水上さんの気まぐれ

M.A.L.T.E.R

第1話

「どっか行きたい」

彼女━━水上祐子は寂しげな顔をして言った。


水上とは同じ大学なのだが、僕(小沢川市)は経済学部で、彼女は人文部だからあんまり接点はない。

強いて言えば、同じ旅行サークルに所属している事ぐらいだろう。

しかし、今日はたまたま取っていた講座が両方四限までだったからかちょうど校門の所で鉢合わせしたのだった。

そして、僕も彼女も同じ地下鉄を使うから、必然的に一緒に歩くわけで。

彼女の透き通るような黒髪を横にして、その端正な顔立ちに見とれながら。手とかもギリギリ近づけて……。

そんな事を考えていたら、彼女は突然立ち止まったのだ。

僕は自分の手が吸い込まれていくのを慌てて止める。

「ねえ、小沢くん。どっか行かない?」

彼女は地下鉄の路線図に焦点を合わせると、そのまま左の方に移動して僕の顔を見て止まった。

「えっ、ええ? ええとー、いや別にいいけど……」

僕は言葉を濁しながら首を縦に振る。

そういえば、こんな事前に一度あった気がする。

すると、彼女は微妙に喜んだような顔をして

「ありがと」

とだけ言った。

それから、僕たちは路線図の外側を眺めたり指差したりして、あーだこーだ言って、結局家に帰って決めることになった。


家で、LINEをしていると、なんで彼女がどういう目的でどっかに行こうとか言い出したのかが分かった。僕が考えるに、彼女は電車で遠くに行ければなんでもいいらしかった。

何故かは分からない。しかも、それに僕を誘う理由も。

なので、水上とか郡山とかも勧めてみたが、一回行ったことがあるらしく、やんわりと断られた。

そして続くLINE。

それを見ていて、僕は思った。

なんとなく、彼女はこの前の大月の先を攻略したいのではないかと思った。

なので、僕は小淵沢を勧めてみた。

すると、彼女は遠慮がちに「降りてみたい」と返信してくる。

僕は一瞬迷った。

大学二年生である僕はあまりお金に余裕がない。ただ行って降りずに帰るのなら安く済む。小淵沢で降りるとなると一気に4048円増える。

アルバイト代に大ダメージもいいところだろう。

だが、彼女のあの寂しげな瞳についていくと僕は決めた。何をしに行くのかという目的がない旅も楽しそうである。だから、樋口さんには犠牲になってもらう事にした。


何故、小淵沢を勧めたのは分からない。もっと遠くでも近くでもいいのに。

昔、一回だけ行ったことがあるからだろうか。あるいはこの後起きることを既に予見していたのかもしれない。

一応、サークルのLINEにもお誘いのメッセージを送ってみるが、何の返信も無い。


明日の八時半、新宿駅11番線八号車の所に集合。

そのメッセージと共に意識を飛ばして僕は眠った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「はっ! ……やらかしたァァァ━━!!」

変な夢を見ていた僕は飛び起きて時計を見ると、たちまち驚愕に包まれた。

現在時刻八時十五分。約束の時間にはどう考えても間に合わない。

仕方がない。

確かに女子に待たせるというのは男子として最悪だろう。しかも席取り合戦に出させるとか、これがあの安川だったらあの眼鏡の向こうの冷たい目をこっちに向けて罵倒して罵倒して土下座させるだろう。

水上ならそんな事はないだろうが……。


やっぱり、僕は眼鏡って見た目以上に性格も大きく分けると思うんだ。

まあ、六月の中旬なんて日曜でもオフシーズンの極みだから大した席取り合戦にはならないだろう。

唯一の救いは小淵沢方面にしていた事だろう。僕の住む立川は途中駅だ。

これが郡山とかだったら終わっていた。


僕は速攻で家を出て、最寄り駅の立川に向かってチャリを漕ぐ。大丈夫だろうか。僕は一度乗ったことがあるし、割と鉄道が好きなので大体の事は分かるが、彼女は分からないかもしれない。

僕が駅に着いたあとも、絶対に迷わないように、彼女を誘導していく。

九時二分。もし、僕が間に合っていたら列車が新宿を出るであろう時間。


九時六分、彼女の「大丈夫」というメッセージを見て肩から力が抜ける。

そこで、僕は彼女にお茶を買っていく事にする。確か、水上の好きな奴は綾鷹だったな。

本当なら酒とか似合いそうなものだが、僕たちは二人とも十九歳だからその選択肢は採れない。


僕は彼女を乗せているであろう列車を待つ。画面の向こう側にいる彼女に向かって他愛ない話をして。

九時三十一分━━あんことクリームを混ぜ合わせたような二階建ての列車がゆっくり入線していく。ごちゃごちゃした立川駅を掻き分けるように。

ドアの左上の席にいるであろう彼女を探すが、見当たらない。

ドアが開く。

降りる乗客がひどくもどかしい。

誰よりも早く車内に入って、彼女を探す。

階段を上った所で四回首を左右に振って、見つける。彼女の心配そうな顔を。

近づくと彼女の視線は立川駅のホームからこちらに移っていく。

「遅れてごめんな」

「ううん、気にしてないよ」

謝ると同時に予測していたかのように首を横に振る水上。

気にしてないと言われても、やはり申し訳なかった。だから、僕はどうしても彼女の顔を直視できない。お茶を渡した時に「ありがとね」と言われた時も、一瞬彼女の喜ぶ顔が視界の隅に映ったけど、確認まではできなかった。

僕の心を映したかのようにどんよりとした雲行きの中、会話も弾まず、トンネルが続くのを見て僕の人生も穴だらけだなとか思ってしまってどんどん落ち込んでいってしまう。


するといつの間にか、いつか来た大月駅に着いていた。

これからあの日を越えにいくんだ。

その風景を見て、ふと僕はそんな事を思った。


山の崖すれすれの所にある崩落事故のあった笹子トンネルを見ると、なんとなく嫌な気分になってトンネルを越える。

トンネルを、越える。


「うわぁ~~~っ! 小沢くん小沢くん見て見て! 晴れたよ!」

水上に肩を叩かれてその手が向かう先を見ると、そこには雲一つない晴天が広がっていた。

お天道様は僕に天啓を与えた。

ああ、僕はなんて馬鹿なのだろう。確かに寝坊してしまったのは良くない事だが、それ以上に落ち込んでいたら水上に失礼ではないか。

その天啓を悟った瞬間、僕はもう一度彼女に謝っていた。

「ごめんね、水上さん」

「えっ? 別に気にしないでって……さっき言ったよね?」

「……うん!」

もう一度許してくれた彼女の不思議そうな顔を見て、ようやく僕も笑顔になれた。

「うん、小沢くんやっと笑顔になってくれた。さっきまで落ち込んでたみたいだったから、もしかしたら嫌だったのかな~、なんて思ってたんだけど、よかったぁ」

やっぱり彼女に心配を掛けていた事を知り、もう一回あの言葉にお世話になる。

「……ごめん」

「だーかーらー、気にしてないって言ってるでしょ? そんな事言ったら私だってこんな思いつきの旅に付き合わせちゃって、ごめん、だよっ」

この春と夏の狭間の雨の時期を表したかのような水色のワンピースを揺らして、言う彼女が可愛くて面白くってつい、

「あははっ」

と笑ってしまう。

ようやく笑顔を取り戻した僕たちは、身延線のホームはどこ? だとか新府駅のホームが狭くて落ちそうだとか話しながら、眺めのいい二階建て列車に揺られていく。

当然、笑顔は絶えない。

そんな事をしているうちに長坂駅の表示が次の駅が小淵沢である事を示す。


「おお~、着いたぁー」

木造の待合室とコンクリートの駅舎が混じりあった小さな小淵沢駅に僕たちの列車はその巨体を到着させた。

ハイキングとかに行く武装の人たちの中、明らかに少ない荷物を持った僕たちは東京から百二十キロメートル離れた小淵沢に降り立った。

僕たちはリクライニングできない椅子で凝り固まった体をくぐっと伸ばす。

「やっぱり、ちょっと寒いね」

彼女の言うとおり高原だけあって、快晴ではあるが少し寒かった。

コンクリートの駅舎の橋を渡って改札に来ると、ポツンと棒が三本立っていた。

「あの棒、なんだろう……」

「うーん……あっ、あの青い丸はSuicaじゃない?」

目を凝らしてみると真ん中の方におなじみのSuicaの青いマークがあった。

水上はそれにピッとタッチするがすぐにピンポーンと赤くなってしまった。残額不足と告げる機械音。

「ありゃ、足りないやー」

彼女は頭の後ろに手をやってえへへと照れ笑いする。

「あれ、乗り越し精算機は……ってあれ?」

俺はそこで気づく。改札の中に乗り越し精算機がない。これでは降りられないではないか。そう思ってふと横を見ると水上はこつぜんと、いなくなっていた。

「あのーすいませーん!」

水上の声がする方を見ると、既に水上が駅員に訊いている所だった。

こういう所では梓先輩みたいに行動力あるんだよなと思いながら、水上がこちらに駆けてくるのを目で追う。

「どうだった?」

「なんか、外にある切符売り場でチャージして出てくれ、だって」

「あー、なるほど」

僕は手をポンと打って、言われた通り水上と一緒に駅員に会釈しながら、チャージしてまた改札を出るという事を行った。

改札機が見た事のない四桁目の2を表示した事に驚きながら。


「さて、どうしよっか」

彼女はそのぱっちりとした瞳で僕の顔を覗きこむ。

「うーん……適当に小淵沢にしたけど、よく考えたら小淵沢ってなにもないんだよね……」

小淵沢駅の周りはただの田舎の街なので、外になにかあるわけではない。

しかも、帰りの14:07の列車に間に合わせるとなるとかなり行動範囲が限られてくる。


駅にある地図を見ながら、僕たちはどこに行くか考える。

「うーん、見事なまでになにもないねぇ」

地図のマークのあまりの少なさにそう感想を述べる水上。

すると、

グゥ~~~

と、元気のいいお腹が合唱した。

「あははは……と、とりあえず昼ごはんにしよっか」

水上は苦笑いしながら注目する地図のマークをしぼる。

お腹の合唱のあまりの元気の良さに、僕たちは顔を赤くして昼ごはんを食べる店を探し始めた。

地図の横に駅そば屋さんがあったが、せっかく来たのだから駅の外で食べようという僕たちの共通の意志により駅舎から出る。


駅前もバス停とタクシー乗り場はあるが、広場らしきものはなく、のどかな街を歩いていく。

「こっちにはなんにもないなぁ……」

「うん……いや、あるよ小沢くん。あれ」

そう言って彼女が指差したのは錆びた看板だった。

僕たちはそれに一縷の望みをかけて歩いていく。

しかし、看板の矢印が指していたのは線路だった。

「まさか、ここを渡っていけという訳ではないよね? 踏切もないし」

「さすがにそれはないんじゃないかな……。電車に轢かれちゃうよ?」

彼女の言う通り、こんな所を通らせて行く店などないだろう。


結局その近くには店はなく、気づいたら駅そば屋の前に立っていた。しょうがあるまい、他に店がないのだから。それに小淵沢の駅そばってのも気になる。

「どうしよっかな~」

店の敷居に入るなり、水上は券売機を見て何にするか決めていた。

「いいや。私、小沢くんとおんなじのにしよ」

券売機を一周した彼女は突然さじを僕に投げてきた。

「ええっ!?」

そんな素振りなど全く無かったので、僕は動揺してしまう。

そして水上と入れ替わって、僕は悩み始める。

「うーん、山菜も捨てがたいけど、ここは馬肉かな」

基本的に山菜派な僕だが、馬肉うどん(そばより断然うどんが好き)を食べた事がなかったという好奇心と、女の子の前で消極的なのを見せたくないというプライドで、馬肉うどんに決めてボタンを押す。

「そういえば、小沢くん。山賊焼きっていうのがあるよ」

交代してからずっと店の看板を見ていた水上がポッと言った。

「山賊焼き?」

「あれ、食べた事なかったっけ。まあ、食べてみればわかると思うよ」

わずかに挑発しているように見える顔でそう言われた。僕は先ほど言った理由の後半にこの言葉が引っ掛かってしまい、挑発にやすやすとのる僕はその山賊焼きというのを追加トッピングする。

駅そば屋特有の超速調理であっという間に目の前のカウンターにうどんが置かれる。

その器の中でまず目に入るのは皿の半分をドカンと占領している、山賊焼きと呼ばれるものであった。そして、もう半分には細かく切られた馬肉がぎっしり。

「「いただきまーす!」」

二人で声を合わせて食べ始める。

山賊焼きってどんな味なんだ? と思いながら食べると、噛みしめた途端につゆの旨みが口の中に広がる。そして、その断面を見ると鶏肉が入っているのが分かった。なるほど、山賊焼きというのは唐揚げを大きくした物なのだろう。

そして、牛や豚よりも甘くてコリッとした食感がおいしい馬肉がまたいいアクセントになる。このうどんには食べた覚えの無いものが満載だったが、旨味の新しい境地が開けた気がする。そんな味だった。

「おいしいねぇ~」

うどんを頬張って満面の笑顔でこちらを向く水上の顔は意外にも可愛くてドキリとしてしまった。


ちゃんと「ごちそうさまでした」を言って、駅の周辺を散策しようと試みる。

「……ギリギリいけないっぽいね」

「いけないね……」

改めて小淵沢駅の周辺地図を見るが、駅の周りにはなにもないし、徒歩で帰りの電車に間に合うように帰ってこれそうな所は無かった。

タクシー代も当然ない。バスもなかった。

どこに行くか思案に暮れて、地図とにらめっこしていると、構内放送が入る。

『十二時四十五分発のあずさ16号ですが、ただいま中央本線長野県内での人身事故の影響で大幅な遅れが見込まれます……』

というものだった。

「中央線ってこんな所でも人身事故になっちゃうの……? さすが年間日本最強は伊達じゃないなぁ」

僕が皮肉たっぷりに言うと、水上の口と瞳孔が開かれる。

「えっ、人身事故? ……あちゃー……、私六時半には家に着かなきゃいけないんだけど間に合うかなぁ……」

まさか門限があるとは……。僕は慌てて水上の家がある北千住までどのぐらいかかるか調べる。

「14:07のでギリギリか……。いや、人身事故で遅れることを考えるともっと早く出たほうがいいかな……」

スマホの表示は14:07のに乗ると水上の最寄り駅に六時十分に着くように出ていた。

しかし、遅延していることを考えるともっと早く出ないと間に合わない。門限に間に合わないとなると、間違いなく僕のせいになる。

だが、それを実行するとなると、ここにいられる時間が短くなってしまう。けれど、言わないわけにはいかない。

「ねえ、水上さん……それならもう帰んなきゃやばそうだよ……」

そう告げると、しゅんと落ち込んでしまう水上。

どうしようか。あんまり、水上に落ち込んでいる顔は似合わない。それに、さっきは僕の肩荷を軽くしてくれたのだから次は僕の番だろう。

なにかないかと見回す僕に自己主張する指定席券売機。

……一か八か、小四の時に編み出したとっておきを見せてみようか。

僕は水上の悲しむ姿をこれ以上長引かせたく無かったので、十年前に発見した必殺技を見せることにした。

「水上さん、ちょっとこっち来て」

僕は彼女の細い手首を掴んで、券売機の方に連れていく。

「ど、どうしたの? 小沢くん。もう切符買うの? でもそれ特急とか買うやつだよ?」

「いや、いいんだ。ちょっと見てて」

水上が疑問符を浮かべながら、覗き見るのを横目にドヤ顔でピッピッと画面を進めていく。

そして、何度目かの「ピッ」の後、水色の大きい切符が出てくる。新幹線とか乗るときに使うあのタイプだ。

「おおーー! すごーい! ねえねえ、どうやったの?」

その問いに僕はドヤ顔を保ったまま一緒に切符を買っていく。

そして、水上の分も券売機が吐き出すと

「ただの乗車券なのに、なんか特別な感じするね……」

という僕と全く同じ感想を口にした。そう僕たちの手に握られている切符はただの乗車券なのだ。だが、せっかくここまで来たのだからちょっと特別感を演出したっていいと思うのだ。だから、こういう風に買ったのである。普通に買う時の値段に+0円で付けられる特別感。やはりタダは素晴らしい。

そして、この"特別な"切符をおそらく初めて手にした水上はすっかり機嫌がよくなったらしく、

「ねえねえ、時間もまだあるしお土産みてこ?」

と少し興奮気味に言った。


こぢんまりとしたお土産屋さんには所狭しと遠き小布施から僕の地元立川のお土産が置かれていた。

大小様々なお土産があるが、元々そんなにお金は持ってきてないので、無駄遣いするわけにもいかなかった。なので、この『信州限定じゃがりこ野沢菜こんぶ味』を買う。二人で分けられそうなのでぴったりだろう。

そして、お客さんの邪魔にならないように外に出ると、一分程して水上が出てきた。

「お待たせー。……はいっ」

そして、僕に目を合わせるなり、濁ったジュースの入ったビンを突きだしてきた。

「『信州限定りんごサイダー』? ど、どうもありがとう……」

僕は押し付けられて蓋を開ける。すると、ブシュアアアと吹き出した。

「うわあっ。……だ、騙したの……?」

そっぽを向いていた水上はその声に振り返り、

「え? だ、だだ騙してなんかないよ」

と、嘘を吐いているのか、突然言われて驚いているのか分からない声をあげた。

これでは判断しかねるので、僕は片眉を上げて、泡が収まったところで飲み始める。

そして、彼女に返すと今度は彼女も飲み始める。

彼女ののどが二回動く。

……

僕はハッと気づいた。これでは完全にか、かか間接キスではないか……。

そう考えてから、僕の視線は彼女の首に固定されたまま動かなくなってしまった。

やがてのどが動くのをとめて、水上の顔がこちらに焦点を合わせてくる。

「どうしたの? リンゴみたいに顔を赤くして……」

「い、いや、え、ええと……か、間接キス……」

僕はそう言われて慌ててごまかす事なくその一単語だけ答えてしまう。

彼女も僕に言われてそれに気づいたらしく、十秒後には熟れたリンゴが二つ出来上がっていた。

「じ、じゃあ帰ろっか……」

顔の赤色は落ちてきたが、まだ上ずりっばなしの声が水上の耳に入る。

「う、うん……」

水上も上ずった声で答える。


水色の切符を駅員に見せて、来たときと同じホームへと降りていく。

そこで、僕はこんな景色を見た。


麦わら帽子をかぶった水色のワンピースを着た少女がホームを歩いていく。何本かの線路の向こうに広がるのは、のどかな山々。


僕は急にそれを残したくなって、とっさにスマホのカメラを向けた。

そして、その少女が振り向いたベストタイミングでシャッターを切る。


「どうしたの、小沢くん。いきなり写真なんか撮って……」

小首をかしげる彼女に僕は、

「なんとなく……」

としか答えられなかった。むしろ、なんでその姿を撮ったのかこっちが聞きたかった。

それからというものの、何故か二人でスマホのカメラで撮り合うという訳のわからない事をして、遅延していつ来るかも分からない列車を待っていた。


そして、大分遅刻してやって来た少し古くさい列車に乗ってしばらくすると、体の右側に重さを感じた。そちらを見やると、すぅすぅという寝息をたてている水上の姿が目に映った。

普段サークルで見かける時も、体の線が細いのは知っていたが、実際に寄りかかられるとより華奢なのが強く感じられた。その端正な顔立ちと合わせて、まるで触れれば壊れてしまうガラス細工の様な印象を受けた。その寝顔も可愛くて吸い込まれてしまいそうだった。

きっと、疲れているだけで決して僕に気がある訳ではないと。心の中で唱えながら僕は目を背けた。


行きに通った駅をゆっくりと下っていく。見ていると、突然誘われた旅とはいえ、何とも言えない寂しさを感じた。

乗り換え駅の甲府が近づくと、僕は既に僕の膝の上までにずり落ちてしまっている水上を起こす。

「おはよう、もうすぐ甲府だよ」

「ん……むにゃ……おはよー」

水上は寝ぼけ眼をこすって起き上がる。


「もう甲府かー。早いねー」

そんな事を言いながら、僕たちは甲府駅を歩く。

「ねえねえ水上さん、これ見て。不思議な感じしない?」

「確かに、東京じゃあんまりみないね。こういうの……」

甲府駅の五番線身延線ホームで、ホームの真ん中に突き刺さって、彼方へと続く線路を二人で眺める。

最近勢力を伸ばしているSuicaのせいで改札の外に出れず、悔しそうな水上と高尾行きの列車を待っていると、どこからかカン高い声が聞こえてきた。

「ねえ、あれ、なんだろうね?」

「なんだろう……」

彼女が指差すのは甲府駅の駅前広場でやっているショーかなんかで、悪役っぽい"何か"がよく分からない事を言っているシーンだった。

セリフの内容を詳しく聞き取れなかったが、そのノリに聞き覚えがあるような気がしたので、注意深く聞いていると、ある時『~~キュアエール!』と叫ぶ声が聞こえたので

「「プリキュアだ!」」

と声を揃えて叫んで、

「ふふふっ」

「あははっ」

お互いに笑いあった。


甲府駅からの列車は混んでいたので隣には座れなかった。

向かいあって座り、しばらくすると水上は外の風景を見始めた。黄昏ながら外を見る水上を見て、またもや僕はカメラを構えた。今度もどうしてか分からなかった。けれど、やはりもう一度シャッターを切らずにはいられなかったのだ。


そして、僕たちは一言も喋ることなく、来た道をたどっていく。せっかく買ったじゃがりこを一人で食い潰しながら。たまに上りと下りで分かれる線路を見て、まるで僕の心みたいだとか思いながら。

もっと話さなきゃ。

そう思うけど、何を話せばいいか分からないし、変な事を話して失敗したくないし……。そう思っているうちに彼女は睡魔に攻略されちゃってるし……。

連続するトンネルで僕は耳が痛くなりながらそんな事を思う。たった二メートルが遠い。結局、僕は高尾で乗り換える時にまた起こしてあげる事しかできなかった。

話しかけられないまでももうちょっと。それに応えるように高尾駅の信号が赤になる。


でも、高尾駅に着いてしまう。向かい側でわざわざ待ってくれているオレンジの列車に乗り換える。

僕よりも遠くに行く水上に空いている席に座るように促す。

寝ぼけながらも言ってくれた「ありがとう」が嬉しくって。

だから、もう一度その声を聞くために食い潰しきれなかったじゃがりこを渡してみる。「ありがとう」予想通りその声を聞けた。

でも、それは失敗だったかもしれない。なぜならその口がじゃがりこで埋まってしまったからだ。

聞き慣れたモーター音が僕たちを強制的に家路を辿らせる。


水上の隣に座っていたおじさんが降りるなり、水上はその座席を指差した。僕が断ると、今度は有無を言わさないように促した。

「…………今日、楽しかった?」

僕が隣に座ると申し訳無さそうに言う水上に僕は

「もちろん、楽しかったさ。そっちは?」

「久しぶりに遠出できていい気分転換になったよ」

そして、列車は十八年間聞いてきた立川駅のアナウンスを響かせて、窓にホームを映す。

「そういえば、鹿島先輩が蓼科行くって行ってたよ」

「ああ、それもいいかもしれないな」

たった七分間で胸が熱くなってまたそれを味わいたいなと思って、一緒にまたどこか行きたいと思いながら。

ドアが開く。

僕は手を振りながら、水上の方を見ながら降りる。

「ありがとう」

もう何度言ったか分からない感謝の言葉が今、最大級の物となって僕の背中に掛けられる。

「どういたしまして」

僕は後ろを振り向けないが、満面の笑顔で応える。届いたかは分からないが。

ドアが閉まる。

昨日の水上から感じた寂しさは僕にうつされた。だって、手を振る水上に手を振り返したくないから。

そして、そのまま帰るのが口惜しいかったから、僕は列車を見送った。

元々の色なのか夕陽に照らされたからなのか分からないオレンジの列車は都会の光の中に消えていった。

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水上さんの気まぐれ M.A.L.T.E.R @20020920

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