夏の名残の忘れじの

一視信乃

夏の名残の忘れじの

「うわー、いいよコレっ。大人っぽくて、スゴくカワイイ」


 祖母が出してくれた浴衣ゆかたを見て、あたしのテンションは一気に上がった。

 焼けた畳の上、たとうに載せられたそれは、紺地に白い花柄で、シックでレトロで、カッコいい。


あおいも、もう高校生だし、前のじゃ、ちょっと子供っぽいだろ」

「うんうん」


 コレ着て今夜のお祭り行ったら、たかくん、なんていうかな?


 啓人くんは、母の実家の隣に住んでる、ふたつ上の男の子。

 子供の頃から泊まりに来るたび、一緒に遊んでもらってたけど、去年も一昨年おととしも来られなくって、会うのは二年ぶりになる。

 きっとますます背が伸びて、ちょーカッコよくなってんだろうなぁ。

 あたしももう高校生だし、会えない分だけつのった想い、思いきって伝えようと、ひそかに決意してきたけれど、いざ会うってなると、やっぱ緊張するわ。


 そのとき、いきなりチャイムが鳴って、玄関の戸がガラリと開いた。

 

「すんませーん。回覧板でーす」


 んっ? この明るくさわやかな、よく通る声、もしかして、啓人くん?


「あたし出るよ」


 期待に胸を膨らませつつ、足早に廊下に出ていくと、日差しが透ける引き戸の前に、誰かがぽつんと突っ立っている。

 逆光で顔はよく見えないけど、啓人くんにしては少し小さいような──。


「ああ、葵、来てたんだ。二年ぶりじゃん」


 親しげにそういったのは、白Tに紺のハーフパンツをはいた、同い年くらいの男の子。

 明るさに目が慣れ、はっきり見えたその顔は、どこか見覚えのある人懐っこい笑みを浮かべてた。

 あたしは懸命に記憶をたどる。


「もしかして……はるくん?」

「そうだけど。えっ、何? 忘れられてた?」

「まさかっ。ただ、おっきくなってたから、ビックリしただけ。声も全然違うし」


 悠くん──はるくんは、啓人くんの弟で、あたしのいっこ下だ。

 そっか、最後に会ったときは、まだ小学生だったけど、もう中三だもんねぇ。

 親戚のおばちゃんみたいに、その成長っぷりに感心してたら、彼もしげしげと、こちらを見つめてきた。


「葵は、あんま成長してねーな」


 そういう彼の目線は主に、カットソーの胸元あたりに注がれている。

 どこ見てんのよ、バカっ──と、怒鳴りたいのを我慢して、あたしは無理矢理話題を変えた。


「そういえば、啓人くんは元気? 今、お家にいる?」

「あ? 元気だけど、夕方まで塾行ってる。受験生だし」

「そっか。あ、今日お祭りでしょ。前みたく、一緒に行かない? 啓人くんと、三人で」


 ホントは、啓人くんと二人がいいんだけど。


「あー……兄貴は確か、学校のヤツと行くっつってたからムリだろうな」

「えーっ、そんなぁ」


 まあ、仕方ないか。

 ビックリさせようと思って、何もいわずに来たあたしも悪い。


「あ、オレはヒマだから、一緒に行ってやる」

「えっ? 友達と約束とかないの?」

「ないっ。オレも一応、受験生だしな。じゃ、夕方迎えにくっから支度したくしとけよ」


 いうだけいって悠くんは、とっとと帰ってってしまった。

 まあ、ボッチで祭りもさみしいし、悠くんと一緒に行くとしますか。

 向こうで、啓人くんに会えるかもしれないしね。

 そう期待して、あたしは精一杯おめかしした。


        *


「どう? カワイイ?」


 紺の浴衣に、えんの帯。

 かんざしで、まとめた髪。


 迎えに来たはるくんの前で、くるんっと回ってみせると、彼は目線をそらし、ぶっきらぼうにいった。


「カワイイっつうか、キレイだ」

「えっ」


 予想外の言葉に、あたしは面食らう。

 てっきり、馬子にも衣装とか、いわれるかと思ったのに。

 ちょっとドキドキしてたら、彼がまたボソッといった。


「浴衣が」

「あっそ」


 どーせ、そんなこったろうと思ったわ。

 すたすた歩き出したあたしの後を、慌てて彼も追ってくる。


「そんなに急いで歩くと転ぶぞ」

「へーきよ」

「大体道わかってんのか?」

「わかるわよ。失礼な──」


 振り向いた瞬間、気付いてしまった。

 隣に並んだ悠くんの背が、下駄をはいてるあたしより、ほんの少し高いことに。

 昔はあんなちっちゃかったのに、なんか悔しいなぁ。

 腕も肩も、すっかりたくましくなっちゃって。

 でも、これならきっとたかくんは、もっとすっごくカッコよくなってるよね。


「ねぇ、向こうで啓人くんに会えるかな?」

「さあ、どうだろう。人も多いし、会いたいなら、あとでうちくりゃいいじゃん」


 赤々と、遠くに見えてた提灯ちょうちんが近付いてくる。

 にぎやかな祭り囃子も大きくなって、浴衣や法被はっぴを着た人たちをたくさん見かけるようになった。

 かつて大通りまで並んでたという屋台は、今では神社の境内に押し込められてしまったけれど、それでもいろんなお店があって、充分活気に満ち溢れている。

 特に、食べ物を売ってる屋台が熱とともに発するニオイは、食欲を強烈に刺激してきて、石で出来た鳥居をくぐると、それはますます強くなった。


「ねぇねぇ、たこ焼き食べない? あと焼きそばも」

「別にいいけど、もっとカワイイもん欲しがれよ。わたあめとかりんご飴とか、フラッペ?」

「あめ類は、ベタベタするからヤダ。フラッペは昔、削った氷の中に、羽虫が……」

「あー、あったなぁ、そんなこと」


 あのときは、啓人くんも一緒だったのに、どうして今はいないんだろう。

 恋しい人の姿を求め、にぎやかな境内を見渡してみる。

 友達同士も家族連れも、みんな楽しそうだけど、特にカップルが幸せそうで、なんかうらやましくなってくる。

 ぴったり寄り添い、笑い合う。

 あたしも啓人くんと、そんな風に過ごしたかったなぁ。

 ほら、あの人たちみたいに──。

 あたしは、少し先にある屋台の横で、一緒にベビーカステラ食べてるカップルを見た。

 スラリと背の高い、黒Tにデニムの男の人と、あたしと同じくらいの背丈で、似たような色目の浴衣を着た女の子。

 あたしたちも、あういう感じに……って、あれ?

 あの、男の人の方、どっかで見たような……?


「どーした? なんか食いたいもん、あったか? ベビーカステラ?」


 あたしと同じ方を見た悠くんが、「あっ」と小さく声を上げた。

 それから、急にあたしの手首を掴み、乱暴に引っ張ってくる。


「行こうぜ、葵」


 でも、あたしは、動けなかった。

 あの人から、目が離せなくって。

 視線を感じたのか、向こうもスッと顔を上げた。

 こちらを見て、いぶかるように目を細めたあと、すぐに相好そうごうを崩す。

 とても親しげな、懐かしい笑顔。

 一瞬、あたしに笑いかけてくれたのかと思ったけど、違う。

 彼の目はあたしを通り越し、まっすぐ悠くんに向けられた。


「なんだよ、悠人。お前デートか?」

「うっさい、バカ兄貴。少しは空気読め」


 悠くんがかくするように、低い声でいったけど、そんなのまったく聞こえなかったようで、彼はこちらに近付いてくる。

 後ろに彼女を引き連れて。

 そこで改めて、あたしを見下ろす。


「はじめまして。はるの兄の啓人です……って、あれっ? キミ、もしかして、葵ちゃん?」

「はい」

「うわぁ、久しぶりだねぇ。なんか、すっかり大人っぽくなっちゃって、最初、全然気付かなかったよ」


 ニコニコと啓人くんがいう横で、彼女の表情がほんの少しけわしくなった。

 でも、すぐに笑顔になって、彼の腕にすがり付き、甘えるように問いかける。


「だぁれ? 啓人のお友達?」

「いや、弟と、お隣の……まあ、昔っから知ってる、みたいな子かな」


 妹っ!

 そっか、妹か。

 啓人くんにとってあたしは、女の子じゃなくて、妹なんだ。

 それなら、この人がいなくても、あたしを、そういう目で見てくれることは、なかったってことだよね。

 最初から、望みはなかったって──。


「もういいよ、あっちいけよ。デート中だろ、おジャマだろ」


 シッシッと追い払うように、悠くんは冷たくいうが、啓人くんは、まったく気にしていない。


「いや、僕は別に。なんなら、四人で回っても」

「わたしも構わないわ。ねぇ?」


 彼女に微笑みかけられ、あたしは言葉に詰まりながらも、「あっ、はい」と、なんとか頷く。

 ああ、あたし、ちゃんと笑えてるかな?

 ヘンじゃないかな?

 どうしよう、このままじゃ涙が──。


 そのとき、いつの間にか離れてた手を、また悠くんが掴んできた。

 今度は、手首じゃなく手の方を、しっかりと握ってくる。


「でも、オレにはジャマなんだよ。行こうぜ、葵」


 悠くんに手を引かれ、今度はあたしも歩き出す。

 ちょっとだけ振り向くと、啓人くんは、あっに取られたような顔してたけど、呼び止めようとはしてこなかった。

 その姿が少しずつ、小さくなってにじんでく。

 提灯の赤い灯も、ぼんやりかすむ。

 浮かれた人混みの中、手のひらから伝わる温もりだけを頼りに、あたしはただ歩き続けた。


        *


 いつの間にかあたしたちは、神社の裏の山にある、小さな公園に来ていた。

 エキサイトした祭り囃子が風に乗って聞こえてくるが、辺りに人気はまったくない。

 あたしは、ハンカチを敷き、ベンチに座った。

 そして、かたわらに立つ、はるくんを見上げる。


「ゴメンね。いい年して泣いたりして」


 濡れた頬を、浴衣のそでで拭おうとしたら、また手首を掴まれ、手ぬぐいを握らされた。


「もっと泣いてもいいんだぞ」

「えっ?」

「その方が、スッキリするだろ」


 確かにそういうけれど……。

 彼は、さらに言葉を重ねる。

 いつになく、真剣な表情で。


あおいが兄貴のこと、どんだけ好きだったか、知ってっから、だから、思いっきり泣いて、泣きまくって、全部忘れちまえ」

「悠くん……」


 ちょっとたかくんに似た、温かな声を聞いてたら、また目頭がじんわり熱くなってきた。


「そうそう。オレは向こうにいるから、好きなだけ泣いちゃってよ」

「待って、違うよ。これはそういうんじゃなくて、嬉し涙だよ」

「は? 嬉し涙?」

「そーだよ。悠くんが急に、優しくしたりするから。昔はあんなに、イジワルだったのに」


 そうだよ。

 昔の悠くんは、あたしの嫌がることばっかしてきて、それを啓人くんが助けてくれてたのに。

 これじゃ、なんだか逆じゃない。


「イジワルすんのも優しくすんのも、理由はおんなじなんだけど。知りたい?」


 黙って頷くと、彼は昔みたいに、いたずらっぽく笑う。


「ダーメ。今はまだ教えてやんない。葵が兄貴のこと、キレイさっぱり忘れられたら教えてやってもいいぜ」


 なんか上からな言い方だなぁ。

 そう思いながら、あたしは答える。


「残念だけど、それはムリかも。だって、啓人くんは、初恋の人だもん。初恋は実らないっていうけど、それでも、永遠に忘れられないよ」

「んなこたねーよっ。実る初恋だって、きっとどっかにあるし、オレは絶対そうしてみせる」


 そっか、悠くんの初恋は、まだ続いてるんだ。

 そう思ったら、胸が少しチクリと痛んだ。

 なんでだろ?

 小首を傾げたとき、急にドカンっと大きな破裂音がして、夜空にパーっと花が咲いた。

 大輪の、光の花。

 それが黄金きんの尾を引いて消えると、またドカンっと音がして、大きな赤い花が咲く。


「キレイ……」

「だな」


 今度は連続して開く、小さな花たちを見上げながら、あたしはきっとこのときのことを、永遠に忘れないだろうと思った。

 これも、初恋と同じくらい、大切な思い出になる。


 田舎の小さな祭りだけあって、花火はあっという間に終わり、またにぎやかな祭り囃子が戻ってきた。


 そういやまだ、お祭り全然見れてなかったなぁ。

 結局何も食べてないし、このままじゃお腹鳴っちゃうかも。


「そろそろ神社に戻らない? なんかお腹空いてきちゃった」

「そうだな。喉も渇いたし、戻るか」


 裏から境内に入っていくと、近くにたむろってた少年たちの一人が、こちらを指差し声を上げた。


「あっハルっ! てめえ、俺らとの約束すっぽかして何やってんだよっ」

 

 何よ、悠くんてば、友達と約束あったんじゃない。

 でも悠くんは謝るどころか、「何ってデートだよ、デ・エ・トっ。うらやましかろう」とナゼか得意げに笑っている。

 いや、別にこれ、デートじゃないし……。

 ああ、もう、仕方ないなぁ。

 さっき慰めてもらったし、少しくらいでもしてやるかと、あたしはちょっと甘えるように彼の腕に手を伸ばした。

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