第4話

「ひと月ぶりですね、お元気でしたか」


 以前来たときと同じように、鍵の開いていた玄関を通り、エドガーはアリーシャの部屋を訪れていた。


 室内では、アリーシャが床に寝転がって本を読んでいる。下着のような薄い上衣に丈の短いずぼんという恰好で、どうやら寝間着姿のようだった。彼女は積みあげた本の山を背もたれにし、足元にも小さな本の山を作り、足台代わりにしている。靴も靴下も履かず、表紙に踵を載せて素足を揺らして遊ばせていた。


 控えめに言って行儀が悪かった。


 こちらの姿を見たアリーシャは、口を開けたまま呆けた顔で硬直していた。一瞬の間のあと、来客を認識したのか、表情を変えないまま喉の奥から声を出す。


「なっ」


 アリーシャは即座に読んでいた本を投げつけてきた。しかし、革装丁の厚い本は、少女の腕では筋力が足りず、まったくこちらまで届かない。

「お前ー! この蒙昧主義の手先が何しにきたっ!!」


「何、とは……支払いを来月まで待つと言ったではないですか」

「ふざけるな! 人を騙しておきながらどの口で!」

「そんなことより、今月分の作品はできていますか? 貴女は債務者なのですよ」


 痛いところを突かれたのか、悪口あつこうが鳴りを潜めて、アリーシャは苦虫を噛み潰したような顔をする。代わりに、表情で雄弁に嫌悪感を丸出しにし、口元を歪ませた。


「馬鹿を言え、あのときは特別だ。何で天才の私が、毎月お前なんかに作品を作ってやらねばならんのだ」

「まぁ、だと思いました」


 目を瞑り黙想するようにエドガーは小さく頷く。


 そのまま自分の通ってきた廊下へ振り向き、玄関の方へ呼びかけた。


「すみません、お願いします」


 その言葉を合図に、多くの足音が部屋に向かってくる。中に入ってきたのは、上衣の中に胴着を着込み、鳥打帽を被った恰好の男たちだった。皆、服のどこかに当て布をしており、生地はくたびれて服の形がよれている。典型的な労働者階級の人間だった。


「え? 何この人たち……村じゃ見ない人なんだけど……ちょっと待って、怖いよ……」


 見知らぬ大人たちが大挙してきたのに、アリーシャは鼻白む。唯一の顔見知りであるエドガーに不安げな視線を向けるが、男たちを呼んだ当人は、素知らぬ顔で彼らと話をする。


「旦那、この部屋ん中の道具を運べばいいんで?」

「えぇ、お願いします」

「は? 何を言って……あ! 乱暴に扱うな、というか素手で触るな指紋をつけるな! 手袋をしろ! あああああ、傷がつく傷がつく傷がつく!」


 部屋に入ってきた労働者は、エドガーの指示で一斉に室内の実験器具を運び始める。アリーシャはそれを止めようとしつつ、扱い方を注意しつつ、慌てふためきながら彼らの間を動き回る。喚きながらうろうろとするアリーシャを、吠えたてる子犬を相手するように労働者たちは困った顔をしていた。


 大声を上げすぎて疲れたのか、労働者たちを止められないと観念したアリーシャは、息を切らしながら涙目でエドガーに食いかかる。


「おい! どういうことだ!!」


 相手の切迫した表情に対し、エドガーは涼し気に答える。


「差し押さえ、とは言いません。契約にきました。色々と手続きがあり、一か月もかかってしまいましたが」

「契約ぅ……?」

「こちらを」


 怪訝そうに眉を顰めて渋い顔をするアリーシャに、エドガーは鞄から一枚の書類を手渡す。


 アリーシャはこちらの腕から書類を奪い取り、食い入るように読みこむ。目線が左右に動き、下までいくと、彼女は書類越しに睨んできた。


「お前……どういうつもりだ」

「そちらの契約書の通りです」

「だからそれがだと訊いている! 契約書だぞこれは!!」

「はい。すでにわたしの署名は入っていますので、あとはアリーシャさんの一筆が必要です」

「金額をわかっているのか? いや、そもそもこんな無茶が……」

「わたしが死ぬまでには返済できるでしょう。それに、無茶ではありません。わたしにも伝手がありまして、それを最大限に使わせていただきました」


 狼狽を見せるアリーシャに対し、エドガーは人差し指を立てて向ける。


「一点、補足します。そちらの契約が効力を持つのは、こちらの契約書にも署名をいただけた場合のみです」


 そう言って、エドガーは新たな書類を鞄から取りだす。


「それは……?」

「……先程、どういうつもりかとお聞きになりましたね。回りくどい契約文よりも、もっと端的に表現しましょう」


 書類の上端を持ち、アリーシャに文面を向ける。書面を覗きこみ、その内容を見て彼女は瞠目する。


、アリーシャさん」


 その契約書の内容は、アリーシャがエドガーの専属錬金術師となることを認める書面だった。


「首都にアリーシャさんのための工房を用意しました。そこで貴女には作品を作っていただき、わたしがそれを取引します。失礼ながら、貴女には物を売る才覚はなく、このままでは一生掛かっても借金の返済は不可能です。貴女の『価値』をわたしが最大限に活用し、それを富へと変えて見せましょう」


 アリーシャは黙りこみ、困惑の表情を浮かべる。視線を泳がせたあと、控え目にエドガーと目を合わせる。


「蒙昧主義の手先だと思っていたが、こんなに紙っぺら一枚に人生を懸けるなんて、お前、頭おかしいな……」


 突き放すような言葉を投げられても、エドガーは顔色を変えない。相応の覚悟をしてきたのだ。それを見て、アリーシャはにやりと笑う。


「だがいいぞ、気に入った。少しぐらい頭の螺子ねじが飛んでいる相棒を作るのも悪くない」


 そう言って、アリーシャはエドガーへ手を差し出してくる。


「そういえば、名前を聞いてなかったな?」


 エドガーは差し出された手を取る。


「エドガー・レンダーです」

「アリーシャ・スパギリーだ」


 少女の手を取ったエドガーの腕では、時計が未来へ進んでいっていた。

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錬金術振興信用組合員エドガーの記録 黒石迩守 @nikami_k

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