第13話
屋敷の食事室でサラマンドは一人腰掛けていた。椅子に深くもたれると、どっと全身の疲労が湧いて出る。
部屋を包む静寂が心地よかった。遠くで食事の準備をする女中の声や食器のぶつかる音が聴こえた。
屋敷に戻るや、サラマンドは使用人に囲まれ矢継ぎ早に問い詰められた。クレイアはそれらの騒ぐ声を制し、サラマンドには食事室で待つように告げたのだ。
屋敷に来てからというもの、何度もここでクレイアと議論した。始めの頃に比べたら、自分も少しは弁が達者になっただろうか。
部屋を眺めながら、サラマンドはクレイアと散々論をぶつけ合ったことを思い出す。好奇心が強く、我も強いパルティア女。ブラハムではまず嫌われる女だった。
クレイアは自分の考えと異なるものを徹底的に問い尽くさないと気が済まない。最初は、それは自分と異なる考えが許せないのだと思っていた。が、そうではなかった。多分自分と異なるものを愛していたのだ。サラマンドは今ではそう思っている。
そんなことを考えているうちに、女中たちが二人分の皿を運んできた。主の言いつけを守り、サラマンドには何も訊かずにいてくれた。
皿がならべ終わった頃に、クレイアが部屋にやって来る。一緒に来た女中はそれぞれ一振りの剣を抱えており、近くの卓上に剣を並べるとそのまま部屋を出ていった。
部屋にはクレイアとサラマンドの二人だけが残された。
「最後の晩餐……、ですかね。わかっていればもっと豪華な料理を用意したのですが」
食卓に並んでいるのはライ麦パンと豆のスープ、すり潰したイチジクのジャムとチーズ。
貧富に関わらず、パルティアでは一般的な食事である。
「いつもと変わり映えしない上にすっかり冷めていましたから、せめて少し火を入れさせました」
サラマンドは食事をする気になれなかった。なにか胸が焼けるような気分がした。まだ墓場でクレイアから浴びた殺気が身体に残っているようだった。
ナイフで刺したい衝動、あれは演技でも悪ふざけでもないだろう。あれもクレイアの本音であり、今の優しげな様子もクレイアの本当の姿なのだ。
「どうしました? 戦士たるもの食べられるときに食べておくものなんでしょう?」
なかなか手をつけないサラマンドを見てクレイアは心配そうにする。
それを見てようやくサラマンドは食事に手を伸ばした。
その食べる様子を眺めながらクレイアはぽつりと
「私は、あなたに訊きたいことはすべて訊きました……」
その顔はどこかさびしげだった。
「私は正直に答えたつもりです」
パンをスープに浸した手を止め、サラマンドは皿を見つめたまま言う。
「わかっています」
「あれが私に本当に訊きたかったことなんでしょうが、あなたが本当に知りたかったこととは違うはず」
「……」
「あなたが本当に知りたいことは、亡くなったご主人の気持ちなんでしょう」
「……そうです。でも今となってはわかりようもありません。誰に訊いてもそれはその人の考えであって、あの人の気持ちではない……」
「ではサラマンド、あなたが一家の主だったら、この戦に参加しましたか?」
クレイアはさほど期待するでもなく、力ない様子で尋ねた。
「ブラハムでは幼少より男は戦士としての自覚を持たされます。だから私にもし家族がいたとしても、やはり義勇軍には参加したと思います。そうでなければ国を守る人がいなくなってしまう」
サラマンドはそう言ってから、家族を残す忍びなさはもちろんありますが、とつけ加えた。実際ブラハム義勇軍の三分の一は家族持ちだった。
「そうですね。私が弱いだけなんでしょうが……」
クレイアの言葉の後、重い沈黙が場を包む。サラマンドはほとんど食事が喉を通らなかった。
「それでも私などに訊くよりは、同じパルティア兵士に訊いた方が……」
サラマンドはそう言いかけて口をつぐんだ。ひょっとすると生き残った兵士に会うことが、夫が死んだ事実をより残酷に浮かび上がらせるのかもしれない、そう思ったからだ。
クレイアは強く首を振って否定する。そしてややあってから口を開いた。
「夫は戦場ですぐに戦死したそうです。何の戦果も上げられなかったそうです。まっ先にやられ、すぐ死んだと……。同じ、隊で生き残った男が……、
そこでクレイアの声は激しく震えた。
「私は悔しく、悲しかった……。私を置いてあの人がしたかったこと、それはそんな無意味なことだったのか、と……」
無意味ではない――。サラマンドはその思いだけはクレイアに伝えたかった。
「私が兵士を殺すときに思うこと、それは墓地でお伝えした通りなのですが……」
夫に死なれた上に侮辱まで受ける――。サラマンドはクレイアの無念を晴らしてやりたかった。
「時折考えることがありました。時々、殺したくない相手がいたのです。いつ自分が死んでもおかしくない戦場で、怒りも憎しみもなく、恐怖の色さえ見せず、勇敢で冷静な戦士……。本当に殺したくないと思いました。この者が生き残れば、パルティアはより良い未来を築くだろうと、そう思ったからです」
クレイアもほとんど食事には手をつけていない。うなだれたままサラマンドの話を聞いている。
「でも、そんな男だから死んでしまうのです。誰よりも勇気があるから進んで危険な場所に立ち、仲間を助けるために大勢の敵を引きつける」
クレイアは目を瞑っていた。そこに戦場が見えているのだろうか、そう思いながらサラマンドは話を続ける。
「戦場の最前線には、本当は誰も立ちたくないのですよ。最も目立つ位置とは最も敵に狙われる位置ということです。真っ先に切り込んで行けるとはいえ、手柄となる敵将は陣のはるか後方です。そこまでたどり着けるはずもないのです」
閉じられたクレイアの瞼が震えているようだった。
「でも、誰かがそこに立たなければならない。そこで本隊の盾とならねばならぬのです。臆病者であれば後方に下がって生き残れたかもしれない。戦場では弱い人間から先に死ぬのではありません。勇敢な者から先に死んでいくのです。あなたのご主人は、勇敢な立派な方だったと思います」
クレイアは固く目を閉じたまま、ずっとサラマンドの話を聞いていた。
「……ありがとう、サラマンド。やっと、救われました」
クレイアが目を開くと、押さえていた涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
クレイアはただ静かに泣いていた。
涙の流れるにまかせたその顔はやすらかで、微笑んでいるようにさえ見えた。
ひとしきり泣いた後、まだ潤んだままの瞳でクレイアは言った。
「では私も、約束を守らねばなりませんね。主人の持っていた剣です。三本だけでしたが持っていってください」
クレイアは隣の卓上を指差した。
サラマンドは一振りの剣を手に取ると鞘から引き抜く。錆などどこにも見当たらない。よく手入れのされた剣だった。
「幸運を祈ります……。あなたたちが無事故郷へ帰れるように」
そう精いっぱいの笑顔で言ったクレイアだったが――。
「……ですが、ブラハムに着いてからあなた方はどうされますか? やはり再びパルティアへ戦を仕掛けるのでしょうか」
どうしても抑えきれず、サラマンドの背中に問いかけた。
「……」
サラマンドは鏡のように磨かれた刀身を見ていた。そこにクレイアの姿が映る。
クレイアはさらに問いを重ねる。
「そうなればパルティア、ブラハムの勇敢な兵から先に死んでいくんでしょうね……。それでブラハムは千年続く王国をつくれるのですか?」
サラマンドは剣を鞘に納めた。振り返ってクレイアに答える。
「いえ、千年どころか百年どころか……。国の舵取りを誤れば、ブラハムはあと十年もたないかもしれません」
「言うまいと思っていましたが、サラマンド……」
クレイアは涙を袖で拭うとサラマンドの目を見据えてはっきりと言った。
「行かないでください! ここに残ってください! あなたは今死んではいけない人間です。勇気があり、先を見通す聡明な人間こそ、生きて国のために、いや世界のために尽力すべきです!」
サラマンドに呼吸も許さずクレイアが
「勇敢な者がみな死に絶えた国がどうなりますか? 臆病者が、虚勢を張るだけの人間が残るんです。私は、あなたにもっと広い世界を見せてあげられます。もっと知識を得、様々な国のありようを知り、国を良い方向に導いてください。あなたならそれができます。お願いします!」
クレイアは息を乱しながらもその目はサラマンドから離さなかった。
「仲間が待っているのです。死線をくぐり抜け、志を共にする大切な仲間です。私を信じて待ってくれているのです。裏切るわけにはいきません……」
そのクレイアの瞳を受け切れず、サラマンドは目をそらした。
「たとえいっときそう思われたとしても、あなたが多くの知識を身につけ国へ戻ったならば、みなさんわかってくれるはず!」
クレイアはサラマンドの長衣を掴みきつく引っ張る。
「王都ピュロスへ行きましょう。そこで市民権を買い、あなたは一パルティア市民になります。もちろんブラハムに戻るまでの一時的なもの。ピュロスはこことは比べものにならないほどの情報に溢れています。そこで仕事をしながら学べばいい。よく考えてください、サラマンド。何が一番良いのかを。目先のことではなく、遥か先を見据えて」
サラマンドの胸元を引く力がふっと緩む。
クレイアは大きく長く息をつき、サラマンドを見上げながら言った。
「もう一度お願いします。サラマンド、ここに残ってください!」
1
「……わかりました。未来のために、私はパルティアに残ります」
2
「それはできません……。私は仲間のために港へ向かいます」
※選んだ選択肢に合わせ、最終章となる14-1または14-2をお読みください。
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