君の恋人に

穿田ユウ

君の恋人に

 夢を見た。

 満天の星空の下、僕は小高い丘の上に座っていた。

 街からは少し離れたところにある、 人気の無い場所。そんな丘に、昼でも夜のように明るい街から抜け出して来たんだ。

 全力で走ったから初め息は荒く体温は高かかったけれど、暫くすると風が体を冷まして心地良いものにしてくれた。

 煩かった街の灯りは、遠くにあるとどこか儚げなものに感じる。

 それにしても、この空を覆い尽くす星たち。まるで自分でが宇宙の真ん中にいるような気持ちになる。

「星、凄いね」

 木々の揺れる音に混じって声がした。振り返ると女の子が立っている。

「こんばんは。ちゃんと会えて良かったわ」

「あぁ、そうだね」

 軽く返事をすると、彼女は僕の隣に腰を下ろし、同じように空を見上げた。彼女は夏でも夜だと寒そうな、薄くて真っ白いワンピースを着ていた。時折吹く夜風になびく長い黒髪が、とても綺麗だと思った。

「ね、小さい頃に習った織姫と彦星の見つけ方、覚えてるよね?」

「もちろん。せーのっ」

「東の空の天の川。明るく大きな二つの星に、橋を渡してあげましょう!」

 二人して幼い子供のように笑った。多分クラスメイトも知っているこの合言葉も二人だけで言うと、

「秘密の合言葉みたいね」

 彼女の言う通りだった。照れくささを隠して空に目を移す。

「東の空って正面よね……天の川に橋を渡す……あった。明るくて大きい二つの星、見つけたわ!」

「先越された。どこ?」

「ほらあそこ、私の指のまっすぐ先にあるでしょ?」

「それじゃ分かんないよ」

「しょうがないなぁ……」

 彼女はため息をついてから、よいしょと僕の背中側に回りさっきと同じように指差した。

「ほら、これでどう?」

「なんだ、あんな場所にあったんだ」

「もう。絶対分かってた」

「分かんなかったよ」

「ほんとにー?」

 彼女は頰を染めて口を尖らせる。どうも信じて貰えていないらしい。このままでは自分が不利になりそうな気がしたので何とか話を変えてみる。

「本当だって。それより、今年の七夕は雨だったけど織姫と彦星は会えたかなぁ」

 ちょっとの間「うーん」と唸っていた彼女だが、やがて口を開いた。

「雨が降ったら天の川の水かさが増して二人は会えないって言う人がいるけど、 私はそうは思わないわ。だって雨が降ってるのは地球で二人がいるのは宇宙じゃない? どうして関係あるのよ。宇宙の方が雲より高い所にあるのに」

「確かにそう、だね」

 そうなんだけど。織姫と彦星の話が出来た時にそんな事を考える人なんか居なかった気がする。

「不満なの?」

「そういうわけじゃ──」

 マズい。今度は彼女がシラけた目を向けてくる。やってしまったと思った時にはもう遅かった。

「何か言え、この! こちょこちょこちょー!」

「ひゃ、やめろって! わひはらぁダメ! ふふ、あははははっ!」

 わき腹はダメ、と言ったつもりだけど絶対伝わってないな、これ。

「あはは! ほんと、昔っからこれだけは弱いんだから! ほらほら、もう終わりとか思ってる?  残念でしたー!」

 まだやるのか、これ……。

 結局この拷問は彼女が飽きるまで続けられた。



「あー面白かった。久しぶりにこんなに笑ったわ!」

「はは、は……」

 完全に体力を使い果たして何も考えられない僕は、かすれた笑い声が出るばかり。

「それで──」

 彼女はそんな僕にもお構い無しに一呼吸置いて尋ねた。

「私たち、また家出したのよね」

「あ、あぁ」

 突然始まった話題だったから取り敢えずの生返事。一つ咳払いをする。

「そうだよ。ちゃんと準備はして来た?」

「バッチリ。君こそ約束のモノ、見当たらないんだけど?」

「テントと望遠鏡だろ、木の下に置いてある。小さいのしか持ち出せなかったけど。というか何で望遠鏡?」

「決まってるわ。星を観察するためよ」

「そうじゃなくてさ。普通は家出に望遠鏡は持ってこないと思う」

「普通なら、でしょ。それを言ったらテント有りの家出なんて準備良すぎじゃない?」

 ごもっとも。でも苦し紛れに反論。

「それは寝るために必要、とか」

 途端にニヤつく彼女。

「ふぅん。私と同じテントで寝るつもりなんだ」

「そりゃね。一つしかないし、風邪引くのもヤだし」

「へーぇ、そっかぁ」

「なに、言いたい事あるの?」

「何でもありませーん」

 彼女はヘヘッと笑ってそっぽを向いてしまった。望遠鏡の件は誤魔化されたな。

 僕らは年に数回、夜中に集まって朝まで過ごすという事をしていた。最早恒例行事になっていて書き置きを残していけば親もあまり心配しないといった感じだった。

 単なる夜の懇親会に”家出”と名付けたのは、その方が冒険っぽくて気分が出るとの彼女の案だ。

 それから、僕らは無言で空を見ていた。

 広大な宇宙に二人きり。まるで──。

「私たち、織姫と彦星みたいね」

 その彼女の考えは、僕と全く同じだったんだ。

 今なら言える。伝えたい事。

「……あのさ。織姫と彦星はどうして年に一度会って愛し合うんだと思う?」

 彼女はキョトンとする。

「どうって……お互い好きだから、でしょ?」

 多分それが正解。でも僕が言いたいのはそうじゃない。

 彼女には辿り着いて欲しかった。僕と同じ答えに。彼女が一人でも自分を守れるように。

「そんな単純な質問しないよ。ヒント、七夕に雨が降るとその年、二人は会えなくなる」

「私その説採用してないんだけど……」

「出来れば採用してください」

「むぅ、仕方ないなぁ。今回だけだからね」

 彼女は膝を抱えて頬を膨らませる。こういう姿を見ると、ドキッとしてしまう。

 指で髪をくるくると弄りながら黙って考えていた彼女は、急に思いついたように顔を上げた。

「えっとね。次いつ会えるか分からないから、その時まで寂しくないように、会えた日にいーっぱい愛し合うの。これならどう?」

 それはまさしく僕が望んでいたもの。

「うん、当たり。それは二人がお互いにバッテリーと充電器の役割を担うが如く」

「その例えちょっと無粋よ。私たちまだケータイ持ってないし。でも──」

 そこまで言って、目を細める。

「最近君に会えなくて寂しかった。だから……その、少し充電させて」

 彼女が倒れて来る。小さな頭が僕の胸にぽすっと収まった。そのまま幸せに満ちたように、顔を擦り付ける。

「ふふっ。君の匂いがする」

 くすぐったい。そして、気持ちがいい。

 少しだけ、と彼女を腕の中に包み込む。

「あっ……」

 彼女がビクッと震えた。僕の服を強く握る。

「大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」

 今度は彼女が僕の背中に腕を回す。

「ぎゅーっ」

 彼女はいつもより一層高い声で言って、満面の笑みを見せてくれる。

 結局僕は、もう会えなくなる事を暗示したいという口実のもと、彼女を抱き締めたかっただけなのかもしれない。

 だって彼女は、こんなにも小さくて愛おしい。

 側に居続けたい。

 幼い頃から一緒だった僕が居なくなると知ったら、どんな顔をするだろうか。いずれ分かる事。でも彼女との最後の家出を壊したくない。

 だからこそこんな回りくどい言い方をしたんだ。

 今日という日を覚えていてほしくて。

「今私、とっても君を感じる。温もりが、体に流れ込んでくる」

「お願い。忘れないで──」

  気付けばそんな言葉を口にしていた。

「……どうしたの?」

 しまった、勘付かれたかもしれない。そう思ったが杞憂だった。

「忘れなんかしないわ。ううん、こんなの絶対忘れられない」

 それでいい。お互いいっぱいにまで充電して、別れて、いつかまた会うんだ。

 今度はちゃんと、心の中だけで呟いた。



 どれ程時間が経ったか分からない頃、南の方角に一筋の流れ星を見た。

「あ、流れ星」

「どこ?」

「もう無いよ。南だった」

「お願い事あったのに。どこよー流れ星ー!」

 あからさまにキョロキョロする彼女。そんな探し方をしても見つからないと思う。

「そうだ。君はお願い事、したの?」

「まぁ、うん……したよ」

「歯切れの悪い言い方ね。内容は?」

「秘密」

「えー、ケチ! いいじゃない、教えてくれたって」

 まさか『二人の関係がずっと続きますように』って願ったんだ、なんて言えるわけがなかった。その真意を問われたら、僕はどう返せばいいか分からない。

 その間にも彼女がススッと寄って来て、懇願の目を向ける。

 そんな事しても教えないぞ、絶対に。

「そう言うそっちはどうなんだよ」

「私の願い事? どうしよっかな。もう言っちゃって、いいかな」

 僕の正面に向き直り緊張気味な表情になる。

 そして大きく深呼吸をし、告げた。

「君の恋人になれますように」

「え?」

 今、なんて。僕の恋人に?

 彼女は微笑む。そして両手で優しく僕の頰を包み、続きの言葉を紡ぐ。

「好きだよ」

 彼女が迫り、その距離はだんだんとゼロに近づく。思わず目をギュッと瞑る。

 彼女の唇に触れた。時間の感覚が奪われてゆく。

 何秒そうしていたか分からなくなった頃、彼女がそっと顔を離す。吐息が熱い。

 体が火照って頭がくらくらした。

 のぼせたんだろうか。視界がぼやける。

「ねぇ、君は私の事……どう思ってるの?」

 彼女の指が僕の指に絡まる。

 同時に彼女の顔が見えづらくなった。

『僕も好き』

 伝えたい五文字は飲み込んだ。それを言うと別れが余計につらくなってしまうから。

 遂には彼女だけでなく、空も木も地面からも輪郭が消えた。

「──ねぇ、ちょっと? 大丈夫!?」

 だからごめん。その気持ちには応えられない。



 本当に少しでも良かった。

 一分でも一秒でも十分だった。

 恋人でいたかった。でも、

『君の恋人にはなれない』

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