第9話


 その後、ハーンから連絡があった。


 港近くの酒場でマジドが店主をやっている、来れるときに来てくれ、というものだった。


 マジドはサラマンドもよく知る仲間であり、頬髭を伸ばした愛嬌のある男で、明るく人望もあった。


 馬車に揺られながら、サラマンドは港へ向かう街並みを眺めていた。山ほど荷を積んだ馬車と何台もすれ違う。交易船が港に着いたのだろうか、そんなことを考えていた――。


 昨晩、午後のどこか一時でいいので、近々休みをもらえないかとクレイアに申し出た。

 クレイアは怪訝な顔をしながらも了承した。


「あなたがそんなことを言うのは珍しいですね。何かやりたいことがあるのですか?」

「実はブラハムの仲間が酒場を始めたそうで久しぶりに会いたいのです」

 サラマンドは正直に答えた。


「それはぜひ行くべきです」

 大きく頷いてクレイアが言う。そして子供っぽい笑顔を見せた。


 サラマンドは嫌な予感がした。


「ところで、私もぜひ一緒に行きたいのですけどいいですか?」

「それは……」

「いいですよね? 他のブラハムの方ともお話してみたかったんです。ちゃんと大人しくしてますから」


 クレイアのことだから許可はくれるだろうと思っていたが、これは予想していなかった。いや、予想すべきであった。もっと上手く嘘でもつくべきだったとサラマンドは後悔した。


 そして早速今日の午後に、一緒に酒場に行くことになったのだ。


 馬車が小高い丘を越えると、色鮮やかな美しい地中海が目に飛び込んでくる。パルティアの港が一望できた。

ふと覗き見るクレイアの横顔はひどくご機嫌で遠くの水平線を見ているようだった。


 長い長い坂を下り酒場の前に着いた。


 馬車から降りるときだった。大型の馬車がすぐ脇を通り抜け、その突風でクレイアはわずかによろめいた。肩を支えようとしたその瞬間、はためく幌の隙間から、人の姿が一瞬見えた。失意に沈む表情、汚れた衣服から奴隷たちだとすぐにサラマンドは理解できた。


 おそらくクレイアにも見えたはず。だが、支えたクレイアの表情に変化はなかった。


「ありがとう。では行きましょう、サラマンド」


 いつものように微笑んで、サラマンドの手を引っ張って行った。




「いらっしゃい!」

 扉を開くや否や威勢の良い声が飛んでくる。


「おお! サラマンド!」


 振り返ったのは顎からもみ上げまで豊かな髭をたくわえた壮年の男。伸びるに任せた髭ではなく手入れのされた髭面で、マジドの姿はブラハムにいた頃よりも品を感じさせた。


 こじんまりとした店ではあるが、掃除が行き届いており、落ち着いた雰囲気があった。客はまだおらず、他に三人ブラハム人が働いていた。ハーンの姿もその中にある。彼らも気づき歓声を上げるも、それも一瞬のことですぐ静まり返ってしまった――。


 後ろにクレイアの姿を認めたからである。


「ああ……、どうぞ、お掛け下さい」マジドは慇懃に席を勧めた。

「あの、いいんですよ? 皆さんお仲間なのでしょう?」

 椅子に腰掛けながらクレイアが言う。


「いや……」

 そう言いながらマジドたちは目配せをした。


「……すみません。私が野暮でしたね」

 クレイアが立ち上がって言う。


「私は先に帰ります。その、サラマンド……。ちゃんと迷わず帰ってきてくださいね」


 クレイアは店を出てゆっくりと扉を閉めた。


 すると中から大歓声が響いてくる。


 少しだけ扉を開いて覗くと、サラマンドの笑顔が見えた。クレイアにとっては初めて見る曇りのない明るい表情だった。


 あんなふうに笑う人なのだと、クレイアは胸が締めつけられる思いがした。


 後悔していた。来なければよかった――。


 そっと扉を閉め、待たせていた馬車に向かった。


 馬車の中から酒場を見やる。


 本当に……、ちゃんと帰ってきてくださいね……。




「いやー、本当によく来てくれたぜ、サラマンド」 

「あの女は帰ったぜ、もう大丈夫だ」

 戸口から戻ってきたハーンが言う。


「帰ったふりしてこっそり隙間から見ていやがった、抜け目のない女だ」

「これだからパルティア女は好きになれん」


 みな文句を言いながらも、次々にサラマンドの肩を叩き、抱き合って再会を喜んだ。


「すごいなマジド。ここはおまえの店なのか?」

 周りを見ながらサラマンドが問う。


「まさか。ただ主から任されたのさ。主は日に一度様子を見に来るだけだ」

「まだこっちに来てから半年もないだろう? すごい信用だな」

「初めはここで雑用してただけなんだがな。この主ってのがよ、てんでダメな男なんだ。まったく仕事が適当でよ、客商売ってのが何もわかっちゃいねえ。仕入れも保管もめちゃくちゃで、当然客もさっぱり入らねえ。それで見るに見かねて色々助言して、俺の言う通りにやったらじゃんじゃん客が集まって来てよ」


 そう言うマジドは実に誇らしげだった。


「おまえはブラハムで食堂やってたんだものな」

「おお、覚えててくれたか。まあそれで信用されて、今こうして店任されてるってわけだ」


 するとマジドは店の隅にずらりと並ぶ大樽の栓を抜き、慣れた手つきでなみなみと器に酒を注いでゆく。


「さあみんな久しぶりの再会だ。乾杯といこうじゃないか!」


 そうやって故郷ブラハムの麦酒を飲みながら、今までのことを存分に語り合った。自分の主の不満や愚痴、パルティア人の悪口など、胸に溜めたものをありったけ吐き出した。


 楽しかった――。


 仲間と気兼ねなくしゃべること。ただそんなことが、こんなにも楽しいとは思わなかった。酒が入ったのもあるが、サラマンドは鬱々としたものを吐き尽くし、緩んだ身体のさらに奥底からわずかな歓喜が湧き起こるのを感じ取った。


 それはか細い残光のようなものだったが、まだ自分はその感情を失っていないことが嬉しかった。


 サラマンドは器を傾け麦酒を呷(あお)った。


 その苦味を飲み下すと、ブラハムの草いきれが鼻を抜け、火照る身体には収穫期の日差しと爽やかな風を感じた。


 もう一度、故郷でみなと酒を酌(く)み交わしたい――。


 ぼんやりとそんなことを考えていると、マジドが改まった様子で声を張った。


「みんな、すまんがそろそろ本題に入りたい」


 そう言うや喧騒は静まり、あれほどくつろいでいた仲間たちが一瞬で戦士の眼に変わる。


「サラマンドもハーンから少し聞いているんだよな? 例の計画についてだ」


 ハーンからの視線を感じながらサラマンドは頷いて言う。

「本気……、なんだな?」

「おいサラマンド! まだそんなこと」


 声を荒げるハーンをマジドは手で制する。


「本気だ。そしてこれはおまえありきの計画だ。おまえの力なしには難しいと思っている」

 外へ響かぬようマジドは努めて静かな声で話を続ける。


「現状、ここにいる者を含めて連絡が取れている仲間が二十四名。そして北の石切り場におよそ三十名の仲間がいる。そこで過酷な労働を強いられていることがわかったんだ。彼らを解放し、港の船を奪い、みなでブラハムへ帰るんだ」 


 短く「おお!」とサラマンドを除く男たちが吠えた。


「一人でも多く仲間を取り戻したいが全員は難しいだろう。他の都市に連れて行かれたやつもいるだろうかなら。どこかで決めなきゃならない。誰かがやらなきゃならないんだ。計画は俺が立てる。サラマンド、おまえの力を貸してくれるな?」


 酒で久しぶりに感じた高揚感もすっかり醒めてしまった。サラマンドの胸には再び重苦しい圧迫感がまとわりついていた。


 そんなサラマンドの返事も待たず、マジドはさらに話を続けていく。


「計画としては隊を二つに分け、一方は船の奪取、もう一方は山へ行き仲間を解放する。どちらも難しい仕事だが、できるだけ数は山へ回したいから、船の方は少数にせざるを得ない。それに港で騒ぎになったらいくらでも人が集まってくるからな。少数で気づかれずに行う。船にもぐり込んで見つけ次第船員を制圧していくしかない。おまえの力が欠かせないんだ」


 そこまで言ってマジドはサラマンドの反応がかんばしくないことに気づいた。


 制圧する、それはすなわち殺すということを含んだ言葉だ。


「どうした、即答してもらえないのか? 足の傷か? 戦えないのか?」

「いやこいつ、さっきの……」

「やめろハーン」


 ハーンがクレイアのことを言おうとしたのを察しサラマンドは止めた。ハーンは舌打ちしてしぶしぶ下がる。


「計画自体は成し得ると思う。だが、その後どうする? もう一度パルティアと戦争して勝てると思ってるのか?」

「サラマンド、おまえはここで何を見ていたんだ……」

 マジドが呆れた様子で言う。


「たしかに戦場でのやつらは恐ろしかったさ。だがここで見てきたろう。こいつらは悪鬼や幽鬼じゃない、同じ人間だ。弱いところも間抜けなところもある。勝てるさ」

「おまえこそ何を見ていたんだ! 同じ人間だったろ。だからこそ争いを回避することも、分かり合うこともできるだろ!」

「どうしたんだサラマンド、そんなパルティア人みたいな理屈っぽいこと言うなよ」


 他の仲間の言葉に、堪りかねたハーンが先ほど言いかけた言葉を続けた。

「だからこいつは、さっきのパルティア女にブラハムの魂抜かれちまったんだよ」

「なんだって、そうなのか? てめえ」

「だからブラハムでさっさと身を固めろと」

「死ぬのが恐くなったか! アルブラムの死を無駄にする気か!」


 次々と仲間たちが責め立てる。


「そんなことはない! おれはブラハムの戦士だ、死など恐れていない! ただ……」


 胸につかえた思い――。サラマンド自身もよくわかっていなかったが、ようやくそれを自覚できた。


「……無駄に人を殺したくない」

「何を言ってる。これは戦だぞ」

「まあ、俺もわからないでもない。住んでいれば情も移るしな」


 マジドが割って入る。それはもうサラマンドを責める口調ではなかった。


「でもパルティアとの戦云々はブラハムへ帰還してから考えればいい。今のままではどうにもならないだろう?」


 まだ何か言いたげな仲間を、マジドは首を振って黙らせた。


「冷静に考えてくれ、サラマンド。力を貸してくれると信じているがな」


 ここでお開きとばかりにマジドは勢いよく立ち上がり手を叩く。


「またハーンに連絡させるが、決行の時期は、俺は早い方がいいと思っている。だからいつでも動けるよう準備、心構えはしておいてくれ。いいな、みんな」

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