第一章 人狩り その三
「なるほど」
事情を聞き終えたヒスイは、一つ頷き、肩から下げていた袋を下して、中に入っていた物を取り出した。
金属と木で出来た細長い筒。
ヒスイの持つ物の威容を初めて見た紬は驚嘆し、巨狼の瞳には畏怖が沸き出した。
『ほう。それがあの』
「ええ。
小銃は、多くの人狩りが愛用し、人狩りのみが持つ事を許される武器であった。
遠くの的を狙うのに、これ以上に適した獲物は存在せず、対象に無慈悲なまでの死を約束する。
「火薬で金属の塊を音より速く飛ばす。考え出した過去の人類と忠実に再現した北方の人間は、まこと賢いものです」
三百年ほど前、蒼い瞳と白い肌を持つ北方の民が、小銃の原型を旧文明の遺跡から発掘した。
以後、この武器は、獣や精霊を狩るために心なき人々に使われもしたが、今では人狩りが人を狩るためだけに使う道具となった。
「北方生まれのこれで北方人を狩るとは、いささか皮肉ですな」
ヒスイは、
「恐らく奴は、もうすぐ来るでしょう。今夜中に仕留めます」
『すまないと思っています。私の代わりに』
「自ら選んだ仕事です。気遣いは無用ですよ」
『ですが』
「均衡を崩したのが人なら人の手で正すべきなのです」
サクッ――。
落ち葉を踏み締める音に、ヒスイの素肌が張り詰めた。
『娘は、任されよ』
紬と巨狼の姿が、霧散するかのように溶けていく。
二人が姿を消した頃、足音と気配は洞穴へと足を踏み入れ、ヒスイへと向かってきた。
「人か」
ヒスイが振り返り見ると、美しい顔の男が一人居た。
黄金の髪と新雪のように白い肌。
彼が件の男であろう。
「ここに何か用かね?」
ヒスイが尋ねると、男はその場に胡坐をかいた。
「ここにでかい狼が居るはずなんだ。あんた知らないかい?」
男に尋ねられたヒスイは、上着から皮の手袋を取り出して、両の手に嵌めながら洞穴の天井を見やった。
「さぁね。俺は、ここで夜を明かそうと思ってね」
「こんなところで?」
「月明かりが頼りでは、この森を抜けるのは難しいさね」
「そうか。だが、宿が目当てじゃないだろ」
金属の擦れ合う音が紬の鼓膜を突き刺した。
見やれば男の手に、短刀が握られている。
柄は、洞穴の闇の中でも上等と分かる漆塗りだ。
そして目の利きにくい闇であるから分かる事がある。
鼻腔を抜ける精霊の血の匂いだった。
彼等は、大樹より生まれるが故、血に微かだが蜜の甘い匂いが混じっているのだ。
そればかりではなく、精霊とは異なる人や獣の血の匂いも香ってくる。
長い年月、血の層が幾瀬にも重ねられ、刃に香りが染み付いているのだ。
「物騒なもんは、しまってくれんかね」
「出来ねぇな」
「何故?」
「黄金は、俺のだ」
「あれに価値を見出すのが、確かに人の愚かさかもしれんさね」
「黄金は、どこだ!」
「しかし、美しい男さね」
ヒスイは、引き金に指を掛け、
「人の狂気は、何故か美しい。だから花が如く散るのだろうさ」
嘆息と共に、男へ銃口を向けた。
「人狩り!」
洞穴を橙の閃光が染め上げ、耳障りな残響を伴う。
放たれた鉛は、男の心の臓を貫き、力なく地面に伏させた。
ヒスイが小銃の
宙で薬莢を握り締めてからヒスイは、手をそっと開き、
『終わりましたかな?』
呆然とした紬と共に、姿を現した巨狼に声を掛けられるまで、薬莢を見つめ続けていた。
ヒスイは、紬に視線を映すと、曖昧な微笑を湛えた。
何故そんな顔をするのか問いたい紬だったが、問うてはいけない気がして、疑問を飲み込んだ。
「ええ。終わりましたよ」
『では、これを』
薬莢を乗せたヒスイの掌に、大ぶりな黄金の粒が降り注ぎ、どっさりと積み上げられた。
『その一発を買う金で大の男が三月は、飯を食えるという。報酬は、この程度でよろしいか? もっと必要か?』
ヒスイは、掌の黄金の粒を地面に零し、一番小さな一粒を拾い上げ、巨狼に薬莢を差し出した。
「これをお納めください。仕事をした証です。依頼した方全員に差し上げています」
ヒスイが差し出した薬莢を巨狼は口で咥え、受け取った。
「それでは、私共はこれで」
『行かれるのか? 人の目に、この夜道は危険ですぞ』
「慣れています」
小銃を絹の袋にしまい、ヒスイと紬が洞穴の出口へと足を向けると気配が一つ、洞穴へ入り込んできた。
ヒスイが目を凝らし見えた姿は、
恐らくは、精霊である。
しかしそれだけではない。
聞き覚えのある精霊の姿に、ヒスイは、訝しんだ声を上げた。
「あなたは、もしや」
「はて。わしは、あなたの顔に覚えはないな」
ヒスイは、精霊と巨狼を交互に見やった後、観念するかのように破顔した。
「巨狼様。謀りましたね」
『さて何の事やら』
「お二方で、人間を困らせている男を狩らせる大義名分をお作りになられましたね?」
「何の事やら」
ヒスイは、笑みのまま巨狼と精霊に背を向け、
「まぁ……よいでしょう」
紬の手を引きながら、深更の闇へと消えていった。
――――
紬が瞼を開けると、森の枝葉の切れ間を縫って朝日が無遠慮に張り込んでくる。
「おはよう」
聞き慣れない声に、紬は飛び起きた。
声のした方を見れば、朽ちた
「すまんね。驚かせたかね」
随分と人懐っこい表情をしている。
昨日、人を狩った時のヒスイと、別人だと言われても信じられそうだった。
「すいません……家に居るつもりで、つい」
「随分眠りが深かったみたいさね」
「……みたいです」
人の死を目の当たりにしたのに、紬の寝つきはよかった。
あの時の光景が目に焼き付いてはいたが、旅の疲労の方が勝っていたのだ。
しかし、いざ目が覚めて頭がすっきりしてくると、心中を不安が苛んでいく。
人狩りとしてのヒスイに、慈悲は微塵もなかった。
仕事であれば、相手が誰であろうと容赦しない。
例えば紬が理に反したとして、あの冷たい銃口は躊躇いもなく、自分を狙い澄ますのだろうか?
けれど、今眼前に居るヒスイは、虫すら殺せぬ男に見える。
相容れない性質を両立させているのが不気味だった。
「起こすのは、悪いと思ったんだが、腹が減ってね」
言われて紬は気付いた。
甘く香ばしい香りが鼻を撫でてくる。
ヒスイは、取っ手付きの小ぶりな鉄鍋を焚火で炙っており、中では林檎の輪切りが二枚、くつくつと茶色く煮詰まった砂糖汁に包まれていた。
「おいしそう……」
「近くで取ってきたんだが、そのままじゃ酸っぱくて食えたもんじゃなかったのさね」
「だから砂糖で煮付けているんですか?」
「こう食べるなら、むしろ酸味が強い方が美味いさね」
ヒスイは、反応から木皿を一枚と、箸を二膳取り出すと、煮付けた林檎を皿に一枚乗せて、箸と一緒に紬へ渡した。
「よろしいんですか?」
「もちろんさね」
「頂きます!」
箸を入れると、林檎は、ほろりと崩れて、甘い香りの湯気が細く立ち上ってくる。
一口大にした林檎を、頬張ると、まず甘味が舌を楽しませた。続いて後味に微かな苦味が残ったが、コクがあって不快でない。
一口、また一口と気付けば、数分も立たない内に平らげてしまった。
「美味しかった!」
「それは、よかったさね」
食べ終えてから、紬は、はたと気付いた。
砂糖は、安い調味料ではない。
島国である大和は、四方を海に囲まれているから塩には困らず、安価で手に入る。
しかし砂糖の原料となるサトウキビは、大樹の加護を以てしても、国の南でしか栽培出来ず、不作年には、塩の百倍の価格で取引される事も珍しくない。
砂糖をふんだんに使う甘露煮は、滅多に口に出来るものではなかった。
紬が村に居た頃、砂糖菓子や砂糖を多分に使う料理を口に出来たのは、年に数度である。
昨夜、ヒスイが受け取った報酬は、小さな黄金の粒を一つ。
小銃の弾一発で男一人が三月飯を食えるというのだから収支は、とんとんであろう。
旅の身で、持ち歩けるものに制限のあるヒスイにとっては一層の貴重品のはず。
彼なりの紬への気遣いなのだろう。
精霊成りとして故郷を離れ、人狩りと旅をする少女への微かな慰みになるようにと。
紬がヒスイに抱いていた恐れがなくなったわけではないが、空腹と共に幾ばくかは薄らいでいた。
「ありがとうございます。ヒスイ様」
「お粗末様」
ヒスイは、仄かに笑んでから鉄鍋に乗っている甘露煮を口に運ぼうとすると、
『良い匂い。甘い匂い。好もしい』
地面からくぐもった声が響いてきた。
ヒスイは、苦笑を浮かべてから鉄鍋を地面に置く。すると近くの土が盛り上がり、小さな獣が顔を覗かせた。
土竜である。
『甘露煮か。甘露煮か。僥倖、僥倖』
ヒスイは、箸で林檎を小さく切って土竜の口元に運んでやる。
土竜は、林檎を齧り、しょぼしょぼよとした瞳を輝かせた。
『うんまい!』
「で、大将。何か用かい?」
『連絡が取れんと、
「そうか。そういや、しとらんさね」
どうやらヒスイと土竜、既知の間柄らしい。
詳しく尋ねてもよいか分からず、紬がまごついているとヒスイの方から話題を切り出した。
「土竜は、人狩りや薬売りみたいに、旅歩いてる連中に連絡を取る手段でね」
『そちらの御嬢さんは、精霊成りか?』
土竜は、紬を一瞥してからヒスイに向き直り、
『過酷な』
心底から声を絞り出すように言った。
巨狼も同じような言い方をしていた事を紬は、思い出す。
今のところ、ヒスイとの旅に、苦労は感じていない。
それは、ヒスイの気遣いによるところが大きいが、先行きは、過酷なのかもしれない。
歩き出した以上、止まる事は出来ないし、なんとかするしかないのだろう。
どうしたって、もう故郷には帰れないのだから。
「それで大将。依頼者は?」
『塔の上で待つと』
「秋雨め。相変わらず面倒な」
悪態とは、裏腹にヒスイは楽しげだ。
「お知り合いで?」
紬の問いに、ヒスイは、一転苦笑を浮かべる。
「腐れ縁さね」
『伝えたぞ、人狩り殿。甘露煮は?』
「持って行けよ」
ヒスイの許しを得た途端、土竜は知覚すら許さぬ手さばきで林檎をさらい、地面に引っ込んでしまった。
「相変わらずの手癖だな」
ヒスイは、鉄鍋に残った煮汁を指で掬い、舐め取った。
「食器を片づけたら行こう。近くに川があるんだが、手伝ってもらえるかね?」
「もちろん」
二人で食器を片づけてから荷物を纏めると、ヒスイを先頭に朝日で青く照らされた森の獣道を進んだ。
時に花のような慈愛を見せ、時に鉛の冷徹さが覗く。
矛盾を同居させたヒスイとの旅路は、霞で閉ざされたように、先の見えないものであると紬に予感させた。
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