第2話


 咆哮と絶叫が渦巻いていた。剣戟の音が絶え間なく響く。


 ここは地獄の平原だった。


 血だまりを踏み、剣を振るう。敵兵の槍をかわし、剣を受け流す。


 切り倒した相手から武器を奪うと、両手にそれぞれ剣を持ち、敵集団のまっただ中へ駆け抜けてゆく。


 左右の剣を交互に振るう。敵味方ともに疲労が見え始めた頃が、サラマンドの本領を発揮する時分である。


 彼の戦いは、あたかも舞のようだった。身はふわりと軽く緩急を使い分け、重たい剣を優雅に振り回す。敵は疲れた身体を振り絞り鬨の声を上げるも、力いっぱいに剣を叩きつける動きなど止まって見えた。パルティア兵の中でサラマンドを止められる者などいなかった。


 そこに一人の槍兵が立ちふさがる。


 その男は黙したまま、静かに鋭い突きを放ってくる。突きはもとより引きも速く、サラマンドは攻めあぐねたが剣先が軽く相手の肘を斬り裂いた。そこは急所ではないが肘の腱があるところだ。


 それでも相手は表情一つ変えず、槍を投げ捨て剣で切りかかってくる。激昂せず、静かに淡々と。


 こういう相手が恐いのだ。戦場ではたまにそんな兵に会いまみえる。


 頭の片隅になにかの思いが湧きあがったが、本能がそれを押さえ込んだ。


 サラマンドは上体を捻り溜めを作ると覚悟を決めて飛びかかった――。




 ガタンッ、と大きく身体が跳ね上げられて目を覚ました。

 流れる道が奥へ奥へと吸い込まれていく。


 藁に包まれ、気持ちよく揺すられて眠っていたようだ。見上げれば晴れわたった青空に、日はまだまだ昇る途中。穏やかな秋風がそよぎ、湿った服はもう乾きかけていた。


 景色を眺めると、ここ一帯は農場になっていた。そこには同じ白長衣の男たちが点々と見えた。自分が着ているものより粗末な衣装に見えるのは気のせいではないだろう。


 自分は馬車の荷台に揺られうたた寝をして、他の奴隷たちより質の良い衣服を着て、足には束縛の鎖もない。


 何をしているんだ、おれは――。


 すべきことがあるだろう。


 でも、いったいどうしたらいいのだろう。


 そのまま馬車はガタゴトと揺れながら主の住む屋敷へと進んでいった。




 装飾の施された立派な門扉を抜け、手入れのいき届いた庭の先に、二階建ての大きな屋敷が建っている。

 この都市ではかなり裕福な家だ。牧場の家畜小屋と変わらない家に住んでいる市民も多いというのに。


 馬小屋を掃除し、食糧や雑貨の荷運び、庭の手入れ。サラマンドは主に屋敷の外の仕事をすることになっていた。中の仕事は女中や使用人がしているようだった。


 飼料用の雑穀が詰まった麻袋を二つ重ねて担ぎ上げる。今朝感じたような足首の痛みはない。重い物を持って素早く動くことは難しいが、ゆっくりであれば何も問題はない。足首に負担をかけないように、やや腰を落とし尻から腿裏の力で身体を支える。そんな方法を習得しつつあった。


「今日はまた、随分と汚れたんですね」


 柔らかな女の声に振り返る。


「牛小屋で転げ回っていたのですか?」

 呆れた様子で首をかしげている。手にはきれいに折りたたまれた着替えを持っていた。


 淡い水色の長衣にはレースの刺繍が施されており、丁寧に結いあげられた栗色の髪は意匠をこらせた象牙のかんざしで留められている。


 この屋敷の若き女主人クレイアである。サラマンドは数日前この女に買われ労働しているのだ。


「いえ、また汚れますので」

 首だけで礼をし、納屋に荷を下ろす。


「足のほうはもう大丈夫なのですか?」

「何も問題はありません」

「そうですか。ではちゃんと着替えて下さい。いくらでも洗うのですから」


 このきれいな屋敷に汚い奴隷は見栄えが悪いからだろうか。単純に匂うのだろうか。もとより獣の臭いなど自分は気にしないし、牛馬の糞の臭いだって嫌いではない。

 裕福な家ならば奴隷など買わず、パルティア人の使用人を一人雇えばいいではないか。


「では命令ですよ」


 煮え切らない態度を見て、ピッとサラマンドを指さしてクレイアは帰って行った。


 まったく、これがパルティアの女か。


 サラマンドはため息をついた。




 日が沈むと仕事をやめて屋敷で食事をとることになっていた。

 屋敷に入る前には水浴びをさせられ、またさらに服を着替えて入らねばならない。


 一階の大食堂ではなく、二階の小さな食事室に入ると、クレイアほか数人の女中が食事の最中だった。


 クレイアが気づき、促されて席に着く。


 いまだ慣れないが、奴隷とは主と一緒に食事をするものなのだろうか。特別この家の流儀なのだろうか。この家の元の主人は最近病で亡くなったと聞いたが、慈悲深い人だったのか。


 もとよりブラハム国には奴隷はおらず、サラマンドは本の中でしか奴隷というものを知らなかった。子供の頃、駄々をこねると外人がさらいに来て奴隷として売られるぞと脅される、そういうものだったのだ。


「さてサラマンド、今日はどんなことを聞かせてもらいましょうかね」


 クレイアは身を乗り出して目を輝かせる。女中が遠慮がちにたしなめるも聞こえないようだ。


「一昨日はブラハムの食文化について、昨日は歴史にいて聞かせて頂きましたものね。今日は――、ブラハムの戦について伺ってもよろしいですか?」


 このクレイアがいかに好奇心の強い人かは、使用人、女中、屋敷に関わる多くの者から聞いていた。


 それでも『戦』、の言葉の前にはためらいが感じられた。サラマンドが敗残兵なのを気にしてのことなのだろう。


「血生臭い話になります。それはやめておいたほうがよいかと思われます」


 女中は皆うなずいていた。


 ふとクレイアの手元を見るとかすかに震えていた。興味があっても恐いのか、まさか血の話を聞く悦びに打ち震えているわけでもあるまいが。


「いいんです。話して下さい。私はあなたがたの考え方が知りたいのです。そのために奴隷のあなたを買ったのですから」

「わかりました」

「では最初にお聞きします。戦場は、恐くはないのですか? 何を考えて戦場に立つのですか?」


「恐くはないですね。死ぬ覚悟がある者しか戦場には立てません。少なくともブラハムの戦士はそうです」

「怒号が飛び交い、一瞬先には自分が死ぬかもしれないのに、ブラハム人のあなたは本当に恐怖を感じないのですか? 正直に答えて下さい」


「言い直すなら恐怖は感じます。人間ですから皆感じることでしょう。先ほど怒号が飛び交うとおっしゃいましたが、恐いから雄叫びを上げて奮い立たせるのです。それと同時に相手を恐怖で委縮させたいのでしょう」

「あなたもそうやって戦っていたのですか?」


「……」


 サラマンドは即答せずに思案していた。


「あなたの考えをちゃんとおっしゃって下さい」

「私は……、そういうことはしませんでした。ブラハムの戦士は全員ではありませんが、雄叫びなどあげない者が多い。恐怖は感じても、それを克服するよう修練していますので」

「それは、パルティア兵は死を恐れると言いたいのですか!」


 責めるような口調にサラマンドは言い過ぎたかと思い、「すみません」と言うと黙ってしまった。


 正直に言えと言っておきながら、答えればそれはそれで怒るというのか。自分勝手な女だとサラマンドは思った。


 もうこの辺にしてはどうかと、最も年配の女中がクレイアを促した。しかしクレイアは頭を振って、意を決したように再び問いを口にする。


「では最後にお聞きします。なぜブラハム兵は捕虜を殺すのでしょうか。捕虜を殺すというのは本当ですか?」


 それは捕虜として捕えられ、今生かされているサラマンドには答えにくい問いだ。最初からこれを聞きたかったのだろう。


「戦場に立つ兵士には敵であろうとブラハム人は敬意を払います。誰もが死にたくはない、恐ろしいからこそ、それに抗い、己を律して、敵と戦う」

「ならば敬意をもって扱うべきではないですか。相手は投降しているのですよ」

「国のために死ぬ気で戦場に立った戦士が、本気で投降などするはずがありません。隙を見て我々に害を及ぼす者ならば、敬意を払って殺します。延髄を切れば痛みはなく、その者は一瞬で絶命します」


「害を及ぼすなんて、それはあなた方の決めつけです! 相手をわかろうとして下さい、無慈悲です!」


 クレイアは自分の食事を片づけさせ、怒って出ていってしまった。


 サラマンドは一人食事をとった。よく見るとその皿は、器こそ質素な物だが料理そのものはクレイアと同じ物だった。

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