第4話
「サラマンド、午後は市場に買い物に行きますから、あなたもついて来てください」
翌日、午前の仕事を終わらせ、納屋で一人与えられた昼食をとっていたところにクレイアがやってきた。
「このあとは農場の積み荷仕事があります。それをやらなければ」
慣れない紅茶を飲み下し、その陶磁の器を指ではじく。飲み干すと器の底に描かれた果実の絵が見えるようになる。洒落た工夫に感心していた。
「そんなものはあとで構いません。あなたにこの都市の広場を見てもらいたいのです」
いぶかしむサラマンドを見てクレイアは続ける。
「私はあなたからブラハムのことを色々聞きました。でもあなたはまだパルティアを牧場とこの屋敷でしか知りません。市場に行けば多くの人がいます、たくさんの物品が見られます。あなただってこの国のことを知りたいはず」
「わかりました。では私も一緒に参ります」
わかろうとして下さいと言った昨日のクレイアの言葉を受けたわけではないが、敵国だからこそ知る必要はある。
馬車を出し、二人は都市の中心にある大広場へ向かった。牧場や農場がある外縁部の道は踏み固められた土の道だが、クレイアの屋敷から広場までは石畳の道が続いていた。今まで気づかなかったが、その石畳には馬車が通りやすいように
そんな姿を見て、クレイアは苦笑するとサラマンドの腕を引っ張り言った。
「さあ早く行きましょう。向こうではもっと面白い物が見られますよ」
そこは一面に露店が並び、大勢の人々が行き交い、売り子の呼び声や値段交渉の駆け引き、笑い声やちょっとした口論やら大賑わいだった。
市場の賑わいなどブラハムの規模を大きくしただけに見えたが、サラマンドにはまず人種の多様さが目についた。パルティア人は七割ほどだろうか、髪や肌の色が異なる異国人も多く、そのなかにはサラマンドと同じ白長衣の奴隷の姿も見かけた。
ご機嫌で先を進んでいくクレイアに遅れないよう追いかける。しかし露店の品物は気になるし、通行人にぶつかりそうになるしで、クレイアを見失いそうになりながらも、サラマンドは必死で主の後を追った。
その途中でふとサラマンドの足が止まった。そこは刃物を取り扱う店だった。戦の中でパルティアの武具のことが気になっていたからだ。もちろんこんな露店で、戦に使われる長剣や槍が置いているわけはないのだが、ナイフや包丁を見ればこの国の鍛冶職人の技量がわかる。
店主に声をかけ、足元に並べられた手近なナイフを一つ手に取った。刃の根元に小さな赤い宝石が埋め込まれている。宝石自体は質の悪い物で、また実用のためのナイフに宝石を付けるというのも、サラマンドには悪趣味に感じられた。
肝心の刃はどうかと、焼きの部分をしげしげと見る。先端を奥に向け、片目を閉じて根元から切っ先までの刃の状態を調べていた。試し切りするわけにはいかないが、ある程度はこれでわかる。
手元がぶれないよう心を鎮め、刃の表面、先端の先端を集中して観察していたところ――。
ふいに手元が陰で隠れた。
見上げると、きょとんとした表情でこちらをのぞき込むクレイアの顔があった。
「刃物に興味があるのですか?」
サラマンドは慌ててナイフを元に戻す。
「あなたはもともと農夫ではありませんでしたっけ?」
「ええ、その通りです」
「その割にさっきの品定めはなかなか堂に入ったものでした」
感心したようにクレイアが言う。
「……農夫ではありますが、それだけでは食えず
咄嗟にサラマンドの口から出た言葉だったが嘘ではなかった。
「農夫であって指物師でもあり、いざというとき戦うための訓練も積んでいるのですか。大変ですね」
「ブラハムの男はみなそうです。そうあるべきと思って生きています」
「ところで、あなた方ブラハムの戦士はなんのために……」
突如店主の野太い声が響いた。クレイアに親しげに声をかける。どうやら店主とは知り合いらしい。
以前買った包丁の具合はどうかなどとたわいもない会話をする中で、クレイアは一本のナイフを購入した。今しがたサラマンドが見ていた物だ。
「どうぞ。あなたに差し上げます。舶来品ではなくパルティア製の一品だそうです」
サラマンドは黙って受け取った。奴隷にナイフなど買い与えるだろうか。その意味を測りかねていた。
クレイアは、また市場を軽やかな足取りで歩いていく。少し速度を落としているのはサラマンドを気遣っているようでもあった。
サラマンドはクレイアについていきながらその背中を見つめていた。
どうも主はここでは人気があるらしい――。
刃物屋の店主と親しげに会話していたのは特別ではなく、歩きながら様々な人から呼び止められ、また声をかけていた。
農場、牧場、貿易の仕事もしているそうで顔が広いのはあるだろう。しかし周りの人々の表情と声から察するに、よく慕われていることは明白だった。
クレイアはあちこちの店を覗いては、どこで作られた器だの、絹織物だの、珍しい果実や木の実だのを見せては、サラマンドに誇らしげに説明していた。その都度買うのですべてサラマンドが抱えて持つことになるのだが。
最後に寄った反物の店では奴隷の男が店番をやっていた。婦人の気を引く言葉巧みな呼び声と興味を誘う謳い文句で、実に慣れた様子で織物を売り込んでいく。
どう見ても男の衣装は簡素な白長衣で間違いなく奴隷と思われるのだが、奴隷の悲壮感など微塵もなく、自信にあふれるその態度は店主にしか見えなかった。
クレイアは結局反物三本を買い、店主と思しき男は値段交渉もしてだいぶまけてくれたようだった。
サラマンドは最後に我慢できず男に訊ねた。
「あなたは本当に奴隷なのですか? 何人なのですか?」
奴隷の中でも人種によって優遇される者がいるのかと思ったのだ。
男は急に尋ねられて驚いた様子だったが、
「私はパルティア人です。寒村の生まれで家にお金を入れるために、十二の頃に自分で自分の身を売りました」と言った。
サラマンドは仰天した。パルティアは他国の民を奴隷として連れてきては働かせていると聞いていて、パルティア人の奴隷がいるとは思わなかったからだ。そして家のためとはいえ自分から奴隷になる者がいることにも。
「良い旦那様に買われて私は幸運でした。ここでは店を任されておりますし、仕入れも自分でやっています。来年にはようやく市民権が買えそうで、そうしたら念願の自分の店が持てるのです」
男は誇らしげにそう言って笑った。
「パルティアでは一定のお金を納めれば、奴隷も一市民になれるのですよ。市民となれば他のパルティア市民と何も扱いは変わりません」
クレイアはそうつけ加えたが、どこかさびしげな表情に見えた。
「そろそろ帰りましょうか。ここは他にも劇場と議場があって、そこも見てもらいたかったのですが、またにしましょう」
帰りの馬車に揺られながら、サラマンドは荷台の上で夕焼け空をぼんやり眺めていた。
クレイアに買ってもらったナイフを懐から取り出し鞘から抜いた。
奴隷に刃物など与えるか、ふつう――。
夕日に照らされて、刃の根元の宝石は一層赤く輝いていた。
あえてナイフを持たせることで、度量の大きいところを見せて信用させようという肚か? おまえを信用しているから刺したりするなよということか?
いや、クレイアはそんな難しいことは考えていない。単純に自分が見ていた物だから買い与えた、ただそれだけのことだろう。
少し風が寒く感じた。身体を起こし、今日買った荷を自分の方へ引き寄せ押さえつけた。
このまま奴隷として生きるのをよしとしないなら、このナイフで命を絶つこともできる――。
サラマンドはふとそんなことを考えた。ただ残念ながらブラハムでは、自害することは戦士の名を汚すことと考えられているが。
再びナイフの刃先を見ながら市場でのことを思い出していた。
その刃を見るに、研ぎに関してはブラハムの職人の方が上だと思った。また食器や飾棚などの細工物も見てきたが、目につきにくいところには粗があった。ブラハムの職人ならそういうところも手抜きはしない。
しかし認めなければならないのはそれらの品の種類の多様さだ。模様も飾りも創意工夫に満ちており、職人同士が技を競い合って発展してきたのだろう。
先の戦ではブラハムの剣は敵の剣と打ち合うと折れることが多々あった。鋼の製鉄技術はパルティアが優れているのは間違いない。
たとえブラハムに帰ることができたとしても、再びパルティアと戦って勝てるだろうか。
わからない――。
足首の傷がうずいた。戦場の恐怖が蘇ってくる。
いっそこのままパルティアの人間として生きるのもありなのではないか。
流れる街並みの中、家を建てるために土台の石を積み上げ働く奴隷たちが見えた。
彼らがこのパルティアの貴重な労働力なのだ。奴隷といっても家畜の扱いをされているわけではない。市民の権利を金で買えるともクレイアは言っていた。
そんなとき、目の前を一人の奴隷が通り過ぎた。はっとして、遠ざかっていくその姿を目で追うと、肌は南方の褐色をしていた。
「ハーン!」
サラマンドは走る馬車から飛び降りた。全速力で追いかけるが、足首の踏ん張りが効かず石畳の上で派手に転んでしまった。左足にブチッと肉が裂ける感触があった。
「サラマンド?」
身を乗り出したクレイアは慌てて御者に馬車を停めさせ駆け寄ってくる。
サラマンドは身を起こして立ち上がろうとすると、奴隷が振り返るのが見えた。
やはりハーンだった。同い年で、アルブラムと同じ同郷の仲間だ。
ハーンは両足が鎖で繋がれていた。走って逃げることができないように歩幅を制限する枷である。後ろには主と思われる恰幅の良い男がいて、振り返ったハーンを杖で殴りつけていた。両手は後ろに回されてそこから伸びる紐を主がにぎっている。まるで罪人の扱いだった。
「どうしたのですか! 急に」
立ち上がれずにいたサラマンドをクレイアが起こそうとする。
「ハーン!」
道行く人々がサラマンドの方を振り向く。だが一瞥してみな通り過ぎていく。
クレイアが慌てて何事か叫んでいるようだったが、サラマンドには何も聞こえなかった。
苛立っていた。
たまたま自分がいい待遇を受けているだけだったのだ。
やはり自分たちは奴隷であって、ハーンは恐ろしい目に遭っているに違いない。
一瞬とはいえパルティア人になろうなどとは馬鹿げた考えだった。
サラマンドは怒りにまかせて立ち上がった。
だが、そのときにはもうハーンの姿は見えなくなっていた――。
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