第四章 精霊成り その四

 ヒスイが瞼を開くと、鬱陶しいぐらいの月の輝きが飛び込んで来た。

 眩しさに目を擦りながら身じろぐと、刹那、鈍い頭痛に支配される。

 仰向けの体制のまま、視線だけ動かして周囲を窺うと、


「お目覚め?」


 ヒスイの足先に妙が立っていた。彼女は、ヒスイの小銃を構えてヒスイを見下ろしている。

 瞳には、月明かりよりも冷たい光が宿っていた。


「ああ。気分は、最悪だがね」


 宿部屋から外に運び出されたらしい。

 周辺に道らしい道はなく、大樹の若木で覆われている。

 地面には何かを引きずったような跡が一つだけ残されており、恐らくヒスイを引きずってきた跡だろう。

 ヒスイが上体を起こすと、妙は一歩踏み出して、銃口をヒスイの額へ向けた。


「動かないで」

「紬は?」


 問うと妙は、口元に嘲笑を浮かべた。


「逃がしたわ。真実を伝えてね」

「そうかい」


 意外にも、ヒスイに焦燥は、浮かんでいなかった。

 あくまで冷静なヒスイを妙は、恨めしそうに睨みつけた。


「あの子は、精霊化の見込みなしという事?」

「そうさね。腹の減りは、人の頃と変わらない。身体の方も他の生物の特徴が濃くならない。まぁ精霊化は、これ以上進まんだろうね」


 ヒスイがとつとつと語っていると、次第に妙の感情はされていく。

 罪悪感。

 後悔。

 畏怖。

 憐憫。

 焦燥。

 残されたのは、清々しいほどの殺意と憎悪だった。


「だからあの子を殺すの?」

「それが理だ」

「聞き飽きたよ!!」


 妙は、引き金に震える指をかけた。


「我が子の死を、理なんて一言だけで納得出来るわけがない!!」

「あんたも自分の子を狩られたからか?」


 確信を突かれたのか、妙は唇を噛み締めながら一歩退いた。

 対照的にヒスイの唇は、畳み掛けるように躍った。


「ここ数年、人狩りが殺される事件が起きていた。犠牲者は、四人。足取りを追うと、皆ここを訪れている。最初の一人は、岩で頭を殴り潰されていた。次からは、小銃で撃ち殺されていた。ただし二人目は、最初に銃殺された人狩りは、身体を滅多刺しにされた跡があった」


 小銃は、人狩りしか持つ事を許されず、人狩り以外に使い方が伝授される事もない。

 だが、妙の手つきは、明らかに銃の扱いに慣れている。

 と、すれば二人目の被害者を拷問し、使い方を聞き出したと推理するのが妥当であった。


「命乞いをする様は、滑稽だったわ。人を狩ってきたくせに、いざ自分の立場になると、怯えた小鳥のように喚いた。浅ましい連中だ。理のお題目で人を狩り、金子を得て、飯を食う」

「言う通りさね。否定はせんよ」

「悪党ならともかく、私の娘は、いい子だった。あんないい子を躊躇なく……」

「きっと躊躇は、あったろうさ」


 ヒスイは、自嘲気味に笑み、頭上に輝く月を仰いだ。

 今日の月が放つ朧な銀色の光は、紬の髪色によく似ている。


「俺も紬を狩りたくはない。あの子が完全な精霊になる事を願っていた」

「でも狩るんでしょう?」


 妙の瞳に浮かぶのは、憎悪でも嫌悪でもなく、眼前の人狩りに対して抱く憐みだった。


「それが理さね」

「だから!! 聞き飽いたと言ってるでしょ!!」

「あんたが飽こうが飽くまいが、俺はやるだけさね」


 ヒスイが立ち上がろうと地面に手を付くと、妙の表情に殺意が戻ってきた。


「しびれ薬も飲ませてる。素早くは動けないわよ」


 絶対的な死を突き付けられる。

 今まで自分がしてきた行いを返されている状況だが、ヒスイに死への恐怖はない。

 いつものように飄々と笑みを湛えて、妙を見つめている。


「忠告しとこう。小銃にも、いくつか種類がある。あんた、その種の小銃を扱うのは初めてらしいな」

「何を言ってるの?」

「安全装置が外れてないぞ」


 安全装置。

 小銃が暴発しないように組み込まれる機構の存在は、人狩り以外に知りえない。

 だが妙は、使い方を理解する故、知っていた。

 妙の視線がヒスイから外れ、引き金にかかった指の力が緩む。

 人の知覚からすれば極小の切れ間、銃声が轟き、妙の左胸が穿たれた。

 妙は、咄嗟に小銃を手放し、両手で左胸を抑える。

 痛みの奔流が身体を貫き、やがて夥しい流血が体外に迸った。

 全身の力が抜けていく。足も腰も粘らない。立っている事は叶わず、妙は、その場に膝を付いた。


 先程までヒスイを見下ろしていた妙は、二つの銃を手にしたヒスイに見下ろされていた。

 ヒスイの左手には、小銃。右手には、それより遥かに小振りな銃の銃口から硝煙が立ち上っている。

 片手ですっぽりと覆えてしまうほど小さく、短い銃身の後ろに蓮根のような形をした機構が付いている。

 翡翠色の瞳は、子を失った母への憐れみと、それを覆い尽くす程の殺意を放ち、妙の背筋を冷気のようになぞった。


「動けるはずないのに……なんで?」

「あんた、人狩りを四人も殺したのに、目を付けられていないとでも?」

「……そうなのね。最初から私を狩るために……」

「手口も知ってた。先手も打てた。毒消しを常に口にしていたんだ。だから動けるのさね」


 ヒスイが紬と旅を始めてから常に口にしていた茶色い粒。

 あれは毒消しであり、定期的に飲む事で万が一毒を盛られた時、毒の効力を弱めるためであった。


「まぁいくつも想定外もあったがね」


 最初の想定外は、ヒスイが偶然入った定食屋の女将が犯人だった事。

 蛇時雨に潜伏しているという情報は掴んでいたが、人物像についての詳細は知らず、しばらく蛇時雨で調査して正体を暴く予定であった。

 そのため、犯人と分かっていたら口にしなかった料理をまんまと食べてしまい、一服盛られてしまった。


 二つ目は、薬の効力が想定以上であった事。

 当初の予定では、毒消しで完全に無力化出来るはずであったが、あまりに強力で短時間とは言え眠らされてしまった。

 妙がヒスイを寝ている間に殺しそうとしたら抵抗出来なかったところである。


 三つ目が一番深刻で、紬が逃げ出してしまった事。


「紬を連れてくれば、犯人を釣れると思ったが。下手打っちまったさね、俺も」


 精霊成りと化した紬を見極めるよう依頼したのは、紬の故郷の村の土地に住む微細な精霊たちであった。

 彼等から報告を受け、当時人狩り殺しの一件を追っていたヒスイにとっては、囮にも使えるし、精霊化が進まないとなれば、犯人が潜伏しているとみられる蛇時雨は、地還しの大樹への道中であるから好都合だった。

 だが、想定が甘かった事は否めない。

 精霊化が止まり、人の自我を持ったままの精霊成りを逃がしたばかりか、自分まで危うく殺されそうになったのは、どうにも繕えない大失態である。

 ヒスイは、舌を打ちながら小振りな銃を懐にしまった。


「こいつは拳銃と言ってね。念のため、知人から借り受けたもんだが、役に立ったよ」


 ヒスイは、小銃の安全装置を外し、銃口を妙に向けた。

 この時、いつも過ぎるのは、命の与奪を握った優越感でなく、命を奪う罪悪感だ。


「俺にとっても、この世界は不思議なもんさね。人を狩っているのに、人からも尊敬の念を受ける事が多い。恐れられるよりも、頼られる」


 世の矛盾を思わぬ日はない。

 過去の文明では、人が人を殺す行為は、禁忌であったという。

 今でも市井の人でなら、それは変わりないが、人狩りと言う全権を委任された者が同時に存在してもいる。

 何故人狩りが、人を狩る事を許されるのか?

 何故人は、人を狩れるのか?


「人の心も、人の世も、歪に思えて仕方がない」


 人狩りの業を見た人々が見せるのは、畏怖ではなく歓喜だ。

 同種同族が殺されながら娯楽でもあるかのようにその様を見つめ、狩りを終えた人狩りに賞賛の声を浴びせる。


「いつ自らを殺すやもしれんものを崇めるなんぞ、俺には、分からん」


 浴びせるべきは、罵声ではないだろうか?

 抱くべきは、恐怖ではないだろうか?


「俺は、誰かに認めてほしくて人を狩ってるんじゃない」


 では、なぜヒスイは、人を狩る?


「こういう生き方しか出来ないから狩ってるんだ」


 大樹の浸食を受け、翡翠色に染まった瞳は、誰よりも遠くまで見渡せた。

 翡翠色の瞳は、その昔から人狩りに重宝され、捨て子のヒスイは、人狩りの家系で育てられた。

 義理の両親は、多少なりとも打算はあれど、実の我が子と同じにヒスイを愛し、だからこそヒスイは、人狩りになりたくないとは言えなかった。


 両親から恩を着せられた事はない。

 人狩りになるのを強制された事もない。

 だが深い愛情を受けた捨て子に、親の期待に答えない選択肢は、存在しなかった。

 もう捨てられたくないからと、親の望んだ生き方をしている自分は、酷く浅ましい人間だと思った。


 自分本位で、人の命を奪う生業を選ぶのは、この上もなく邪悪ではないだろうか?

 自分こそが狩られるべきではないのだろうか?

 仕事に訪れた土地で歓迎されるのも、仕事をこなした後に崇められるのも、自身の矮小さを思い知らせるばかりでしかない。


「心置きなく恨んでくれていいさね。それがあるべき人の姿だ」


 恨まれた方が楽だから。

 自分の在り方に目を背けていられるから。


「だから依頼人に、薬莢を渡し、重荷を分けているのさね」


 罪を人に背負わせてしまえば、楽になれるから。


「俺自身、時折反吐が出そうになる。あんたの言う通り、浅ましいんだ。だから恨んでくれ。少しでも心が楽になるなら。俺達みたいなのを疎むのが、本来あるべき人の姿だ。それが本来の人だったんだ」


 だからせめて引き金を引く瞬間だけは、躊躇わずに――


「向こうで娘に会えるかしら……」

「物事は、都合よく出来ていないからなぁ」


 銃声より速く躍り出た鉛の弾頭は、妙の心臓を射抜き、生命を奪い去った。


「だけど、会えたらいいなと思ってるよ」


 消え入るほど、小さな声で呟きながらヒスイは、ズボンの左ポケットから小さな干し肉を取り出し、地面に置いた。

 すると、干し肉を置いた周囲の土が盛り上がり、一匹の土竜が顔を出す。


『人狩り殿。ヒスイ殿。どうやら娘は逃げたかね』

「大将追えるかい?」

『あの子の匂いは、覚えておる。さぁさぁ過酷な狩りの始まりじゃ。微塵の躊躇なく引き金を引けるかね、人狩り殿』


 土竜は、声音に悲哀の籠った皮肉を残し、土の中に潜った。

 やがて土が盛り上がり、北に向かって進んでいく。

 ヒスイは、小銃を構え、土竜の作る土の盛り上がりを追って走り出した。

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