平凡の浦島

京本寿和

苦悩と果て

昔々ある海沿いの街に、浦島太郎という青年がいた。

浦島の家は裕福とも貧乏ともなく、ごく普通の中流階級の家庭。そんな家庭で育った浦島は、さほど不自由することなく、人並みに暮らしていた。

当然人並みに働き、人並みに悩みを持つ浦島。同じ毎日をただ繰り返すある日、浦島はごくありふれた、誰もが一度は悩むような悩みに直面する。私は今の生活のままでよいのか、今の食う、寝る、仕事だけの生活でいいのか、という疑問とも不安ともいえないものだ。浦島はこの日から悩み始めた。今の生活を投げ出してまで新しいことを始める勇気も資金もない。また、やりたいことは有るがそんなものは実現しないようなこと。しかしこの生活を続けるだけで本当に良いのだろうか。

 悩み始めて数日後のある休日、悩むことに疲れた浦島は気分転換のため海へ釣りに出かけました。浜辺についてみると、子供が亀をいじめている。いつもの浦島ならば何もしない。子供にも亀にも関心など持たないが、この時の浦島は新しい自分を欲していた。そこで、金もかからずさほど勇気もいらない子供へ注意をしてみることにした。

「そこの坊主たち、亀をいじめちゃいかん。そんなことをして楽しいかい?相手は亀だ、甲羅に籠るばかりで何も反応がないだろう。」すると子供たちは「うるせーバーカ!」と一言返し立ち去った。良いことをしたと悦に浸る浦島。しかしすぐに亀に目をやり、亀に怪我はないと思うが念のため確かめようと亀のもとへ向かう。

甲羅には亀裂もなく、腹のほうにも怪我はない。大丈夫そうだなと、亀のもとから立ち去ろうとしたその時、足元から声がした。

 「お兄さん、お兄さん、助けてくれてありがとうございます。」

 浦島は驚いた。声の主は間違えなく亀である。常識からすれば亀なんぞが人間の言葉を話すわけがない。驚き固まっている浦島に亀は続けて話しかけた。

 「急に話しかけて驚かせてしまいましたか。でも安心ください。私は物の怪の類いにございません。」

 やはり亀だ、亀が話している。こんなに話しかけられたのでは返さないのも失礼だ。そう考えた浦島は、自分の疑問をとにかくぶつけてみることにした。

 「亀さん。あんた物の怪じゃないなら何故喋られるんだい?普通の亀は喋らないよ。つまりあんたは物の怪だろう。それと私は浦島って名前だ。」すると亀は「では浦島さん。私は長いこと生きているんです。鶴は千年亀は万年というでしょう?長いこと生きていれば嫌でも人の言葉を話せるようになりますよ。」

 浦島はその返答に納得しかけたが、すぐに「確かに筋は通っているが、そんな存在元は亀なだけのただの物の怪だ。」と返した。すると亀は少しだけ悲しそうな顔になり「そうですか。私は物の怪ですか。」とつぶやいた。

 さすがの浦島も亀の表情、そして言葉で悪いことをしたと感じた。

 「すまなかった。常識から外れた出来事だったから少し気が動転してしまってね。君を傷つけた。すまない。」亀を怪我から救った浦島が亀を傷つけるとは何とも皮肉である。

 「いやいいんです。それより浦島さんは私を助けてくださった。何かお礼がしたい。」と提案する亀。

 喋る亀のお礼とはどんなものなのかという好奇心と、喋る亀という未知の存在からの提案からくる不安がせめぎ合う。しかし人間はこんな時好奇心が勝ってしまうもの。いや、今の浦島だからこそこう答えたのかもしれない。

 「そうか、ならば礼をしてもらおうかな。何をしてくれるんだい?」この質問に亀は「海の中にあるお城に案内します。そこでおもてなしさせて下さい。案内しますので背中へどうぞ。」と答える。しかしここで当然の疑問が一つ、海の中というが人間が水の中で呼吸できるわけもない。

 「亀さん。私は君たちと違って水の中で呼吸が出来ないんだが。」すると亀は「大丈夫です。瞬きをしている間に着きます。」と返した。

 そんなことが起こるものなのか、浦島はこの浜辺に子供のころから来ているが楽園などと言えるようなものは浅瀬にはない。つまり沖にあるという事だがそんな距離を瞬きをする間に着くなど考えにくい。しかし目の前で亀が喋っている異常な状態。ならば亀の発言も信じてみるべきなのだろう。そう考え浦島は亀にまたがった。

 「それでは行きますよ。」亀は言うと同時に海へと歩く。どんどん海へと入っていき、ついに顔まで海水に浸かった。反射的に息を止め目をつぶる。少しすると亀の声が聞こえてきた。

 「浦島さん着きましたよ。」

 本当に一瞬だった。恐る恐る目を開けると、つい先ほどまで浜辺に居たが今目の前には海の中に建つ美しい西洋建築の城がある。振り返れば様々な魚が自由に泳ぎ、とても美しい。これが海の世界。

 「ここが竜宮城です。ここからは歩けますので。」そう言って亀は門のほうへと進む。

 息が出来る海の底を歩き亀についていく浦島。ダイビングなど存在しないので当然初めて歩く。全身に水の抵抗を感じながら歩く体験は初めてだ。浦島は少年のように心を躍らせた。

 「歩きづらいね。でも初めての経験で楽しい。」亀は振り返り「そうでしょう、陸の生き物は普通水の中を歩きませんからね。」といって少し微笑んだ。

亀とともに門をくぐり抜け少し歩き、扉をあけ竜宮城の中に入るとそこにはとても美しい光景が広がっていた。色とりどりの魚が舞い踊る廊下。壁は珊瑚や真珠で装飾され、この世とは思えない幻想的な世界が広がっていた。

 「美しい。こんな場所があったなんて。」浦島は感嘆のあまり無意識に言葉が出ていた。「そうでしょう?」そう返した亀はどこか誇らしげに見える。

 美しい廊下をしばらく歩くと大広間に出た。廊下も美しいがここはその比ではない。ここでは魚のみならず美しい人魚も泳ぎ、一層煌びやかな内装だ。

 「今からお礼の宴会をさせていただきます。この城の主を呼びますので少々お待ちください。」そう言って珊瑚でできている美しい椅子を指した。

 浦島が腰を下ろして数分後、奥の階段から美しい姫が下りてきた。

 「この度は亀がお世話になりました。私が竜宮城の主乙姫です。」

 その透き通るような肌は真珠のように白く美しく、髪は緑の黒髪、目は深い海を閉じ込めたような美しい色をしている。今までこんな女性に、いやこれからもこのような美しい女性に巡り合えることはないだろう。そう思えるほどに美しかった。

そんな女性を目の前にしたとき、男とはいい格好をせずにはいられない生き物である。「いえいえ、当然のことをしたまでです。」普段ならば絶対にしない事なのに、実に滑稽である。

乙姫はその言葉に微笑みながら「正義感の強い方なのですね。宴の準備は出来ております。さぁこちらへ。」と浦島の手を取る。あぁ、亀を助けてよかった。心の底からそう感じる浦島であった。

 乙姫に連れられやってきたのは食堂。テーブルの上には海の幸が山のように並べられ、歓迎の舞を人魚と魚がともに舞い、楽園が広がっていた。

 どうぞと促され席につくと、乙姫は酒と盃に注ぎ「どうぞ気のすむまでお楽しみくださいな。」と言って盃を差し出した。盃を受け取り飲んでみると、とてもうまい。料理に手を付けてみる。これもうまい。すべてがうまい。最高の宴である。

 浦島は三日三晩どころではなく連日開かれる宴を楽しみ、宴の後は人魚たちや乙姫を楽しんだ。ここに来るまで思い悩んでいたことや、陸でのしがらみなどすべてを忘れていた。しかしながら非日常が日常になると人間は飽きる生き物である。浦島も例外ではなく、刺激が日常となった今の生活に飽き地上へ帰りたくなっていた。ある日を境に家族や友人のことを毎日のように思い返し、次第に地上へ帰りたいという気持ちが大きくなっていた。そして竜宮城へ来てから一月ほどが経ったある日、浦島は乙姫に地上へ戻ると告げることにした。

 「乙姫。私は元居た場所へ帰ろうと思う。短い間だが楽しかったよ。」そう告げると乙姫は悲しそうな顔をし「帰らなくてもいいのではないですか。」と告げてきた。

ここ数日考えていたこと。自分を心配する両親や友人がいることを乙姫に話すと、何かを決心したような顔で首を縦に振った。

 「では少しお待ちください。あなたに渡したいものがあります。」そう言って乙姫は部屋へもどり、しばらくすると何かを持って亀と戻ってきた。

 「玉手箱です、これをあなたへ。開けることはお勧めしません。」

ならばなぜ渡すのか理解に苦しむ浦島だったが、一月ほどの間共に過ごした浦島は乙姫も何か考えて渡してきたのだろうと無理やり自分を納得させ受け取った。

 「ありがとう。それじゃまたいつか。」

 短く乙姫に別れを告げ、亀とともに城をでる。またがってくださいという亀の言葉に促され亀にまたがる。地上からまた戻ろうなどと思わぬため、竜宮城までの道が分らぬよう目をつぶりしばらくすると亀の声が聞こえてきた。

 「浦島さんお疲れ様です。私は今回ここまでです。」

 目を開けると目を開けるとまだ水中だ。なぜここまでなのか、疑問に思い亀に問おうと亀に目をやると亀が消えていた。亀が消えたことを認識するや否や海水が目に沁み、苦しくなった。

急いで地上を目指し泳ぎ、地上に出てみるとそこには見慣れぬ景色が広がっていた。いや、正確には知っている浜辺なのだが、見知らぬ建造物が乱立し、浦島の知る浜辺ではなくなっていた。

一月でこんなにも変わるはずがない。ふと天を仰ぐと天を鉄の鳥が飛んでいる。訳が分からない。誰か人に会おうと少し歩く。人を見つけたが異国情緒あふれる服装をしている。恐る恐る語り掛けるが言葉が通じない。何が起こっているのか浦島は全く理解できなかった。

 何が起こっているのか理解しようと考えていると、玉手箱が目に入る。乙姫に開けるなと言われたが、もしかしたらこの中にヒントとなりうるものが入っているかもしれない。そう考えた浦島は藁をも縋る思いで紐をほどき、玉手箱を開けた。すると中から煙が立ち込め浦島を包み込む。

 煙の正体は浦島の悩みとストレス、正確には戻った時の地上と、竜宮城で過ごしていたの時間の差分、浦島のであれば地上で数百年生きていた場合の悩みだ。竜宮城とは悩みとストレスを奪い楽にさせる場所で、帰る際には持ち主に悩みを返却する決まりとなっていた。その悩みが詰まったもが玉手箱である。

 人間の心は脆い。何か些細なことがきっかけで心が壊れてしまうなどザラである。通常であれば悩みは愚痴として吐き出し、ストレスは様々な方法で発散することで心を保つが、今回はそんなことをする暇を与えられずに一気に浦島へなだれ込む。髪は白くなり、肌に皴が増え、脳は委縮し、胃に穴が空き、空いた穴から胃酸が流れ他の臓器を溶かしていき、やがて浦島は死んだ。

 その日の夕方、ニュースは浜辺で見つかった身元不明の変死体の話題で持ちきりとなった。このニュースは海外にも広がり、謎の変死体として以後語り継がれている。皆浦島を知るが、皆浦島を知らない。浦島は確かに平凡な存在から抜け出したが、浦島は存在しなくなった。

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平凡の浦島 京本寿和 @z1e1u0s2

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