一〇年目の夏祭り

不立雷葉

一〇年目の夏祭り

 高台にある公民館前の広場から炭坑節が聞こえてくる。

 今日は盆踊りの日だった。俺は広場のある高台に続く坂道の前、電信柱の街頭の下で人を待っていた。

 腕時計の文字盤を見ると八時を回ったところ。いつもならとっくに来ているはずなのに待ち人は来ない。

 楽しそうな笑い声が聞こえて左を向いた。会場に向かうのだろう、浴衣を着た親子連れが笑いながら歩いてくるところだった。

 その後ろに彼女の姿が無いだろうかつい探してしまったが、自嘲気味に笑う。

 彼女はこの道を歩いてこない。理由は知らない、知ろうとも思わない。彼女は必ず俺の背後から現れる。

「ねぇ、どのぐらい待ってたの?」

 こんな風に。必ず俺の後ろから、待っていた時間を尋ねてくるのだ。

「ついさっき来たところだよ」

 笑いながら振り返る。彼女は電信柱の影に半身を隠しながら俺の様子を伺っている。

 紫陽花が描かれた浴衣。髪を結い上げ露になっている首筋は夏だというのに雪のように、白く絹のように滑らかだった。去年とまったく変わらないその姿に安心して、髪型を崩さないように気をつけながらそっと頭を撫でると彼女は目を細める。

「来てるなら来てるって言って欲しかったな、お姉ちゃんからケンちゃんが帰ってきてるって聞かされて慌てて支度したんだから」

「悪い、まさか今年も盆に休みが取れると思ってなかったんだ。直前になって上司が休めるよう段取りを組んでくれてね、急だったから知らせる暇が無かったんだよ」

「けれど帰ってきてるなら私のところにも顔を見せて欲しかったな。そうしたら慌てなくてすんだのに」

 彼女、俺の幼馴染のチカは申し訳なさそうな顔から一転してふくれっ面を浮かべた。

 一〇年前から、こうして二人で盆踊りに行くのが年に一度の習わしになっていた。俺が進学そして就職で地元を離れることになっても、この時期は必ず帰省して電信柱の下で落ち合っている。

「ねぇ? 手を繋いでも良い?」

 ぴょこんと電信柱からチカが飛び出す、俺はもちろんだと頷いて左手を差し出した。彼女はその手に触れようとして、薬指に嵌められている指輪に気づく。

 ほんの一瞬、見落としてしまいそうな僅かな時間、彼女は目を丸くしたがすぐに満面の笑みを浮かべて手を握る。ひやりと冷たい彼女の肌は、夏の暑さとは対照的だった。

 彼女の小さな手を握り返し、俺たちは肩を触れ合わせながら坂道を歩く。

「ケンちゃんもさ、あのお父さんみたいになるのかな?」

 チカが前を歩いている親子連れの父親を指差した。彼は子供と手を繋ぎ、心の底から幸せを感じているように見える。

「そうだなぁ……近いうちにそうなるんじゃないかな」

「そうだよねぇ、ケンちゃん頭良いし外資系に勤めるエリートサラリーマンだもんね。きっと良いお父さんになるよ」

 俺の顔を見上げながら笑いかけるチカだったが、その表情はどこか寂しげで声にも同じ色が含まれていた。そんな彼女のを顔を見るのが辛くて、俺は前を向いた。

 どうしても先を行く親子連れの姿が目に入ってしまう。夫と妻と、その子供。チカと一緒に、彼らのようになれたらどんな事になるだろう。日々の暮らしはどんなだろうか。つい夢想してしまい、胸が小さく締め付けられた。

 有り得ないのだそんな事は。けれど有り得ないからこそ、夢に見てしまう。

 それはチカも同じなのか、俺の手を握る力が強くなった。底冷えするような、冬の冷たさだった。

 坂道を上りきった先の広場の中心には櫓が組まれ、地元の婦人会や青年団の面々が踊っている。その周囲を幾つもの屋台が円を描くように並んでいた。

 金魚掬い、わた飴、カキ氷、ベビーカステラ、射的に輪投げ、それに型抜き。祭りの定番屋台が一通り出揃っている。

「今年も賑やかだねぇ」

「あぁそうだな……けど、何だかちょっと違うような? よくわかんないんだけどさ」

「あー、それね。屋台の数が減ってるんじゃないかな、踊ってる人も少なくなってる気がするよ。都会に行っちゃって、帰って来る人が少なくなってるから」

「そっか。俺が言えた義理じゃないけど、寂しいなぁ」

 この町にはこれといった産業がない。ほとんどが農家で、就職先といえば農業をやるか役場勤めぐらいしかない。そのせいで俺のように、若い連中はみんな都会に出て行ってしまう。

 俺は毎年、何とか都合をつけて帰ってくるようにしているが魅力のない町だ。実家があるとはいえ帰ってこない連中が多くても仕方がない。

「けどケンちゃんは毎年こうやって帰ってきてくれるじゃない。私は嬉しいよ」

 チカは俺の手を離したかと思えば腕に抱きつく。盆踊りの熱気に当てられたのか、頬は上気し赤味が差している。

「抱きつくなよ、恥ずかしいだろ」

 俺は彼女から視線を逸らす。恥ずかしいからではない、チカが無邪気に抱きついてくれるのは嬉しい。本当は抱き返したい。けれど来年からのことを思うと、彼女の顔を直視するのが辛かった。

「もー! 私とケンちゃんの仲じゃん、恥ずかしがることないのにー!」

「それでも恥ずかしいもんは恥ずかしいんだよ! そんなことより屋台回ろうぜ、今年も花火の時間までに全部回りきれるかやってやろうぜ!」

「え、今年もやるの? 大丈夫? お祭りの屋台って結構高いよ?」

「俺を誰だと思ってる。外資系に勤めるエリートサラリーマン様だぞ」

 ポケットに手を突っ込み、マネークリップに挟んだ一万円札を彼女に見せた。

 おー、と声を出しながらきらきらと目を輝かせるチカ。このやり取りは俺が就職してから毎年行われている、決まりきったお約束。これを今年も出来た事に、心は少し軽くなる。

「それじゃあさっそくいこー! 私射的やりたい!」

 チカは俺の腕を掴んで走り出す。華奢な体をしているくせにこういう時の彼女は力強く、俺は引きずられるように射的の屋台へと連れて行かれる。

 それが終わればお腹がすいたと、たこ焼きそして焼きそばを買って二人で食べた。デザートにはカキ氷とわた飴。金魚すくいにも挑戦したが、二人とも掬えずついムキになってしまいここで三千円は使った。だというのに一匹も掬えぬまま終わり、顔を見合わせ笑いあう。

 りんご飴を一つだけ買って二人で交互になめあった。くじを引いてみたが当然、当たりが出るはずもなく散財するだけ、けれどもそれが楽しいのだ。

 楽しい時間が過ぎてゆく、俺は現実のことを忘れて文字通りに夢のような時間に身も心も浸らせきっていた。すぐに終わってしまう、泡沫だと知りながらも目を逸らし。

 全ての屋台を回り終えた俺たちは広場から少し離れた駐車場の金網にもたれ掛り、夜空を見上げていた。

 ドーンパーンと音が鳴り空には花が咲いていく。

 この町の盆踊りは花火で締めることになっていた。今年の盆も、もう終わり。屋台を回り、さんざん笑いあった俺たちは無言のまま夜空に咲く華を眺めていた。

「ねぇケンちゃん、思い切って聞くね。相手はどんな人なの?」

「良く行く取引先の人だよ、妙に気に入られちゃってデートに誘われてさ。最初は断ってたんだけど、どうしてもって一回だけ映画を一緒に見に行って……そしたら思いの外、意気投合しちゃってさ」

 来年結婚するんだ、とは言えなかった。

 言わなければならないことは分かっている、一〇年目の今日が最期で終わりにしなければならないことは分かっている。それがお互いのためなのだと理解していても、寂しさがその一言を言わせなかった。

「じゃあきっと良い人なんだね、指輪つけてるしもうすぐ結婚なんでしょ? 式の日取りとか決めてるの?」

 やっぱり外しておけば良かったか、後悔に苛まれながら頷いた。

「そっか。私がウェディングドレスを着たかった、なんて言わないけれど……ケンちゃんの結婚式、行ってみたかったな」

 そっと隣を見た。夜空を見上げる彼女の顔は花火の明かりに照らされて、より儚いものに見える。チカの頬には涙が伝っていた。

「ごめん」

「謝んなくて良いよ、ごめんって言わないといけないのは私の方。ケンちゃんだってもう二七歳じゃん、結婚するにはちょうど良い歳じゃんか。いつまでも、一七歳の私に捕まってちゃ駄目なんだよ。ごめんね、一〇年も縛り付けちゃった」

 チカは手の甲で涙を拭う。彼女を抱き締めたかった、でもそれはいけないこと。チカはこの世の者ではない。

 一〇年前の夏の日、俺はチカに告白してそして盆踊りに一緒に行こうと約束した。そしてその日、不運にもチカは車に跳ねられ帰らぬ人となっていた。

 当時の俺はその知らせを聞いていながらも、チカが死んだということを信じられずに待ち合わせ場所にしていた電信柱に立っていた。待って、待って待ち続けていた。

 来る事が無い事は分かっていた、けどチカが死んだなんて事は嘘でひょっこり来てくれるんじゃないかと願い続けた。泣きながら、待っていた。

 そしたらチカがやってきたのだ。髪を結い上げ、紫陽花の浴衣を着たチカが。電信柱の影からひょっこりと姿を現した。そこから俺とチカの、年に一度の逢瀬が始まったのだ。

 でもそれも今年で終わり。

 チカは俺を縛っていたというけれど、縛っていたのは俺の方だ。彼女の死を受け入れられず、ずっとずっと留めてしまっていた。

「俺、結婚するんだ。好きな人が、出来た。一生を、ずっと歩んで行きたいって思える人に出会えたんだ」

「そっか、良かった……よかったぁ、ほんとよかった……」

 彼女の目から止め処なく涙が溢れる。チカに掛ける言葉がない。

 良かったと連呼しながら涙を流し続けていたチカだったが、不意に俯きそして顔を上げる。まだ涙を浮かべていたが、彼女の顔は笑っている。燦々と太陽の光を浴びて咲く、夏の向日葵。

「ねぇケンちゃん、最後のワガママを聞いて。私ね、まだキスしたことないんだ。最初で最期のキス、ケンちゃんがして」

「わかった」

 チカが目を閉じ、その肩にそっと手を置く。目を瞑り、唇を近づけていく。柔らかな、冷たい感触、線香の香り。

 触れ合わせている間に最後の花火が打ち上げられ、音と共に夜空に大輪の花が咲く。

 目を開けた時、そこに彼女はいなかった。

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