向月葵999
M.A.L.T.E.R
第1話
千年ぐらい前のあるところに畑を耕す男がいた。ただし、畑と言っても米だとか野菜だとかを育てているわけではない。育てているのは太陽の花「向日葵」だった。
さて、そいつ(陽炎と言うのだが)は、村、いや国中でも向日葵を育てている奴など一人もいないのに、わざわざ向日葵を愛でるかのように育てているので"物好き"の称号を持っている。
そんな陽炎のある日の話である。
「おお~、これは見事に咲いたなぁ!」
陽炎は昨日までつぼみだった向日葵たちが一斉に咲いた姿を見て、思わず嘆息を漏らした。
「ほぉ~……、どこから見ても何て言うか……美しいなぁ」
長く努力したのが報われたのが嬉しいのか、畑の周りを歩き回って向日葵たちを眺める陽炎。鼻歌を歌いながら、「こんなにきれいに咲いているのに、都に納めなきゃいけないなんて残念だな……」とか独り言を言いながら歩いていると、いつもは自分以外の人など来たことはない畑なはずなのになぜか人影があった。そして、その人影の主はしゃがんで向日葵に手を伸ばそうとしていた。
陽炎は泥棒かと思って、とっさにその影の前に飛び出した。
「誰だ! 俺の向日葵を盗ろうとしているのは!」
泥棒だったら許せない。こんなにきれいに咲いているのだから指一本触れさせるか……!
そんな気持ちが陽炎にはあった。
「あら、ごめんなさいね。でも安心して。この花を盗む気はないわ。この花があんまりきれいなものだからつい触ろうって思っただけよ」
しかし、そう言って振り向いた姿を見て、陽炎は固まってしまった。
その姿は背景に写る向日葵が霞んでしまうほど美しかった。まばゆい黒髪に全てを見通すかのような瞳。あのなんでもあるという都の、どの女ですら敵わないであろう整った顔立ち。
その着物のようで微妙に着物ではない服ですら、目の前の女性のためにあるかのようだった。
いや、姿を見る前に既に魅了されていたかもしれない。なぜなら、その声すらも脳の奥に焼きつけるかのような素晴らしい音色を持っていたからだ。
「どうしたの?」
女性は、その女性の方を見つめたまま固まってしまっている陽炎にそう聞いた。すると陽炎はやっと桃源郷から帰ってきて、
「い、いや……な、にゃ、にゃんでもなす!」
と返したが、見事に噛みまくっていた。
「ふふっ。……じゃあ、私はそろそろおいとましましょうか」
そんな陽炎の様子を見て女性はくすりと笑ってゆっくりと歩き始める。その足の先にはいつの間にか現れた馬車があった。
(ハッ……、このままではこの人は馬車に乗ってどこかに行ってしまうだろう。呼び止めねば……)
しばらく呆けた顔をしていた陽炎はハッと我に帰り
「待ってください!」
と、唐突に言った。
「どうしたの? なにか用でもあるの?」
その声に振り返る女性。しかし、陽炎は振り向かせてからのことを何も考えてなかった。
「い、いえ…………………えっと……………結婚してください!」
「……はあ」
陽炎は散々目を泳がせた結果、自分の率直な想いを言ってしまった。
(しまった……)
慌てる陽炎を見た女性は最初を目を丸くしていたが、すぐに落ち着きを取り戻し、
「そうねえ……」
指を口に当てて、
「じゃあ、あなたが私の欲しい物をあの空に浮かぶ月に持ってこれたら、結婚してあげてもいいわよ?」
そう言ってそう微笑んだ。そして、その赤い唇を陽炎の耳にくっつけてささやいた。
「それとね……、私の名前は、"かぐや"よ。じゃあね『陽炎』。月で待ってるわ」
陽炎の耳にその残響を残して、かぐやを乗せた馬車は天高く有明の月に向かって駆けていってしまった。あっけにとられながらも物惜しそうに手を伸ばす陽炎の手をおいて。
それからというものの、陽炎はかぐやにもう一度会うために彼女の欲しい物という物を考え続けた。
服だろうか? いや、陽炎はあの時の服以上に似合う服を知らない。
食べ物だろうか? いや、あの気品は高貴な身分であろう。食べ物に困ろうはずがない。
そこで陽炎はふと思い出す。畑で向日葵を見ていたあの姿が一番美しかっただろうと。あの美しさは幾千もの太陽の中で最も輝いていただろうと。
だから、陽炎は向日葵を一年に一本ずつ集めていくことにした。
今度は肝心の、空に張りついている月に行く方法が見つからない。
そして、陽炎は見つからないうちに享年四十七歳で死んでしまう。かぐやに会うまでは絶対に誰とも結婚しないと誓ったまま。
陽炎の弟は遺言通り陽炎の集めた三十本の向日葵を墓に供えた。
しかし、奇跡が起こった。陽炎は死ななかった。いや、厳密には"一度"死んだが、0歳の赤ん坊に生まれ変わったのだ。
そして陽炎は両親が不審に思うのを気にせず、一年に一本ずつ向日葵を集めていった。
それからというものの、陽炎は何度も生まれ変わった。
五回目に生まれ変わった時にかぐや"姫"を知って、
十回目に生まれ変わった時に月が空の一部じゃないことを知って、
十五回目に生まれ変わった時に全ての権力を集めても月には届かない事を知って、
二十回目に生まれ変わった時に月への距離が三十八万キロメートルであることを知って、
その度に途方に暮れたり、落ち込んだりしたが、九百七十年間嫁をとる気にならなかったのは変わらなかった。
そして死ぬたびに陽炎の墓には向日葵が増えていった。
━━一九六九年
陽炎が二十三回目に生まれ変わったのはかぐやと出逢った畑から遠く離れた地、アメリカ。
名前もヒートという名に変わっていた。
そんな彼がいるのは、ケネディ宇宙センターのロケットの中。
陽炎は宇宙飛行士になったのである。彼が999年かかって出した結論は「宇宙飛行士になって月面着陸する」だった。「本当に会えるのか」という気持ちと「やっと会える」という気持ちの両方を行ったり来たりする、陽炎の心のメーター。
隣に座って月の方を見て目を輝かせているコリンズは陽炎に話しかけた。
「ところで、ヒート。何でお土産に999本もの向日葵をもっていくのさ? この宇宙船が『アポロ』だからか?」
「いや、月にいるウサギさんにやるのさ。ウサギってひまわりの種が好きだろう?」
「へぇ……。でも、月には何にもいなさそうって話だぜ?」
「そうかもな……」
そう平然と返したものの、陽炎の心のメーターは本当に会えるのかという方に振れていた。かぐやは月にいると言っていたが、これまでの観測によると月には生物はいないことになっている。
もしいなかったら、自分が999年生きてきた意味がなくなる。
だが、後には戻れなかった。離陸のカウントダウンが始まるからだ。
「⋯⋯五、四、三、二、一⋯⋯ゼロ!」
言い切ると共に、ロケットは月に向かって飛んでいった。
二十二回目の人生の時に、飛行機で空ギリギリまで上がった時とは違い、月は視界を軽く凌駕していた。
それを陽炎は不安半分、期待半分で見ていた。
地球が視界の中に収まるようになった頃、ロケットはふわりと月に着陸した。
月に降り立った三人の宇宙飛行士は星条旗を思いっきり立てた。
人類の大きな一歩に喜ぶ二人だが、陽炎の目は暗かった。
それに気づいたコリンズは呆然としている陽炎に話しかけた。
「どうしたんだい? ヒート? ……もしかしてウサギがいなくて悲しいのか?」
その言葉は虚のようで真だった。
月には人どころかウサギすらいない。
その事実は陽炎が向日葵の花束を落としてしまうのに充分だった。
「そんな……かぐや……。俺の千年が……」
ついに陽炎は月面に手をついてしまう。
……、奇跡はなにも一度だけじゃないわ。ほら見て。
どこからか声が聞こえてきて、指を指されたわけでもないのに、そちらの方を見た。
それは、青い地球の際から太陽が昇ってくる所だった。
「おおっ、日の出だ! ヒートもこれ見て元気出せよ!すげえキレーだぜ!」
地球から漏れ出た太陽の光の筋は向日葵の方に伸びていく。すると、999本の向日葵が白く輝き、辺りを光で包んでいく。
その光の中開いた陽炎の目に映るのは、もう無機質な白い岩々ではない。賑やかな都だった。
途端に陽炎は駆け出した。999本の向日葵を持って。
陽炎は全く知らない場所なのに一瞬も迷わない。宇宙服を着ているのに、自分のトップスピードを越えて走っていく。
宮廷らしき建物の門前で、あの時と同じ馬車を認めると、陽炎はすぐさまそこに駆け寄った。何故かはわからないがそこに彼女がいると思ったのだ。
馬車に乗っていたのは、あの時から変わっていない姿をしたかぐやだった。
「かぐやさん! 持ってきました! あなたが欲しかったものを!」
そう言って、肩に担いだ999本の向日葵を差し出す。
「あら? あなたは……陽炎? こんなにたくさんの向日葵……どうも、ありがとう。しかも、これ999年かけて集めたんでしょう?」
「え、どうしてわかるんですか?」
「それはね……あなたの事を毎日見てたからよ。地球に行った時に求婚してきたあの六人とも生まれ変わってまで私を愛したことは無いわ。あなたが初めてよ……陽炎」
そしてゆっくりと馬車から降り、にっこり微笑むかぐやに陽炎は膝まずく。
「結婚してください!」
「えぇ喜んで! と、言いたい所だけど……それじゃキスできないわ」
かぐやは陽炎の密閉された宇宙服を指さす。
「ああ! 確かにそうですね……ははっ」
「ふふっ」
そして、向日葵に囲まれた二人は熱い抱擁を交わして、向日葵よりも熱いキスを交わす。
地球では、向日葵999本の花言葉は「何度生まれ変わってもあなたを愛し続ける」という。
由来は誰も知らない。
向月葵999 M.A.L.T.E.R @20020920
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