episode2《向いているけれど合わない》
2016年9月10日。
私の夏休みも終わり、学校が再開された。君も来ている。
しかし、君の顔を見る度に思ってしまう。あの日に感じたのは君の視線だったのか、と。ただの気のせいだと確認をしたいが、声を聞くと過去が思い出される。それだけは避けたかった。
君はよく私の方を振り返って来る。そして今もそうだ。何を思っているのかは分からないが、目線を合わせることが出来ない。きっと休み時間になれば、君は私の席に来るだろう。毎時間、そうして来ている。こんなにまで君の存在が怖いと思った事は一度もない。だからこそ、目を合わせられなかった。
君について考えすぎて、私は休み時間になった事に気が付かなかった。どうやら、授業の挨拶は省略されたらしい。隣の席に座る女子が私の肩を叩く。そんな事にも私は体を震えさせてしまった。
「えっ? ごめん、何か言った?」
話に集中していなかったので何も内容が分からない。君はまだ来ていない。しかし、その安心感も三秒に満たない内に裏切られた。
「あいつが呼んでるよ。早く行ってあげなよ、彼女さん!」
女子が指差す先には君の姿。彼女の言動には反発したかったが、呼んでいる相手が君だったらそんな事をしている場合ではない。
心の中で小さな覚悟をして一歩ずつ重い足を動かす。まるでこの世界には私と君しか居ないように感じられた。時間も止まっているようだった。
君の前に立つにはどれ程の時間が経っただろう。
最後に目を開けるとすぐに君の顔が脳に映った。夏休み前の私の顔とは全然違う事にクラスメイトは気付くだろうか。それとも、イメージ通りの表情か。
教室に居る大半の生徒が私と君を見ている。また冷やかしをするつもりだろう。今までされてきて慣れ始めているが、それでも気分が悪いことに変わりは無かった。
あの日から君の目を見ることは無かったが、今日初めて見つめた。
吸い込まれそうな真っ黒な瞳。そこには何が隠れているのだろうか。罪か、優しさか。見ていて、こちらの感情も狂いそうだった。まるで君の世界に呑まれるよう。
私は一度だけ視線を足元に落とし、ゆっくり再び視線を上げた。
それまで君は一言も言葉を発しなかった。私の言葉を待っていたかのように。そして、私が口を開く。君に私の感情が理解できるだろうか。
「あの日はごめんね。無理矢理、君を追い出そうとして。また来てくれると嬉しいな」
私は笑顔で伝えた、つもり。実際、どうだったかは分からない。
鮮明に残る記憶が君の存在を拒んでいる。しかし、そんな我が儘を許していたら自分が強くなれない。上辺だけでも私の気持ちを伝えたかった。
君は黙って聞いていた。その後、何も言わなかった。不思議に思ったが、私も何も言わず授業開始のチャイムが鳴った。
それから3時間が過ぎた。授業が終わる毎に君が来るかと意識していたが、来なかった。何故だろう、と考え続けても答えは出なかった。出す方法は君に聞くしかないのだ。しかし、それも恐怖心が壁を作って出来なかった。君に近付こうとすると、心がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。意識せずに君の横を通れば何とも無いが、目の端で君を見て横を通ると怯えたように体が震える。
私は何を怖がっているのだろう。再び君が家に来ること? それとも君に似た視線を感じること? そうじゃない。きっと。
君の存在を確認出来なくなる事だ。
君が教室から出てしまえば私は孤独になると分かったのだ。君が居ないと私の存在が消えてしまうのではないかと。その事に怯えて、怖がっているのだ。
この世に『私』という存在は唯一無二だ。確かに、似ていたり同じような顔をしている他人が居たりするかもしれない。だが、今の『私』という意識は私にしか無いもの。君を怖がってしまうのは『私』という意識があるから。
君は何故私と言葉を交わさない? 何かしただろうか、変なことを言っただろうか、という不安がどんどん君が離れる度に募っていく。
こういう時こそ自分の特異体質を生かす時なのだろう。しかし、こんな気分では良い方向に結果が向かない。もしかしたら、君だけではなくクラスメイトからも嫌われてしまうかもしれない。〝孤高の女〟というイメージも今まで培った成績も全てが崩れてしまうかもしれない。それだけは避けたい。しかし、それを避けていて君に近付くことが出来るか?
自問自答を繰り返す。席の椅子に座って考え続ける。周りの女子からは「大丈夫?」と声を掛けられるが、返答はしない。自分でも分かっている。口から出す言葉は全て、〝能力〟を纏ってしまう。しかも、「大丈夫」と答える自信が無い。
私はどうすればいい。どうすれば、自分の言葉を能力を纏わらせずに伝えられる。「大丈夫」と自信を持って言える。どう、すれば。君と言葉を、声を交わせる。
必死に脳を動かす。普段の勉強よりも頭を使っている。新しい案が浮かんでもすぐに沈んでしまう。私の目は視点を見失い、自分勝手に動いている。脳には目からの情報が入って来ない。集中しているということなのか。
一つ一つの案を比べてみる。これよりもあっちの方が。それよりもこの方が。でも、こっち方がいい。
選別を繰り返して、やっとの思いで選び終える。ここまで来たら戻れないだろう。決めた事は曲げない。道が枝分かれしていても、真っ直ぐ伸びた道だけを進む。
私が出した結論は――、君に直接聞く。
こんなに脳を使ってまで、簡単で単純な答えだ。しかし、これ以上の考えは無かった。これなら特異体質を使うことなく、君に近付き言葉を交わすことが出来る。
そう思い、昼休み中で昼食を摂っている君に近付く。突然立ち上がったので、周りの生徒は驚いていた。が、君はこちらも見ずに弁当を食べ続けている。悔しくなってぐっと君の隣に立つ。それでも君は食べ続ける。悔しさは怒りに変わり、ついに私は口を開いた。
「ねぇ、何で話を聞いてくれないの!?」
私の言葉は〝能力〟を纏わなかったらしい。君の口は食べ物だけを目標にしていた。君は、私との会話をどうでもいいと思っているのだろう。だから、無視して食事を続けられる。
しかし、今の私は逆恨みではないか? 君から恨まれているのかは分からないが、きっとこれは逆恨みだ。
黙々と食べ続ける君の腕を掴み、私は廊下に連れ出した。
ドサッという音と共に君が壁に打ち付けられる。打ち付けたのは私。これから質問攻めに君はなるだろう。
「何で、何も言わないの!? 怒ってるの!?」
違う。怒っているのは私自身。しかも、聞きたいことも違う。自分の体なのに制御が利かない。
いつしか私の手は拳になり、特異体質の〝能力〟を纏った言葉が飛び出た。周りの人は驚くどころか、何故か見向きもしなかった。
『あの日はごめんって、言ってるでしょ! 君も何か言ってよ!』
大声で叫んだので廊下に私の声が響き渡る。目には涙。頬は真っ赤。手は拳。脳には怒り。それぞれが一つの役割しか果たさなかった。手に力を入れすぎたせいで、徐々に拳から血液が滲み始めている。そして、その血液が床に落ちる瞬間に君の口が開いた。ポタという軽い音と君の声が重なった。
「僕こそごめん。今日は君に近付きにくくて……。あからさまに避けてたよね」
君は私の不意を打ち、硬く結んだ拳を自分の手で包んだ。思いの外、君の手は温かく、優しく感じた。
あぁ、君はこんなにも人間らしかったのか。
そう思ったら目に溜まっていた涙が真っ赤に染まった頬を伝った。脳からは怒りが消え去り、心は平常心に戻った。しかし、拳だけは解けなかった。何故だろう。こんなにも心は落ち着いているのに。何が私を傷つけようとしているのだろう。いや、多分違う。私が何かを傷つけようとしているのだ。何かとは。 ――もしかしたら、君かもしれない。
自分の思考回路に恐怖を覚え、それから私は人格が変わったように君に接し始めた。
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