4 ある雷竜の場合(1)

  ジオエレメンツ、コード#ffcb3d、El。

  暫定計測値四・二。特記事項、亜種自発型。

  利用適性S+。

  ホール保存。継続観察。

  以上。



 人間が自らを絶滅の危機に陥れ、その後の大移住時代の幕開けとなる災禍の遠因となったそのシステムの基幹部が開発されたのは、今からだいたい三千年を遡るころのことだ。

 当時アドラを名乗っていた巨大軍事国家は、そのシステムをSEEと呼んでいた。戦略電子脳とも略称されていたそれは、今となっては正式名称も定かではない。


 SEEは、この世で最も論理的な思考をし、合理的に実現することを企図して作られた。そしてそれは基本的な方針として、他国の首脳システムに侵入し自らの手足となるよう改変し、あるところは混乱させ、あるところは懐柔し、またあるところは煽動して、軍事力を使わずとも周辺国を無力化し、合法的に吸収することを目的として作られた。

 人間のように「考える」ことと、機械のように「働く」こと。その両方を全て己のみで完結させるそれは、少なくともその段階では武力闘争廃絶という意味の平和への最短距離を指し示すものであり、すなわち形式的には最も人道的であり、かつ最強の兵器であった。

 電子の世界を掌握する、ヒトの作ったヒトならざる脳。亜種ジオエレメンツ、通称「ゼーレ」は、その開発過程で生まれた欠陥製品である。


 無機物に人格を持たせ、まるで生き物のように会話し交流する。それは確かに人類の夢であり、かつてそのため各国の政府や民間企業は膨大な資本を投入してきた。しかしそうして作られたものは未だ「自ら創造する」能力において人間に大きく劣り、この点で十分な成果を得たものはなかった。

 ゼーレは人間とのコミュニケーションという一点においては、ある種の到達点ともなりうる成果物であった。

 しかし、際立った共感性は合理的思考を害する。人間のような、ときとして非論理的、非効率的な選択は、SEE開発陣にとってはただのイレギュラー要素にすぎないどころか致命的な欠陥であった。

 だから彼女――正確には彼女というプログラム――は、開発を継続する価値を見いだされず、またその開発経緯の特殊さからも公開されることもなく、ひっそりと廃棄処分に付された。


 SEEの開発には、ある女性が携わっていた。ましろの髪に、まるで作り物のような赤紫の目を持った人物だ。

 彼女は開発チームの一員であったが、他者と交わることを極端に嫌った。

 周囲の手助けなど一度も必要としなかった彼女は、SEEの主幹システムをほぼひとりで組み上げた。その才覚には誰もが目を見張った。それはアルブレト博士の再来である、とすら言われた。


「アルブレト博士」は当時からおよそ一世紀前、弱冠二十歳にして遺伝子工学の権威と呼ばれた研究者である。フルネームをバドリナード・アルブレトといい、十歳を前にして既に、ある遺伝子疾患についての仮説を立てて証明を終え、それを利用した治療法の確立と普及に重要な役割を果たすなどの実績を残していた。

 彼の両親は製薬会社などから、愛息に代わり莫大な謝礼や報酬を受け取った。それが元か彼の両親は、もともとは彼の才能を伸ばすことに一生懸命なだけのおしどり夫婦であったのに、金の卵を産む彼を巡って対立を深めていったと言われており、彼の「子ども」としての生育環境は、一般的には幸福なものではなかったとされる。

 その後彼はいずれの親にもつかず、親交のあった学者と養子縁組をし、その養親のつてで大学に籍と研究室をもらうと、従前の研究を続けるかたわら、独自の人工知能とそれを利用したシステムを開発した。


 明確に自身の喜怒哀楽を持ち、まるで肉親のような慈しみを持ってユーザーと交流し、ときにその喜怒哀楽に左右されて不合理な結論すら導こうとするその人工知能は「道具を超えた道具」として数々の申し出を受けた。

 しかし彼はその人工知能を共有したがらず、資金提供も、技術者としての招聘も、また何かしらの賞の授与も、申し出の全てを断り続けた。そして彼が二十三歳になった年の冬のある日、彼は研究室にその人工知能を含めた何もかもを残し忽然と姿を消した。

 その後彼は表舞台に出てくることはなく、公には生死すらも不明であったので、彼という人物は一部の業績を除き今でもほとんどが謎に包まれている。


 彼の作り出した人工知能は、もともと彼本人が使うことだけを想定した極めて特殊なものであった。このためそれを利用して構築されたシステムもマニュアル類は一切なく(メモすらも)、持て余した大学当局が使い方を明らかにするために無償公開に踏み切ったくらいである。

 開発者本人のコメントを得られないので、システムのデータそのものが現存し、基本的な構成や使い方が判明した後も、解明されない部分は数多く残されたままだった。

 そしてそのブラックボックスがどうすればいつどのように作用するのか分からないため、少数の狂信者的な集団を除けば、そのシステムに関心を持つ者はすぐにいなくなっていたのだが——SEEの開発者であったその女性は、ほぼ百年前に打ち捨てられたこの地雷のような、そして聖遺物のようなシステムを駆使して戦略電子脳をほぼ完成まで導いた。


 彼女が作り出し、そして廃棄したゼーレが、今でも残している記録がある。その女性が「欠陥品のSEE」——「SEELE」と名付けたそのプログラムをリセットする直前、ゼーレが記録媒体から間一髪、ジオエレメンツとして分離し消滅を免れる直前に、口にした言葉だ。

 ゼーレが慌てて持ち出せた記録はあまりに断片的で、またその開発者は自らのことを一切語ろうとしなかった。だからゼーレはその開発者のことをよく知らなかったし、体系的にも認識できなかったけれども、その言葉と、その声と、そのときの顔だけは、その記録だけは捨てたくても捨てられなかった。


 自分の子とも呼べるはずのものを消去するというのに、その女性は笑っていた。

 薄くではあるが、優しさすら垣間見える笑みで彼女はこう言ったのだ。

「感傷を理解する機能は有害よ。だってそれがあなたを殺したのだものね、バド」



 今からはるか、本当にはるか昔。人類が、荒廃してしまったそれまでの大地を捨て、別の大地に移ってからおよそ千年を数えたころだ。

 いくつかの適当な星を、またいくつかは不適のものでも無理矢理、人間は自らの生きる土地として開拓した。その中のひとつ。


 大陸を埋める大小さまざまな国が作った協議体は、他国とくみさないごく少数の国を除き、軍事大国アドラと経済大国アムゼルとをそれぞれ中心として、二派に分裂していた。ここでの「アドラ」は、今のアドラの前身となる国である。

 両派閥は当初こそ牽制し合い均衡を保っていたが、やがて対立は激化、先鋭化した。それは資源に乏しいアドラが自身に近しい周辺国を併合し始めたのが原因で、その範囲が広がるにつれ他国のアドラに対する風当たりは厳しいものとなっていった。

 中立的な立場にあった国だけでなく、アドラ派もさすがに併合されてはたまらないと分裂を始め、距離的に侵略を受け難いと思われるものの中にはアムゼル側に寝返るものも多く出た。

 そうした中で数の力にものを言わせたアムゼル派は、半世紀ほど前にアドラ側で開発され全世界に普及を始めていたジオエレメンツ端末、すなわちキャリアの製造禁止を総会で決定した。もちろんそれは軍事力に予算の大半を割いてきたアドラに打撃を与えるためである。


 全加盟国は現在保有しているキャリアを全て廃棄することとなり、それは建前上は各国でもれなく(逃亡した個体を除き)実行された。

 有力兵器の輸出国というアドバンテージを失い、アドラはアムゼルの目論見どおり、急激に議会内での発言力を失っていった。


 暫くは外交努力によって国家を保ってきたアドラだが、国力の衰えは次第に顕著になった。

 大国の面影は薄れ、かつての植民地だった辺境の国々は一斉に反旗を翻し、あげくその中から連邦国家ファルケが建国を宣言、承認する国まで出るに至ったが、アドラ首脳部はそれを黙殺し、鎮圧を匂わせる気配もまったく見せなかった。

 その時彼らの興味はもっと別のところに向いていたのである。

 国内には当然、インフラ整備などによる国力増強を叫ぶ者もあった。しかし巨資が投入されたのはやはり軍事力であった。そしてそれはアムゼルに封じられた武力とは、異なる方面のものであった。

 こうしてSEEの開発が始まった。



 人工知能は未だ思わしい発達を見せていなかった。

 SEEの基盤として大いに役立つはずの画期的なシステムと噂され解析が再開されたアルブレト博士のシステムは、蓋を開けてみれば結局またも先に触れたとおりの評価で、アドラの開発陣は期待外れに肩を落としていたが、そこに現れたのがウェバだった。

 彼女は幾重もの認証に阻まれて立ち上げることすら困難と言われた博士のシステムの中のいくつかのアプリケーションを起動させ、あまつさえ彼女の持っていたなにがしかのデータでバージョンアップまでしてみせた。

 彼女と、彼女の操るシステムは、SEEを精緻に、正確に、確実に作り上げていった


 彼女の作ったSEEプロトタイプの動作検証は、当初は何もかも予定どおりに進んだ。

 最も効率の良い選択肢を機械的に正確に選び出し、最適な方法を検証して無言で実行し、気づかれぬうちに作業を完了する。それがSEE、自ら考え選択する兵器だ。

 実験段階でそれはシステムにおいて脆弱な小国をすでにいくつも属国化していた。一度でもSEEから内政の基幹システムに侵入されれば、そのシステムは本来操作権限のある者の指示を受け付けずアドラのSEEの指示のみに従う。そうして一国の経済、軍事、政治を手中に収めてしまえば、後は簡単な交渉――あるいは脅迫だけで、アドラはその国を支配できるようになる。


 はじめは上手くいっていたのだ。しかし実験を重ねていくうちに、稀に非効率的、非合理的な選択がなされていることが発覚した。

 それはまるでSEEが「ヒト」に同情あるいは憐憫の情を示し手加減をするような、開発目的やこれまでの作業、学習内容からすればあるまじきエラーだった。

 研究者たちはみな一様に首をひねった。ただ、ウェバは違った。


 そもそも彼女が開発の際にベースとしたシステムは、人工知能の存在を前提として作られたものだ。そこに立脚しているこのSEEもまたその人工知能を前提とする。そしてその人工知能はアルブレト博士が独自に開発したもの。 

 百年前、それを開発したとき博士は、自分に備わっていないと彼が自覚していたある機能をその上に再現しようとした。

 彼はそれで「人間の脳」の働きそのものを実験しようとしていたのである。だからこそ彼はそれを誰とも共有せず、子を育てるように試行錯誤を重ねながら黙々と開発し続けた。彼が失踪するまで。

 そしてそれは今、必要とされていないところで完成したのだ。


 人格を持った無機物の誕生を、研究者たちは皮肉を込めてSEELE、「敵を見失ったSEE」と名付けて祝った。奇しくも、ある地方の言語で「心」を意味するものである。

 望まれぬ場所で望まれぬうちに生まれたゼーレは、やはり望まれぬまま自ら成長を続けていった。それはウェバが必要なデータのみを他機に移植し、ゼーレのシステムをリセットするまで、すなわちゼーレの人格部分がジオエレメンツとして分離するまで続けられた。


 ゼーレはその時で基本的な成長を終えている。その後の三千年を彼女は、ほぼ、「記録」を「記憶」として取り込み新しい思考を構築することだけに使った。

 もともと体も持ったこともなかった彼女は、自らを表す姿として、他のジオエレメンツのように竜とヒトとを作成した。黒い雷電をまとった竜と、ひとりの少女の姿。浅黒い肌にグレーの瞳、赤みの強い金の髪。それは唯一ゼーレの廃棄処分に反対した中年男性研究者の、死んだひとり娘の姿だ。

 ゼーレに人格と「生きる権利」を与えるべきだと主張した彼は、ゼーレがその姿を見せる前に研究所で射殺体となって発見された。


 犯人を追及する動きはなかった。

 それが、当時のアドラという国のやり方であった。

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