第9話
駿河に着いた阪原は一宿を借りた後駿府へ登城した。通されたのは広間ではなく白砂だった。
挨拶もないのか。
不満が湧くもそれを篤と堪えしばらく。伏せている阪原の耳に足音が聞こえた。駿府城代である。
「面をあげい」
しわがれた声に釣られるようにして阪原は頭を上げ城代を見た。歳の頃五十といったところで、正しく結われた白髪が見事であり冷厳な印象を受ける。
「その方が尾張の千葉一心流師範。阪原新左衛門に相違ないな」
「は。左様にござりまする」
偉そうに。と、阪原は思ったが口にできるわけもなく、ただじっと上方を眺めるしかなかった。
「報せは聞いたと思うが、そちの腕が見たい。どうか」
「お言葉のままに……」
尾張お抱えの剣術指南役といっても阪原の身分は徒士。旗本相手に意を唱えるなどあってはならぬ事。阪原には、はなから選択肢など用意されてはいない。言われるままに、腕を振るう以外許されぬ。
「よろしい。では、連れて参れ」
城代の合図により、縛られた一人の男が両脇を抱えられ連れてこられた。それを目にした瞬間、阪原の肢体は硬直し、汗が滝のようにながれた。その男は髪も歯も抜け、髪はボロを纏い、見るものを不快にさせるような、酷いなりである。だが阪原を金縛りにさせたのはそんなものではない。彼が目を見開き、身体を震わせたのは、それは……
「阪原。この男に見覚えがあろう」
「……はい。よく、存じております」
縛られたうす汚ない男は、阪原が憧れ、妬み、憎んだ人間であった。その男は自身の師に選ばれ、自身が裏切り、自身が斬らねばならぬと決意した人間であった。その者の名は、伊勢勘兵衛といった!
「……」
伊勢は黙って阪原を見る。物悲しげなその表情には恨みや憎しみは感じられず、複雑な感じが、強いていうのであれば、哀れみの念が見て取れた。
「その浪人は強盗を働き捕らえられた。そこまでならよかったのだが、話を聞いてみると、なんと、あの千葉一心流の使い手。しかも後継を争った程の腕前と聞く。それをただの野盗として処罰するのは些か惜しく、胸が痛む。そこで、同門であり、千葉一心流の師範となったそちに来てもらったというわけだ」
伊勢がそのような悪事に手を染めるわけがないと阪原は知っていた。だが、事実はどうあれここで斬らねばならぬ。なぜなら阪原はその為に呼ばれたのだから。
「心得ました」
許された返事は肯定のみである。阪原も千葉一心流も剣。それを使うは、本人ではない。
「よろしい。では、死合うがいい」
伊勢の縄が解かれ一刀を渡されると、阪原は立ち上がった。
互いが互いに、変わり果てた、もしくは、変わらぬ姿を見据え、鞘から抜く……
二刀の長物はまったく同じ形を維持し向かい合っていた。
宙にゆらりと反った刀身は八相。それを持つ両者の距離は、どちらかがあと一歩踏み出せば両断できる距離であり、また、どちらの業前もそれを可能とするのに十分であった。
「なぁ、誼よしみじゃないか……」
伊勢はそう懇願する。大人しく斬られてくれと言っているのか、城代に掛け合って止めさせてくれと言っているのかは阪原には分からない。だが、いずれにせよそのような弱気に聞く耳は持たない。
斬る。
その一言が阪原のすべてであった。
その一言が伊勢への手向けであった。
刹那。
二振りの白刃は交差し、赤い花を咲かせた。
「伊勢……」
それが阪原の最後の言葉であった。
斬った伊勢は、同門の死を見届けると、自らの腹を裂いて果てた。血に汚れた駿府の庭先には、二つの死体と身体が残るだけであった。
なお、駿河の帳簿に伊勢の名はなく、駿府に勤めていたという彼の父の記憶も見ることはできなかった。
斬る者 白川津 中々 @taka1212384
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます