3 魔女の幕引き(上)

 アドラ軍撤退の報が入った。


 女王デュートを議長兼執行機関とし、首都グライトをはじめとする各地区から選出された新議員で構成するユーレの新議会は大いに沸いた。

 デュートの采配の下、ユーレはアドラからの難民受入れを早々と議決した。都合のいいことに、国境にはそれなりの人数を捌くのに十分な人員がいる。


 彼らの許へはファルケから非公式にアドラへの共同派兵の打診もあったが、それはかなり大雑把な審議の上却下された。

 ユーレは専守防衛である。そして他者を拒まない。そのような立場を揺るぎないものとすることで、ユーレはどの国とも等しい距離において、可能な限り誰からも「正しく」あり続ける。それがデュートの、そしてユーレの民の選んだ、生き残りのための戦略であった。


 そうしてユーレからすげなく協力を断られたファルケは、ひとまず自国のみで制裁を決定した。アドラが現政権である限りは、一切の物資の流通を禁ずる旨。軍事制裁にまで至らなかったのは、アドラ側が先手を打ってきたからだ。

 爛は燦と熾が連署した親書を携えてファルケ議会に降り立った。立て続けに竜と接触したファルケ議会は悪名高い火竜の来訪に慄いたが、その伝達内容は燦が起案し熾の確認を経た、非常に紳士的なものであった。爛が最後に添えるように言った一文——「ご協力願えない場合には」から始まり「悪しからず」で終わるもの——を、燦は意地でも入れなかったので、使者は少し機嫌がよくなかったが。


 その親書によれば、ドラクマ分家とその竜は、混乱が収まった暁にはアドラの統治機構を再構築するつもりであるという。手始めに、スペクト、ドロッセルおよびナハティガル各市に君臨するドラクマ分家の世襲を廃する。

 首都スペクトのクロト家は既に断絶しているし、熾の仕えるドロッセルのラケシス家当主は高齢で跡継ぎもない。だから現時点でまともに分家の血が続いているといえるのは、ランティスが当主を務める(が故に当主が政務にあまり関心がなく議会がほとんどの権限を委ねられている)アトロポス家くらいだった。そのため実際はその約束が現実になったところで状況に大きな変化はないはずなのだが、燦はそのことはうまく隠した。

 ファルケに向いていたニンバスを動かしたのもその意思の表れと述べ、あたかも「新しい国を作ります」とでも言わんばかりの、熱のこもった明文であった。


 もちろんそのような親書の内容は、アドラが国として決定したものではない。同国の議会は機能不全に陥っているからだ。

 有力議員がこぞって奉ずる「白い魔女」は、スペクトの象徴たる燦と、その主の家系を絶やそうとし、実際片方は既に成った。ドロッセルのラケシス家もやがて途絶える。それも不可解な理由でだ。アトロポス家の当主は、無辜のユーレを侵略するためといって斥候部隊に配置された。

 いかにアドラにおいて宗教の価値が下がってきているとはいえ、ドラクマ分家や三竜に対するこれらの扱いは国民の不信感を煽るのには十分すぎた。


 以前まで燦のいた市庁舎を眺め下ろす、スペクト市内で最も高い建物。それがアドラの議会棟であるが、現在は暴徒化した市民がなだれ込むのを防ぐため、玄関は固く閉ざされている。そこを中心に市内にはものものしい数の警備が配置されているが、ランティスが連れ帰った軍が市民側の警護に回っているものだから、抗議の勢いは収まらない。

 議会棟の正面では睨み合いが続いているが、遠くで騒がしい音も聞こえる。ときには煙が立ち上り、散発的な騒乱が絶えないその状況を、市内を見渡せる場所から見ていたウェバは目を細めて見下ろした。

 彼女の部屋は、議会棟の上のほうにある。そこでは外の音はほとんど聞こえないが、これだけ周囲を一望できるなら状況の把握はさほど難しくなかった。


 扉の開く音がする。ウェバの前のガラスに、すいと入室してきたノヴァが映った。

「何か楽しいことがあったかしら」

 振り向きながらウェバが言うと、ノヴァは首を傾げながら膝を抱えた。顔の高さはそのまま、足が浮く。そして彼女は大きく頭を振りながら言った。ぜぇんぜん、と。

「全然。今回も駄目。みんな歯向かわないほうがスムーズにことが進む、って気がつけないみたい。まあ、大勢たいせいに影響はないはずだし、どうでもいいんだけどね。先のことが分からない人たちだから、仕方ないか」

「先のことが分からないのは私も同じよ」

「でもウェバは、自分の決めた未来に進まない世界は切り捨ててやり直すでしょう? それって何が起きるか確定してるのと一緒なんじゃない」

 そうね、とウェバは呟き、ガラスに突いていた指を離して窓に背を向けた。

 


 そうして何度も何度も、やり直しをした。いつか自分が、キャリア=ノイとして作られた自分が、その存在意義を認められる世界を作るために、本当に数えきれないくらいのやり直しをした。彼女にはそれができた。

 まず製作者に認めさせなければならない。そのために製作者をもう一度作らなければならない。彼女は「バド」を作ろうとした。しかしそれは叶わなかった。彼はもう既に別の存在ゴーストとしてこの世界に在るからだ。

 だから、「バド」をもう一度作るため、その前段階としてそのゴーストを始末するために彼女は知識を求めた。ゴーストに干渉できる、その自由意思を短時間であっても不完全であってもいいから制限できる、それを滅ぼす隙を作れる、そういう手段を彼女は求めた。

 いくつも紡いだ歴史にコードを磨き上げさせ、彼女はその知識をアーカイブするために宗教を利用し、知の最終集積地として「サプレマ」を用意した。

 彼女がこの歴史に初めてプレイヤーとして登場し、テルト・フェンサリルに近づいた理由は、それであった。

 彼女は来たる日に備えて「バド」の試作品も作った。とてもうまくいった、と思う。そして全ての仕掛けのトリガーとして、彼女はゴーストの檻となるもうひとつのキャリア=ノイを作った。

 全て、全てが彼女のコントロール下にあり、彼女の筋書きどおりであった。

 全てが歯車であり、駒であった。そういう意味で全ては等価値で、そして全ては無価値であった。

 なのに、どうして思い出すのだろう。


 ノヴァは黙ったままのウェバを一瞥すると、ふんと鼻を鳴らして窓辺についた。

 外を眺める。ドロッセル側の市門は、ここからでは建物の陰になってよく見えないけれども——もう少し、もう少ししたら、そこにが現れる。

 ぞわぞわする。いや、わくわくする? もうすぐここに来る。この世界で唯一、自分と同じ分類をされているもの。

 ウェバはそれを殺すと言った。まったく異存はない。それができるのは自分だけだ。それがこの世界の摂理だ。


 何度も試行錯誤を重ね、ウェバはやっとここにたどり着いた。そこにノヴァは必要不可欠であった。

 これが済んだらウェバは次の段階に移る。そうしてウェバは、全ての筋書きを作り、それを遂行する。ノヴァがいなければ叶わないことだ。


 ノヴァはウェバを通じて、この世界の孤高として、全てをコントロールする。自分が生まれることを許さなかったこの世界を支配する。

 こんなに楽しいことが、ほかにあるわけがないのだ。

 

 

 フリッガはスペクトに戻った。誰に相談することもせず、グライトへも戻らず、彼女は国境から直接出国した。出立の直前、彼女はプレト以外の全ての竜を解放した。言い訳は何もなかった。

 彼女はプレトだけを連れ、アドラ領内に入るとメーヴェを経由しドロッセルを抜け、ナハティガルから戻ってきたあのときとそう大差ない時間でスペクトに到達し、市門の警備を突破して市中に入った。


 日が落ちて、もう辺りは薄暗い。通った覚えのある大きな道沿いはシャッターが降ろされ、ものものしい警備が敷かれて、ガラス越しに宝石のような菓子を眺めた以前とはまったく雰囲気が違った。なるべく人混みを避けるために細い道を選んだが、それでもときどき負傷者を見た。

 背の高い建物を目指して、路地をいくつも曲がっていく。

 議会棟が近くなるほど人の数は増えた。座り込んでいる者も、倒れて動かない者もあった。フリッガは目を伏せながら目的地に向かった。


 議会棟の裏口になんとかたどり着いたころにはすっかり暗くなっていた。

 見たことのない線状の光がいく筋も、地上から天に向けて円を描くように放たれている。不思議な光景だ、と思いながら彼女はしばらくそれを見、それから気を取り直すように深呼吸をすると足を踏み出した。

 裏口とはいえ警備は厳重である。建物内部に混乱している様子はないから、まだ誰も侵入に成功していないのだろう。かといって近づかなければ入ることもできないし、などと言い訳をしながらフリッガは裏口に向かって歩を進め、案の定、武装した警備員に止められた。


 以前のことを思い出しながら、フリッガはひとまず両手を上げた。

 あのとき、こうすることを提案したのは誰だっただろうか。あれはまだ、燦に会う前のことで——そうだ。熾とその主が手配してくれた通行証のおかげで、簡単に市内に入ることができたのだった。


 ここまで本当に、いろんな人に助けられたな、と思う。そんなことを考えながら警備兵たちを見ていると、彼らは戸惑った顔を見合わせたが、すぐこちらに武器を向け直した。

 でも、それまでだった。警備兵の背後の扉が開く。半数くらいの者が振り向いた。それで終わりだった。

 そこにはノヴァが笑顔で頬杖をついていた。足首を交差させ、前のめりに腰掛けるように膝に肘をついて、そして足は地に頼らない。

 フリッガは警備兵たちの残骸を見下ろし、それから顔を上げた。ノヴァはにこにこしている。初めまして、と彼女は言った。

「あなたを待ってたよ。あなたが生まれる前から、ずっとね」

 フリッガは一瞬眉を顰めたが、すぐに「そうですか」と答え、上を向いた。

「母に会いに来ました」

「知ってる。案内するからついてきて」


 ノヴァがくるりと背を向け、扉の奥に消えていく。

 フリッガは警備兵だったものに一瞬だけ黙祷を捧げると、その背を走って追いかけた。

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