4 ファルケ、フリューゲル

 ユーレは半島に位置する国家である。陸続きの一方は火竜の巣と化したアドラであるが、周囲三方は海に囲まれているから、竜の出入りは今でも比較的自由だ。


 フリッガの聞いた限りでは、そあらもそうして海から来た竜であったらしい。

「らしい」というのは、彼女はユーレという国が建つより前に既にその地をねぐらとしていて、その来歴など今更語ろうとしなかったからだ。そのためフリッガの知識も先代の先代の、さらにその先々代くらいまで遡って、サプレマが代々引き継いでいる噂程度のものにすぎない。

 聞けば答えてくれない理由もなかったし、関心がないわけでもなかったのだが、フリッガはそれを直接本人に聞いたことはなかった。知らない、ということは、知らせようと思っていないからだ——以前は、そう思っていたから。


 とはいえ、そうして伝えられたそあらの伝来に特に間違いはなく、彼女は一貫してあの半島を根城としている。だから、そあらにとっての「人間の世界」の中心はユーレであり、そして自分を引き継ぐごとに名前をつける、都度都度のサプレマであった。

 内陸からの乾いた風と、海からの湿った風がぶつかるその半島は水が豊かで、川を利用した水上交通が庶民の主な移動手段である。それだけでなくあの国では生活の全てに、生と死を含めた節目節目に、まさに国民ひとりひとりの人生のあらゆる場面に水との交わりがあった。

 そのことは国民に他のどの竜よりも水竜を敬愛させたし、彼女もまたその国の、民に寄り添うあり方を愛していた。


 夜の帳が降りてしばらく、アドラの国境地帯から飛び立ち、ファルケ国内に入る。アドラから水竜が飛来したなどと分かってしまうと両国で面倒なことになるのは目に見えていたから、そあらはできるだけ旅人のふりをして移動することを選んだ。


 そうして彼女が降り立ったのは、国境にほど近い小さな地方都市であった。

 その町は事前に得ていた情報によれば、ファルケ国内の数多の町を結ぶ公共交通機関の終着地である。ここから先を人々は、徒歩やその他の原始的な方法で各々目的地に向かう。

 こんな交通機関はユーレにはない。その礎になっている情報技術も、ユーレには存在しない。ただ、久々の再会を喜ぶものたちの笑顔は、ユーレでもよく見るものだ。それが、長くアドラ国内を横断してきた彼女をなんとなくほっとさせた。



 ユーレはファルケやアドラに比べれば、技術的には完全な後進国である。それがこれまで一独立国としての地位を保ってこられたのは、おそらくひとえに建国の経緯によるものだ。

 各国の同意に基づく中立国を作り宗教上の最高位者を置く。そしてその国を独立国として尊重することにより紛争を望まないという意思を明らかにするのが、この大陸で他国と共存し「国」として在ることを認められるためのひとつの条件であった。

 そのような条件を守ると宣誓した国々が設立したのが、ファルケ首都フリューゲルに本部を置く大陸連合協議院である。


 要するに——この大陸の国々はかつて、埋蔵資源や人材(有力キャリアと、おそらく竜も)を他の有力国が独占しないよう、管理のための国を作り、同国を「後進国」として「適切に」庇護し、同国とは事前に他国の承諾を得た公平な条件による外交で恩恵を得るという枠組みを選んだのだ。そしてそれは、宗教の価値がそれなりに高かった当時はうまく動いていた。

 しかし、建前にも説得力が必要である。宗教の価値は時代とともに変わる。

 政策的に作られたユーレは当初から、国際社会の全ての国々から「守られる」ことを存立の前提としていた。その枠組みを離れ、乗り越え抜きん出ようとする国が出てくれば、ユーレはその余の国の手助けがなければ自国の存立を守るになすすべもない——だからユーレは時勢に合わせ、ユーレなりに、軍事に力を入れてきた。

 そうしてサプレマとその竜は同国の武装の要と化し、陸揚げされた遺物の中でも有用な武器はユーレ軍が独占するようになった。他国はそれを黙認した。「枠組み」の維持には必要なことだったからだ。

 かの国が専守防衛であり、また対象となる武器の扱いについてどの国にも等しく禁輸としている限りは、抜きん出る国が生まれるわけでもないので、積極的に問題視する理由も特になかった。


 いわゆる先進国と言われるところでは滅法強いゼーレの助けを借りて、そあらは一路首都を目指した。

 アドラのように都市間での移動に目を光らせているものや追ってくるものがいるわけでもないし、利用できる交通手段も多かったから、移動はあっけないほど簡単だった。路線図を見て経路を定め、費用を支払う。支払い済証の発行を受けたら乗り込み、座っている間に何度か検札に応じて、目的地で降りる。それだけだ。そうしてそあらはフリューゲルに降り立った。


 大きな駅であった。骨組みをところどころそのまま見せる独特の作りで、天井は広いガラスが覆っている。ああも高い場所だとさすがに掃除も行き届かないから常に透き通ってぴかぴかというわけにもいかないのだろうが、それでもそれなりに外が見えた。青空。

 正面の出口を出ると前方にまっすぐ伸びた広い道が見える。その先に大きな石造りの建物。

 建物の正面の道は、駅から続く道とは途中からゲートで分断され、建物側は様相が違っている。両脇に旗を掲げるためのポールが立ち並び、街路樹も大きく育って、白いざらついた石のタイルが敷かれた路面にさわさわと木陰を投げかけていた。

 奥の建物が協議院本部だ。閉会中だからか旗は何もないし、玄関付近にも左右に警備員がいるだけで人の出入りはない。ゲートは閉じられておらず、建物正面も遊歩道として開放されているようだった。

 ユーレの切迫感がまったく伝わっていないかのような安穏たる景色だが、それと実際の状況が比例するとは限らないことも、そあらはよく知っている。


 これから彼女はファルケ中枢部との接触を図らなければならない。協議院の動きを予想するには、発言力の強い二国の動向を掴むのが先決だと考えたからだ。

 場合によってはその意向を多少変えてもらう必要もある。そのうちひとつはアドラで接触は不可能だから、もうひとつがファルケ。

 こういう動きをするのは久しぶりだな、とそあらは思った。久しぶりといっても、彼女の生きてきた年月に比べればほんの少しの時間でしかないのだが——先代サプレマは彼女に指示して幾度となく単独行動をさせてきたが、フリッガがそんなことを頼んできたのはこれが初めてだ。

 先代に少し似てきたかなとも思うが、それを教えたのはそあらではない。たぶん、随行者の影響だ。彼は本来、人を束ね人を使う立場の人間である。

 そんなフリッガの変化はいいとも悪いとも、そあらには分からないけれども。まあ、成長なのだろうな、と思うことにしている。


「さて、どうしたものかしら」

 腰の後ろで指を組み、遊歩道をぶらぶらと歩きながらそあらは呟いた。隣にはゼーレがいるが、それを認識しているのはそあらだけだ。

 この辺りにはキャリアの気配がない。

「どうするか、考えてなかったの」

「来て見てそれから判断しようと思っていたことが半分くらいね」


 少し調べてみたところ、各国の首脳が集まるところだというのに、この辺りは建物も人も警備は万全とは思えなかった。

 それはこの国が長らく治安と平和を維持してきたことにもよるのだろうが、こういう傾向がある国では往々にして連絡体勢も手続重視で(よく言えば)のんびりしており、正規の段取りを踏もうとすると随分待たされることになるし、それを無視して接触を図ろうとすれば、それはすなわち「悪」だ——うまくやらない限りは。


 アドラにはあの、かつて他国と取り決めた枠組みを尊重する気はもはやなさそうだ。だから、無駄な時間はできるだけ省きたかった。

 ファルケの有力者に接触して、体面ではない実情を知り、必要とあらば適宜情報を与えて、そうと悟られないよう協議院の議事の舵取りをする。そこまで必要となればかかる時間はそれなりだから、接触までの時間は節約したい。正当な手続きを踏んでいる余裕はない。かといって、強行突破で接触しても話を聞いてもらえなければ意味がない。後で背中を撃たれるような隙を残すわけにもいかない。

 ならば、相応の餌を用意して釣りにいくしかない。


 そあらは木陰のベンチから少し離れた中央官庁街を見上げた。そこの最寄りはさっき降りた駅とは違うはずだ。歩いて行けない距離ではまったくないが——駅に確か、使い勝手の良さそうな設備があった。

 そあらは立ち上がると、ゼーレを呼びながら元来た道を戻った。

 首脳部のいずれかの人物と可能な限り穏便迅速に接触する。そのために彼女は少し、場所を変えることにした。

 


 駅にはビジネス客向けの有料ブースが設置されている。間仕切りで小さな区画に分けられて、そのそれぞれに通信設備が備えられていた。全てが画面上で操作できるアドラで見たものよりは素朴だが、電気通信設備であることには変わりなく、ここにだってユーレは到底及ばない。

 さきほど運賃を支払うために入手した、ファルケで貨幣の代わりに流通しているカードを通せば、そこから使用料が引かれて空きブースがひとつ指定される。そのような形で、費用さえ払えば誰でも利用できる個室に入ると、隣との仕切りにはチラシの束が数種類吊るされていた。

 椅子を引いて腰掛けながら、その束から一枚をつまんで裏返したそあらは、何も印刷されていないのを確かめてそれを千切り取った。


 彼女の前にはあまり上等ではなさそうなディスプレイとキーボードがある。使用頻度の高いキーは黄ばんで文字がかすれていた。かなり使い込まれているようだ。

 アドラでは確か、あまり流行っていなさそうな個人商店に置かれたサービス用の端末でさえ、画面に直接触れてもっと直感的な操作ができるようになっていたと思う。でも、いずれであろうとそあらには関係ない。実際に操作をするのは入力デバイスなど必要としない雷竜だからだ。

 そあらはキーボードを脇に立てかけて場所を確保すると、机上にあったペンのキャップを外した。たぶん何かのアンケート記入用のものだ。

 先ほどのチラシの裏にくるくると黒いインクの試し書きをしながら、そあらはディスプレイ上で待っていたゼーレに、隣のブースに漏れないよう小声で話しかけた。

「今から私が書くものをファルケ国内のあちこちに飛ばしてくれるかしら。書式もフォントも一般的ではないでしょうから、見つからなければこのまま画像としてデータ化してくれればいいわ」

 そう言ったそあらは、試し書きをしたのとは別に二枚目の紙をちぎり取り、その裏側の白紙の面に、几帳面ではないが整った円をふたつ並べて描いた。左側には十字に線を入れ、その間にまた線を入れる作業を繰り返して最終的に十六等分するだけの線を描き込むと、中心から反時計回りの渦を描くように数種類の印を交互につけていく。


 確認するように顔を見上げたゼーレに、そあらは手を止めないまま口を開いた。

「#00519A、Aq」

「コード?」

「そう。今は韻文律と呼ぶそうよ。聖職者が用いる祝詞のりととしては、そちらの呼称のほうが響きがいいのでしょうね」


 それからそあらは何も描かれていない方の円にも線を入れた。左側に比べればずっと絵画的で、左右対称に様々な図案が配置されたものだった。ゼーレは眉を顰めた。

「大丈夫なの? コードにホールなんか」

「もちろん時限データにしてくれるでしょ?」

「それはそうするけど。ジオエレメンツの召喚術式なんて保管もセキュリティレベルの高い場所しか許されてなかったのに……知らないわけないか」

 そあらは、当然、という顔で肩をすくめた。

「呼ばれた竜が大暴れしたら、コード管理者も社会的に無傷ではいられないものね。物理的にも、のときもあるけれど」

「うん。だけど何か考えがあるんでしょ?」

 ゼーレは、ペンを置き紙をディスプレイに向け直したそあらに問うた。

「ホールはその辺にあるような紙に印刷しても無意味だし、コードの音読ができなければ機能しない。でもまあ一応、適切な知識に基づく間違いのない音読をされたら、その気がある竜なら様子くらいは見にいくかもしれないわね」

「そうだよ。それが暴れない自信がある?」

「ええ、これで呼ばれるのはだから。もったいぶって登場したら、その後は大人しくしてるわよ」

「自分のコードをそんなふうに使うひと、初めて見た」

 からからと笑ったゼーレにそあらは、彼女にしては珍しく、悪戯っぽい笑いを返した。

 

 ホール、あるいはコードを知るものなら、たとえ意味不明な図形としてでも、それを不特定多数に送りつけるような行為を歓迎しない。

 特定の竜を狙って呼ぶことのできるコードは、野良竜との契約を主とする現代にあっては一子相伝の秘法である。解読されて普及してしまえば知識の価値が下がる。そんな個人的な理由では格好がつかないならば、兵器の解除コードのようなものだと説明されることもある。

 利用する者は、既にその知識を正当に守ってきた者たちから認められた、選ばれたものでなければならない。そあらは知識層のそうした考えを見越した上で、たった今ファルケ国内にばらまいたデータを経由して自分に接触を図る者が現れるのを待つことにした。

 その人間は先ほどの図形が何たるかを知っているはずであり、そうした者は通常特別の地位にあって、一般国民よりは中枢部とのコネクションを持っている確率も高い。


 そあらの賭けはすぐに勝ちが——少なくとも「見つける」という点では、確定した。一仕事終えた彼女がブースで一服してから駅を出たとき、誰かがそのコードを詠唱したのだ。それは意外にも今、彼女がいる場所のすぐ近くでのことだった。

 目的の相手はすぐに見つかった。駅を出てから協議院本部に向かってしばらく進み、ゲートを入る前に左に曲がって、路地を進んで本部裏側に出たところ。その人物は、他人の目のないところを選んで詠唱し、そしてそこで呼んだ相手が現れるのを待っていた。


 建てられた当時は高層だったのだろうが今となってはそう高くも見えない古びた建物が、似たような高さの新しいものと混在して雑然とした路地である。

「話の分かる竜」はすたすたと歩み寄り、お待たせしたかしら、と言った。相手は呆れた顔で腕を組み、そあらを見ている。フリッガと同じくらいの背格好の女性だが、それより少し筋肉質だ。気の強そうな顔をしている、とそあらは思った。

 日が遮られて薄暗いその通りで、その女性はそあらがまだ姿も見せないうちから、どちらから来るかも分かっていたらしい。

 女性は見覚えのある紫色をした目をそあらに向け、口を開いた。

「あんなものをばら撒いた意図を聞こうか。ユーレの水竜」

 そあらは、おや、という顔で首を傾げた。

「詳しいわね」

「我々も座して待つばかりではないからな」

「話が早くて助かるわ。私はフリューゲルがサプレマを迎えるだけの価値があるかを見にきたのよ」

 女性は、ふん、と鼻を鳴らした。


 親しみやすい感じはまったくしない。服装からすると祭祀を司る立場の者であろうことは想像がついたが、そあらの知る聖職者の面々に比べるとかなり尖って怜悧な印象を受ける女性である。

 年齢はおそらくランティスと同じか少し下くらい。二十代後半から三十代にさしかかったくらいに見えるが、どうやら竜を連れてはいないようだ。キャリアであることを隠していないのに、何故——そう考えていると、不意に女性が口を開いた。

「勘違いしているといけないので先に言っておくが、本邦のプライアは期待しているほどサプレマに忠誠心を持っていない。巡礼と言われればまあ形の上で歓迎はするが、何をしに来たというのが本心だ。そういう意味ではサプレマがわざわざお越しになる価値はないよ」

「そうなの? 残念ね」

 やんわりと笑ったそあらに、女性は目を細めた。その目は雄弁に、そんな目的で来たのではないのだろうと問うている。しかもそれを口に出さない。

 そあらは、当たりだ、と思った。だから畳み掛ける。

「それでもせっかく近くまで来たので、あなたに祝福を授けましょう。私はサプレマの名代」

「祝福?」

「そうよ。神を降ろせぬプライア」

 女性は無言で、しかしその顔には不快感をあらわにした。

「まあ聞いてちょうだい。私はあなたのメリットになることをしてあげられると思うわ。当然交換条件があるけれど」


 このキャリアには竜の匂いがしない。そあらはやりとりをしながらその気配を探った。

 おそらく、過去彼女に間借りしてきた竜の残滓が彼女の容量をかなり圧迫している。容量の大きくないキャリアが時と場に応じて竜の切り替えを頻発させたときによく起きる現象だ。

 結果としてそれは宿主に、キャリアとしての本領を発揮できないという不具合をもたらす。そのことが彼女にとってどういう意味を持つのかは分からないが、おそらくプラスの評価を受けることはないだろう。


「私はあなたの容量を元に戻す方法を知っているわ。そしてあなたと契約するに適した竜も紹介してあげられる。もちろん秘密は厳守でね、お互いに」

 どう、話を聞く気はない? と肩をすくめたそあらに、女性は眉を顰めてわずかに考え込んだ。

 即答しないのがそあらに好感を持たせた。あまりに賢明でない相手とは取引をすべきではない。女性が顔を上げ、口を開いた。

「国会議事堂は分かるか」

「協議院本部とは別の場所にあるのかしら」

 女性は後ろを指差した。

「東警護詰所にエリウ=エア・クロトを訪ねてこい。もうしばらく、議会開催中はそこにいる」


 女性はそこを、そあらの目的によりふさわしい場として提案した。

 。そあらは満足げに、では後でね、と微笑んでその場を後にした。

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