3 ゴースト

 そあらは膝をつき、倒れた敵を簡単に調べた。やはり女性であるらしい。フリッガと似たような体格だ。

 頭を掻きながら翠嵐が寄ってくる。

「あんま近づくなよ、噛み付かれても責任持てない」

「大丈夫よ。ご心配ありがとう」


 そう言って立ち上がったそあらは、目を伏せたままため息をついた。

 彼女は砂に埋まった武器を探し出してくるようにうーに指示した後、町民を呼んだ。彼女の二言三言で、町民は腕と足を持って敵の身体を運んでいった。どうやら彼女は町民から(うーや翠嵐に比べれば)信用に足ると思われているらしい。なんとなく気に入らなくて、翠嵐は口を尖らせた。

「大丈夫なの、任せちゃってさあ。アレ」

「蘇生する可能性がないのは確認済みよ。手加減なさいな」

 そあらは肩をすくめた。


 彼らが人間の姿をしているのは、ただそれが便利だからというだけだ。

 依り代たる人間にかける負担を度外視するなら、彼らの身体はどこまでも都合よく力を発揮する。食事も睡眠も必要ない。

 彼らの世界は人間の住まう世界と同一でありながら、そこに見えない層を重ねたように、彼らだけのルールもまた、まかり通っている。

「だから丁重に葬るように言っただけ」と続けながら、そあらはうーの回収してきたものを手に取って眺めた。

「何か分かる?」


 それを不意にひょいと渡された翠嵐はあちこち細かく見回してうなった。

 人差し指から薬指まで、それぞれから手の甲の部分に埋め込まれた装置にコードが繋がった形状のグローブだ。少なくとも現代の技術力とは見合わないものだが、特級品であるウルティマ=ラティオをその内部まで見慣れた彼の目にはいささか作りが雑に見えた。

「王室が貸し出してる掘り出し物シリーズの、一般向け普及型廉価版の更にB級品みたいな。見たことない形だけど」

 言葉選びにやけに棘があるが、そあらは気にも留めなかった。

「割と最近作られたように見えるわね」

「見たとこ作りもちゃちいし、来歴は分かんねえけどたぶん、なんかの劣化コピーだよ」

 翠嵐は答えながらそれをうーに戻した。うーは両手で受け取った。

「コピー」

 繰り返しながら視線だけを移したそあらと対照的に、翠嵐は腰に手をあて大きくため息をついた。

「もっと出来のいい純正品があるんだって、たぶん。複製実験でもしてんのかもしんない。これは利用されたかな」


 人間の技術開発への情熱は凄まじい。先達に学び、次々に新しいものを作る——なのに同族殺しだけは「戦争」と呼ばれて、いつまでも何度でも繰り返される。

 翠嵐はがっくり肩を落としてみせた。もっともそんなことに辟易するなら、このに及んで人間と契ったりはしない。彼は片足を滑らせた。足元の砂地に弧が描かれる。

「何者だったのかしら」

「どうでもいいよ」


 翠嵐はまだ足元で砂遊びをしている。そあらは、彼女の関心の先には心底興味がなさそうな顔の彼にちらと目をやり、澄ました顔で前を向いた。

「あなた、おへそのない人間を見たことある?」

「は?」

「なかったのよ。私はああいう人間をずっと昔に見たことがあるけど。どう?」

「なんだよ、ほんとに実験じゃねえか……」

 翠嵐は砂遊びをやめた。



 そあらのいうのは、かつて「キャリア」と呼ばれていたものだ。はるか昔、母の胎を通らずにガラスの管の中で作られていた、ある種の人間である。

 彼らはその管を出ると、最低限の教育を施されてすぐに戦場に送り込まれた。「キャリア」の呼び名が示す通り、彼らはあるものをその体に収める。そういうふうに創られた。

 ただそんなものは、当時を知る竜とは違い、現代の人間には葬られた歴史の闇の向こうにしかない話だし、何より文明がずっと後退してしまった今、彼らを作る技術は失われ、ユーレでは今はもうわずかに海底遺跡にその痕跡を見る程度である。もちろん生きているはずもない。それなら先ほどの女性は新たに作られたものということになるが、しかし。


 うーは手にしたグローブに目を落としてから、黙り込んでしまったふたりを眉根を寄せて見上げた。気付いた翠嵐が苦笑を漏らす。

「戦利品だろ。大事にしとけよ」

 それは何から何まで溜め込む癖のあるうーをからかうつもりで言った言葉だったが、彼はそれに素直に頷いてリュックを開け、拾いものをしまいこんだ。

 そあらの見張り交代の提案をあっさり呑んで、うーと翠嵐はゲートの中に消えた。


 見渡すユーレの方向は、砂が穏やかな波を描いている。暗く凪いだ海のようだ。

 そあらはゆっくりと瞬きをすると、まずは翠嵐から託された棒切れを返しに営舎へ向かった。



「意地張って素手で応戦なんかするからでしょうが。おばか」

 ベッドの上で足首をつかんで座り込むフリッガの後ろ、部屋の壁に向かって膝をつき、ヴィダは荷物の中まで入り込んだ砂を払いながら言った。


 老人が手配してくれた宿は、ふたり旅のふたりのためのふたり部屋だった。「動物も猫一匹くらいなら大丈夫」という気の回しよう。どこからか現れた連れのことも老人は気にかけていたが、フリッガはそれは固辞した。さすがにそこまで世話になるのは気が引けた。


 宿に腰を落ち着けるやいなやフリッガは水を浴びに行った。昼間のこともあったが、何より潮風で身体中がべたついていたから。

 そうして水を浴びていたら、肘の裏側から二の腕にかけてまだ切り傷が残っているのに気がついた。きっと大男をひっかけ倒した後に相手をした男が持っていたナイフのせいだ。あんな滑り方をして、肉を切り裂かれなかったのは運が良かった。

 たぶん決して「浅い傷」ではなかったのだが、気にも留めなかった。竜の加護だかなんだか知らないが、彼女の傷の治りは異常に速いのだ。それでも前よりはだいぶ遅くなった。二、三年くらい前ならこんなもの、もう完全に跡形もなかったはずだ。


 フリッガが傷の様子を確かめるように二の腕をとんとんと触っていると、荷物整理を終えたヴィダが立ち上がり、向かいに座りながら口を開いた。

「そんなべたべた触っちゃ駄目でしょ」

「べたべたは触ってない」

「それよりまずお前ね、怪我したら怪我したって言いなさいよ」

「だってすぐ治るもん。心配し過ぎだよ」

 フリッガは返事をしながらベッドを降りた。


 傷自体のことは気にはしていなかったが、あの男のナイフはきっと、いや、絶対に清潔ではない。中途半端な治り方をしてしまうと苦を見るのは彼女自身だ。ヴィダが言っているのもそういうことだとは、分かる。

 それでもわざわざ指摘されると腹が立った。しかし頼みのそあらはいない。部屋中を見回し、それからやっとフリッガは、彼女には翠嵐たちの加勢に行ってもらったことを思い出した。フリッガは「様子見てくる」と言い残し、そそくさと部屋を出た。


 宿の建物を出ると、戻ってきたばかりの翠嵐とうーとに鉢合わせた。

 ただいま、といつも通りの挨拶をするうーの、黒猫の姿からは信じられないくらい鮮やかな翡翠色の髪に軽く手を置いて撫でてから、フリッガは視線を上げて翠嵐を見た。ありがとね、と礼を述べると翠嵐は眉を寄せ、天を仰いでから頭を振った。

「断りゃ良かった」

「なんかあったの」

「極めて重労働だった。良質の飯と寝床を所望する」

「ごめん、今日は消えてて」

 わざとらしいくらいがっかりしてみせた翠嵐にフリッガは、部屋はないのだと答えながら、もうほとんど見えなくなりつつある傷を掻いた。塞がる直前が一番痒いのだ。翠嵐が目に留め、何それ、と聞いた。 

「来た時にちょっと。すぐ治るからいいんだけど一応、なんかむかつくし」

「むかつくってなんだよ」

「なんでもない」

 翠嵐はわけが分からないという顔で肩をすくめ、建物の奥に消えていった。



 その晩ベッドの上で仰向けになり暗い天井を見つめたまま、フリッガは大きなため息をついた。意外にその音が響いて、彼女はまずいと思って隣に目をやった。


 狭い通路を挟んだ隣のベッドのヴィダに起きた様子はなかった――とりあえず、彼女の分かる範囲では。

 こんなふうにすぐ近くで寝ること自体が国を出てからしかないから、回数はまだ重ねてはいないものの、見た時には彼は大体背中を向けている。本人によればそれは別に彼女に対する気遣いというわけでもないらしい。寝るときは横かうつ伏せという彼のこだわりを、彼女は今ひとつ理解できなかった。苦しいだけではないだろうか。


 目が冴えている。だからあの夢は見ないと思った。蟻の行列を見ている、自分。

 潮の香りがしていた空気に、ぬるい匂いが乗り始めた。きっともうすぐ雨が降る。

 暗い部屋。また、鋼の鱗に覆われた尾が足元を這い回っている気がして、その音が聞こえる気がして、フリッガは布団をかぶって丸まった。

 ああ、でも。フリッガは布団の端を持ち上げ、外の様子を窺った。まだそこに背中が見える。音など本当は聞こえていない。フリッガは起き上がり、なるべく部屋の隅を見ないようにしながら静かに部屋を出た。



 外は静まり返っている。むらのある雲がかなりの速さで流れていった。上空は風が強いのだ。

 この時間に明かりのついている窓はない。人気ひとけのない青白い石畳を、足元を確かめるように歩く。昼間騒ぎのあった広場で彼女は立ち止まった。

 暗さに慣れてきたので石に落ちた血痕も簡単に見つけられた。たぶん自分の怪我の分だ。それに目を落としたまま周りをなんとなく回って、フリッガは建物沿いのベンチに腰を下ろした。


 夜風に乗る水の匂いが強くなった。今にも落ちてきそうな気配。降り出したらさすがに戻るしかない。

 いやだな、と思う。今あの部屋に戻りたくなかった。上を向くと、雨雲はこの町の真上だけを覆う程度の小さなものに見えた。そこからいよいよ落ちはじめた水滴は下から見ると流星雨のようだった。大きな雨粒が足元の乾いた石に落ち、濃い色の染みをいくつも作った。

 それが地面を覆い尽くしていく様子を、何も考えずにただ見ている。雨雲のかかっていない遠くのほうでは、海に月明かりが揺れていた。


 地面が全て染まってからしばらく経っても、雨あしは弱まる気配を見せなかった。

 フリッガは観念したように大きなため息をついて立ち上がった。いい加減戻らなければならない。そう、あの部屋に戻るのだ。戻ったら何がなんでも寝てしまおう。ベッドの下を這い回るものを感じて不安なら、最初から床に寝てでもそんなものはいないことを確かめるしかない。そうでもしないと眠れる気がしなかった。

 いつの間にか月も隠れて、雨雲は広がっている。

 不意に数歩先に人影が見えた。フリッガは唾を飲んだ。


 それはただ立っているだけなのに、彼女はそれが彼女をあざ笑っているかのように感じた。背後がどんよりと赤く渦巻いているように見えたが、一度目をつぶるとそれは消えてしまった。だから本当にそれは立っているだけなのに、でも、人間ではない。彼女が一番よく分かっている。

 それはもともと彼女の中に在ったものだからだ。彼女の中で十五年以上息を潜めてきた、それをいいことに存在すらなかったことにしてきたもの。だからこそ夜毎その幻が彼女を悩ませてきたもの。

 あの鋼の黒い竜である。


 彼のことを、その考えを彼女はまったく知らない。他の竜のようには聞こえてこないから、それをいいことにずっと目を背けてきた。でも、いよいよだ。

 フリッガは唾を飲み込むと、努めて冷静に口を開こうとした。けれども口の中が乾ききっていて、うまく言葉にならない。

 暗さに慣れた目では顔もよく見えた。やはり気持ちが悪くなる。それほど似ている。でも、この男の頬には傷跡がなかった。あの日彼が生き延びたことのしるしが。


 彼のはずがないと理屈では分かっていても、彼が自分を責めているはずだという思いを捨てきれずにいたから、ずっとそれが腹に落ちないでいた。でも、やっぱり別人なのだ。それが確認できたことに彼女は心底ほっとし、そしてそんな風に思った自分に情けなくなった。


 長い息を吐きながら両手で顔を覆い、再びベンチに座り込む。

 一歩、二歩、雨の音に紛れて近づいてくる。それに混じって細い鎖が触れ合う音。フリッガは顔を覆ったまま口を開いた。


「何なの。お前」

 こんな泣きそうな声しか出ないのが嫌で、顔が上げられなかった。

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