5 グライト、再び

 フリッガは、ジェノバとの話を終えてテントを出てきたヴィダとネコとを、食事の準備をあらかた終えたテントで迎えた。

 それまでの間にここの責任者の軍人と話をしてみたら、食材の調達という点ではかなり力になれそうなことが分かった。必要なら、と言いかけただけでその軍人はやや前のめりになりながら「是非」と両手でフリッガの右手を握ってきた。

 少し面食らってそれを見下ろしているところにちょうどヴィダが入ってきて、何それ、と笑いながらふたりの手を指差したので、軍人は慌てて手を離した。


 そあらたちと合流した後この司令部に入る道すがらで、フリッガとヴィダとは全て打ち合わせを終えている。

 ここでは誰が信用できるのかも判然としない。だから誰に聞かれることも望ましくない。そのためふたりは確かに、司令部内では基本的には話をしないとあらかじめ決めてはいたものの——部下に代わる代わる挨拶や相談を持ちかけられてなかなか食事の進まないヴィダとは本当に一言も言葉を交わさないまま、フリッガはテーブルを挟んで斜め向かいで先に食事を終えた。そして席を立ち、器を所定の場所に返してテントを出る。


 この辺りではもう潮の匂いはしない。火竜を擁するアドラ軍は通常海沿いを避け、ユーレの国境警備もそれを見込んだ位置に展開するので、ふたりもメーヴェからはやや内陸を目指してここに合流した。

 見上げた空は広かった。少し砂が舞って霞んでいるが、それがフリッガにはとても懐かしいものに感じられて、彼女は大きく息を吸い込んだ。

 


 次の日、日の出を待たずにフリッガたちは司令部を出、グライトに向かった。

 ナハティガルからふたりを乗せて走ってきた疲労困憊の馬を入れ替えることができたので、ここから先は少し速く進める。

 彼女は並んだ黒馬にちらと目をやり、それからそれを駆る男を見た。今は見慣れた格好ではなく、あの白と青の軍装だ。フリッガは思わず笑ってしまったが、相手は顎をしゃくって「前を向け」と示しただけだった。


 こういうところでもないと話すタイミングもないので、フリッガは少し馬を寄せ、あのさあ、と言った。

「アルブレト博士にとっての『不良品』って何?」

「さあ」

 答え方に取りつく島もないので、フリッガは口を尖らせた。

「耐用年数のことは?」

 

 キャリアにはその型式によってさまざまな耐用年数が設定されてきたが、いずれにせよ人の寿命にはまったく届かない。なのに——燦の主はあの様子では人に近い天寿を全うしたようであったし、熾の主も高齢であったが、死の床に伏せるような状態ではないことは彼がしたためてくれた通行証の文字が何より雄弁に物語っていた。

 かつて「規格品」として流通していたキャリアは、ジオエレメンツを収容することで得られる能力を利用するとともに、自身も最前線に立つ兵として、それなりに重度の損傷に耐えること、そして損傷した際には極めて高速で修復が行えることを要求されていた。

 キャリアが長く生きないのは、本来意図されたそのような生き方をしたときの話なのだ。争いのない時代に支配者層として君臨する場合、その条件に当てはまらない。


 そしてフリッガはといえば、彼女は国境防衛に駆り出されることこそあったけれども、彼女の竜は——特に、あの容量の大きい地竜は——自律するよく食べる。ジオエレメンツの収容については、それだけでもかなりの消耗が防げる。

 とはいえ、フリッガの母方の血はジオエレメンツを必ずしも「収容」しない純種のキャリア=ノイである。キャリア=ノイも用途は旧来型キャリアと変わらないから、兵器としての使用に堪える年限が耐用年数として設定された。ただし開発者に課された年限設定は、かなりの幅を許していた旧来型よりも厳格なものだった。旧来型より遥かに高価にならざるを得ないそれに、仕様として買い替えを促すためだ。

 赤い瞳がフリッガを見た。そこには何の揺らぎもない。


 アルブレト博士は出資者を含む他人の顔色を窺うような人間ではなかった——というか、そういう能力のおよそ欠けた人間であった。

 だから彼は、耐用年限を必ずしもキャリアの物理的毀損とは結びつけなかった。設定年数の正確性を担保せよとの命であったから、彼はまず、ジオエレメンツへのアクセス権と、キャリア自身の驚異的な回復力と、その両方を併せ持つことを「兵器としての使用に耐える」の要件と定義した。そのひとつでも欠けるときが彼の設定する耐用年限である。

 そして彼が所定の年数で欠けさせることにしたのは、年限コントロールの容易な後者の要件であった。


 そのことが顕在化する前に彼は世を去り、キャリア=ノイの開発は頓挫した。だから今これを知っているのは開発者本人プレトと、それと意を通じたフリッガだけである。

 彼女は思わず、ひひ、と笑いを漏らして前を向き直った。回復力ならとっくに下降線を辿っている。ならばその年限に、今更何の恐れることもありはしない。

 


 ユーレは小国ではあるが、都市はもちろん首都のほかにも存在する。とはいえその規模はグライトとは比べものにならない。アドラとの緩衝帯を駆け抜け国内に入っても、郊外のうちはぎりぎり「集落」という程度で、のどかな果樹園などの間に小さな建物が点在しているだけだ。

 海に注ぐ運河から伸ばされた水路も、この辺りではまだそう当たり前のものではない。もう少し中心部に近づいてから運河の本流を捉えて流れに乗った方が効率はいいので、フリッガたちは迷わず走り続けた。


 それにしても、と周囲を見回す。

 国境警備にあたっていた軍でヴィダが叛逆者扱いされなかったことは、彼の(ナイトという)特殊な立場からすれば一応想定の範囲内だった。しかし国内のこの様子はどうだ。比較的小さな規模であったとはいえ、ユーレはわりと最近でもアドラからの侵入者と戦っている。だからもう少しくらいは緊張感があることを期待していたのだが——国内の様子は、まったく普段と変わりがなかった。

 この国がこれまでにない危機に瀕していることを国民は知らされていない。フリッガは眉を寄せた。

 国王や議会が知らないはずはない。それを知らせないという選択を誰かがした、何かの理由で。それこそが、彼女がこれまで散々距離を置いてきた「政治」である。


 半日足らずで少し人の多い町に入れた。黄色いレンガと砂の積もった漆喰が路地に日陰を落とす様子はグライトとよく似ているが、ここは全て平地である。

 向かい合う窓と窓との間ではたはたと風に吹かれる洗濯物がアーケードのように連なる下を、可能な限りの速さで走り抜けると、あっという間に住宅はまばらになり、代わりに倉庫が並ぶエリアに出た。そこをまっすぐ進めば、グライト中心部まで直行する船の待つ桟橋はすぐだ。

 ふたりはここで、司令部で借りた馬を休ませることにした。宿場の少女が受け取った黒毛の馬たちはくりくりした目をしばたたかせ、そこを後にするふたりを見送った。


 ここからは水の流れるままに。王宮はこの運河を下り海に出る少し前、中州の上に建っている。天然の堀に囲まれたそこへは、一般人の立ち入りは原則として許可が必要で、侵入もまた容易ではない。

 正規の入城のためには軍の事務局や詰所といった部課の集まる星室庁で手続きを済ます必要がある。一部の者にはいわゆる顔パスが許されているものの、サプレマという大げさな肩書きの割にフリッガの外見はほとんど知られていないからそれを期待することもできない。グライトに住んでいた先代サプレマと違い、彼女は山奥に引っ込んでしまっていたし、王宮とも距離をとっていたので。

 ともあれ今回に限っては別に目的もあったため、フリッガは連れが略式入城を許されている人間であるにもかかわらず、念のためふたり分の入庁を記録として残すべく、所定の手続きを模範的に履践した。


 そうしてなすべき手続きを終え、星室庁から足を踏み出す。

 フリッガが外に出ると、連れは既に彼女に背を向けて立っていた。王宮の正面玄関の階段を前に、彼は積まれた石やガラスのひとつひとつを下から数え上げるようにゆっくりと顔を上げていく。同じようにフリッガも上に目をやった。まぶしいのは王宮のてっぺんにガラス張りの温室があるからだ。

 フリッガは思わず視線を下げた。威圧するような石造りのその内部で、得体の知れない空気が淀み、うごめいている。


 正面玄関の脇に小さな扉がある。不意にそれが開いて、しっかりとした足取りで老人が階段を下りてきた。

 フリッガはその老人に見覚えがあった。彼女は軽く会釈をして当たり前の挨拶を済ませた。老人は恭しく頭を下げ、それから彼女の連れのほうを見ていたが、彼はイザークの横を通り過ぎしな、その顔を一瞥しただけだった。

 階段を吹き下ろした風が上っていく彼の青いマントの裾をばさりと鳴らした。老人はそれを見送り、そのまま少し考え事をしていたが、フリッガのほうを向き直ると首を傾げた。

「あれは急ぎの用が?」

「わたしもなんです。あの、後でご挨拶に伺います」

 老人はまじまじとフリッガを見、それから得心したようにゆっくり頷いた。

 

 階段を駆け上がる途中で、王宮自身が落とす影に入った。温室のガラスが反射する光は、見上げてももう見ることができない。

 温室は女王の私室から塔内壁に沿った長い螺旋階段を上がって至れる、王家のプライベートな庭のようなものだと聞いている。その階段が途中から枝分かれする通路は謁見室や議事堂などにも伸びていて、それぞれの部屋に王族のためだけに準備された扉に至るというが、フリッガはもちろん通ったことはおろか、見たこともなかった。

 この王宮は、そんな枝分かれ通路はせいぜい三層程度までしかなく、そこから上は一本道の螺旋階段、要するに塔の形をしている。だから温室に行くなら、地下水を吸い上げる給水管の周りを何周も何周も数えきれないほど回りながら上がらねばならない。

 フリッガは正面玄関を入るとまっすぐ謁見室に向かいながら、その階段を歩く女王を想像してみた。自分のぺたんこのサンダルとは違う、靴の高い踵をかつかつと鳴らしながら——自分ならげんなりするところだが、女王はきっと違う。温室という、政務とは離れた場所に向かうその単調な時間は、たぶん彼女にとって何ものにも代えがたいものだ。


 近づいてくる謁見室、その扉の向こうにいるであろう女王を、なんとなく今までよりも近く感じた。

 前回拝謁したのは彼女の私室であって、今回のほうがずっと格式張っているはずなのに。

 


 目的の場所で立ち止まった。

 ここにいるのが女王だけだとは思っていない。今回のフリッガとヴィダの道行きは、議会と軍と、そして女王からの拝命によるものだ。その報告をするのだからそれなりの人間がいるだろう、おそらくクラヴィト・キュルビスも。

 そのうち何人が今回のことに関与しているのか。フリッガは振り向いた。

 後ろにいる男を確認する。彼は少し目を細めた。早くしろ、とでも言うかのようだ。


 フリッガは向き直り、目を閉じて深呼吸をしてから、守衛に開扉の合図をした。

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