5 火竜の血族
指定された場所に向かうと、先の女性——エリウ=エアと名乗った女性——が守衛に話を通していたようで、そあらは簡単な質問に答えただけで詰所の中に入ることができた。
思っていたよりは薄汚れた屋内ではあるが、不潔な感じはない。単に古いだけで、手入れ自体はしっかり行き届いている。
とりあえず進むよう言われた廊下をそあらが歩いていると、中から賑やかな会話が聞こえてくる部屋の扉の前を過ぎて少ししたところで、守衛からの連絡を受けたのか、奥の扉が開いてエリウ=エアが出てきた。
招かれた部屋は広くはなく、最低限の応接家具が置かれているだけだ。ほかには誰もいなかった。
そあらは勧められた椅子に掛け、相手も向かいに腰を下ろすのを待って、先ほどの(わざとではあるものの)非礼を詫びる意味も込め、改めて丁寧に名乗った。
エリウ=エアは向かいで背もたれに背を預け、脚を組んでいる。おそらくそれが、彼女なりの「警戒していない」という表現なのだろうな、とそあらは思った。いや、実際はたぶんそれなりに警戒はしているのだが——少なくともこちらを、急に暴力に訴えてくる相手とは見ていない。
彼女の質問に言葉を選びながら答え、その合間に部屋の中を見回す。最初入ったときは応接間かと思ったが、どうやらここは彼女にあてがわれた専用の部屋であるらしい。一見片付いているように見えるが、奥に据えられたデスクの上にはディスプレイと入力端末、それからちょっとした書類の束が置かれていて、埃もかぶっていなかった。
ということは少なくとも彼女は、会話が聞こえてきた部屋に詰めている連中とは違う扱いを受けている——そんなことをそあらが考えていると、エリウ=エアは少し訝しげな顔をしてわずかに首を捻った。
「何かこの部屋に気になることでも?」
「ああ……不躾に見回してごめんなさい。あなたがこの国でどういう立場にいるのかを、少し考えていた」
「普通よりやや体が丈夫なだけの、ただの警備員だよ」
エリウ=エアはそう言いながら肩をすくめた。少し口端が上がったが、決して自嘲的な笑みではない。そあらは、おや、と思った。当初思ったほどには気難しい相手ではないのかもしれない。
そあらは少し考えてから、では、と切り出した。
「エリウ=エア・クロト。ご出身はアドラかしら」
「いや。生まれはファルケ」
「スペクトに血縁者は?」
「祖父の兄がいた」
「もうご存命でない?」
エリウ=エアはため息をつき、組んでいた足を解くと前のめりになった。膝の上に肘を置いて、そあらをのぞき込む。
「サプレマの目的は?」
「単刀直入ね。言ったでしょう、我々は開戦を回避したいだけよ」
「それ以上のものは?」
「あるように見えて?」
そあらが目を細めると、エリウ=エアは頭を振った。
「悪かったな。少しナーバスになっていて」
彼女はドラクマの子らの宗主、スペクトを統べるクロト家の分家筋である。国を離れた事情をエリウ=エアは語らなかったが、聞けば彼女の家にはクロト家が現当主をいただいてから幾度となく帰国の促しがあり、彼女自身の許にも以前から幾人ものアドラからの接触があったという。ウェバがスペクトの中枢部に入り込み始めて以降は顕著だっただろうな、とそあらは思った。
スペクトのクロト家当主は次の代を遺さなかった。燦と盟を結べるクロトの血筋の者があれば。そう考えた反ウェバ派の者がきっと、彼女のところを何度も訪れたのだろう。そして彼女は断ったはずだ、毎回いろいろな理由をつけて。そのたび肩を落として帰ってゆく来訪者の背を見送りながら、彼女は何を思ったのだろう。
燦と盟を結ぶだけの容量は彼女にはない。だから彼女の本心がどうあれ、彼女に「断らない」という選択肢はなかった。
「悪いことを聞いたわね」
「いや別に。私もアドラの親類縁者と仲違いをしたわけではないから、まあ、あの国の現状には多少、思うところもあるし」
「クロトの当主はもういないしね」
「……そうか」
やっぱりそうか、と繰り返し、エリウ=エアは天を仰いだ。
「父を養子にという話もあったが、あるときから聞かなくなってな。燦はどうした?」
「
「空のキャリア? 主を持たずに?」
「話すと長くなるけれど」
ならいい、とエリウ=エアは話を遮った。彼女は今聞くべきことが何かを理解している。
「本題に入ろう。私はお前たちの期待に応えられそうか?」
「ええ、とても。あなたの雇い主は、少なくともこの詰所では希少なキャリアを自分だけの警備にあてがわせるくらいの地位があって、そしてあなたはアドラの現在の状況に心を痛めていて、なおかつ自分の気に入らない考えの者に付き従うようなタイプではない」
「それはお前たちの評価だ。私には分からない」
「問題ないわ、十分よ。私をあなたの主に取り次いでいただけるかしら」
エリウ=エアは頭を振った。
「どうかな。私の雇い主は必ずしも敬虔な信徒ではないから、サプレマの使いだというだけで会う気を起こすかどうか。真実の目的を伝えるのもいいが、それが真実なのか確認するすべも、行動を起こすだけの材料もないし。お前たちの危機感そのものは理解するが」
「燦もこっち側なの」
「なんだって?」
そあらは立ち上がり、窓際のデスクに置かれていたディスプレイをエリウ=エアに向けた。
「スペクトはそろそろ仕上げに入っているわよ。だから私たちは燦を脱出させ、一応安全な場所に
そあらはディスプレイの枠を人差し指でトントンと叩いた。すいとぜーレが現れてそあらと二言三言を交わし、画面はどこかの屋内に切り替わった。
広い天井が映っている。カメラが上を向いているのだ。それに少年の声、次いで少年の腕が映り込んで、画面に燦の顔が大写しになった。
燦は少し仰け反るようにして椅子を離し、それから後ろに手招きをした。誰か近寄ってきた——ランティスだ。
燦は掛けていた椅子をランティスに譲り、目を白黒させている彼を画面の前に座らせると、その後ろに立って肩に手を置いた。そして燦は言う。
「久しぶり、エレア。大きくなったね」
「おかげさまで何事もなく……驚いたな」
呆気にとられた顔のエリウ=エア——エレアに、燦は満面の笑みを返した。
画面の向こうでぶすくれた顔をしているランティスを尻目に、エレアはそあらから簡単にレクチャーを受けた。
彼女の容量を圧迫している過去のキャリアの残滓の掃除と整理、要するにデフラグを行うにはゼーレという竜は最適である。彼女はエレアの容量でもそれなりに動くことができる。これは人工物をルーツに持つ彼女の特異な「小ささ」によるものだ。
ゼーレはその間、フリッガから離れてエレアにつく。
手始めに十数分、エレアはゼーレの作業を待って椅子に掛けたまま、燦の思い出話を聞いていた。その隣でランティスは居心地の悪そうな顔をしているだけだ。それはそうだろう、こんな回線をスペクトに捕捉されたら何を言われるかなど分かりきっている。
しかし彼は席を立ちはしなかった。何も話しはしない、エレアが祖父の兄の竜と思い出話をしているのを聞いているだけ。黙認している。それがエレアやそあら、そして燦に、彼の立ち位置を言葉以上に雄弁に語った。
今日の会議の閉会が近づく。時間を確かめたエレアは、どうしたらいい、とそあらに聞いた。
「止めなくても大丈夫。もう馴染んでいるから、続行したまま動いてもらえるわ」
エレアは、そうか、と答えて立ち上がった。
「議場から自宅まで送り届ける。その間に話したいなら着いてこい、本人が聞く気になれば聞くだろう。保証はできないが」
「十分よ。ありがとう」
エレアはすたすたと部屋を出た。そあらはその後ろをついていく。
外廊下で結ばれた議事堂へ向かうと、そこへ繋がる扉には守衛がいる。エレアはそあらを紹介し、守衛はいくつか質問をしてからふたりを通した。
質素な詰所と違い、議事堂の建物の廊下には毛足の長い深紅のカーペットが敷かれていた。その上を臆面もなく歩いて行くエレアは毅然としている。そあらは改めて、選んだ相手が適切であったことに安堵した。
いくつかの角を曲がり、階段を上る。その先の長い廊下にひとつだけ、特別に重厚な木材に細やかな彫刻の施された両開きの扉があった。議場だ。
その向こう、閉ざされた議場内の声は聞こえては来ない。しかし拍手が小さくさざめき、脇にいた守衛は閉会を察してドアノブに手をかけた。
わずかに開いた扉の隙間から、ざわめく音が漏れてくる。
エレアは眉を顰めた。そあらが声を掛けるより前に、彼女は議場内に向かって走り出した。扉の守衛が慌てて制止しようとするが、エレアはそれを突き飛ばしたので思わずそあらが受け止めた。
先に中に入ったエレアを追うため、守衛を脇に
不意にいやな匂いがした。これは何かが腐り落ちる匂いだ。
そあらは口を開いたが、それが音を発するより前に議場にはエレアの声が響いた。
「伏せろ!」
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