5 ある雷竜の場合(2)

 ゼーレの処分からそう経たず、アドラとアムゼルを中心に回っていた人間の世界はなくなった。


 SEEの開発計画が外部に漏れ、アドラはアムゼルを中心とする他国からの軍事的介入を止めることができなくなった。そしてそれに対抗したアドラ軍部が捨て身のクーデターを起こした結果、アムゼル政府は混乱に突き落とされ機能不全に陥った。

 今や各国をまとめる存在など、どこにもありはしなかった。


 暴動はとどまることを知らなかった。ただ伝播し、外へ外へと渦を描くように広がりはじめたそれの周縁には、行き場を失った人々がいた。

 たがの外れた情熱は視界を狭めぼやかしていく。一部の心ある人の声は、その世界では小さなものだった。

 人の住めない土地が増えて、その声が世界に聞こえるようになったのは、聞く人の数が減ってしまってからだ――それほど人類は、小さな存在となってしまった。


 しゅの生まれた星を捨て、その次に移り住んだ星をも汚染された生を育めぬ世界にしてしまったヒトは、それをまたも捨てて新しい大地を求めた。

 あてもなく外へ、ただ外へ。どこに目的があったわけでもない。何年先にたどり着くかもわからない。たどり着かないまま、死ぬかもしれない。それでも外を目指したヒトの一部がたどりついたのが、とある辺境の星だ。幾隻かの航宙貨物船が墜落した時以外には、ほとんど名前も聞くことのなかった星だった。

 アムゼル派の行方は知れない。無限の宇宙のどこかにまた、ヒトの住める場所を見つけたか、あるいは見つけられずに最後のひとりも倒れたか、知るすべはない。


 同方向を目指した船に偶然、アドラとファルケの人間が会していた。その星に降り立った彼らはそれぞれに開拓を進めた。

 アドラはまたも軍事力に傾倒していく。ただし彼らはキャリアに対してアレルギーのように恐れを抱いており、すぐに排斥政策に出た。

 対してもともと連邦国家という形態を採っていたファルケは力による支配や統制を重視した国家維持には懐疑的で、来るもの拒まずの寛容な政策を推し進め、経済面での発達を第一にした。


 しかしいずれの国家再建も少ない人数では思うようにいかず、両国の人々は拠りどころを求めた。あらゆる自然的要素に神性を認めるサンフト教は、そうして半ば自然発生的に生まれた若い宗教だ。頼るものを身近に感じ、安らぎを得たいという願いが昇華したもの。

 その信仰の具体的な対象となったのが、プライアと呼ばれるようになったキャリアと、それが結ぶジオエレメンツだった。

 もともと不良品として廃棄されるところをその星まで逃げ延びて来ていたキャリアは、兵器としては機能的不良を抱えていた。彼らの行動原理はときに合理的でなく——彼らはヒトと同じように考え、感じ、動いた。

 生き延びるために使用者に反旗を翻し、この地に逃亡してきたキャリアとその子孫である彼らは、兵器というよりヒトであった。

 彼らは地に降りた神とその言葉を伝える預言者として、これまで求められてきた機能とはまったく違う意義を与えられた。彼らが通常の人間に表向きにも「ヒト」として認められるようになったのは、この時からだ。


 アドラとファルケは自らの国内にプライアたるべきキャリアを探した。しかし当初キャリアを弾圧したアドラが手のひらを返すようにプライアを求めても、それに呼応して手を差し出すものは少なく、不安定な民心にそれは大いに妬みをもたらした。

 結果、有力国の協議により、全てのプライアを統括するサプレマだけは、新しく聖地を作りそこに配置することになった。そうして作られた国がユーレだ。

 ユーレは建国の地として水と緑豊かで気候の穏やかな半島を与えられ、もともと周辺に散らばっていた人間と各国の有志が国民となり、新たに国王を立てた。そしてサプレマは国の枠を超えた存在として、政治と離れた位置でヒトの世を見守ることとされたのである。


 もっともアドラでは、間もなくサンフト教の新派を形成するものが現れた。その中心となったのがドラクマ・ダーフィット、火を司る竜を連れたキャリアである。

 もともとは在アドラのプライアであった彼は、火竜を唯一崇高なものとし他の竜を邪竜とみなして、信徒を「選ばれし民」とする新しい宗派を打ち出した。


 プライアが少なく、それがゆえに竜の加護が他国に劣るように感じる人民の多いアドラにおいて、ただ火竜を崇めれば「選ばれし民」となれるという教義は魅力的であった。

 彼の目論見はすぐに成果を現し、彼の教義を国教として採用したアドラは、やがて火神以外の信仰を禁じ、ユーレのサプレマを頂点に戴く正派と事実上断絶した。


 しかし、時を経るとともに、人々は宗教以外に己の頼るべきものを見つけていった。

 国家が成長するにつれキャリアは、一度は純粋に精神的な存在たるプライアとしての安寧を得たにもかかわらず、ふたたび国家間の争いに組み込まれざるを得なくなっていった。

 サプレマもまた例外ではなく、「半島」という不安定な領土を保全するために、その職務はやがて非常防衛機関とも呼ぶべきものに変容していった。国境警備の王立軍に手を貸し、時には主力として、他国の侵入を食い止める。それがサプレマの常務となった。


 月暦三五〇年頃、すなわちこの星にヒトが移住して三五〇年。

 その中、ユーレが隅にそっと身を置かせてもらったこの大陸では、経済大国ファルケと軍事大国アドラを中心とし、互いが牽制し合うことで危うい均衡を辛うじて保ち始め、それはそれから約二〇〇年を経た現在も続いている。



 国力を高め他国の領土を取り込むことも視野に入れ始めた両大国とは、ユーレは人的にも沿革的にも資本的にも異なる。

 ユーレは国力という意味では全ての面で劣勢を強いられることが、成立当初から運命づけられていた。

 沿岸の海底から産出される資源(もともとは空を飛ぶ船の技術があったころの墜落機の残骸だ)を利用して己の国を守るための装備を整えること。今は製造の技術が失われてしまった素材や特殊な装置——ウルティマ=ラティオといったもの。おそらくはその船の積荷、あるいは乗組員の私物だったもの、それだけが国を守る資源であり、すべだった。


 ゼーレはこの国をとりわけ気に入っていた。己の生まれた研究所に漂っていた他国支配の欲望だとか、政治的優位の渇望だとか、そうしたがつがつした野心が小さなこの国には当時ほとんど見られなかったからだ。

 実際そんなことを考える余裕がないほど、その頃のユーレはアドラの脅威にさらされていた。まずは己を守ること。それだけで手一杯だった。


 その中にあってまだ年若いサプレマに、ゼーレはなんとも言えないひっかかりを覚えた。

 その少女の髪は薄茶色で、瞳は青紫、そのいずれもゼーレの持つ記録に一致するものはなかった。それでもひっかかったのだ。彼女はその理由を、そのときは理解できなかった。

 だから気になった。ただそれだけの理由でフリッガと契約したゼーレは、その懐かしさの理由をすぐに悟った。

 ゼーレは「その女性」の顔をしっかりと覚えている。ゼーレを消去しようとした女性開発者のことだ。

 目元がとても、よく似ている。思い出してしまう。溢れ出してくる。


 強く偏った感情は、思考をねじ曲げてしまう。それを知っていたからゼーレは、激情はできる限り排斥してきたし、そのときもそう努めようとした。

 けれども、憎しみとも怒りとも、あるいは悲しみとも慕情ともつかない、もしくはそれらが全て入り混じった心のおりを、ゼーレは整理することができなかった。だからゼーレは、考えるのを止めた。


 何より大切なひとの写真のように何度も何度も取り出していた、彼女の完成をきっと喜んでくれたはずのアルブレト博士の認証データも、その彼女を失敗作と位置付け消去しようとした開発者のデータも、その研究所のデータも。

 まだ彼女が生まれたばかりのころのデータはあまりに彼女を動揺させる。だから彼女はそれらを全て封印した。

 あの開発者、自身の名乗りと容貌と、そして技術力のほかには何ひとつ不明であったあの女性とフリッガとに関連などあるはずはないのだから——数十世紀の隔絶は、ヒトが偶然超えられるものではない。確率を計算するのもばからしいくらいだ。



 ゼーレと契約を結んで間もなく、フリッガはある行動を起こした。

 彼女は会いに行ったのだ。その十二年前に、彼女が父を失ったのと同じ場所で、両親を亡くした少年に。

 とうに大人になっていた少年は、フリッガの(おそらく初めての)友人になった——ゼーレの定義では。


 そうしてゼーレは、彼の容貌を認識した。そして、目を疑った。


 ああ、どうして。

 このひとはどうしてこんなにも、あのひとに似ているのだろう。


 封印が、とけていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る