3 使者、西より


 ナハティガルは軍事都市である。そうであるにも拘らず、首都スペクトよりずっと生活感にあふれている。ヒトより低い視線から市内を見回しながら、うーはそう思った。


 この町はアドラの内陸側の端にあり、隣国ファルケと国境を接する。こういう配置では多くの場合、隣国との間に国境紛争が起きていたり、そうでなかったとしても緩衝帯というか、双方が牽制し合うエリアが置かれたりするのだが(メーヴェに入る前に抜けてきた、荒れ地の一帯もそうだ)ここではそれは目立たない。ないことはないのだが、国境自体は大河が絶対不動の目印になっているので、その両岸が申し訳程度に警備されているくらいだ。

 ファルケ側は、都市が迫っているわけでも警備隊が常駐しているわけでもない。この上なく見晴らしのいい荒野に、あまり頼り甲斐のない金属のフェンスが肩を寄せ合っているだけである。もっとも、砂煙の向こうに何が控えているのかは、目視では確認ができない。

 一方アドラ側からは砲口が向いている。しかし、この砲台とて国境のそばまで迫っているわけではない。


 その砲台はユーレが国として認められる前に、その沿岸に漂着した前時代の遺物をドラクマの徒らが遙々運んできたものであり、もともとは巨船に配備されていた艦砲であった。

 現代の技術力ではせいぜいメンテナンス(という名の掃除)くらいしかできないものだから、壊れてしまっていれば当然撃つこともできないのだが、一度たりとて稼働させられたことがないので、動くのか壊れているのかも分からないのである。そして、それやウルティマ=ラティオを含むいわゆる「遺物」は、外装に破損がなければ、長大な時を海の中で過ごしていても、陸に上がればかなりの確率で動く。

 だからその砲台も、動くかもしれない。そして動けば被害が想定できない。そういう漠然とした恐れを砲口の向く先、すなわちファルケに抱かせることが、その砲台のはじめからの存在意義であった。

 そういうものは往々にして名を持つ。この砲台の場合は「ニンバス」。

 ニンバスの設置から時を経て、ナハティガルも拡大した。当初は町の端に置かれていたそれは、町の「端」の移動に合わせ、ほとんど中央に近い場所に鎮座していることになってしまった。

 そうして町の中心にそびえる象徴と化したニンバスは、毎日それを見る市民(と、アトロポスの当主)がユーレ沿岸の遺物に思いを馳せる役には、立っている。


 このようにナハティガルは、対ファルケという意味ではほとんど開店休業状態の「軍事都市」なのであるが、それでもこの都市がなお軍事の中心としての立場を保っているのは、ひとつにはスペクト寄りにある基地が原因である。

 ファルケ側へ出動するのにさして時間がかからないのは当然のこと、ここがアドラ国内を移動する始点としても比較的好都合なのは、アドラが版図を広げる過程で主要な道が集中したからだ。さすがに首都スペクトには劣るものの、スペクトを通らない道もあるから、訳あって公にされていない道も含めれば、ここを始点とする道は相当の数になる。

 そしてもうひとつには、当然、アトロポス家の存在がある。ドラクマの従えた三火竜の中で最も苛烈な炎を纏うと畏れられ、ドラクマに下る前には宿主を飲み込んで暴虐を尽くしただとか言われたい放題の「最強の火竜」爛を従えた、アトロポスの当主の存在が。


 こんなふうに、町の拡大の過程や中心となった施設がいろいろなので、ナハティガルは市内でもエリアごとの雰囲気が大きく異なる。

 ファルケとの国境に近い辺りは、ニンバスの射線を塞がないよう、高い建物は作られていない。そのため比較的背の低い建物が、川を越えてくるファルケ側からの砂埃をもろにかぶることになる。 

 そこに不意に一筋、向かい風が吹いてきた。

 潮の匂いを乗せたそれは、黒い猫を目掛けて路地を走ってくる。黒猫が立ち止まると、前を歩いていた三毛猫が振り返り、にやあん、と鳴き声を残して行ってしまった。

 残された黒猫は金色の目を細め、首を傾げた。戻ってきた風は彼が使いに出したものだ。その成果を聞き取って、彼はフンと鼻をならした。


 ここからスペクトを越えたずっと東、アドラの領土を出てその先の小国乱立地域も抜け、この大陸を離れ遥かに望む海の向こうまで。潮風が切り立った崖を走り上がると、一帯に無数の島が身を寄せ合う多島海が広がっている。

 いつもなら素通りしてしまうそこに目的のものを見出した彼は、市庁舎に向かって走り出した。

 


 見つけはしたものの、その場所まで行くのは彼には難儀なことであった。他の者のように大きな竜の体を持っているわけでもないし、宿主を利用して現世を出入りするにしても、現れる場所として選べるのはおおよそ宿主の周りだけと相場が決まっている。

 しかもあの場所は洋上でありながら地竜の縄張りだ。だから彼には足が必要だった。そしてその足をどうするかについて、彼は既に知見を得ていた。スペクトからここまで、翼のない竜を運んだ方法を真似る。


 しかし、そのときと同じものに頼むわけにもいかないのはうーにも分かった。捜し物がどういうものなのか、探さなければならない状態になった理由を考えれば、そんなことをしたら下手すれば現地で一触即発である。それに、そもそも頼みに行く勇気も出なかったし、何よりこんなことをフリッガに知られたくはない。

 それで彼は、ヴィダにだけ相談をして、ランティスと爛に会いに行くことにした。


 ランティスは、立場に見合わない気安さでうーを迎えた。対してうーの方は、こんな天井が高くて重厚な設えの部屋にひとりで招き入れられることなどこれまでなかったので、毛先まで緊張しきってソファーの上で膝を揃えた。

「そんな固くなりなさんなよ、君の主は僕の聞きたいことをあまり教えてくれなくてさ。人が増えるのは歓迎なんだ。あ、ごめん、ぬるい方がいいか。砂糖要る? 蜂蜜もあるけど」

 そう言いながらランティスは、うーの前に置かれた湯気の立っているカップを指さした。うーは思わず頷いて、すぐに頭を振って口を開いた。

「爛に連れて行ってほしいところがあるんですけど」

「へえ」

 ランティスは組んだ脚の上にカップを乗せたままのソーサーを置きながら、眼帯で隠れていないほうの目を細めた。フリッガとは違う、赤にも青にも寄っていないキャリアの目。

 うーはそれをまっすぐ見て、「オレには移動できる足がないので」と言った。

「ちょっと遠出したいんです。でもできるだけ早く行って、帰ってきたいから」

「ドラクマの竜を乗り物にしたいと。いい度胸だね」

「ごめんなさい」


 ランティスは天井を仰いだ。当然見えないものの、そのずっと上、屋上には黒い竜がいるはずだ。

 彼が顔を上に向けたまま視線だけうーに下ろすと、うーも察したようで、ゆっくりと頭を振った。

「そっちには頼めないんです。いろいろ理由があって」

「サプレマの周りも一枚岩ではないね」

「オレはそういう話は答えられない」

 ランティスはわずかに目を細めて値踏みするようにうーを見、それから一息ついて続けた。

「この頼みごとを聞くメリットが僕になければ、僕は爛に取り次ぐつもりはないよ。彼女が留守にするのは、我々にもそれなりに痛手になるから。君は何を出す?」


 うーは少し考えて、それから手持ちの荷物の中からメーヴェでの拾いものを取り出した。もう翠嵐は見つけたので、匂いの手がかりにしたそれは手放してしまっても問題ない。

 うーはそれをランティスに手渡しながら、興味ないですか、と聞いた。

「誰が作ったのか分からないけど、襲われたときに襲い返して奪いました」

「わあ。意外と好戦的なんだな」

 そう言いながらランティスは、受け取ったものをひっくり返したり持ち上げたりして調べていたが、やがてそれをふたりの間のテーブルに置き、うーの方へ押しやった。

「やったのはオレじゃないです。うちで一番気が短いやつ」

「君が探しに行こうとしている人」

「そうです」

 ランティスは、ふうん、と答えながら組んだ脚を解いた。

 戻されたそれに目を落とし、うーは落胆した。ランティスの歓心を買うものなどほかに思いつかない。しかし。


「君が持ってきたそれのオリジナルは、僕が持っている」

「え」

「当家が代々保管していて、メンテナンス以外では他人には触れないようにしている。だから、僕に無断でコピーが作られたというのは、ちょっと聞き捨てならないな」

 ため息をついたランティスは、不安げに見上げるうーに、爛に取り次ごう、と言った。

「彼女の翼に焼かれない自信があるなら行っておいで」

 


 切り立った崖の上からは夕凪の海がよく見えた。

 小さな、そのほとんどには誰も住んでいない島々が飛び石のように取り囲む中で、ひとつ目立って大きな島の西の端だ。

 暖かな、というには熱すぎる風が吹き抜けて、その岩がちの地面を大きな赤い爪が鋭くえぐった。赤い鱗に覆われた背からすぐさま黒猫が飛び降りてきて、今まで乗っていた巨大なトカゲ(のようなもの)を振り返り、ぶるる、と身を震わせた。

「ありがとうだけど熱い」

「急げと言うから急いだ。こんな不快な場所に連れてこさせておいて文句を言うな」

「ありがとうだけどもうちょっとやさしく」


 フンと鼻を鳴らした赤いトカゲの背中には、輝く三双の翼と、うなじ沿いに後頭部に向け熱された炭のような出っ張りが並んで、最後は黒曜石の角に連なっている。それを恨めしげに睨むと黒猫は、尻尾の先をひとふきしてから人の姿をとった。

 同じく爛も姿を変える。うーは、人の姿ならほとんど背も変わらない爛をもう一度睨んだが、爛は涼しい顔で顎をしゃくった。

「それで。行き先を指示しろ。あっちか?」

「ちょっと待ってよ」


 うーは今一度周囲を見回した。

 遥か西に大陸を望む見晴らしのいい場所だが、そこを含め周囲に人の気配はまったくない。背の低い細い草が風に揺れ、ところどころに茂みがあるが樹木の体までなしていない。

 足元には人工の石積みがある。過去の集落の存在を窺わせるが、それは長年の風雨に晒され摩耗して、窪みに目の細かい砂が詰まっていた。うーは腰を屈めるとそれをつまみ上げ、ぱらぱらと落としながら風の行き先に目を向けた。


 ここは洋上であるにも拘らず、地竜の縄張りである。

 通例、主を持たない竜は、自身の居心地のいい場所を縄張りにするので、こんなところを好むのは風竜とか水竜とかと相場が決まっている。だから今ここを縄張りにしている地竜は、ここに「主」を持っていると自認している。しかしここに人の気配はない。

 もっとも、竜にとって時間は無限であり、そこでは生き物のかたちなど一瞬で壊れてしまう無意味なもので、価値を見いだされるのは遺された情報においしかないことくらい、うーだって知っている。人間がそれを「思い出」とか「呪い」とかと呼んでいることも。 


 足下に目をやり、うーは身震いをした。

 この地面に、その地竜にとって価値ある匂いが染みついて、離れない。今そこに土足で上がり込んだ。火竜まで連れてだ。

 下を向いたまま視線だけ、そろ、と横を見る。爛は遠くを見ていた。その先には木立がある。そこだけ息をするように四季を繰り返す、異様な木々だ。

 爛は目を細めてうーを見た。彼もまたその木立を見ていた。いや、睨みつけていた。爛はそれを見、内心嘆息を漏らした。彼は恐れているのだ。足下からその恐怖が這い上がってくる。ぞわり、ぞわり。ああ、怖い、恐い、恐い怖い恐いこわい恐いこわい——


 さもありなん、と爛は思った。のである。同じ三双の翼をもつ爛でさえ、特に苦手とする水竜でもないのに、ここに足を踏み入れるのには少し勇気が要った。

 当人はまったくそんなそぶりを見せないが、近くなければ理解さえできない類のもの。翠嵐は、首座の地竜である。


 ランティスはそれでも、爛をここに遣わした。主と物理的に距離を置き、似つかわしくない巣を持った、しかも主に自身の状況を知らせようとしない、地竜。この条件は僥倖だ。

 この地竜はサプレマの、ひいてはユーレの主力たりうる。ランティスの思惑は爛にもすぐに分かった。

 頼みごとを聞くメリットなどと言っていたが、あれは本質的に気まぐれだ。気まぐれに天真爛漫であり、そして、気まぐれに狡猾老獪である。

 爛はすいとランティスの頭を覗いた。彼女はその眼前に、サプレマの随行者を見て取った。


 ヴィダはランティスの質問に、言葉を選びながら答えている。あんなに話したがらなかったユーレの都市構成の話だ。

 爛にはそんな話の何が楽しいのかは分からなかったが、ランティスが半ば身を乗り出しているので彼の状況は簡単に分かった。これは天真爛漫——というか、バカ素直のほうのランティスだ。

 ところで向かいに掛けている男の得物はなんだったか。収容するにあたりボディチェックは済ませたはずだが——あれから預かったのは? あれと別に入市したのは燦だ。当然、所持品検査などしていない。しかし、ならばあれは本当に丸腰なのか? 燦とあれの隔離は十分だったか? あれの得物の射程距離は? あの男とランティスとの距離は?


 横を見る。うーは爛を見ていた。顔は前を向けて、ちらちらと視線だけ。

 ランティスは人質だ。爛は大きなため息をついた。そして息を吸い込むと、彼女は右手のひらを広げ、うーの背中をばしん、と打った。

「行くぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る