を待った。反応を待っているのは、君なのかもしれないけど。

 短くて長いような沈黙が作られる。私が答えないのは、間違っているだろうか。結末を知りながら、君は幸せに生きてくれるか。様々な疑問が心に募る。その間も沈黙は続く。

「――やっぱり」

 と、そこで君の声が聞こえた。このような沈黙を壊すなら大きな理由があるのだろう、と思った。視線を君の手に移す。間違えても君の顔は見れなかった。そして、そのまま君の次の言葉を待った。

「やっぱり、答えなくていいよ。君も答えられないみたいだし」

 呆れた声で君は喋った。そして座っていたベンチから立ち上がった。見上げた目線の先には、君の大きな背中があった。

 その大きな背中には、たくさんの大きな物を背負っているのだろうか。私より辛い思いをして、ここまで生きて来たのだろう。でも、なぜそんなに強くなれる? 何かが君を強くしている? 私には分からない。

 感情が爆発したかのように、私はぽろぽろと涙を流した。君の視界には入っていないと思う。迷惑を掛ける事は無いだろう。しかし、君が振り返りさえすれば、すぐ迷惑になってしまう。

 心の中で一心に願う。


 どうか存在が君に気付かれませんように。


 君に迷惑が掛からなければそれでいい。そう思うと、何度も何度も涙が溢れて来る。自分の涙に怒りが湧き、一気に大声を出した。

「ああああぁぁぁぁぁっっ!!!」

 そして君が私の存在に気付いた。というか、私が君を意識した。人間の速さとは思えない時速で、私はベンチから立ち上がった。ついでに空を仰ぐ。肺いっぱいに空気を吸い、気分の切り替えをする。叫んだ事によって、君の話を聞く前よりも清々しい気持ちになった。

 自分の心臓に右手を当て、私は君に向き直った。私の目は赤く腫れ上がっているだろう。しかし、そんな事はどうでもいい。今は、君との話が大事なのだ。

「今から命を賭けた話をするよ。だから、真剣に聞いて」

 真っ直ぐ見つめた君の目は、何事も躊躇わない純粋な目だった。最後に、たった一粒の涙が頬を伝った。その涙は私の決心であり、全ての感情だった。

 驚いていた君の表情も、私が話を始める頃には真剣な物になっていた。



 少しずつ、私の計画の話に近付いていく。次に、次に、と思う度に心臓の動きが速くなる。遠回しにする程、自分の罪が大きくなるような気がして追い詰められる。

 そして、前置きの話が全て終わった。もう、他に話す事は何も無い。といって、話題を転換するのはおかしい。

 私は心で覚悟を決めて、話そうと口を開いた。

「――ねぇ、自分の罪の重さって量れる?」

 飲み切った缶を捨てに行こうと、私はベンチから立ち上がった。カランという軽い音が鳴ると共に、私は君に振り返った。君は小さく首を傾げている。瞬時には理解できない質問だったのだろう。数秒待ってみると、君は俯いてしまった。それを見て、私は急いで君の隣に戻った。

「ごめん、変な事聞いたね。じゃあ……」

 その話題を私は終わりにしようと思った。内心はほっとしていた。君に深く聞かれないと思ったから。ここで返答をずっと待っていたら、なぜそんな事を聞くのか君からの質問が来てしまう。来ないならここで終わりにしたい。が、君は私の言葉の途中で声を発した。

「僕には量れないよ、絶対に。でも、君なら出来るんじゃない?」

 君からの目線を感じる。何かを期待されているかのような、雰囲気を纏った目線。君は私なら罪の重さを量れると、そう思っているのか。私がした質問の答えは『YES』、または『NO』しか無いから、どちらかを私が選ぶと君は思っているのか。

 心臓を賭けた話だけれど、君の期待を賭けた話では無い。

 私は、君の視線を感じながら落胆のような声を上げた。

「出来る訳無いでしょ。って、話したい事じゃないよ、これ」

 話を一気に元に戻す。私が話す声のトーンも上がっていたので、それも元に戻す。

 話が途切れてしまうと、しんと静まり返った。他の話をすると、気分まで変わってしまうので、切り替えが必要になった。

 君の顔が再び、真剣そのものに変わった。

「やっぱり罪の重さは量れないよね……。じゃあ、〝罪〟って何なの?」

 私は横を向いて君に問い掛けた。その質問にも君は驚いていた。驚かせたい訳では無いのに、驚かれたら反応に困る。というか、いちいち相手をしたら面倒だろう。

 驚いた君を無視して、返答を待った。

「罪、か……。いきなりすごい事を聞くね。うーん……」

 そのまま君は考え込んでしまった。確かに、突然当たり前な事を聞いてしまった。しかし、当たり前すぎる事だからこそ分からない事だった。

 君が黙り込んでから一分が経過した。今でも君は口を開かない。これでは私の計画が計画通りに進まない。痺れを切らしたように、私は君に聞こえるよう大きな溜め息を吐いた。

「はぁ……。ほんと、罪って何なの……?」

 わざとらしく口を開いた。明らかな変化に君は気付くだろうか。もう、私は計画を実行したくて仕方が無い。心臓が唸りを上げているのだ。


 早く君を――したいよぉ。


 今度こそ上手くやる自信があった。今度こそ君を安心させられる。だから、考え込むのはもう止めてほしかった。なのに、君は……。

「そうだよね……。やっぱり罪っていうのは、罪を犯した人しか分からないんじゃないかな。でも、分かろうとしたら、自分まで罪人になっちゃう……」

 そうだ。君の答えはそうだろう。相手の立場になって考える。それが君の考え方、思考回路なのだろう。もう分かる。君が次に考えるのは、私の心では分かっている。

 途中の考えを口にした君は、集中するためにもう一度俯いた。

 もういいのに。もう、罪について考えなくてもいいのに。それでも君は諦めない。そこまで君は熱心に物事を考える人だったのか。今まで、一緒に居たが理解出来ない。突如、人が変わってしまったように考え方まで変わるのか。仲裁の言葉を発したとしても、君は「何で?」とだけ言うだろう。もう分かるんだ。先が分かるからこそ、私は君に問い掛け続けなければならない。

 意を決して、私は〝能力〟を使う事にした。

『君はもう考えなくていいよ。だから、一度だけ立って』

 私が発した言葉は確かに君に届いた。そして、私の目を見つめていた君は大きく肯いた。動き出す君は、私に操られるロボットのよう。〝能力〟を使えば、誰もが私の操り人形になるのだ。

 その場に立った君は、息をするだけで微動だにしなくなった。これで私の計画は完成する。

 ここまで長かった。

 君を――そうと思ったのはいつだっただろう。随分と昔の事のようだ。計画が立ったのは、何日前だっただろう。嬉しくて仕方が無かったっけな。そして、今日。こうして君を眼前にして、計画が実行出来る。計画が現実で完成するなんて、夢にまで見たものだ。

 私の心臓は鼓動を速めている。周りの人から見たら、私の表情には笑みが浮かんでいるだろう。無意識なのに、嬉しくてたまらない。心臓が速く動く度に、私が君を――せる嬉しさは倍増する。自分でもこの嬉しさを止められない。ずっと計画の事を考え続けてきた自分を、自分で止められない。しかし、それが心地いい。私の中での快感となって、体中を駆け巡っている。

 落ち着かない鼓動を感じながら。

 一歩、君に近付くと。

 私の体が。


 止まった。


 心臓が止まった訳ではなく、体が動かない。どれだけ意識をしても、働きを示さない。脳内で動け、動けと命令を繰り返す。しかし、反応をしない。

 あぁ、そうか。自分の意識は、君に向いているのか。体ではなく君に。だから、思い通りに動かないのか。

 私の体は意識をせず、現実ではない物に変化しようとしていた。

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