episode5《視線同士が出会うと記憶消滅》

 2016年12月25日。

 私が君を家の近くの公園に、携帯電話で呼び出してから4時間が経過した。時刻は夜中の12時を過ぎ、辺りの人気ひとけも少なくなってきている。

 しかし、そんな事は今ではどうでもいい。私はただ、目の前に立つ金髪の少年だけを見つめている。彼は君を私が倒す前に倒して、計画の邪魔をした。その怒りが二つある感情の内の一つ。

 もう一つは驚愕。金髪の少年は自分を名乗る時、何と言っただろうか。私が信じたくない事実を告げたのだ。

 彼は自分をこう名乗った。


「俺は魔界の美王びおうだ」


 この世界で〝魔界〟という言葉を聞くなど、思ってすらなかった。聞くとすれば、幼稚園児がふざけた遊びで言う場面だろう。しかし、美王と言っている人物の年齢を考えると、さすがに幼稚園児だとは思えない。私よりも年上だと思われる。

 彼の言葉が信じられずに突っ立っていると、魔界の美王らしい金髪の少年が距離を縮めて来た。それについても驚いたが、その後の彼の行動にも驚いた。

 なんと私の顎に手を添え、キスをしてきたのだ。

 その瞬間、私は目を見開いて固まるしか出来なかった。というよりも、この私にキスをする人物など親以外に存在しないと思っていた。

 親ならば、幼い頃に頬や額にキスを頻繁にしてくる。それは年齢的に嬉しいものだ。突然の事でも笑顔で受け入れられる。しかし、年齢も体も大人になってくるこの時期に、しかも頬や額ではなく唇にキスをされて『嬉しい』という感情を持つのは、恋人同士だけのはずだ。または、好意を抱いている相手だけのはずだろう。今、会ったばかりの初対面でキスなど……。それに加えて、君を倒してからのキスは失礼だと思う。外国人はまだしも、初めて会ってキスは日本人には大変な試練である。

 キスをされている間、私は我慢をしていた。そして、端目で君の息を確認していた。腹部が上下していることから、まだ息があると考えられる。しかし、私の〝能力〟では蘇生を施すことが不可能である。技術の高い彼なら、君を蘇生させることができるかもしれないが、今まさにキスをされている相手に頼むなど使いたくはない手だ。考えていても、事は進まないと思い、固まっていた腕を彼の肩に乗せ体を離す。

 未だ、キスをされたことに不満はあるが、君の為に自分の全てを賭けよう。

 私が考え続けた一ヶ月の計画が完成するように。君が私の物になるように。そして。


 君が私の武器になるように。


 伏せていた目を一気に上げ、私は彼をキッと睨んだ。誰もが怯んでしまうような目付きで。それでも金髪の少年は、私の目を見つめていた。

 私はそこまで彼に幼く見られているのか。魔界の美王となれば、怖い物などほとんど無いのだろう。私が睨む相手は、この世界ではない世界の王なのだ。私など、眼中に無い雑魚なのだろう。それだけの理由できっとキスをしたのだ。

 ゆっくりと彼の思考を理解していく。明確になった目的だけを目指し、暗闇にある選択肢は捨てていく。そうか、これが王の思考。

 そこまで理解できたが、一つだけ理解出来ない。

 彼がここに来た理由は? 君を倒すだけの目的なら、私に構わず去って行くはず。なのに、私を相手に何をしようとしている。それだけが彼の表情から読めない。

 一度だけ、魔界の美王から目を離した。君の体が動いた気がしたからだ。息があるならすぐに体を起こして欲しい。君と一緒に彼をこの場から離したい。

 簡単にそう思ってから、視線を再び彼に向けた。が、そこに金髪の少年は居なかった。足元を見ると、白く簡素な封筒が置いてあった。手に取り、開けてみると。

――DEAR HIROIN

  君にとって彼はきっと大切な存在なのだろう。しかし、俺が倒してしまった。悲しみに暮れているのかい? そんな顔をしなくても彼は逃げたりしないよ。安心して。俺の本性が知りたくなったら、此処へおいで。招待してあげるから。

               FROM BEAUTIFUL SATAN――

 先程まで目の前に居た金髪の少年からだった。内容はよく分からないが、とりあえず受け取っておく。手紙をくしゃっという音と共に私はズボンのポケットに押し込んだ。そして、君を見つめる。相変わらず君は地面に倒れたままでいる。でも、息はまだあるようだった。冷たい地面に這いつくばっているようにしか見えないそのうつ伏せた姿は、見ていて寒々しかった。仕方がないので、君を揺すり起こす。

 君は細々とした息を口から出すだけで、目を覚ますことは無かった。表情が苦痛を表している。

 金髪の少年に君は何をされたのだろうか。この疑問を君に投げかけても、答えは分からないだろう。事実を知る者はあの美王だけのはず。聞きたいことが山ほどあったが、もうこの場には存在しない。

 君を起こすのは諦めて、身の丈を低くしていたので体を伸ばす。その途端、まるで私が君を倒してしまったかのような衝動に駆られた。そして激しい頭痛。あまりの激痛に再びしゃがみ込む。

 手を君に当てれば、少しの体温が感じられる。また、君の生きている証拠も確認できる。そんなことを考えているといつの間にか、激しい頭痛が消え去っていた。そうか、私の思考が後ろ向きになっていたからだったのか。だから、頭痛に見舞われたり、君を哀れんでしまったりしたのか。一つだけ簡単な謎が解けて安心していると、君の指先がほんの数ミリ、動いた気がした。見逃さなかった私はすぐ君に声を掛け、体を揺すった。すると君は、喉の奥で唸るような声を発した。君が何を言いたいのか理解しようと試みたが、どうやら何も言おうとしていなかったようだ。

 やがて、君の唸るような声も消え、辺り一帯が静寂に包まれた。ぴんと張った12月の冷気は、何かを緊張させるもののように静まり返った場を強調していた。



 1分以上、10以上、30分以上、1時間以上待っても、君は体をびくともさせず、何も言わず、冷たくなった地面に倒れている。もう、限界なのではないのか? 冷たいと感じるなら『冷たい』と言えばいい。体を起こして嘆けばいい。それなのに何故、そのままで居るのか。聞きたいことが山のようにあったが、今の君が答えられる質問ではないだろう。

 君を地面に倒したまま、私は迷っていた。

 君をこのままにして、この場から離れていいものか。私は罪も無く、生きていいのか。迷い続けていた。

 この時は、罪について考えても頭痛は無かった。自覚が薄れているのか。それとも、君の存在をどうでもいいと思っているのか。自分の心に問いかけても正しい答えは無い。というか、出てくるはずが無い。自問自答で答えが出たら、ここまで困ったりはしない。

 突っ立ったままの私は、君の姿を見つめる事しか出来なかった。今の私には君の問題を解決する実力が無い。脳も無い。〝能力〟を使えば、何とかなるだろうか。

 幾度と無く、自問自答を繰り返す。しかし、疑問が多すぎて処理が追いつかない。君を見ていても答えなんか出るはずも無く、ただそこに私は立ち尽くしている。

 頭の中には選択肢があちこちに現れていた。私が君を助けようか、見捨てようか。どちらにしろ私が得る利益は無くて、君が本当に生きるか死ぬかだけの意味だった。

 内心で『嫌い』と思っているのに、助けたらおかしい。嘘でも『信頼している』と口で言いながら、見捨てるのはおかしい。逆転の発想が後あとを絶たない。いつまでもこの考えが続くのは厄介やっかいなので、私は神に問い掛けた。

 彼を見捨てたら私が悪いですか? 彼を助けたら私の気持ちが嘘になりますか? 脳の無い私に教えてください、神様。私に……。私に……。


 私に、罪はありますか?


 単純な事にも気付けなくなった私は全てを神に問い質した。自身の心など知らぬ、身体など知らぬといった行動で私は自分を壊し始めた。

 大切で、大切ではない人を助ける方法は――。矛盾しているものを解決する方法は――。

 迷い続けた末、私は自分の心臓を賭けた決断をする。君を助けずに助ける方法。それは。

 特異体質者の〝能力〟を使う事。

 ただし、その〝能力〟とは私の物では無く、君が存在も知らなかったような他人でないといけない。その人物こそ、金髪の少年であるような特異体質者。しかし、あの少年は魔界の美王らしく特異体質者では無い。残念であるが、彼は呼ぶことが出来ない。まず、私は彼の所在など全く以って知らないのだが。

 とりあえず、君を助けずに助けてくれる他人を探さなくては。しかし、そんな間のいい所で誰も来るはずがなく。ただただ、私と君の体が冷気に晒されるだけだった。

 もう私の手に感覚は残っておらず、君の体温を感じ取ることさえできない。動かすのもやっとで、体は冷え切っていた。雪もぱらぱらと降り始め、私の肩にも少しずつ積もっていった。

 何の意味も無く、君の手を握ってみた。すると、微かに手首から脈が取れる。ほっとしたが、このままでは君の体が硬直してしまう。私より君の方が危険に晒されている事に、しっかり納得をして私は自分のカーディガンを君の背中に掛けた。

 体温が下がって来ているにも関わらず、冷気を纏った風が私の体に当たっていく。風を遮る建物は無く、必要以上の持ち物も無い。

 私のバッグの中には、財布、携帯電話、エチケット、折り畳み傘しか入っていなかった。君を助けずに助けられる物はどうやら無いようだ。悔しさがどんどん心の中に溢れ始める。と、そこで一つの言葉が頭に浮かぶ。

『駄目だと分かっていても、やってみなければ分からない』

 君と初めて出会った三年前、通りすがりに言われた言葉だ。その時、私は君と話した事が無く、驚いたが素直に君の言葉を受け止めてしまった。そして、君から言葉をもらった翌日から私に友達が出来始めた。言葉の通り、やってみた。心の中では心配と不安が入り交ざっていたが、やってみるとすぐにそんなものはどこかへ無くなっていた。

 信じられなかった。たった一言の言葉にここまでの力があるなんて、当時の私には信じられなかった。けど、今は君を信じる者になっている、と思う。実際には自分でも分からない。

 内心で思う気持ちと口から出す言葉になった気持ちとでは、意味が全く違う。私は今まで、君と本音で語り合った事があるだろうか。全て上辺だけの感情ではなかったか。

 一気に不安になって来る。もし、君が私と本音で語り合っていたと思うならば、私は君に謝罪をしなければならない。本音で語るなど、親以外にしなかったと自分では思う。

 そこまで考えて、私は新たな事実に気付く。なぜ、私は親を基準にしているのだろう。親がやるから正解、誤答なんていつから思っていたのだろうか。まだ、私の思考は幼いという証拠なのだろう。

 色々な考え事を打ち切って、私は君を『駄目だと分かってい』ながら、揺すり起こそうとする。何度も試みた。それでも君は細々とした呼吸を繰り返すだけだ。何時いつしか、私の呼吸は、君の呼吸とは正反対の荒い呼吸に変わっていた。そして、無意識で言葉を発していた。

「目を覚ましてよ……。体を起こしてよ……。声を聞かせてよ……。ねぇ」

 しかし君は私の問い掛けに答えるはずもなく、ずっと体を揺すられている。

 そろそろ生死をはっきりして欲しいものだ。それとも、こんな状態で何かを訴えているのか。目を見て会話をしないと、何も理解が出来ない。

 体温の限界が近付いて来て、もう駄目だと思った瞬間、背後に人の気配を感じる。コツ、コツ、コツと靴が地面を叩く音も聞こえる。後ろに立つ人物は女性だろうか。年齢はどの位だろうか。振り返って、害は無い人物か。一瞬で私はそこまで考えた。そして即決した。

 一秒にも満たない時間で後ろを振り向く。すると、案の定、女性で振り返って害の無い人物だった。そして、私も女性も驚いた表情で固まってしまった。

 私は彼女の顔に見覚えがあった。どこで会っただろう。記憶を辿っていると、体温の限界が来てその場に倒れてしまった。冷たいと思う間も無く、重くなった瞼に逆らえず暗闇に視界が包まれた。

 いつ、どこで、私はこの女性に会ったのだろう――。

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