道徳という安全装置


 道徳モラルで人を縛るという考えは極めて画期的だった。人殺しがいけないことである、と刷り込んでしまえば半永久的に観念として同士討ちを抑止できる。ただしそれを実現するには課題がいくつか存在した。


 人は何かを得るために契約を行う事がある。契約を結ぶことで双方に幾らかの制約を与え、その代償として自分の望みを実現する。


 契約というものは相互補償的なものである。双方が合意の上で結んだのならば、双方がそれぞれ望んだ結果が手に入ることになる。だが同時に双方に制約を与える側面が存在する。得るものがあれば失う物もあるのだ。さらには契約の履行が滞ること自体にリスクがある場合、履行状況そのものにも制約を与え是が非でも履行させようとする。契約自体が重要になればなるほどその様相は顕著になる。契約をする時点で約束を破ることに罰則を設けたり、担保を用意させたりと補償するための条件が付帯されていくのがその一例だろう。


 道徳で人々を縛りつけるならば、その道徳から人々を逃げられないようにしなければならない。離脱者が出れば道徳は縄としての役割を果たせていないことになり、存在意義そのものが失われてしまうからである。道徳と無関係の個人を作る事は許されない。

 そこで全ての個人に人を殺さないという契約を結ばせることにした。だが契約というものは結んだ本人が何かを得られなければ成立しない。この契約をすることで人類、または個々人に何かを得させなければならない。

 結果この契約で個人は他人に弑されないという保証と安全を手に入れた。全ての個人が保証と安全を手に入れたことで人類も結果的に保証と安全を手に入れることになった。


 ここで契約を破った場合の罰則として後に設けられたのが法である。

 だが契約には必ず制約が伴う。人類は、全個人は保証と安全の代わりに何を失ったのだろうか。

 結論から言うと、全ての個人が失ったのは権利である。すなわち「好きな時に好きな人を好きなだけ好きなように殺せる」というを失ったのだ。それを全個人が差し出すことで代わりに保証と安全を享受することになったのである。


 こうして人間は人殺しは悪という概念の成立に成功した。身の安全を求める本能的な欲求を利用し、「私は誰も殺さないから私を誰も殺さないで」と全員に意識させることで相互不可侵を成立させ、それに道徳という概念を結びつけて覆い隠した。そして全人類を道徳の輪に強制参加させたのだ。

 道徳という概念を社会通念にすることに成功し、罰則を定義するために法まで作った。人類から共食いの可能性は失われ、未来永劫誰もが誰もを弑さない理想郷が出来上がるはずだったのだ。


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人殺しの論理 茶屋四郎次郎 @chayashirojiro

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