2 愛国者たち

 デュートは室内を見渡した。

 議員が辞して、今残っているのは軍の関係者だけである。そして取り囲まれるように立っている、女王である彼女が名前を授けたナイトであるはずの彼の、今の立場は被疑者だ。


 デュートから近い位置に陣取っていたキュルビスが一歩踏み出た。軍の最高司令官である。文官の中にあれば比較的恵まれた体躯に見える初老の男だが、今彼の周りには女王のほかには本職の軍人しかいないから、背丈は特段目立ったものでもない。

 もっとも彼の身に着けているのは、目の詰んだ織物を惜しみなく使ったものだ。それだけは先ほどまでそこにいたサプレマになんとなく似ているな、とデュートは思った。

 すう、と息を吸い、デュートは口を開いた。

「アドラであなたが行ったことについて、弁明の機会を設けます。それから引き続きあなたの処遇についての評議を行います。私は法に則りそれに立ち会います。以後進行をキュルビス殿に預けます、異存ありませんね」

 デュートが促すと、問われた男はわずかに目を細めた。

 デュートは思わず息を飲んだ。何か見てはならないものを、目の前にあってはならないものを見ているような——そんな不安が彼女の背をぞわりと撫で上げた。

 彼女を見ていたキュルビスが頷き、それから緩やかに視線を移した。

「さて。我々は貴官が同国の要をかどわかした、と聞いている」

「拐かした?」

「身に覚えがないか?」

「移動させた、という意味なら」


 デュートがキュルビスから受けた報告によれば、彼は隣国の頂にある竜の一柱を連れ去ったらしい。ただそれはファルケに至る直前で捉えられ、さらわれた竜は無事保護、彼は同行していたサプレマと捕縛された。しかし彼は、目的地フリューゲルに自身の竜だけでもと粘ったサプレマをどうにかうまいこと言いくるめて、彼女にファルケの地を踏ませず、よって国が申しつけた任務を果たさせないままにユーレに舞い戻ってきたのだという。

 その目的が不明である。だからそれを問い質し、その上で軍としての彼の処分を決める。ナイト位の剥奪についてはその状況を見てご判断いただきたい——それが、事前にデュートがキュルビスから聞いた此度こたびの手続きの目的であった。

 ところがである。


「外患誘致の事実は明白」

 キュルビスの声は低すぎず、張り上げずともよく通る。落ち着いた口調で淡々と述べられる言葉にデュートは思わず腰を浮かせかけたが、それより先に彼女の真正面で扉が開け放たれた。

 目を見張る女王の前であっという間に警備兵が居並んだ。彼らは抜剣している。その切っ先もやじりも、女王と彼らとの間にいる男に向けられていた。デュートは眉を顰め、口を開いた。

「お待ちなさいキュルビス。目的を明らかにさせるのが先だったでしょう。尚早です。彼らに物騒なものをしまわせて」

「いえ、まず御身の安全のためにはサプレマとこの者との連絡を断ち、両者を引き離すべきです。どこまで通じ、何を目的としているかはその後検証すれば足りる」


 キュルビスの弁は穏やかだが力強い。気圧けおされそうになりながらもデュートは立ち上がった。

「あなたの部下とはいえ、彼は王家の任じたナイトです。その名を傷つけるような行為にはまず私の許しを得なさい」

「ならば陛下、身柄拘束の許可を」

 デュートはキュルビスを睨みつけ、目の前でその様子を見ていた男を向き直った。

「弁明があるのではありませんか、コンベルサティオ卿」

 問うたデュートに相手は少し首を傾げただけだった。デュートは苛立ちを隠しきれないまま問い重ねた。

「言いたいことがあるのではないですか、と聞いているのです」

「言いたいこと」

 彼は少し考え、口を開いた。

「そこの男に『やり方が迂遠だ』と」

 そう言いながら指さされた先にはキュルビスがいる。キュルビスは涼しい顔をしている。デュートは眉を寄せたまま先を促した。

「やり方? 何のことです」

「国王を排除するために、国王と個人的な関係を疑いやすい人間を選んで逆賊に仕立てる。国王を引き摺り下ろし空位にすると同時に隣国を招き入れる。それが首都まで迫ってきたら国境とは逆側に控えさせておいた軍を引っ張り出して防衛してみせる。そんなところか」


 デュートがキュルビスのほうを振り向くと、彼は目を細めていた。

 それなりに精悍な顔立ちの男である。彼は口を開いた。

「私がそれをする目的は?」

「さあ。もっとも、この国の軍備でサプレマ抜きのまま、対アドラ防衛が成ると信じているほど頭が花畑な男……というふうには、見えない」

「もちろん」

「ならば少なくともそこまでは調整済みなのだろうな。侵攻に抗う指揮官コマンダーは善戦を尽くしたが勝敗は誰の目にも明らか、誰からも責められない。そうしてまんまと敗戦を迎えたら、次は外交上の手腕でも発揮して、文武の英雄になるのか——ああ、それで」

 そこで言葉を切り、彼は少しうつむいてから顔を上げた。口角がわずかに上がっている。

「どうせいずれ併合されるなら最大限に自分を利するやり方を選んだ。そういう理由なら理解できる。お前は商人だな」


 口を開きかけたデュートを遮るようにキュルビスは右手を上げて言った。

「夢のような話だがね」

「そうだな。しかしお前にとっては悪夢ではないだろう」

「さあ」

 どうかな、と言いながらキュルビスが手を振り下ろす。

 デュートは目を見張った。警備兵たちの切っ先が、鏃が、こちらを向いている。何か言おうとした。口を開いた。しかし乾いて声が出てこない。

 殺される。

 弦を引く音がした。もう駄目だと思った瞬間、目の前の男が動いた。


 彼はデュートの腕をひっつかんだ。

 玉座後方の扉を蹴破ると階段がある。デュートの耳元で風を切り裂く音がした。

 矢は逸れた。しかし襲いかかるのはそれだけではない。

 この階段は王宮の、温室まで上がる唯一の道だ。下を見るとそちらからも追っ手が来ている。

 上がるしかない。上がるしかないが——

「そっちに行っても逃げられません! 戻って……」

「戻っても死ぬ」


 駆け上がりながらの喧噪の中でも彼は声を荒らげない。だからそれは決して聞き取りやすくはなかったが、デュートはどうにか聞こえたその言葉にごくりと唾を飲み込み、腕を引かれるまま彼を見上げた。

 その右頬には確かに、かつて見たのと同じ傷がある。あのクーデターのときシューレの寮で見た、あの少年と同じ傷が。

 でも何か違うのだ。デュートは後ろを振り返った。

 謁見室と下からと、追っ手は合流して増えていた。もう降りることは絶対にできない。デュートは覚悟を決めた。

「ちょっと待ってちょうだい」

 デュートはそう言って手を振りほどくと、カンカンと高い音を立てていた踵の高い靴を脱ぎ、後方に投げつけた。先導者はその様子を少し驚いた顔で見、それから先に行くよう促した。

 デュートは彼の顔を睨みつけ、ドレスの裾を持ち上げると一段飛ばしで階段を上り始めた。分からないことが多すぎるが、今はとにかく止まることはできない。


 何度も上ったことのある階段だが、こんなに急いで駆け抜けたことなど初めてだ。後ろからの追っ手に追いつかれないことだけに必死で、一番上まで辿り着いたころには彼女は肩で息をし、話すのもままならなかった。

 ガラスの壁に囲まれたそこは国内の建物の中では一番高い場所で、息を整えながら目をやった下には五角形をした建物が見えた。その形から星室庁と呼ばれている場所だが、その周りは閑散としている。

 助けを呼ぶのは無理だ。それどころかもしかしたら、あそこに詰めていた全員が、今彼女に牙を剥いているのかもしれないし——

 どうして、という思いだけで頭が一杯だった。

 何が、どこで、何を間違ったのか。何を見逃していたのか。デュートは思わず鼻を啜り上げた。本当は目を擦りたかったが、そんなことをしたらそのまま泣いてしまいそうだった。

 ちょうど後ろで扉を閉じる音がして彼女は振り返った。今扉を閉じた、ここに自分をつれてきた相手を睨みつける。

「逃げきる当てがあるのですか?」

「殺させるなと言われている」

「殺させるな?」


 訝しげな顔を隠さず続けようとした彼女の言葉の先を、温室に辿り着いた警備兵が扉を破る音が遮った。

 それから連なって入ってくる警備兵は数えきれなかった。あっという間に温室の半ばまで居並び、彼らは再び矢をつがえた。足元で花が踏まれている。

 やや遅れてキュルビスが現れた。弓兵の列の真ん中が割れて彼を通した。彼はデュートの目の前で立ち止まった。デュートは彼を睨みつけた。

「迂遠なやり方と言われたのが癪だったのかしら」

 必死で言葉を選んだのに、精一杯の強がりは声が震えて台無しだ——デュートは情けなくなりながらキュルビスの返事を聞いた。

「いえ、そこまで理解しているのであればわざわざ段取りを踏む必要もないというだけです。陛下」

 そこでキュルビスは恭しく頭を下げた。

「ご退位願いたい。ご遺志は我々が引き継ぎます」


 目を見開いたデュートの前で、キュルビスは顔を上げたが目は伏せたままだ。

「アドラの隆盛をご覧なさい。当国は遅かれ早かれ独立を守ることができなくなります。同じことを考えたものが十年前もおりました。しかし彼らははやりすぎた。だから失敗した。我々は国を守らねばならない。そのための策を考えた」

「国を守る、ですって?」

「まさしく。守るべき国の形はね、ひとつではないのですよ。陛下」

 デュートは眉を顰め、隣を見た。彼は場違いなほど無関心な顔をしている。

 デュートは思わず瞬きをし、それから再びキュルビスを見た。少し頭が冴えてきた気がする。

「あなたが守ろうとしている国の形とは、どういうものなの」

「我々はアドラに併合されましょう。その上で、一定の自治を保障される。そこで私はこの国の、国王直属のナイトと軍と、それからサプレマなどという、いびつな防衛の形を正すところから始めます。アドラはユーレの海底資源で更に軍備を増強させるでしょう。いずれは他国をも併合し世界に君臨するのかもしれません。我々はその欠かせぬ基盤となる。かの国の中で、遺物の唯一の管理者として、当国は侵すべからざるものとして生き続ける」

「それはもはや属国です。頷くはずがないでしょう、私はこの国の王です」

「生まれ持った王位に胡座をかいておられた陛下に、それを言う資格があるとは思われない」


 冷たい瞳のキュルビスの前でデュートは唇を噛んだ。

 背後はガラスの壁、向かいは弓兵の列。抜け出す方法は思いつけなかった。

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