第3話


 牧場に戻り、牛舎の藁にもたれて休んでいた。


 足を持ち上げると鎖の音がする。今日は足を鎖で繋がれていた。夕食で自分が変なことをしゃべったせいだろう。


 おれは……、奴隷として生きるより戦士として死にたかった……。


「くそっ!」


 つかんだ藁を力いっぱい投げつけた。藁束は空中でばらばらと分かれて落ちていった。


 急な大声に憶病な馬がいななく。


 体を起こして呼吸を整えると両足首の傷をさすった。触るとそこだけ大きくへこんでいる。敵に捕えられたサラマンドは、奴隷として売るのに逃げられないよう踵の腱を切られたのだ。



 思い出す、手枷と足枷がつけられ、ブラハム兵が集められたとき、敵の指揮官らしき目立つ深紅の甲冑をまとった男が言った。


「この中に百人殺しと謳われた戦士はいるか」


 兵たちは互いに顔を見合わせ、その視線がサラマンドに集中する。


 そのとき、後ろからサラマンドの腕をつかむ男がいた。


 振り向くと見知ったいかつい顔が真剣な面持ちで囁く。


 おまえはまだ生きろ――。


 サラマンドより六つ年上で同郷の仲間で、そしてブラハム軍で間違いなく五本の指に入る戦士アルブラムだった。


「誇り高きブラハムの戦士よ、我が軍を震え上がらせた勇敢な戦士よ。いるならば、そして臆病者でなければ、その誇りに従い名乗りを上げたまえ」

「俺だ。俺がその百人殺しと呼ばれた男だ」


 座っている兵士の間から、突然巨人が立ち上がった。


「ほう……、なるほど立派な体躯をしているな。この男なのか?」

 指揮官は隣のパルティア兵に訊いた。


「は、たしかに百人殺しは巨躯の男でありましたが……」

「俺は戦場に立てば一日で百人殺すから百人殺しと言われるようになった。だが、あいにく昨日は九十八人しか殺してねえ。おまえら二人を殺せばちょうど百人だ。これですっきりできるぜ」


 アルブラムはそう凄むと、足枷のままで器用にゆっくり進みゆく。


 周囲に動揺が広がり、ブラハム兵は互いに目配せし呼吸を合わせる。


「こ、この男です! 間違いありません」

「よし、ここに押さえ込め」


 アルブラムが引きずり落とされるのと、ブラハム兵がいっせいに立ち上がるのはほぼ同時だった。


「待てッ‼」


 その裂帛の一声に、場の全員が動きを止めた。サラマンドたちの方を見やり小さく首を振る。


「なんだ、命乞いか」

 アルブラムの言葉を取り違えた無能な指揮官が嘲笑う。


「この首をくれてやるから、他の者の命は助けてやってくれ」

「ふぅむ。百人殺しに大暴れされれば厄介だな……。貴様がおとなしく斬られ、彼らも抵抗しないと誓うなら、私もパルティアの誇りに懸けて彼らの命を保障しよう」


 ブラハム兵の目には驚きと恨みが入り混じっていた。愚鈍な指揮官は気づかなかったが、その両方が足もとに伏した百人殺しの男に向けられていた。


「感謝する……」

「ではその命もらい受ける。貴殿こそまさにブラハムの英雄だ」


 アルブラムは声も上げず、その場で数名の兵士の剣に貫かれた。痛みに耐えるために身体はこわばり丸まったが、うめき声も漏らさず、事切れていた。


「馬鹿め! もとよりこいつらは奴隷として生かすつもりだったのだ」

 指揮官は吐き捨てるように言った。


「ブラハム人の奴隷は、従順でよく働くから高く売れる」


 そう笑いながら、深紅の甲冑を揺らし指揮官は去っていった。



「なんでだよ!」


 ブラハム兵の間から発せられた言葉はその一言だけだった。だがそれはその場の全員の思いだった。


 サラマンドが声の方に目を向けると、幼馴染みのハーンが涙をこぼしていた。


 そして一人ずつそこから連れ出されていった――。




「なんでなんだ……」


 サラマンドはつぶやいた。


 単純なパルティア人にはわからなかったに違いない。命を懸けて仲間を救った百人殺し、残った仲間はその自己犠牲に感動していたとでも思ったのだろう。


 ――なんで死なせてくれないんだ!


 それがあのときの周りの兵の気持ちだった。死ぬならあれが最後にして最良の機会だった。戦士としては捕虜になったのは汚点だが、あそこで皆で戦って死ねればぎりぎり名誉の戦死となれる。万一でも逃げおおせれば当然言うことなしだ。


 それを自分だけ楽に死にやがって……。


 しかしサラマンドだけ少し思いが違っていた。


 なんでおれなんだ……。


 おれがいればなんとかなるとでもいうのか? 機会を窺い時期を待てと? 踵の腱を切られてもう以前のようには戦えないんだぞ?


 アルブラム……、あんな芝居ができる男だとは思わなかった。あいつはいかつい風体に似合わず、物静かでおとなしいやつだった……。


 故郷の村にいた頃を思い出していた。子供の時分、アルブラム、ハーンと一緒に剣術の稽古をしていた。戦では無駄に吠えるより、静かにしていた方が実は有利なのだということを気づかせてくれたのもアルブラムだった。


 あそこで全員死ねばそこで終わりだが、なんとかブラハムに帰れればもう一度パルティアと戦える。


 それが国のためになる、皆のためになる、ってことなんだよな……?


 ――相手をわかろうとして下さい、無慈悲です。


 先ほどのクレイアの言葉が頭に響いた。


 わかるわけがないだろう。おれたちブラハム人の気持ちなど。自分たちを簡単にわかろうとする、わかったつもりになるあの女に腹が立った。


 自分一人逃げ出すなら簡単だ。でもそれからどうする? 仲間を探し、船を手に入れる。どうやって?


 今は機会を窺うときだ。奴隷として生きてやろう、あの女を欺くのだ。


 考え疲れ、そのままサラマンドは深い眠りに落ちていった――。

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