1 ある地竜の場合
ジオエレメンツ、コード#3c0、So/Bt。
暫定計測値二四・八。特記事項、複合原典域。
利用適性ありません。理由、収容不可。
ホール、凍結処理を選択。
完了。
以上。
多島海と呼ばれる地域がある。
そこにはユーレやアドラ、ファルケのある大陸のような、まとまった陸地はない。小さな島が肩を寄せるように集まって、そのそれぞれに住み着いたものが独自の文化を育んでいた——かつては。
島国という立地は、外との断絶を容易にする。そのため中には島どうし同盟を結び、大陸国家と肩を並べようとする者もあったが、多くの島の住民は各々、他島の部族とは異なる技術を磨き、その技術を売ることで自らの生計を立てていた。
その中にあって、六の島に分かれたある一族はひときわ目を引く存在であった。
その部族はほぼ全員が、紫の目を持っていた。かつてこの地に入植したキャリアの末裔であり、自らもまたキャリアであった彼らは俗に「竜使い」と呼ばれていた。ユーレ建国よりも遡る当時、大陸と離れた場所で暮らす彼らには、大陸においてプライアに任ぜられたキャリアたちのような、宗教的な役割は期待されていなかった。
携える竜の能力の恩恵を受け、彼らは小さな島々にあっても容易に自給自足が可能であった。貨幣を要するときにも、地道な方法を選ぶ必要はなかった。
当時彼らが生業としていたのは、いわゆる裏稼業であった。ゆえにその六島は他島の住民に対しては閉鎖的で、個人的に他集落を訪ねるものはあっても、彼らの集落自体は外界とは隔絶されていた。
対価を受け取り、依頼されたとおりの仕事をする。時には人間の命をも奪う。特殊な能力を持つ彼らへの依頼は高価で、内容は自ずと困難なものに限られる。
竜使いの一族は自らの契約した竜を常に傍に置き、己の身を護らせるとともに仕事に利用した。その関係は主従だ。主の命令は絶対であった。従わない竜は主の意思で契約を解かれ、現界は叶わなくなる。
かつてこの世界に生を受けたものであった「竜」は、その在り方を改めた後も多くが現界を望み、キャリアの要求を飲んで契りに至った。そうである以上、彼らは自らがこの世界に存在していることと引き換えに、主たるキャリアの命に従わなければならない。それが竜使いの部落での、人とそうでないものとの間の暗黙の合意であった。
その一族に今から数百年前、ひとりの女性が生を受けた。
十数年の後、彼女が自らのパートナーとして呼び出したのは地竜だった。呼び出しの道具のひとつであった
結麻と翠嵐の関係は、その土地の一般的な主従関係とは異なった。それは翠嵐の個性ももちろんであるが、結麻が仕事の相棒として、更には生活をともにするものとして、自らを主として服従を求めることを嫌ったからである。物心のつかないうちに両親を亡くし、普通の主従関係を身近に育つことのなかった彼女の境遇が、彼女にそれをよしとした。
彼女を育てたのは、もうずっと前に「仕事」からは手を引いてしまった老夫婦であった。彼女の父方の祖父母にあたるが、そのふたりも彼女が独り立ちする十七歳を待たずに世を去った。
それから彼女は翠嵐を呼び出すまでひとりで生活してきたのだ。もちろん完全にひとりというわけではなく、一族のものの支援もあるにはあったのだが、その時間と彼女の境遇は、彼女に皆と違う考えを持たせるには充分だった。
彼女の両親はいずれも、その集落の中でも特に有力と目される竜を連れていた。そのため彼女は自分の限界値について、周りの者より恵まれているのだろうとなんとなく感じていたし、何よりここまで数年、ひとりでも生きてこられた。
案外何とかなるものだ。彼女のそうした無鉄砲でさえある楽観主義が、普通は召喚には滅多に使われることのない、左右非対称のホールを選ばせた。
そんなホールで呼べるのは、形状が示すとおり変わり種が多い。要するに道具としては扱いづらいものが多いので、周囲の者の多くが親切心から——一部の者は別の理由から、選び直しを勧めた。それにも拘らず彼女は決心を曲げなかった。一度決めると頑固な少女だった。
そうして呼び出された竜を目の当たりにした者は、今度はほとんどが不安から、彼女にその竜を放棄して召喚のやり直しを勧めた。
彼女が呼び出した竜は三双の翼を持っていた。それは端的にその竜の格を表す。誇り高く、それに見合うだけの能力を持ち、そうであるがゆえに扱いづらく、主を値踏みし、自らに見合わぬと思えばときにそれを食う。
現に、未熟な召喚者を前にその竜は強烈な威圧感を放ち、その様子には比較的自尊心の高い竜を見慣れた者たちでさえ慄いた。
しかし、周囲のそんな反応を気にも留めず、結麻は怯みもしなかった。背丈は数倍違おうかという竜を見上げ、彼女は腕を組んで問いかけた。
「それで? あんたはどうするの」
傲岸不遜なまでの結麻に、その竜は緑の目をわずかに細めた。それが何を意味するのか、どうした判断に基づくのかは分からないが、その砂色の巨躯に紅葉と銀杏の色を散らした竜が天を仰いで咆哮を上げたとき、ふたり——正確にはひとりとひとつの契約が成立した。
主従関係を嫌った結麻は、翠嵐にほとんど何も命じなかった。というのも翠嵐は、結麻が命じるつもりでいた唯一のことを自ら実行したからだ。
その集落で竜といえば、主が許した一時だけは人の姿をとったり外に出たりはしていたものの、普段のほとんどを鱗に覆われた姿で、主の家の敷地内をうろついて過ごしていた。
一方結麻はひとり暮らしだったから、ただ話し相手がいればという単純な理由から、翠嵐に人の姿であるようにと命じるつもりだったのだが、彼女が伝えるまでもなく彼は常にその姿であり、なおかつ自由奔放であった。
集落の者が竜に人の姿を取らせるのを制限していたのは、姿の違いを見せつけることで主従を明らかにすることに目的がある。そうした中にあって、常に人の姿で人と同じ自由を享受する、具体的に言えば、自らの意思のみに基づいて行動し主の指示を尊重しない傍若無人で傲岸不遜な翠嵐は、特に形式を重んじる年配者にはすこぶる不評で、結麻もたびたびそれを諌められた。
しかし彼女もまた自らの意思を曲げることはなく、翠嵐を「ひとりの人格」として尊重し、そしてそれに翠嵐も彼なりには最大の敬意を払って、周りとは違う形ではあったけれども、ふたりの間はなんとなくではあるが、上手く、いっていた。
キャリアの末裔は、結麻たちが住まう島にしかいなかったわけではない。
彼らがこの星の土を初めて踏んだのは、この地に彼らのような特性を持たない「普通の」人間が降り立つよりも前のことだ。のちに入植した人間が組織立った国家を成立させたころには既に、キャリアはこの地に根を張っていた。
しかし、根を張っていたといっても、もともとが他国のキャリア排斥政策を逃れてたまたまたどり着いた者たちだったから、その人数は知れていた。キャリアが入植した頃のこの星は、要するに、亡命者の流れ着く最果ての地であった。
何はともあれ、早くからこの星に移ってきていたキャリアは少しずつ数を増し、結麻たちの代には傍系のものが近隣の島六つに広がって、互いに競合せぬよう分担地域を分け合い仕事を行っていた。
もっとも、数を増したと言っても、もともとが簡単に数えきれてしまう程度しかいなかった者たちである。彼らは彼らの特性を守るために、彼らと異なる「人」との交わりを嫌った。同じ血を重ねたことで、生き延びる子どもは減っていった。
この地に生きるようになって長らくを経ても、そのせいで、同族内の小競り合いが種の保存に与える影響は計り知れなかった。だからこそ彼らは六の島に分かれ、「彼ら同士では」、極めて友好的で親密な関係を築いていたのだ。
そうした島のひとつから、ある日突然便りが途絶えた。その原因だけが謎のまま、またひとつ別の島が死んだ。
ふた月にひとつ。結麻たちの一族の暮らす島に助けを呼ぶこともなく、いつしか四つの島から声が消えた。なんの前兆もなく、ある日突然、誰もいなくなるのだ。
ひとつ減るごとに残りの島は不安に怯え、その不安の中でまた新たな島が消える。結麻たちの暮らす隣の島からの連絡が途絶え、ついに最後のひとつとなったその朝に、敏感な竜は幾匹か空を見上げて怯えたという。ただ、その怯えの理由を誰も説明はできなかった。
彼らは「それ」を示す言葉を持たない。得体の知れないもの。
原因も分からないのでは対処のしようもない。ただひとつ取り残されたその島では、部族の結束が恐怖で揺らぎ、大陸へ逃れる者も出始めた。島の支配的地位にある者は、ある者は恥を忍んで、ある者は不遜な態度で、翠嵐を訪ねてきた。
当初、格が違うと評された通り、彼の存在感は他の竜の群を抜いていた。それは彼が今在る竜の中でも特に始祖に近い首座の竜であり、それだけの経験と見識を持っているということだ。
だから皆は彼を頼ろうとした。ところが彼の居場所はいつも定まらない。主である結麻さえ今どこにいるか知っていることは少なかった。夜になれば帰ってくるけど、と苦笑する結麻に呆れて、契約している意味を問うた者もいた。それに結麻は「いないと困るときにはいるし」、そう答えて笑った。
涼しい風の吹き抜ける木立のそば、数人の子どもが指差す方で古びた物理学書をめくっていた翠嵐は、酷く愛想の悪い視線をちらと本から上げて、ようやく見つけた彼に頭を下げる部族長とその取り巻きたちを値踏みするように目を細めた。
彼はその得体の知れないものを「ゴースト」と呼んだが、彼から得られた情報はそれだけであった。彼はこれからのことには何も解決案を示さなかった。
「結麻が逃げないと決めたから」。その場の誰もが、どの竜よりも主を軽んじていると考えていたその竜は、誰よりもあっさりと、主と命運をともにすると言い切ったのである。
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